第158話・早朝×緊張

 無事に花嵐恋からんこえ学園の文化祭初日を終えた翌日。

 昨日と同じように晴れ渡る空を自室の窓から見た俺は、素早く制服に着替えてから簡単な朝食を済ませて自宅をあとにした。

 冬は陽が登るのが早いとはいえ、やはり早朝の空気は冷たい。まるで大型冷蔵庫の中にでも居るような冷たさを身体に感じながら、まだ人がほとんど居ない通学路を歩いて行く。


「――6時半か、少し早く家を出過ぎたかな……」


 やって来た最寄り駅の時計塔の下。そこで吹いて来る風に身を震わせながら、俺は今日の文化祭でまひろと入れ替わるまひるちゃんが来るのを待っていた。

 A班との勝負の件もあるから気合を入れなければいけないが、今日はまひるちゃんが楽しく文化祭を体験できるように、そしてまひるちゃんがまひろと入れ替わっていることがばれないように最大限のアシストをしなければいけない。きっと昨日よりも大変な1日になるだろう。

 しかしそう思う反面、入れ替わりという非日常的なことをしようとしていることにわくわくしているのも事実だ。


「――お、おはようございます」


 寒さに身を震わせながら白い吐息を思いっきりふーっと出した時、俺の左側から少し遠慮がちな声の挨拶が聞こえてきた。


「あっ、おはよう」


 その声にいささかの緊張を感じながら振り向くと、そこには俺の予想どおりにしょぼくれた感じの表情をしたまひるちゃんが居て、とても申し訳なさそうに立っていた。

 まひろにこの前のことを気にしないようにまひるちゃんに伝えてくれとは言ったものの、おそらくそれが気休め程度にもならないだろうことはなんとなく分かっていた。この兄妹はそういったことをなによりも気にする似た者兄妹だからな。


「昨日は良く眠れた? 緊張して眠れなかったりしなかった?」

「あ、はい。やっぱりちょっと緊張してなかなか眠れませんでした」


 まひるちゃんは俺の質問に苦笑いを浮かべながらそう言った。

 おそらくまひるちゃんの言葉に嘘はないだろう。でも多分、緊張していた原因は文化祭以外にもあるとは思う。

 しかしそれを俺が意識してしまうと、余計にまひるちゃんを萎縮いしゅくさせてしまう可能性が高い。

 ここは意地でもあの日の事をまひるちゃんに意識させないように振舞わなければいけないだろう。


「そっか。実は俺も最終日だからって色々と考えていたせいか、夜中までなかなか寝つけなかったんだよ」

「そうだったんですか?」

「うん。おかげでちょっと寝不足でさ、今朝なんて制服のワイシャツを裏返しに着ようとしてたんだよ」

「ふふっ、なんだかお兄ちゃんらしいですね」


 俺のちょっとした馬鹿話を聞いたまひるちゃんから先ほどまでの浮かない表情が消え、いつものにこやかで可愛らしい笑顔を見せてくれた。


「はははっ。さて、じゃあみんなが集まらない内に学園に行こうか」

「はいっ」


 まひるちゃんが快活な返事をしたあと、俺はゆっくりと学園の方へ歩き始めた。


「今日は和服を着て接客することになると思うけど、大丈夫?」


 朝が早いからか、通学路に花嵐恋学園の生徒の姿はまだ1人も見えない。

 でもまあ、そのおかげでこうしてまひるちゃんと普通に話をできるのだから助かる。


「はい、大丈夫ですよ。着つけも自分でやれますし」

「へえー! 自分で和服の着つけができるなんて凄いね。そう言えばまひろも自分で着つけができるみたいだけど、誰に教わったの?」

「あっ、それはうちのママに習ったんですよ」

「えっ? でも確か、お母さんて外国の人だったよね?」

「実はうちのママ、昔から日本文化に凄く興味があったみたいで、日本に来てからは着つけとかお茶とか色々やってたみたいなんですよ。その影響で私やお兄ちゃんもそれを一通り教えられてたんです」

「ああ、なるほどね。それでまひろも着つけができる理由が分かったよ」


 まひろは昔からあまり自分のことや家のことを話さなかった。だから親友である俺でも知らないことは案外多い。

 もちろん色々と聞いてみたいと思ったことはあった。

 けれどまひろがそれを避けている以上、無理やりご家庭事情を聞くわけにはいかない。誰にでも他人に知られたくないことや、話したくないことはあるもんだから。


「でもまひろはそういうのを嫌がってたんじゃない?」

「そうでもないですよ? ママから習い事を教えてもらってる時はとても楽しそうでしたし」

「そうなんだ。結構意外だな」

「どうしてですか?」


 まひるちゃんからそんな質問をされた俺は、その理由を話していいものかを少し迷った。

 まひろは昔から女性的に見られるのを嫌っている。その女性的に見られることに対して嫌がる態度を見せる根底にあるのは、小学校時代に可愛らしいからとイジメを受けていたことにあるのは間違いないだろう。

 俺はそんなまひろの事情をまひるちゃんも知っていると思い込んでいたけど、まひるちゃんの言葉を聞いた時、もしかしたらまひるちゃんはまひろがイジメられていた過去を知らないのかもと思った。

 よくよく考えてみれば、まひろは自分が傷ついていることを自分から口にするようなタイプではない。良い意味で我慢強いと言えるのかもしれないけど、その心にあるのはおそらく他人に迷惑をかけたくないとか、心配をかけたくないとか、そう言うことなんだろうと思う。

 だからそんなまひろが妹に対してそんな話をするとはやはり思えない。


「ん~。ほら、まひろって可愛らしい顔つきしてるからさ、昔からそういうのを少し気にしてたりしたんだよ。だから女性的な習い事とか好きじゃなさそうに感じたんだ」


 返答としてこれが最良だとは思えないけど、とりあえずぼかし過ぎず言い過ぎずの返答にはなっていると思う。


「確かにそういった感じはありましたけど、楽しんでいたことは間違いないですよ?」

「そうなんだ。まあ俺はまひろが納得の上で楽しんでるならいいんだけどね」

「大丈夫です。そこは私が保証しますから」


 自信満々にそう言うまひるちゃん。俺の知らないまひろの姿を知っているからこその断言なのだろうけど、それが俺には少しうらやましかった。

 まひろとは小学校二年生からの長いつき合いだが、茜などと比べればやはり知らないことは多い。それがなんとなく寂しく感じてしまうからだ。


「そういえばまひろお兄ちゃんに聞いたんですけど、昨日はA班に僅差きんさで売り上げ負けちゃったらしいですね」

「そうなんだよね、だから今日はなんとしても勝たないと。まひるちゃんには苦労をかけるかもだけど、よろしくね」

「大丈夫です! 今回もお兄ちゃんにはお世話になってるし、精一杯頑張ります!」

「頼もしいね。期待してるよ、まひるちゃん」

「はい、任せて下さい!」


 にこやかな表情を見せながら、元気に頼もしい返事を聞かせてくれる。

 今日の最終日、やはり集客の鍵になるのはまひるちゃんの存在なのは間違いない。

 とは言え、やはり親友の妹をこれ見よがしに利用するというのは気が引ける。なるべくまひるちゃんに苦労をかけないように頑張らないと。

 そんなことを考えながら学生の姿がまだ見えない花嵐恋学園への通学路を歩き、文化祭最終日への気合を入れ直した。

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