第193話・茜×勝利
三年生になって初めての休日は、美月さんの親友である
しかしせっかく貴重な休日を使って色々なことを考えていたというのに、結局まともな案は浮かばなかった。けれど原案の提出まではもう少し時間があるので、今はたくさん悩んで考えようと思っている。
「鳴沢くん、今日からよろしくね!」
早々と過ぎ去った休日の翌日。サプライズの時に言っていたように、桐生明日香さんがこの
しかも驚いたことに――いや、まるで誰かに仕組まれたかのように、俺や美月さんなどの知り合いが居るBクラスに桐生さんは所属となった。
「よろしくね、分からないことがあったらなんでも聞いてよ」
「うん、頼りにしてるからね」
桐生さんはそう言うと、他のクラスメイトのところへ律儀に挨拶に向かって行った。
それにしても、今の桐生さんがやっているように、クラスメイト個人に対してそれぞれに挨拶をする転校生というのは初めて見る。
俺も小学生の頃から今までの間、それなりに転校生を受け入れる立場を経験してきたけど、転校初日の自己紹介のあとで、このように積極的なコミュニケーションをする転校生を見るのは初めてだ。
普通なら転校生と言うのはもっと緊張していて、それを見たクラスメイトの一部が話しかけたりすることから、少しずつコミュニケーションが始まる――みたいなのが、一般的によく見る流れだと思う。
しかしまあ、元々が明るくフレンドリーな桐生さんの性格を考えると、現在進行形で行われている行動に少しも違和感はない。むしろ桐生さんなら、その行動が普通に見えてしまうほどだ。
「よろしくね!」
明るく挨拶をしながらクラスメイトと握手を交わしていく桐生さんを見ていると、中学生時代に友達と話題になったあることを思い出す。
話の内容はなんともくだらないが、“女子の前でエッチな話をしても許される男子と、許されない男子との差とはいったいなんだろうか”――という内容の話を、男子連中と熱く議論していたことがある。
もちろんどの程度の下ネタなのかとか、相手の下ネタ耐性なんかも考慮した上での議論だ。
そしてその熱い議論の結論を言うと、“その人物のキャラクターによるのだろう”と言うことになった。結果としてはなんとも
なぜなら“女子にそんな話をしても許されるキャラクターとは、いったいどんな人なのだろうか”――という議論も同時にしていたのだけど、結果としてそんなキャラクターの
もしもそれらしきものを強いてあげるとしたら、“その人物が醸し出す雰囲気”――としか言いようがないと思う。
確かに雰囲気的に色々なことを許せてしまう人物というのは居る。俺にとってはまひろがそれに該当するだろう。
そしてそれとは対照的に、ちょっとした物事でも許しがたい感情をわき起こさせる人物として、渡の顔が真っ先に思い浮かぶ。
きっとこの2人が俺に対してまったく同じ嫌なアクションを起こしたとしても、感じ方は対照的になるだろう。それほどまでに雰囲気というのは、相手の印象や捉え方を変えてしまう要素になる。
それにこの雰囲気というのは自発的に、意識的に変えるのは難しい。いや、意識的に変えることは不可能ではないかとすら思える。言ってみれば雰囲気とは、生まれ持ったもの――みたいなものだから。
「もっと緊張してるかと思ったけど、案外大丈夫そうだね」
「はい。明日香さんはとっても人懐っこい方ですから、すぐにクラスのみんなと打ち解けられると思います」
俺の席の近くに来ていた美月さんにそう言うと、本当に嬉しそうな声音でそう答える。
そしてせっせと挨拶回りをする桐生さんを見ながら、美月さんはいつまでも優しく柔和な笑みを浮かべていた。
× × × ×
桐生さんが転校して来た翌日の放課後。
制作研究部の部室に集まったメンバーの中に、昨日転校して来たばかりの桐生さんの姿があった。
「昨日この学園に転校して来た桐生明日香です。美月ちゃんの誘いもあったので、この制作研究部に入ることにしました。皆さん、よろしくお願いします!」
そう言って桐生さんが頭をペコリと下げると、俺を含めたメンバー全員からぱちぱちと拍手が起こる。
こっちにある声優養成所に入所が決まって引越しをして来た桐生さんが、部活に参加して大丈夫なのだろうか――という心配はもちろんあったが、そこはしっかりと両立させると桐生さん言っていたので、まあ大丈夫なのだろう。
しかしまあ、桐生さんがこの制作研究部に入部したことに関しては、特に大した驚きはなかった。なぜならこの制作研究部の活動内容が、桐生さんが求める将来の夢、声優と言うジャンルの仕事も含んでいるからだ。
それにこちらとしても最終的に声の吹き込みをする以上、そういうことに詳しい人物が居るのは助かるので、桐生さんの入部は願ったり叶ったりと言える。
「それでは明日香さんの入部挨拶も終わったので、今から第2回目の制作研究部ミーティングを始めたいと思います。皆さん、前回のミーティングから今までの間で考えて来た原案を出して下さい」
8畳ほどの部屋の中に聞こえる美月さんの凛とした声。制作研究部の部長として、しっかりと責任を果たそうという意気込みが伝わってくる。
「思ったより書けなかったから、量が少なくて申し訳ないけど……」
綺麗に並んだ二つの長机の前にあるパイプ椅子に座っている俺は、前回のミーティングからせっせと考え込んで書いた原案ノートを鞄から取り出し、長机の上にそっと置いた。
「大丈夫ですよ、龍之介さん。みんなでアイディアを持ち寄って、ゲームの設定や世界観、方向性やキャラクターを決めるのが目的ですから」
申し訳なく思いながら原案ノートを出した俺に向かって、美月さんはにこやかにそんな言葉をかけてくれた。本当にその自然で優しい気遣いに救われる。
「龍ちゃんはラブコメ作品とかをたくさん見てるから、きっと凄い量の原案を持って来ると思ってたんだけどなー」
しかし美月さんの言葉によって救われたと思った次の瞬間、俺の心は茜によって無残にも打ち砕かれた。
いつもいつも絶妙なタイミングで毒を吐いてくるのが茜だけど、今回ばかりはマジで痛いところを突いてきやがる。
「あのなあ茜、そういうのを知ってるからこそできないってこともあるんだぜ?」
「ふーん……そういうものなの?」
いかにも言い訳がましい――っと言った感じでそんな返答をする茜だが、こればっかりは本当のことだから仕方がない。それに知っているからこそ迷うというのは、実際にあることだと俺は思う。
確かに茜の言うように、俺は多くのラブコメや恋愛作品を見てきたし、恋愛シュミレーションゲームだってそれなりにしたこともある。
そして王道と言える展開から、意外性を伴う展開まで、本当に色々な作品を見たり体験したりしてきた。だからこそ、いざ自分たちでそう言った物を作ろうすると迷うのだ。
この場合で言うところの“迷う”というのは、どんなシチュエーションを書いても、どこかで見たことがあるような――みたいな感覚に
なまじこういった知識があるだけに、余計な考えが邪魔をしてしまうわけだ。
「ちぇっ、そう言う茜はどうなんだよ」
「私? 私はまあまあ書けたと思うよ?」
茜は“まあまあ”と言っているけど、その自信に満ち溢れた表情を見る限りは、とてもまあまあなどとは思えない。
そして自信溢れるその表情を裏づけるかのように、茜は持って来ていた鞄から分厚い紙の束を取り出した。
「ず、随分と分厚いな……もしかしてそれ、全部原案の資料なのか?」
「うん、もちろんだよ」
茜の鞄から取り出された紙の束の厚さは、ゆうに5センチはあると思う。
俺なんてまっさらなノートに数ページほどしか書けなかったというのに、まったくもって圧巻だ。紙の束を机に乗せた茜が、俺だけに対してドヤ顔を見せてくるのも頷ける。
「くっ……ま、まあ凄いとは思うけど、問題は量より内容だからな」
「ふーん。それじゃあ龍ちゃんが書いてきた原案の内容に、超期待しておかなきゃね!」
「うっ……」
あまりの悔しさに苦し紛れとしか取れない言葉をつい言い放ってしまった次の瞬間、茜はまったく動じずに、見事なまでの倍返しの言葉をにこやかに口にした。
そして完全なる墓穴を掘った俺は言い返す言葉が見つからず、茜から顔を
“勝利!”――と言わんばかりの表情を見せていた茜には悔しい気持ちを感じるけど、これ以上の抵抗は高確率で恥の上塗りをすることになるだろうから我慢だ。人生にはぐっと我慢が必要な時もあるからな。
それからみんなが書いてきた原案資料が机の上に出揃ったあと、その原案をみんなで回し読みしながら内容を決めていこう――となったのだが、資料の枚数が多い茜と、なぜかその茜と大差ないくらいの資料を持って来ていた杏子のおかげで、部活の時間内にすべての資料に目を通すことができず、結局その日の内にゲームの内容や方向性などを決めることはできなかった。
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