8
名織康弥は時間を持て余し、近所のスーパーで買い物をしてから自宅アパートに戻った。その間にも、天候は悪化の一途を辿った。
薄汚れた階段を上り、玄関扉に鍵を差し込んだ。鍵は回らなかった。すでに開いているらしかった。康弥は帰宅した。
「ただいまー」
膨らんだレジ袋を下ろし、郵便受けをチェックした。湿った宅配ピザのチラシと、携帯料金の明細が入っていた。反射的に溜め息がもれた。
買ってきた食材その他を取り出し、所定の位置にしまいつつ、康弥はリビングとの境にある扉を開けて雄星に声をかけた。
「雄星、お前帰ったら玄関の鍵ちゃんと閉めろって言ったべ」
「だって別に誰も来ないじゃん」
小学生も高学年になると、なかなかハイとは言ってくれない。レジ袋は三角に丸めた。
「閉める癖をつけろっつってんの。俺がもし県外行ったらお前と親父だけなんだから」
「行かなきゃいいじゃん」
冗談のつもりなのか本気なのか、雄星はにたにたして言った。素直な返事は望めそうにない。言わんとしていることは伝わっていると踏んで、康弥はシンクで水に浸かっている雄星の食器に目を遣った。
「どうだった、ホイコーロー」
「おいしかった。まあまあかな」
「まあまあは余計だわ」
昨夜作った回鍋肉が、ダイニングテーブル上の皿にまだ少し残っていた。雄星が遠慮したのだろう。
「あと全部食べっからね」
「うん」
雄星は9時台のバラエティ番組を点けながら、今になって宿題に取り組んでいた。康弥は台所と壁一枚隔てた兄弟の寝室に移動した。食事の前に、カバンを一旦空にしておきたかった。
寝室は、元々大きくない部屋を間仕切りで二等分した都合上、ひとりあたりのスペースがかなり限られてしまっていた。ベッドと簡素な机を置けば、それだけで大半を埋めてしまう窮屈さである。プライバシーなどあってないようなものなので、健全な男子高校生には全くもって不便な部屋といえた。
康弥はその机と対になっている椅子にエナメルバッグをのせ、中身を机上に広げていった。宿題を進めなければという義務感が、問題集とプリントを手にした段階で生まれてはいたが、制服から部屋着に着替える動作を挟むことで気付かないふりをした。部屋着になって携帯をいじり始めると食卓よりもベッドが魅力的に見え、ベッドで横になれば空腹よりも睡魔が勝りだした。
今頃、ふたりはどうしているのだろう。瞼の裏に、睦まじく語らう光景が浮かんできた。
見ていられなくなり、目を開けて逃れようとしたが、睡魔がそれを許さなかった。思考が断片的になってきていた。
新はうまくやっているだろうか。うまくやっているならいい。うまく。いいんだ。柚の気はそっちにあるんだから。興味。なんだから。いい。いい。
脳幹のあたりで空気が据わった。
「コウヤー、康弥」
雄星の声がした。即座に回転を始めた脳ミソが、口から間抜けな音を生み出した。
「へふぇ?何?」
「寝すぎ、電気つけっぱなしだし。テレビやばい」
「は、テレビ?」
渇いた口をもぐもぐしながら、康弥は雄星の後を追ってリビングに入った。時刻は11時半を過ぎていた。2時間近く眠ってしまったらしい。父はまだ仕事から帰っていなかった。
テレビには、沢山の人間と規制線に囲まれた瓦屋根の平屋が映っていた。報道や警察の人間、加えてその車両が家屋の面する道路に群がり、その先の塀のさらに奥に瓦屋根が見えた。裏手は森になっているようにも見える。母屋と異なる離れの屋根もわずかに見え、大きさを考えれば屋敷と呼べそうだった。収入のある農家の屋敷だ。
なんだ、と康弥は肩すかしを食らった気分だったが、画面をよく観察するうちに、雄星の言葉通り「やばい」んじゃないかと感じ始めた。「中継」「立てこもり」「突入」のテロップが付くニュースが、自分の住む家から車で30分ほどの場所で撮影されているのである。
「ね?すごくね?やばいでしょ」
「めっちゃ近いじゃん。やばいけど……」
通報で警察や救急車が駆けつけるのはわかる。が、報道関係者がどうしてこんなに集まっているのだろう。康弥の中に、腑に落ちない疑問が生じて消えた。
(こちら、通報のあったまさにその現場からお送りしています。つい先ほど、つい先ほどですね、11時過ぎ頃に、見えますでしょうか、あちらの
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