3-40:旅立ちの日
千葉県の成田空港。
日本を訪れ、また出国する人々の数は増大し、ニーズに応じて空港の機能や敷地は拡張された。それでも空港の中は人でごった返し、溢れている。
空港のロビーにて、一見父と娘に見える二人組と、あまりにもいかつい猪にも似たようなサングラスをかけた大男が立っている。
「だから、よっちゃんそんなに泣かないでよ」
娘のなだめる声も聞かず、おいおいと大声を上げて泣いている由人。
「だって兄貴とも希愛ちゃんとも、もう会えなくなるかもしれないと思うと……」
「子供みたいね」
「ともかく由人。ちょっと泣き止んでくれないか。流石に大男においおいと泣かれると悪目立ちして仕方ない」
「はい、ティッシュ」
希愛からティッシュを受け取った由人が勢いよく鼻をかむ。鼻水は勢い良すぎてティッシュを突き破り、床に飛び散った。
「汚ねえよ」
「はっ、すいません兄貴」
「でもお前が来てくれるとは思わなかったよ。組以外の知り合いだってほぼ来なかったってのに」
「何言ってるんですか! 兄貴の見送りに来ない奴なんて組員の風上にも置けないってんですよ! ……とはいえ、抜けた奴らもわざわざとばっちりは食らいたくないって気持ちはわかりますけどね」
「ああ、そうだな」
先日、石橋は尾熊組から正式に絶縁を言い渡された。今後石橋と関わろうとする組員たちは組から制裁を受ける対象となる。由人はそんな事を気にも留めていないが。
尾熊組の新たな組長には竪菱組から出向した者が新たにその地位についた。
若頭である石橋の主だった部下は石橋の絶縁に伴い、組から離反した。
尾熊組はその勢いを更に減らし、今や数あるヤクザ組織の一つに過ぎない。
空港のロビーに設置されている3DTVからニュースが流れている。
『新興宗教集団[方舟]の解散が正式に決まった模様です。なお、解散に伴い幹部による新たな教団が立ち上げられ、それぞれに信者が分散しているとの情報も入っています。警察はこれらの分派についても監視していく方針を固めており……』
「結局、潰れても受け皿みたいなのは必要なんすかね」
「いきなり社会にポンと放り投げられても、奴らは今度は民衆から迫害を受けるからな。ああやって集まってもらった方が変な事起こされずに済むし、監視も楽だ」
「まあ、ひとまずは終わったって言ってもいいんですかね」
感慨深げに呟く。
「ああ。だが俺達にとってはこれからが始まりだよ」
石橋は希愛の方を見る。希愛は疲れが出たのか、石橋の手を握ってはいるもののうつらうつらしている。
戦いが終わってからすぐにアメリカに発つ為に荷物をまとめ、パスポートを取って空港に直行してきた。合わせて二日くらいだろうか。
知り合いに挨拶する暇も無かった。会えたのは怪我をしたアリサの面倒を見ている山賀と、愛人のリンくらいであった。
また石橋たちもいつ竪菱組やその下部組織から差し向けられた追っ手が迫ってくるか、わかったものではない。早く日本を出た方が身の為だ。
そんな厄介な状況にある二人は、見送りなどもとより期待していなかった。
だが由人だけは来てくれたのだ。
「間もなくアメリカ行きの飛行機が飛ぶ。お別れだ」
「そうっすか……お別れっすね……」
その時、一人のタバコ臭い男が近づいてきた。
「よう」
「戌井刑事? どうしてここに」
「そのどうして、ってのには意味が二つあるな? なんでわざわざヤクザ者に会いに来たのかってのと、今日にもう日本を離れるのがわかったのかって」
「……まあそうだけどよ。あと俺はもう絶縁されて今は堅気だ」
「そう嫌な顔すんなや。俺だってお前には感謝しているんだ。教団が無くなったおかげで警察内部の隠れ信者が一掃できたんだからよ」
「そうか。そうだったな」
戌井は懐からタバコを取り出そうとし、空港内は禁煙と言う事を思い出して頭を掻いた。
「石橋。柄山から研究者の事を教えてもらったとは聞いたが、居場所は掴んでるのか?」
「大まかな事しか聞いてないな」
「ったくあのジジイ。情報はちゃんと教えなきゃ意味ねえだろうが」
戌井はポケットからUSBメモリを取り出し、石橋に渡した。
「これは?」
「所在不明な研究者が多い中、柄山が知っていた研究者は所在がキッチリしていた。リチャード=ブラッドフォードとか言う奴か。今はフロリダ州に居るようだ。詳細はその中に入っているからアメリカに着いたら確認してくれ」
「ああ。助かるよ」
なぜこんな情報を一介の警部が、という疑問は心の中に押しとどめた。
戌井の事だから、きっとまた危ない橋を渡ったのだろう。聞くのは野暮だ。
「おっと、今度こそ行かないと乗り遅れちまう。じゃあな」
「兄貴! 絶対に帰って来てくださいよ! 希愛ちゃんも! 姐さんも待っていますからね!」
「おう。まあ死ぬことはねえよ。人を探すだけだからな」
「うん。旅行を楽しむつもりで行って来るだけだから、よっちゃんも心配しないで」
「起きたか」
「うん。行こう、兄ちゃん」
そう言って、二人は搭乗ゲートへと去っていった。
後に残された大男と刑事。
「まさか警察の旦那が兄貴の見送りに来るとはね。餞別までくれるなんて」
「別に、あいつの事はそんなに嫌いじゃなかったからな。立場が立場だから邪険にせざるを得なかっただけだよ。今はもう堅気だから、そんな素振りをする必要もないだろう?」
「ま、そりゃそうっすけどね」
鼻をぼりぼりとかく由人。
「由人、とか言ったっけか。お前これからどうするつもりなんだ?」
聞かれてふんと鼻を鳴らし、胸を張って答える。
「俺ですか。これからまずは組でのし上がって、若頭になってやりますよ。そして組長になる。兄貴との約束ですからね。そんで、いずれは竪菱組に入ってやるんだ」
「石橋派の組員は随分と抜けたってのに、お前は残ったんだな」
「わかってねえなぁ? 今人材がろくにいねえ組だからこそ、俺が頭角を伸ばすのには良い環境なんじゃねえか」
「その前に俺に捕まらないと良いがな。あんまり暴れるようならワッパ掛けるぞ」
「うるせえよ。タバコの吸いすぎでガンにでもなっちまえ」
由人は大きな体を揺らしながら空港を後にする。
戌井は空港の喫煙ルームの中に移動した。
タバコが規制されて久しく、喫煙形の肩身が狭い世の中。それでもまだこの中にいる人たちも多く、煙がもうもうと立っている。
戌井は懐からタバコではなく、葉巻を取り出した。
いつものきつい紙巻タバコではなく、キューバ産の葉巻。
マッチで火を点け、煙を吹かす。
「さて。どこまでたどり着けるかな、あの二人は。俺が心配するこたぁねえが……」
煙は戌井の周囲をしばらく舞ったかと思うと、やがて空気に混じって消えていく。
新宿におけるヤクザと教団の争乱は終わりを告げた。
自分たちのルーツを探る旅。キメラ人は何故生まれたのか。どのように広がっていったのか、考えた事も無かった。だが今こそ、知るべきなのだ。
そして少女は日本を発つ。
自らの為に。皆の為に。そして石橋の為に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます