3-3:石橋隆之

 ヤクザ達は当惑した。

 銃を向けられている状況だというのに、おもむろに革靴を脱ぎだした男。今にも銃弾を浴びるかもしれないという状況で、なぜそのような事が出来るのか全く理解できなかった。

 次にヤクザ達はその滑稽さを笑った。スーツや髪型をバッチリ決めているのに足元の革靴を脱いで素足になるバランスの悪さに。どちらにしろこの男は死ぬのだから何をしようが気にすることは無い。

 彼らは気づいていない。石橋の顔に恐怖の色は今もなく、口の端を釣り上げて笑っている事に。

 

「由人!」


 石橋の叫びを聞き、由人は瞬時に意図を理解して懐から何かを取り出す。彼もまた笑みを浮かべていた。


「て、手榴弾!」


 ヤクザ達はどよめき、彼の近くにいたヤクザの一人が取り押さえようとするが瞬時に殴り倒され、手榴弾はヤクザが特に溜まっている所に無常にも投げられる。


「おい誰か覆い被され! そうすれば破片は飛ばずに済むぞ!」


「そんな事したら死ぬじゃねえか! 俺は御免だぜ!」


「いいからお前が被されよ!」


 ヤクザ達の連携が崩れ、滅茶苦茶になる。有利な状況に置かれていただけに、命を投げ捨てる覚悟も出来ていなかったからある意味当然なのだが。

 数秒の時をおいて、結局手榴弾は爆発する。誰もが伏せて目を覆い、破片から身を守ろうとした。

 しかし手榴弾から発されたものは爆発と破裂した破片ではなく、部屋全体を埋め尽くす白煙であった。一メートル前も見えないほどの煙に覆われた人々は、呼吸もままならずに苦しむしかない。


「煙幕かよ! くそ何も見えねえ」


「おい、窓開けろ窓!」


「この部屋の窓は開かねえんだよ! 畜生誰かドアを開けろ!」


 ヤクザの一人がむせながら部屋の一つだけの出入り口を開け、次いで廊下に出て窓を次々と開けていく。煙は七階の廊下に広がり、天井に設置されているスプリンクラーが作動して水を噴射し辺りを水浸しにする。

 煙は廊下と階下に広がり、高城の部屋に広がっていた煙自体は薄くなっていった。だが一つ、部屋の中で異変が起きていた。


「おい、石橋の奴が居ねえぞ!」


「野郎どこに行きやがった!」


 別のヤクザが気づき、声を上げた瞬間に乾いた銃声が響いた。

 声を上げたヤクザは右腕を押さえて呻き、床に伏せる。腕からは血が流れ、握られていた拳銃は床に落ち、重い金属音を部屋に響かせた。

 撃たれた。何処から?

 誰もが警戒し周辺を伺うも石橋の姿は見えない。その間にも銃声は何度も響き、次々とヤクザ達は銃を持っている方の腕から血を流して呻いていく。

 一分もしないうちに、怪我をしていないヤクザはほとんどいなくなった。

 無傷で残っているのは高城だけだ。

 高城は数の有利に驕って拳銃を持っておらず丸腰だった。迂闊にも程があるが所詮この程度の男なのだろう。


「く、くそ……」

「揃いも揃って鈍い奴らだらけで戦いがいがないな。これじゃ腕が鈍る一方だ」

「ですね兄貴」


 そこで高城はようやく気付く。由人の視線が上を、天井方向を向いていることに。

 

「な、なんだこりゃ!」


 高城は茫然と天井を見つめるしか出来なかった。

 二人の視線の先には、足だけで天井に張り付き、逆さまに立ちながら拳銃を構えている石橋の姿があった。


「てめえ、忍者か何かか」


 高城が吐いた言葉に、思わず石橋は噴き出してしまう。


「忍者? あいつらには天井に張り付く能力なんてねえよ。俺のはヤモリだ、ヤモリ。知ってるか、あいつら吸盤じゃなくて無数の毛によって生まれるナントカって力で天井に張り付けるらしいぜ? まあ原理なんかどうでもいいだろ。由人、そいつら廊下にほっぽり出しとけ」


 石橋は天井から壁伝いに歩き、床に降りて靴下と革靴をゆっくりと履き直した。その横で由人はうずくまっているヤクザ達を廊下へと投げ捨てている。

 そして高城の額に拳銃を突きつけながら石橋は言う。


「立ち話もなんだから、ソファに座ってじっくりと話をしようぜ」


 石橋が勢いよく部屋の中心部にある黒い応接用ソファの上座側に座る。由人も仕事を終え、石橋の隣に座る。

 全ての部下を倒されて対抗する意思も萎えた高城はおずおずと下座のソファに肩を竦めて座り、しばらくは伏し目がちにしていたが、やがてぼそぼそと口を開いた。


「お前ら何のつもりでここまで来た? 用件はなんだよ」


 その言葉を聞いた石橋は、眉間に皺を寄せて高城を睨みつける。不快感を全く隠さずに声を荒げて高城にぶつけた。


「何のつもりでここまで来ただぁ? お前俺のシマを荒らしておいてよくぬけぬけとそんな口を利けたもんだな、ええ? 俺は話し合いに来ただけなんだが? それなのに殺そうとしやがって」

「ま、待ってくれ。シマを荒らしたってどういう事だ?」

「お前あのゼロ番地の一帯が尾熊組若頭、石橋隆之の縄張りだっての知らねえのか?そんな事でよく今までヤクザやってこれたな」

「わ、若頭……」


 途端に高城の顔色がみるみるうちに青ざめていく。尾熊組。若頭。虎の尾を踏んだと今更気づいたようだ。


「つまりだ、シマを荒らしに来たって事はよ、鷹取興業は尾熊組と敵対するって意図があるって事だよな。お前はその責任を取るつもりあるのかって聞いてんだよ」

「ま、待て、俺は知らなかったんだ。あんたの縄張りだなんて知らなかった」

「知らなかっただぁ……?」


 横にいる由人が額に血管を浮かべて立ち上がろうとしたが、石橋がそれを制して座らせる。由人は止めようとする石橋の腕を振り払ってでも殴りかかろうと思っていたのだが、石橋の鋭い眼光を見ておとなしく座る。怒りの度合いは由人の比ではない事に彼も気づいた。

 次の瞬間、石橋は懐から閃光の如くナイフを抜き出し、高城の首筋に刃を当てた。刃は絶妙な力加減で首に食い込み、少しでも高城が動けば鮮血が噴き出すだろう。血の気が引いた表情を浮かべ目に涙を溜める高城とは対照的に、能面の様に無表情になった石橋は、低く静かに声を出した。


「あんまりガキみたいな事抜かすなよ。知らなければ何でもやっていいと思ってるのか。お前みたいな三下の首をウチの組に持って帰っても全然事態の収拾にはならねえんだよ。どう落とし前を着けてくれるんだって聞いてるんだ俺は」

「ひ、ひぃ」


 あまりの恐怖に高城は答える事も出来ずに失禁してしまった。彼のズボンから湯気が上がり、液体がソファとカーペットに滴り落ちていく様子を見た石橋は心底嫌気が差し、ナイフを懐にしまって叫んだ。


「お前じゃ全然話にならねえ。組長……はいねえのか。若頭呼べ!」


「その必要はない」


 出入り口のドア方面から低い嗄れ声が聞こえてきた。

 そこには上下グレーのスーツに身を包み、ハットを被った紳士にしか見えない初老の男が立っていた。誰もが親しみを覚えるような柔和な顔つきをしており、一見してヤクザには見えないだろう。


「わ、鷲尾のカシラ!」


 鷲尾と呼ばれた男は懐から拳銃を抜くと、高城の足を撃った。高城は情けない声を上げてソファから転げ落ちてのたうちまわる。無様を体現したようなこの男の姿を見て由人は笑いをこらえきれず、石橋は哀れみさえ覚えた。


「このクソ馬鹿野郎が。組に迷惑を掛けやがって」


「不出来な部下を持つと苦労しますね、鷲尾の旦那」


「全くだ。尾熊組は優秀な若い人材がいてうらやましいものだ」


 鷲尾は高城を足蹴にし、小便で濡れていない方のソファに座って二人に深々と頭を下げた。


「ウチの部下が尾熊組に、特に石橋の若頭にご迷惑を掛けた事をお詫び申し上げる」


「口上は結構ですよ。ウチはお宅がどうするのかを聞きたいだけですから」


 石橋は転げまわっている無様な奴をちらと見た後、視線を鷲尾に戻す。

 鷲尾も同じようにちらりと見て、石橋をじっと見据えた。


「勿論本来であればこの馬鹿の指でも腕でも落して差し出すのが筋だろうが、今時そんなもん送った所で迷惑なだけだろう?」


「その通りですね。名だたる方の指や腕なら喜んで頂戴しますが、こんなカスの指や腕もらった所で燃えるゴミになるのが関の山です。何よりゴミ出しに行かせる若い衆に迷惑が掛かる」


「同感だ。そこで落とし所として提案するのだが、鷹取興業が持っている縄張りの一つ、三番街の飲み屋エリアの一角をそちらに譲ろうと思うのだが、どうかな?」


 三番街の飲み屋エリアと言えば、新宿の地下鉄駅にほど近い立地にある。何処も繁盛しており、利益が大きく見込める。その為に以前からヤクザ同士の小競り合いが起こっている場所でもあった。最近は鷹取興業が辺り一帯をまとめて支配していたのだが、そんな場所を譲ってくれると言うのは石橋自身の予想を遥かに超えた返事であった。

 石橋は内心舌なめずりをしつつも、表にはおくびも出さずに平静を装って答える。


「それは願ってもないことですよ。ウチも所帯が大きくなって金が必要なんでね」


「では話はこれで決まりだな。細かい事は追ってまた連絡する。連絡先はこれに書いてある」


 ポケットから名刺入れを取り出し、名刺をテーブルの上に置く鷲尾。


「これはご丁寧にどうも」


 同様に、石橋も名刺を鷲尾に差し出す。ヤクザ同士とは言えこの辺りは普通のサラリーマンとはたいして変わらない。


「にしても、こんな事言うのは野暮かもしれませんが、お宅の内規相当緩くなってませんか? こんなのを上にあげるとか相当不味いですよ。一応お宅の組も薬はご法度なんじゃなかったんですかね?」


「高城が薬をシノギにしてたことくらい、俺は知ってたよ。確かにウチの組も薬はご法度だって表向きは言っている。が、薬の売買は大きな金になる。組に迷惑を掛けなければシノギにしていても別に構わない、それがウチの組の本音だよ。尾熊組だってそうじゃねえのかい?」


「……」


 石橋は微笑を浮かべたまま沈黙を守る。

 それを肯定と受け取ったのか、鷲尾はうんざりした顔で言う。


「義理人情だとか仁義だとか、昔のヤクザはそんな事を謳っていたし、確かにそれが通った時代もあったさ。だが今はそんなもん建前としてすらありゃしねえ。すべては金だよ。金を稼がなきゃ今時下っ端だってついてこねえ。正業だろうが薬だろうが犯罪だろうが、金を稼げるならなんだってシノギにしなきゃ今どきのヤクザは生きていけねえんだ。アンタだって重々承知してるだろう?」


「それでも、俺たちの看板として掲げなきゃいかんものでしょう」


 石橋は鷲尾の目を真っ直ぐに見据えて言う。

 鷲尾も石橋の半ば睨みつけるような視線を黙って受ける。

 若者と初老の男の対峙。

 懐から鷲尾は煙草を取り出そうとし、中身が切れている事を見て箱を握り潰し、ため息を一つ吐いてぼそぼそと喋る。


「ぶっちゃけて言うが、今回不味かったのは尾熊組のシマに足突っ込んで商売してたって事だけだからな。超武闘派で鳴らすあんたらが相手じゃなきゃ、俺も知らぬ存ぜぬで突っ張ってただろう」


「もし、鷹取興業と尾熊組が戦ったとしたら?」


 由人の質問に、鷲尾はつい鼻で笑ってしまった。愚問と言わんばかりに。


「それこそウチの組は終わりだよ。悪くて全滅、良くても組員の半分くらいは死んで縄張りも取られるだろうな。そうしたら大概の組は何処かに吸収されるか組員が離散して結局は解散するのがオチだ。そんな頭の悪い選択肢を取るくらいなら、多少利益が減ってもここは頭を下げて争いを避けるのが正しい。金で戦争を回避できるならそうすべきだ」


 一呼吸、間をおいて鷲尾は微笑みを石橋に向ける。


「何か間違ってるかな?」


 二人の間ににわかに緊張が走る。わずかに一瞬だけ。

 交錯する視線に火花が散ったのを、隣で話を聞いていた由人は見た気がした。

 その後二人ともすぐに破顔し、緊迫した空気は緩む。 


「若頭の事を見誤っていました。大変失礼いたしました」


「君が頭を下げる必要はない。実際組長が居なくなって組の空気が緩んでいた事は確かだ。ご指摘感謝する」


「では我々はこれで失礼します」


 石橋と由人は立ち上がり、部屋を後にする。

 石橋の後ろ姿を見送る鷲尾はため息を一つついて、足を撃たれて転がっている高城に目をやり、下の階の連中に電話を掛ける。

 

「おい、うちの怪我した連中の手当を頼む。……本当に尾熊組がうらやましい。ウチの組は人材不足が過ぎる」


 その時、まだ床に転がってうめき声をあげていた高城が口から泡を飛ばして鷲尾に食って掛かった。


「若頭。なんで俺を撃ったんですか」

「そうでもしなきゃ先方が納得しねえだろうが。お前下手したら死んでたからな」

「……それはいいですけど、いくら場を収める為とはいえあの飲み屋街の一角を譲るこたぁないでしょう。あそこはうちの組の中でも結構なアガリを上げてたはずですよ。勿体なさすぎるでしょうが!」


 金勘定で下っ端からのし上がってきただけに、高城はその点においては優秀だった。きっちり組内の金の流れを把握している。

 鷲尾はソファから立ち上がり、高城が日頃座っている机へと向かった。

 机の引き出しを漁り、高城が溜め込んでいた高そうな葉巻を見つけて火をつけてふかし、煙を吐き出す。


「ああ、あそこはもういいんだよ。面倒な事になりそうだったからな」


 鷲尾のセリフに、高城は一瞬怪訝な表情を見せるもすぐに理解した。

 窓から外を見下すと、丁度尾熊組の二人がビルから出た所が見える。遠目からでも彼ら二人の機嫌が良いのが見て取れ、無邪気なものだと鷲尾は感じていた。

 煙を吐き出しながら鷲尾は言う。

 

「何も俺だって、タダでくれてやるほどお人よしじゃあない。あの若いのがどれだけできるか、お手並み拝見させてもらおうじゃないか」


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3-3:石橋隆之 END

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