第272話・異変×思わぬ事態

 まひろに告白を受けてから六日目の朝。

 俺は言い知れない緊張感と共に家を出た。なぜなら今日、俺はまひろに告白の返事をするからだ。

 まひろには昨日の夜のやり取りで、『この前の告白の返事を放課後に直接言いたい』と伝えてある。

 色々と考えていたからとは言え、まひろには返答をする前に返事を待たせてしまった事をまず詫びようと思う。だが、時間をもらえたおかげで色々と気持ちの整理や覚悟ができたから、それは本当にありがたかった。やはり中途半端な思いで返事をしたくはなかったから。

 それにしても、元々は男だと思って長年付き合っていた親友が実は女の子で、その子が俺を好きだったと知った時の衝撃は例えようも無い。きっとこんな経験をする人なんて、世の中を探してもそうは居ないだろう。故にまひろの告白を受け入れるかどうかは、かなり真剣に思いを廻らせた。

 そしてその結果、俺はその想いを受け止めてまひろと付き合う事を決めた。もちろんその結論に関して、完全に不安が無くなったわけじゃない。

 俺が長い時間をかけて悩んでいた事。それは、男として過ごして来たまひろとの思い出が無くなってしまいそうで怖かった事や、女の子として本当の自分を曝け出したまひろとの付き合いの浅さなどがあった。

 もちろん、まひろが女の子だと分かったからと言って、過去のまひろとの思い出が消えるわけでもなければ、無かった事になるわけでもない。それは俺にも分かっている。

 だけど、頭で考えて理解できる事と感情はまた別の問題だ。それがあるからこそ、俺はこんなにも長い時間を使って悩んでいたんだから。

 まあ、最終的には過去の思い出も二人で大事にしつつ、今のまひろとの思い出もしっかりと作って行けばいい――という思いに至り、女の子のまひろとの付き合いの浅さも、付き合いながらお互いに距離感を掴んで行く様にすれば良いだろうという結論に至った。

 結果だけ見れば五日も返事を待たせるような内容ではなかっただろうけど、そこは真剣に考えていたからだと、是非まひろにはそう思ってもらいたいもんだ。


「おはよう、まひろ」

「あっ、おはよう。龍之介君」


 朝の教室に入って中に居たまひろに挨拶をすると、いつもの様に柔らかな笑顔を見せて挨拶を返してくれた。

 俺としては告白の返事をすると予告していたわけだから、凄く緊張しているんじゃないかと思っていたけど、どうやら思っていたほど緊張はしてはいなかったみたいだ。


「きょ、今日は良い天気だよね」

「えっ? そうか? 結構曇ってると思うけど……」

「あっ、そ、そうだね、結構曇ってたね。それじゃあ私、一時間目の予習でもしようかな」


 予習をすると言ったまひろは、なぜか俺の隣にある自分の席ではなく、自分の席の前にある茜の席に座って机の中を漁り始めた。


「おい、そこは茜の席だぞ?」

「えっ!? あっ、そ、そうだった。ちょっと勘違いしちゃったみたい」


 慌てて席を立ったまひろは苦笑いを浮かべながら自分の席へと戻り、いそいそと英語の教科書を取り出してそれを熟読し始めた。だが、一時間目の授業は英語ではなく数学だ。


 ――あれ? やっぱり結構緊張してるのかな?


 本当なら教科書が違っている事を教えてあげるべきなんだろうけど、こんな感じのまひろを見ていれば、いつもと違う事は容易に分かる。だから俺は、あえて間違いを指摘せずにそれをスルーした。

 もしもまひろが緊張からこんな感じになっているとしたら、そっとしておくのが優しさだろうと思ったからだ。

 そんなおかしな言動をするまひろをどこか微笑ましい感じで見ていた俺だったが、残り少ない一学期の間でそんな微笑ましいまひろを見たのはそれが最後だった。

 それから授業が進んでお昼休みになった途端、まひろは慌てた様子で教室を出て行った。自分が女性だと明かすまではそんな事は無かったんだが、女性だと明かしてからのまひろは、お昼休みや放課後になってすぐに教室を出てどこかに行く事が多くなっていた。

 もしかしたら体調を崩しているのではないかと心配した俺は、一度だけその事をまひろに尋ねた事があったんだけど、その時のまひろは、『そんな事は無いよ? ちょっと用事があって出てるだけだから』とだけ言っていた。俺もその時はそれで納得していたわけだが、その行動もこんなに頻度を増してくると、いよいよその内容が気になってしまう。


「なあ、渡。三年生になってからまひろが休み時間とか放課後にすぐ教室を出て行く様になったんだが、どうしてだと思う?」


 最近は幼馴染で彼女である秋野さんと昼食を摂る事が多くなっていた渡だが、彼女が委員会活動などで居ない時はこうして一緒に食事をしていた。


「あ? 涼風さんがすぐに居なくなる理由? さあ? トイレにでも行ってるんじゃないか?」

「はあっ……お前に聞いた俺が馬鹿だったよ……」


 ちょっとはまともな返答が出るかと期待していたが、どうやら俺の考えが激甘だったらしい。

 俺は無駄な時間を使った事を後悔しつつ、再び弁当に箸を伸ばした。


「なんだよその言い草は……。あっ、そう言えば今思い出したんだけどさ、涼風さんにちょっとした噂があるのは知ってるか?」

「噂? いや、知らないな。どんな噂だ?」

「いやまあ、大した内容じゃないんだけどさ、この学園のフリーの男子から頻繁に告白を受けてるらしいんだよ」

「はっ!? マジか!?」


 その話を聞いて最初は驚きもしたけど、あれだけ可愛ければ男子に注目されるのは当然だろうとは思える。

 もちろん、渡が口にした噂話が真実なのかどうかは分からない。だけど、お昼休みや放課後などの時間帯にすぐ居なくなる事を考えれば、告白をされていると考えてもおかしくはない。


「あんだけ可愛かったら彼女にしたいって思う野郎が多いのは当たり前じゃないか? まあ、本人は嫌かもしれんが」

「……ちょっとトイレに行って来る」


 まひろの事が気になった俺は、取って付けた様な理由を口にしてから教室を後にし、まひろを捜し始めた。

 そしてまひろを捜し始めてから約十五分くらいが経った頃、四階の廊下を駆けている時に偶然にも女子トイレから出て来たまひろと遭遇した。


「あっ、こんな所に居たのか」

「りゅ、龍之介君!? ど、どうしたの? こんな所で?」


 まひろは俺に背を向けながらそんな事を言い、右手で目元を拭っている様な仕草を見せた。


「どうかしたのか?」

「ううん。ちょっとだけ具合が悪くなったから、誰にも迷惑かけないようにここまで来てたの。ごめんね、心配させちゃったかな?」


 そう言ってこちらを向いたまひろの目は、明らかに泣いた後だと分かるくらいに赤くなっていた。


「あ、いや、俺の事はいいんだけどさ、具合が悪いなら保健室に行くか? 俺が付き添うからさ」

「……ありがとう。でも大丈夫。私一人で行けるから」

「でも……」

「本当に大丈夫だから、心配しないで。それじゃあ、行って来るね」


 まひろの様子は明らかにおかしかった。それは朝の緊張している時の様子とはまったく違い、今のまひろからはどことなく俺を避ける冷たさの様なものを感じた。

 俺が何かまひろを怒らせる様な事をしてしまったんだろうかと思ったけど、生憎とそんな覚えはない。それにこれまでもまひろを怒らせてしまった事は少なからずあったけど、こんな風に突き放す様な言い方をされた事は無かった。

 本当ならこの時に色々と話をしておくべきだったのかもしれないけど、初めて見るまひろの態度に困惑していた俺は、それ以上何も聞く事ができなかった。

 そしてお昼休みが終わり、午後の男女別の体育が終わった後、俺はまひろが早退した事を茜から教えられた。

 まひろの体調を心配した俺はすぐにメッセージを送ったが、その日、そのメッセージに返事が来る事はついに無かった。

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