第93話 unspell 後編

 家に帰ってくるとサラはすぐにセイアッドに尋ねた。

「あの時、どうやって部屋に入ってきたのですか?」

 

 あの時とは、さっき何もない部屋に突然セイアッドが現れたことだ。

「腕輪が呼んだ」

 首を傾げるサラにセイアッドは自分の腕に嵌まる傍えの腕輪を見せた。

 傍えの腕輪は、契約したつがいの身に危険が迫ると相手の魔族を呼び寄せるという。以前にサラが淫魔に襲われたときもそれで駆けつけたらしい。ただあの時は初めだったせいか焦っていたせいか、気が付けば家の外だった。今回はきちんと傍に行けたようでセイアッドは密かに安心していた。


「そうでなければ心配でつがいの傍から離れられない。けれど感情は抜きにしてあまり束縛はしたくない」

 セイアッドは何かを耐えるような表情でそっとサラの頬に掌を添えた。

 思えばセイアッドはサラをそれほど束縛していない。自分一人で魔獣狩りの仕事を請けたり、反対にサラが言えば今日のように一人で仕事に行かせたりしてくれる。


 無理をしていたことを今更ながらに知り、そんな気遣いと優しい眼差しにサラは顔が熱くなっていくのを感じた。

「私もセイアッドさんの危機に駆けつけることはできますか?」

 セイアッドは意外そうな表情になった。

「それは無理だ」

 魔族の魔道具である腕輪が呼び寄せられるのは魔族だけらしい。

「そうですよね」

 サラは肩を落とした。

「私がいたところで役には立たないし、いつもセイアッドさんに助けられてばかりだけど――」


 でも何もできないけれど、傍にいたい。

  

 俯くサラにセイアッドが声を掛けた。

「先に助けてくれたのはサラだろう? それにいつも助けられている」

「そ、うですか?」

 思いがけない言葉に嬉しい反面、身に覚えのないサラは首を傾げる。セイアッドは僅かに視線を落とす。

「例え呪いが解けたとしても、サラがいなければ再びアスワドと話せるようにはならなかった」

 顔を上げたセイアッドは微笑んでいた。

「おかげで生きているということが、こんなに楽しいとは思わなかった」

 そして再びサラを見下ろす。

「でも困ったことに、以前は一人でも平気だったが今は一人が寂しい」

 言いながらセイアッドは腕の中にいるサラを抱きしめる。

「こんな風に誰かを想うのは初めてだ」

 包み込む温もりと優しさにサラの心が温かくなり、言葉が自然と出てきた。


「(好き、です)」


 聞こえてきた魔族語に、セイアッドは抱きしめた腕を少し緩めてサラを見下ろした。

 驚いた表情のセイアッドにサラは慌てて言葉を付け足した。

「(私、は、あなた、が、好き、です)」

 たどたどしくまるで子供のような話し方だが単語は正しく発音も綺麗だ。

「(誰よりも)」

 恥ずかしさに耐え、耳まで真っ赤になりながらも上目遣いでセイアッドを見上げた。固まってしまったセイアッドに不安を募らせていくサラは、今度はセイアッドの右手を取った。

「(一緒、ずっと、です)」

 ようやく我に返ったセイアッドはサラを強く抱きしめた。

「つ、通じていますか? 間違っていませんか?」

「ああ」

 サラは安堵してようやく肩の力を抜いた。

「ミシェルさんに教えてもらったんです」

 

 サラは真っ赤な顔のままセイアッドを見上げた。

「私もセイアッドさんのことをもっと知りたくて――」


 セイアッドがジークヴァルトやミシェルやアスワドと魔族語で会話している時に一抹の寂しさを感じていた。話の内容も理解できないため気にはなるが、それよりも魔族語を話しているセイアッドの姿がとても自然だったからだ。

 セイアッドもアスワドも今の言葉は発音も上手で不自然さは全くない。けれど魔族語を話している時のほうがしっくりきているとサラは感じた。


 同じ言葉でセイアッドと話してみたい。

 単純にそう思った。

 だから公爵の家でミシェルに耳打ちでお願いをした。


「好きですって言いたいので、魔族語を教えてください」


 魔族語でちゃんと伝えたい。

 ミシェルの家で発音を教えてもらい、夜、自室に戻ると借りた本でこっそり勉強した。


 セイアッドは半年前までは「ラー=シャイ」という短い単語すらも上手く発音できなかったサラの努力に胸が熱くなった。

 愛おしさと喜びで口元に浮かぶ笑みを咄嗟に掌で覆い隠した。

「困ったな。内緒話ができなくなる」

「聞かれたらマズイことですか?」

 セイアッドが答えに窮していると、サラがつま先立ちで顔を近づけてきた。

「私と内緒話ができますよ」

 珍しくムキになったサラにセイアッドは思わず吹き出した。

「そうだな。それがいい」

 笑うセイアッドに、サラもぱっと表情を明るくした。


 本当に嬉しそうな顔をするサラに、セイアッドは真顔で真っ直ぐに見つめた。

「(ずっと一緒だ)」

「(はい)」

 サラは大きく頷く。

「(お前の瞳に映るのは俺だけで良い)」

「あ、すみません。まだ簡単な単語しかわからなくて」

 素直なサラにセイアッドは少し意地悪な笑みを浮かべた。

「わかっている。わざとだ」

 サラは顔を顰めてセイアッドに詰め寄った

「ちゃんと後で教えてくださいね。時間はいっぱいありますから」

 明るく笑うサラとは対照的にセイアッドは僅かに視線を落とした。

「そうだな。人間には長すぎるがな」


 契約を交わしたことで、サラが歳も取らずに生き続けることを気にしているのだとすぐにわかった。

 罪悪感を滲ませる声に胸が締め付けられるが、サラは自分に気合いを入れるように大きく息を吸った。


「(あなた、に、なら、何を、されても、いいです)」

 大胆なサラの告白にセイアッドは珍しく固まり、そのうち表情を曇らせ盛大に舌打ちをした。

「あの淫魔――」

 呪い殺してしまいそうな声音にサラは慌てて首を横に振った。

「ち、違います! 落ち込んだ時に言うと元気になるって聞いたので、つい――」

 

 セイアッドは深く息を吐くと不安を滲ませつつも真剣に見上げてくるサラの頭を無心に撫で始めた。

 しばらくしてようやく口を開く。

「微妙に違う。間違いではないがなるべく使わないほうがいい。意味を誤解される。俺以外の男には言わないでくれ」


 セイアッドが珍しく長く言葉を発している。理由はわからないが、セイアッドがサラの頭を無意味に撫でている時や饒舌になる時は動揺していると最近知った。


「あ、あの」

 サラと目が合うとセイアッドは手を止めた。

 しんと静まる部屋には自分の心音しか聞こえない。覚悟を決めてサラは口を開いた。

「そういう意味、です。もちろんセイアッドさんにしか言いません!」

 

 セイアッドはサラを見つめて再び固まり、しばらくして再びサラの頭を撫で回し始めた。


 これはどうしたら良いのか。

 悩み始めたサラの耳に綺麗な魔族語が聞こえてきた。


「(愛している)」

 今度はサラにもわかる言葉だった。見上げるとセイアッドがサラは真っ直ぐ見つめている。

「(私も、愛しています)」

 自然に自分の気持ちを声に出せたサラは嬉しさと恥ずかしさでセイアッドの胸に顔を埋めた。



******



「出来るだけ辛くないようにする。でも我慢しなくていいから」

 その言葉通り、セイアッドは優しかったし無理もしなかった。

 痛いのは我慢できた。でも痛みが引くと同時にやってきたこの感覚は初めてで、我慢できずに漏れる自分の声じゃないような声がひどく恥ずかしい。


「サラ」

 固く目を閉じていたサラはゆっくりと瞼を開けた。見下ろすセイアッドと目が合う。

「辛いか?」

 言葉の代わりに首を横に振る。

「違っ――もう、痛くない――けど、そう――じゃなくて」

 上手く言葉にできなかったが、セイアッドはそれでわかったようだ。嬉しそうに微笑むその顔に色気を感じ、サラはシーツを掴む手に力を込めた。

「声が聞きたい」

 必死に声を押し殺しているサラにはとうてい聞き入れられない。涙目で再び首を横に振った。

 真っ赤になって頑なに拒むサラに、セイアッドは困ったように微笑んだ。

「我慢しなくていいから」

 最初と同じ台詞を耳元で囁く。

 その声にサラの抵抗が一瞬緩む。

 セイアッドは固く握られていた掌を大きな手で絡め取り、固く結ばれていた唇を唇と舌で優しくこじ開けた。



******



 目を覚ました頃には陽もすいぶん高くなっていた。寝起きの悪さを自覚するサラも昨夜のことを思い出し、あっという間に意識が覚醒した。そして何も着ていない自分が、同じく何も着ていないセイアッドに抱きしめられていることに慌てる。

 何か着るものを、と思い少し身体を動かした途端、全身に痛みが走る。

「う゛っ」

 色気のない呻き声が漏れた口を押さえ、慌ててセイアッドを見る。

 幸い起こしてしまわずに済んだようだ。ほっとすると今度は間近でみる彼の顔に昨夜のことを思いだし、全身が熱くなった。

 この心地良い腕の中から抜け出したくない気持ちをぐっと堪え、そっとベッドから抜けだそうとしたが、急に腕を掴まれ寝ていた場所へと戻された。


 上半身を起こしたセイアッドが不機嫌な顔でサラを見下ろしている。

「どこへ行く?」

 朝日の下で見るセイアッドの裸に、サラの頭は一瞬で沸騰した。

「あ、あの、何か着ないと――」

「寒いのか?」

「寒くはないですけど、あ、明るいし、このままだと恥ずかしいので――」

「暗ければいいのか?」

「えっと――そうではなくて、暗ければ見えないし――」

 

 サラはそこで気が付いた。


 あれ? 魔族って夜目が利くんじゃ――?


 恐る恐る視線を上げると、目が合ったセイアッドはサラの気持ちを見透かしたかのように、にこりと微笑んだ。


「大丈夫。ちゃんと見えていたから」


 ちっとも大丈夫じゃないし、爽やかな笑顔でそんなこと言われても困る。それに何が見えたのかは一生聞けない、というか聞きたくない。


 真っ赤になったサラは恥ずかしさで半泣きになった。

「わ、忘れてください!」

 そんなサラを見てセイアッドはいたずらっ子のような表情を見せた。

「嫌だね。忘れるなんて勿体もったいない」

「も、勿体ないって――」

 サラは呆れつつも、久し振りに聞く「嫌」と素直な感情や言葉に、懐かしさを覚えて笑みを浮かべた。


「セイアッドさん」

 サラは愛しい人の名を呼んだ。

「傍にいてくださいね」

「ああ、傍にいる」

 セイアッドは嬉しそうに微笑むと、サラの額に自分の額をくっつけた。

 



「やっと呪いが解けたようねぇ」

 心地よい朝の風に乗って聞こえてくる二人の幸せそうな笑い声に、ミシェルはほっと息を吐き紅茶を口に含んだ。

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