第50話・好きな×言葉

 ここ最近誰かに見られている様な気がすると言っていたけど、この二週間程はその気配がぱったりと無くなった。やはり杏子の言っていたように俺の妄想だったのだろうか。


「さーてと、帰りますかね」


 今日もつつがなく授業は終わり、帰宅する為に下駄箱へと向かう。

 俺は部活にも入ってないし、基本的に授業が終われば一人で帰宅だ。誰かと一緒に帰ればいいのにと思われるかもしれないけど、まひろに茜に美月さんは部活に所属しているし、他の友達も同様に部活に所属しているか、もしくは恋人と一緒に帰っているから基本的に誰かと一緒に帰る機会がほとんど無い。

 そんな訳で俺は、今日も独り寂しく靴を履いて学園を出ようとしている。


「鳴沢先輩」


 ちょうど靴を履いて建物の外に出たところで後ろから声がかけられる。


「あっ、篠原さん。最近よく会うね」


 振り返った先にはつい最近再会した篠原さんが居た。本人には悪いと思うけど、やはり何度見ても小学生に見えてしまう。


「ぐ、偶然ですよ、偶然。たまたまそういう事が重なっているだけですから」


 何やら焦り気味にそう言う篠原さん。別に深い意味があってした発言ではないんだが。


「駅まで一緒に帰る?」

「せ、先輩がそうしたいなら……」

「よし。それじゃあ行こっか」


 俯いて小さく頷く篠原さんはホントに小動物みたいな感じだ。会った当初はキツイ印象もあったけど、何回か一緒に帰る内にその印象も結構変わった。

 それは言ってみれば慣れなんだろうけど、慣れるというのは便利なもので、段々と篠原さんのキツイ部分も可愛らしく思えてきたから不思議なもんだ。

 そんな事を思いながら篠原さんの横に並び、歩幅を小さくして前へと進み始める。

 多少の歩き辛さは感じるけど、身長差があるのだから当然歩幅もかなり違う。少し歩幅を狭めて歩かないとすぐに差が開いてしまうからな。

 そういえばふと思ったのだが、篠原さんと出会った日くらいだったかな、例の視線を感じなくなったのは。まあそれ自体、俺の気のせいだったのかもしれないけど。


「先輩はいつも一人で帰ってるんですか?」

「ん? そうだね、基本的には一人かな。友達は部活してたりするし」

「そうなんですね」


 それを聞いた篠原さんは、何だか分からないけどにこにこしていた。そんな彼女の歩幅に合わせて話をしながら、ゆっくりと帰路を歩いて行く。


「あの……先輩はあの時の事を覚えてますか?」

「あの時って、体育館裏での事?」


 その言葉に小さく二回頷く篠原さん。

 ついこの前まで忘れてたけど、今はある程度その出来事は思い出していた。


「そうだなあ。まあ、ある程度は思い出したよ」

「そうなんですね」


 篠原さんは両方の口角を上げて微笑んでいる。

 いったい何を思って微笑んでいるんだろうか。あの時の出来事は決して篠原さんにとって良い出来事ではなかったはずなのに。

 俺は篠原さんの微笑みを見ながら、あの時の出来事を思い返していた。そう、あれは確か俺が中学三年生の七月の事だった。


× × × ×


 中学生活最後の夏休みを目前にした放課後、俺は一つのピンチを迎えてかなり焦っていた。

 俺はこの日とにかく急いでいた。このポケットの中にある物を始末する為に。


「どこか安全に始末できる場所は……そうだっ!」


 一つの場所を思い立った俺は外掃除用の道具が置いてある倉庫へ行き、そこから小さなスコップを持ち出して目的の場所へと向かった。


「後は急いでこれを埋めてしまえば万事解決だ!」


 ともかく向かった先で茜と交わした誓約書を埋めてしまえばミッションコンプリート。何としてもこれは早急に始末しなければいけない。

 なぜ俺がこんな事をしているのかと言うと、ちょっと前に茜とした賭けに負け、今日の放課後にファミレスでご馳走をするハメになっていたからだ。

 俺はスコップを片手に意気揚々と体育館裏に向けて走る。あそこなら人が来る事は滅多に無いし、俺の隠蔽作業を見られるリスクも低い。

 そんな事を思いながら目的の場所へと走り、体育館裏への曲がり角を曲がった時だった。


「あっ」


 曲がり角の先に座り込んで居た小さな女の子と目が合い、思わず声を上げてしまった。


「な、何?」

「あ、いやその……」

「用事が無いなら独りにして下さい……」


 女の子はそう言うと元気無く下を向いてしまう。その横顔を見ると、涙が頬を伝って流れているのが見えた。


 ――どうしたんだろう……まさか具合が悪いって事ではないと思うけど……。


 この場に残るのも、この場から立ち去るのも何だか気まずい感じがして俺は立ち尽くしていた。


「……何ですか? いつまでそこに居るんですか?」


 女の子は涙を流しながらそう言ってくる。

 ちょっと気にはなるけど、俺は黙って踵を返して立ち去ろうとした。そこで言われたとおりに別の所に行けばそれで終わりだったんだけど、俺はつい女の子の方を振り返ってしまった。

 振り向いた先に居る女の子はしょんぼりとした表情で両膝を抱え、小刻みに肩を震わせている。


「はあっ……」


 俺は小さく溜息を吐き出してから女の子の方へと戻る。


「……何ですか?」


 戻って来た俺をチラッと見て女の子は、不機嫌そうな表情を浮かべた。まあ本人は独りにして欲しいと言ってたんだから、この反応は当然だろう。


「これ使いなよ」


 俺は持っていたポケットティッシュを女の子に差し出した。

 ここは格好良くハンカチを差し出す場面かもしれないけど、ここは現実であって漫画や小説の世界ではないんだから、そうそう都合よく綺麗なハンカチなど持っているわけがない。


「……ありがとう」


 女の子は小さくお礼を言うと、俺が差し出したポケットティッシュを受け取った。

 それを見た俺はとりあえずそれで満足して背中を向けてその場を去ろうとしたが、踵を返して立ち去ろうとしたその瞬間、ズボンの左足部分が何かに引っかかったかの様にピンと張り、足の動きが止められた。

 何事かと思ってその部分を見ると、座り込んでいた女の子が俺のズボンをグッと摘んでいる。


「な、何?」

「あの……少しだけ話を聞いてくれないですか……」


 正直言って泣いてる女の子の話を聞くのは大変だ。

 それに様子を見る限り、十中八九この子が泣いている原因は恋愛沙汰の事だろうからな。


「……分かったよ。俺でいいなら話を聞くよ」


 そう言うと女の子はズボンからそっと手を離してくれた。それにしても、我ながら何てお人好しなのだろうかと感心してしまう。

 さすがにすぐ真横に座るわけにはいかないから、俺は女の子から少しだけ距離を取って右隣に座った。


「…………いったいどうしたの? こんなところで泣いてさ」


 座ったはいいが一向に何も話してこないので、その沈黙に耐えられなくなった俺は自分から話しかけてみた。


「……泣いてなんかいないです」


 ――いや、思いっきり泣いてましたよ?


 と言いたいところだけど、俺は空気が読めないお子様ではないのでそういう事は言わない。思いはするけど。

 それにしても、女の子ってのはどうしてこうバレバレな事でも意地を張るんだろうかね。男でも女でも素直な方がいい。まあ俺も素直な人間ではないけどさ。

 泣いてないと言った女の子は、再びしょぼんとして黙り込んだ。


 ――やれやれ……このままダンマリを決め込まれるのもキツイな。


「ちょっと待ってて。すぐに戻って来るから」


 俺は体育館の前に設置されている自動販売機の前まで行き、ポケットから泣けなしの200円を取り出してから投入口へと入れる。

 そして少し悩んでから少ない選択肢の中のリンゴジュースを選んでボタンを押す。後は自分用の飲み物をチョイスしてボタンを押し、出て来た二つの飲み物とおつりを手に取ってから女の子の居る場所へと戻った。


「ほら、飲みなよ」

「……ぶどうジュースがよかったです」


 差し出したリンゴジュースの紙パックを受け取りながら女の子は一言そう呟いた。


「そりゃあ残念だったね。生憎と俺は初対面の女の子が好きな飲み物なんて分からないからさ」

「むう……でも、ありがとうございます。嬉しいです」


 女の子はむくれながらもそう言って少しだけ微笑んでくれた。80円の紙パックジュースのお礼としては十分な微笑みだ。

 それから女の子はパックに突き刺したストローに口をつけ、それを飲みながら少しずつここで何があったのかを話し始めた。まあ内容は俺が予想したとおりに恋愛についてだったけどな。

 簡単に言えばこの子は今日、好きだった男子をここに呼び出して告白をし、無念にも振られてしまったそうだ。

 まあ告白をして振られるって事はよくある事だろう。それでも可哀相だとは思うけどさ。

 でもこの子は振られた事自体はそこまで気にしてはいない様だった。ではなぜそんなに落ち込んでいるのかと言うと、その告白した男子に言われた言葉がショックだったらしい。

 ちなみにこの子が何を言われたのかと言うと、『俺、小学生みたいな小さな子に興味ないんだ』と言われたんだそうだ。

 その話を聞いた時、さすがにそんな言い方はないだろうと思った。例えそれが本音だとしても、もうちょっと言い方を考えてやれよと思う。


「男子って、背の小さな女の子が嫌いなんですか?」


 真剣な眼差しでそう聞いてくる。

 はっきり言ってこの手の質問の答え辛さは半端じゃない。だってそんなのは人それぞれだから。


「そりゃあ背の高い女の子を好む奴も居るだろうけど、好きになったら背の高さなんて関係無いんじゃないかな?」

「そうなんですかね……」

「そうだと思うよ? だって相手を好きになる理由はそれぞれだとしても、好きになった根本的な理由はきっと、その人だから好きになったって事だと思うから」

「その人だから好きになった?」

「うん。それにさ、身長なんて本人の努力の範疇外なんだから、その事でいつまでも悩んでたって仕方ないと思わない?」

「…………」

「そんなに可愛いんだからさ、次はきっといい人が見つかるよ」

「えっ!?」


 俺はそれだけ言うとスッと立ちあがってから距離をとり、ズボンに付いた埃を払った。


「龍ちゃ――――ん! どこに隠れた――――!」

「やべっ!? 逃げなきゃ殺される! じゃ、じゃあなっ!」

「あ、あのっ!」


 俺は茜の魔手から逃れるべく逃走を図ろうとしたが、背後から女の子が声を発したのでとりあえず振り返った。


「あの、ありがとうございます……少し元気がでました」


 女の子はにこっと微笑んでいた。どうやらもう大丈夫そうだ。


「おう、それじゃあっ!」


 俺は脱兎の如くその場から走り去って学校を抜け出した。

 そして学校を抜け出した俺は茜に見つからないようにコソコソ帰っていたけど、途中で運悪く茜に見つかってしまい、結局はファミレスに連行されてしまった。

 よくよく考えてみれば、わざわざ埋めに行かなくても燃やすか捨てるかして逃げれば良かったわけだ。


× × × ×


「あの時に先輩が言ってくれた言葉、凄く嬉しかったんです」

「あー、あの時は偉そうな事を言っちゃったなと思ったけどね」

「ううん。そんな事無いです。だって『その人だから好きになった』って言葉、凄く好きになったから」

「そっかそっか。それなら言った甲斐があったってもんだよ。それでさ、あれから好きな人はできたの?」

「えっ!? そ、それは…………」


 ――ほほう。この反応、さては好きな人が居るんだな。


「いったい誰が好きなのさ? 同級生?」

「う、うるさいですよっ! そんな事、先輩には関係無いですもん!」


 むくれた表情でそう言うと、篠原さんはツカツカと早足で歩いて行く。


「ごめんごめん。篠原さん」


 そう謝ると篠原さんはピタッと足を止めてこちらへ振り返り、キッと鋭い視線で俺を見てきた。


「な、何か?」

「い、いつまで篠原さんて呼ぶんですか?」

「へっ?」

「いつまで篠原さんて呼ぶんですか? わ、私は後輩なんだし、な、名前で呼んでもいいんですよ?」

「名前でって、愛紗さんと呼べと?」

「ち、違います!」


 ――だったら何と呼べと言うんだ……まさかあだ名か? だとすると愛ちゃんと呼べばいいんだろうか。ふーむ……それはそれでハードルが高いな。


 そんな事を考えていると、篠原さんは業を煮やした様に口を開いた。


「だ、だから、愛紗って呼んでほしいんですっ!」


 ――なるほど、そういう事か。まあ自分からあだ名で呼んでくれなんて奴はそうそう居ないだろうからな。


「分かった。それじゃあ俺のことも龍之介って呼んでいいよ、愛紗」

「ふあっ!?」


 俺が初めて名前を呼んだ瞬間、愛紗の顔が今まで見た事が無いくらい真っ赤になった。


「大丈夫か?」

「きゅ、急に名前を呼ぶなんて……バ、バカ――――!」


 愛紗は両手で顔を押さえながら猛スピードで走り去って行く。


「ま、待てよ愛紗! そんなんで走ったら危ないぞ!」

「うるさ――――いっ!」


 俺は暴走する愛紗を止める為に街中をダッシュするハメになった。


 ――てか愛紗の奴、見かけによらず足が速いのな!


 そんな事を思いながら『ああぁぁ――――っ!』と叫び走る愛紗を一生懸命に追いかけた。

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