第2話 気の合うふたり
そのカフェは二十五平米くらいだろうか。小さいテーブル4つにカウンターがある窮屈な空間だ。それでも、客は引っ切りなしにやってくる。大繁盛だ。客が丁度途切れたとき、忙しそうだねと声をかけてみた。店員のその女の子はニコっとした。
「アナタは初めて来たね。名前は?」
「タク」
「私はマキ。アナタ、仕事、何やってる?」
「プラスチックの原料を作っている会社で・・・」
自分の本業は言えずにとっさにウソをついてしまった。なぜかこの子には自分の仕事を知ってほしくなかった。そのあともマキの手が空くと話をした。他人とこんなに雑談をしたのは久しぶりだ。一杯のコーヒーで三時間も長居してしまった。勘定と言うと、マキはありがとうといって、お金を受け取った。「微信って知ってる?やろう」どうやら日本でいうLINEのようなSNSらしい。おれも勢いにおされ、使う羽目になった。お釣りを受け取るとき手と手が触れた。心臓がチクンとした。いつも人の体に触れる商売をしているのに。
マキのカフェには時間のある時はちょくちょく通うようになった。そして心臓外科の講師の仕事も始まる。
講師だから臨床現場に行くことはなかったが、医局長に案内してもらうことになった。唖然とした。外来のロビーは人でごった返し患者やらその家族仲間やら、まるで戦場を思わせる。何か特別な事故でも起きたのですか、と尋ねると部長はこれが日常ですと答えた。患者一人に家族が数名も付き添い来院するらしい。前払い。救急車は有料。医療福祉は整っていない。でも、家族がこんなに心配して一緒に病院にくるなんて日本とは違う。
春節を迎えた。中国では遠くに出稼ぎの人でも家族のもとに帰り1年の無事と成長を祝う。マキとおれは初詣に出かけた。デートといえばデートか。付き合おうという言葉はお互いにない。でも本当に気が合った。何の話でも笑えた。山の頂上には寺院が見える。そこは狼山といって、春節には南通人の多くがここを訪れ、健康や商売繁盛を願うのだ。500段はあろうか。その階段をマキと俺は手をつないで登った。その手はおれのコートの中で。そして色々話をした。小さいころ川へ飛び込み遊んだ話。授業中に弁当を食べて酷く先生に怒られた話。尽きない。楽しい。おれのアホな話にも付き合ってくれ、笑くぼのあるその笑顔を見るのが俺は大好きだった。
頂上でのお参り終え、階段を下っているとマキはぼそり、と言った。
「タクさんはお金持ちなの?私はね、貧乏はいや」
いつもと違うマキをみた気がした。おれの家は医者一家。一般家庭と比べればお金持ち。そもそもお金がないと何に不自由するかさえ想像ができない。
「いいや。〝普通〟の家だよ」
よく分からい答えだ。またウソをついてしまった。そういえば、マキの生い立ちは聞いていない。彼女から話そうとしないから、あえて聞かなかったのだ。
そのあと、そのまま実家に戻るマキをバス停まで送った。「春節終わったら戻るから。またね。」いつもと変わらぬ笑顔でバスに乗り込んだ。
大学の校舎の中の川辺には桃の花らしきものも咲いている。春節が明けて病院での仕事も多忙で、ひと月以上カフェには行っていない。ようやく大学も春休みになりマキのカフェに行くことにした。そういえば忙しさにかまけて、マキにも連絡をとっていない。以前と変わらぬそのカフェの入り口。おれは少し高鳴る鼓動を深呼吸で落ちつけながら、ドアを開けた。しかし、マキはいなかった。マキは実家に戻ったらしい。焦ったおれは慣れない微信で【何かあったのか。今カフェにいる。連絡欲しい。】返信はない。連絡をくれなかったことに落胆するより、彼女に何があったのか心配だった。これまでの人生で、心底心配したことはなかった。困っているなら助けてあげたい。外は春の生ぬるい雨が降っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます