第116話・危ない×夏

 まひるちゃんと一緒に訪れた海。

 砂浜から少し離れた海上で、浮き輪を使ってプカプカと波に揺られているまひるちゃん。そのすぐ近くで、俺も波に揺られながら海水浴を満喫していた。


「初めて来た海はどう? まひるちゃん」

「楽しいです。それにこのプカプカと浮かんでいる感覚、何だか不思議な気分ですね」


 まひるちゃんは浮き輪でのんびりと波に揺られているのが気に入ったらしく、ずっとこの調子でゆらゆらと波に揺られながら会話をしていた。

 今日は風も穏やかで波も小さいし、このように浮き輪を使って揺られているのも楽しい。

 俺はそんな事を思いながら仰向けになって身体の力を抜き、足先を軽く動かしながら浮かぶ。

 波に揺られながら空を見ると、ギラギラと輝く太陽が空に見える。

 見えた太陽の位置的にそろそろお昼かなと思いながら体勢を変えて砂浜の方を見ると、お弁当を食べる家族連れや、海の家で焼きそばなどを食べる人達の姿が目に入った。

 そんな様子を見たからか分からないけど、水中で自分のお腹がグウゥゥーっと鳴ったのが分かった。

 左手首にしている防水仕様の腕時計は、午後12時17分を示している。

 そろそろまひるちゃんの日焼け止めを塗り直す時間だし、ちょうど良いかもと思った俺は、すぐ横で波に揺られているまひるちゃんに声をかけた。


「まひるちゃん。お昼も過ぎてるし、そろそろご飯でも食べない?」

「あっ、もうそんな時間なんですね」

「うん。何か食べたい物はある?」

「えーっと……」


 食べたい物の候補が沢山あるのか、まひるちゃんは左手の人差し指を口元へとつけて悩み始めた。

 まるで推理をしている探偵の如く悩んでいる姿は真剣そのもので、何を食べるかという事でここまで真面目に悩んでいるのがとても可愛く思える。


「とりあえず浜まで戻ろうか。色々見ながら決めてもいいし」

「そ、そうですね」


 俺がそう言うと、まひるちゃんは少し恥ずかしげにしながらそう言い、浮き輪を頼りに小さな波に乗って砂浜の方へと移動を始めた。

 そして砂浜へと上がった俺達はパラソルの下まで戻り、濡れた身体を軽くタオルで拭いてから浮き輪を風で飛ばない様に固定し、この浜辺にいくつかある海の家をそれぞれ見て回った。

 財布はしっかりと防水した上で持ち歩いているし、それ以外の貴重品はちゃんと近くのコインロッカーに入れているから、誰かに盗られるといった心配は無い。


「――ふうっ……どこも人がいっぱいだね」

「そうですね……」


 二人で海の家を何軒か見て回ったけど、やはりお昼時という事もあってか、どの店もほぼ満員状態。とてものんびりと食事を出来そうな感じではなかった。


「これは待つのも時間かかりそうだね。しょうがない、テイクアウトの焼きそばでも買って食べよっか?」

「はい」


 二人で比較的並んでいる人が少ない海の家へと向かい、テイクアウト用の焼きそばを売っている列へと並ぶ。

 しかし比較的人が少ない場所を選んだとは言え、俺達が焼きそばを買うまでに十五分はかかった。


「まひるちゃん、大丈夫?」

「あ……はい。大丈夫です……」


 目的の物を買ってパラソルの下へと戻った頃、まひるちゃんは疲れた表情を見せていた。

 多分、こうして炎天下で商品を買う為に並ぶ事など無かっただろうから、具合が悪くなってしまったんだろう。十五分とは言え、直射日光の下で並ぶのは相当に辛いだろうから。


「本当? 何だか顔色も良くないし、無理しなくていいから、少し横になってていいよ?」

「ありがとうございます……それじゃあ、少しだけ……」

「うん」


 俺は持って来ていたタオルを何枚か重ね合わせて枕代わりにし、そこに頭を乗せて横たわるようにうながす。

 まひるちゃんは『ありがとうございます』とお礼を言ってから静かに身体を寝かせ、タオルで作った枕に頭を乗せて横になる。

 そしてまひるちゃんが横になった後、俺は身体が冷えないようにと、持っていた大き目のバスタオルをまひるちゃんの身体に被せた。


「ごめんなさい、お兄ちゃん……せっかく海まで遊びに来たのに……」


 まひるちゃんは仰向けに寝たまま隣に居る俺の方へと顔を向け、本当にすまなそうに謝ってくる。


「そんな事は気にしなくていいよ。まひるちゃんとはこうして話す機会もなかなか無いし、こうして喋ってるだけでも楽しいもんだよ」

「……お兄ちゃんは本当に優しいですよね」

「そお? 自分ではよく分からないな」


 俺は苦笑いを浮かべつつそう答えた。

 自分の事は自分が一番よく分かっている――なんて言葉はよく聞くけど、実際のところは自分の事などよく分からない。

 むしろ周りに居る妹や友達の方が、俺という人間をよく分かっている気がする。


「そうですよ。これじゃあ私まで……」

「ん? 私まで何?」

「……ううん。何でもありません」


 まひるちゃんはにっこりと笑顔を見せてそう答えた。

 何を言いたかったのかは分からないけど、本人が何でもないと言っている以上、追求する必要は無いだろう。


「それよりお兄ちゃん。学園での面白いお話を聞かせてくれませんか?」

「学園での面白い話? うーん、そうだな……」


 俺は今までの出来事を思い出しながら、どの話をしようかと迷った。


「そうだ! 俺の友達に渡って奴が居るんだけど、そいつの話でもしよっか?」

「聞きたいです。どんなお話なんですか?」

「去年の修学旅行の時の話しなんだけどさ――」


 寝ているまひるちゃんの方を向いて渡との事を話し始めると、その話を聞きながらまひるちゃんはくすくすと笑う。

 そして渡の話をして盛り上がる間にまひるちゃんの顔色は随分と良くなり、三十分も経つ頃には海に来た時の様に元気になった。

 それから元気になったまひるちゃんと一緒に焼きそばを食べた後、お客さんが少なくなった海の家に行ってからデザートのかき氷を買って食べる最中、キーンと頭に冷たさが響く度に頭を押さえていると、その姿を見る度にまひるちゃんが可愛らしく微笑んでいた。


「――お兄ちゃん。私、ちょっとおトイレに行って来ますね」


 海の家でかき氷を食べた後、パラソルの下へと戻ってお話をしていると、まひるちゃんは少し恥ずかしげにそう言ってから立ち上がり、レジャーシートの枠外に置いていたビーチサンダルを履く。


「分かった」


 そう言って頷くと、まひるちゃんはそそくさと公衆トイレがある方へと向かって行った。

 そしてまひるちゃんが駆けて行くのを見た後、俺は少しだけその場に寝そべってから大きく伸びをした。

 陽の光を遮るパラソルの横に見える空はどこまでも青く、周りで楽しげにはしゃぐ人達の声に混じり、波の引いては寄せる音が聞こえてくる。

 しばらくはこの独特な喧騒に耳を傾けつつのんびりとしていたんだけど、なかなかまひるちゃんが帰って来ない事に、俺は少しずつ不安を感じ始めていた。


「いくらなんでも遅いよな……」


 まひるちゃんがここを離れてから、既に二十分が経った。

 公衆トイレはここから五分もかからない位置にあるから、通常はここまで遅くなる事は無いだろう。しかしこういった場所ではトイレ待ちの人が多いから、単純に時間がかかっているだけって可能性もある。

 でも、もしかしたらまた具合が悪くなったのかもしれないと思った俺は、急いで起き上がってからサンダルを履いて公衆トイレのある方へと向かい始めた。

 さすがに女子トイレの中に捜しに行く事はできないので、公衆トイレ付近を見て回り、まひるちゃんが居なかったらトイレ付近で待ってみる事にしようと思った。

 そしてもう少しで公衆トイレへと辿り着こうかという時、近くにある大きな木の下で三人の大学生らしき男達に囲まれているまひるちゃんを見つけた。


「な、何だ!?」


 その様を見た俺は、慌てて囲まれているまひるちゃんのもとへと走る。どうも雰囲気から察するに、まひるちゃんはナンパをされている様だった。

 俺とした事が迂闊だったと思う。普通に考えて、まひるちゃんみたいな可愛い子が一人で居たら、ナンパされたって不思議ではない。今のこの状況は、その可能性を失念していた俺の責任だ。


「なあ、一緒に遊ぼうよ!」

「ちょっと待って下さい!」


 三人の内の一人が、まひるちゃんの手を掴んで少し強引な行動をとろうとしていた。

 それを見た俺は、精一杯の声でそう言ってからまひるちゃんの手を掴んでいる男の手を振り払い、まひるちゃんと男達の間に割って入った。


「えっ!? 何?」


 三人の男達は突如現れた俺に対し、邪魔者を見る様な不機嫌な視線を送ってくる。ナンパの邪魔をされたのだから、当然と言えば当然の反応だろう。


「お、お兄ちゃん……」


 まひるちゃんは相当怖かったのだろう。現れた俺を見るなり、背中にしがみついて来た。


「ああっ! こののお兄さんだったんだ!」


 そう言いながら三人はケラケラと笑う。もはやチャライを取り越して、失礼極まりないとしか言いようが無い。


「ねえ、お兄さん。ちょっと妹さんを貸してもらえません?」


 ――コイツはいったい何を言っているんだ? まひるちゃんを貸してもらえないかだって?


 その言葉を聞いた俺は、激しくいきどおりを感じた。それと同時に、まひるちゃんを怖い目に合わせてしまった自分への怒りも湧き起こる。


「お、お兄ちゃん? だい……じょうぶ?」


 相手の言葉に対して何も答えずに黙っている俺に対し、まひるちゃんは心配そうに震える声音で聞いてきた。


「この子は俺の大切な彼女なんです。だから、ちょっかいを出さないで下さい!」

「えっ!?」

「行こう」


 まひるちゃんが驚いた様な声を上げるのと同時に、俺はまひるちゃんの手を掴んで三人の男達の前から足早でまひるちゃんを連れ出した。

 さっきまで居た場所からは、舌打ちをしながら何かを言っている男達の声が聞こえたけど、俺はまひるちゃんを物の様に言われた事にいきどおっていて、そんな事を気にする余裕は無かった。

 そんな非常に腹立たしい気分を感じながら、俺はパラソルを設置した方へとまひるちゃんの手を引きながら足早で歩いた。

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