第80話 約束の日 後編

 翌日、サラ達三人は王都から東に位置する山奥の小さな村にいた。乗合馬車で行けばかなり時間はかかるが、有翼族のキメラであるコルヴォと古代種であるセイアッドは空を飛べるため半刻で着いた。

 翼を持たないサラはセイアッドが腕にしっかりと抱いて運んでくれた。もちろんサラもセイアッドにしっかり抱きついている。地面に足が着いているうちは普段考えられない密着度に一人で動揺していたが、いざ空を飛ぶとそんな事は頭から吹き飛んだ。最初は恐怖で、そのうち、初めて見る絶景に目を奪われていた。

「大丈夫か?」

 セイアッドは飛ぶことに慣れていないサラを気遣う。

 空中散歩は二度目の経験だが前回は意識がなかった。でも落とさないようにしっかりまわされている腕の温もりと感触は何となく覚えている気がした。

「はい」

 恐怖感のなくなったサラは笑顔でセイアッドに答えた。

「俺だってサラちゃんの一人や二人抱いて飛べるのになぁ。あーあ、腕が寂しいなぁ。人肌が恋しいなぁ」

 空を飛んでいる間、コルヴォは飽きることなく愚痴り続けていた。



 濃い緑に囲まれた村はサラが見た風景と同じだったが、小高い丘の上に建つ小さな教会だけが古びて見えた。

 その教会の入り口で立つ黒い服の女性にサラは目が釘付けになった。

 アーシアと呼ばれた女性だ。

 幻だと思っていた人物が実在したことにサラは興奮を覚えたが、よく見ると面差しや目元はそっくりだが髪の色や顔立ちが異なっている。


「彼女が俺の依頼人のエヴェリーナ=ロッティ。アーシアさんの孫だ」

 頭を下げた少女をコルヴォはそう紹介した。


 煉瓦造りの教会から古びた鐘の音が、待っていたかのように鈍くゆっくりと鳴り出した。



******



 祖父が亡くなる一週間前の夜、孫である彼女を病床に呼んだ。

「アーシアを救ってやってくれないか」

 突然のことに驚くエヴェリーナに、祖父はゆっくりと昔話を始めた。 




 アーシアにはエリオという同い年の幼馴染みがいた。恋人同士ではなかったが互いに想い合っていることは一目瞭然だった。けれど二人には一緒になれない理由があった。

 アーシアは村長の一人娘でエリオはよそ者の女が産んだ孤児。しかも魔族の血を引く『魔人』だった。六十年前、今よりも閉鎖的で排他的なこの村でそれは受け入れがたい存在だった。それでもエリオは自分を認めてもらえるよう努力を惜しまなかった。明るい性格も幸いし、十六歳になる頃には周囲の偏見や差別は薄れていたが、アーシアの父親、村長だけはエリオを認めようとしなかった。それは『村長』としてではなく『父親』としての思いが強かったのだろう。

 

 その頃、付近で魔獣の姿が目撃されており村では不安が広がっていた。それほど危険な性質ではないが魔獣に変わりはなく、いつ村人が襲われてもおかしくない。騎士団に討伐依頼をしたものの各地で魔獣による被害が報告されていて、まだ被害のない地域へ派遣する余裕はないとの返答だった。斡旋所にも退治依頼をしているが、一向に返事はこない。

 

 そのうち村の畑が荒らされるようになり、夜、村の中で魔獣の姿も目撃された。

仕方なく村人の男数人で行くことになり、エリオは自ら参加すると手を上げた。アーシアの父親に認めて貰うためもあったのだろう。

 十六歳になったばかりの子供だと反対する意見もあったが、本人は「魔人だから役に立つ」と周囲を言い含めた。

 魔人であっても強さには個人差がある。それを一番知っているのはエリオ自身だった。


 エリオは帰ってくるとアーシアに約束した。

 けれどそれは果たされなかった。

 怪我を負いながらも戻ってきた者達の話によれば、目的の魔獣は何とか倒せたものの、その直後に別の魔獣に襲われた。

 エリオは怪我と疲労と恐怖で動けない仲間たちに逃げるよう伝えると、自ら囮となり、飛びかかってきた魔獣と共に崖から落ちた。

 助けられた者たちは必死に探し回ったが崖の下には川が流れており、魔獣もエリオも見つけることはできなかった。



 アーシアはその日からずっとエリオを待ち続けた。

 恋人もつくらなかった。見合いも断った。

 彼は約束を守るから。

 今にも泣き出しそうな笑顔でそう言い続けた。


 十年経ったある冬の日、村長が病で倒れた。立場上、アーシアは独り身を貫くことが難しい。悩む彼女に声をかけたのは六歳上の従兄弟だった。

 若い頃に村を出て商売をしていたが、里帰りした際に弟のように可愛がっていたエリオと従姉妹の現状を知ると真顔で提案した。

「知らない誰かと一緒になるくらいなら俺にしないか?」




 エヴェリーナが祖母の過去を聞くのは初めてだった。

 祖母は自分からは語らない。二人の娘である母はその話題になるといつも顔を曇らせる。だから聞いてはいけないのだ、と幼い頃からそう思っていた。


 祖父母は恋愛の末に結ばれたわけではない。祖母の心の奥には行方知れずになった幼馴染みの存在があったに違いない。でもエヴェリーナから見た二人は仲が良く、互いを想い、互いを尊重していた。

 だからすぐには信じられなかったが「彼女を苦しめる呪縛を解いてあげたい」と祖父が涙を流す姿を見て、その願いと祖母の想いを叶えたいと思うようになった。


 両親、特に母親には内緒で学校の長期休暇を利用して初めて王都に行った。小遣いを握りしめ国一番の情報屋コルヴォ=ブランドを訪ねたのが今から一月前のことだ。



******



 指輪は本物だった。

 内側の簡素な意匠はこの地方に伝わる独特の古代文字らしく、読めないサラたちに『アーシアへ エリオより』と刻まれているとエヴェリーナが教えてくれた。

 

「お婆ちゃん、遅くなってゴメンね」

 枯れ枝のように細い指にエヴェリーナが指輪をそっと嵌める。指輪はあるべき場所に戻ってきたかのようにピタリと填まった。 

 お腹の上で掌を交差させるように優しく置いた。

「エリオさん、帰ってきたよ」

 エヴェリーナの声に、棺桶の中の穏やかなアーシアの顔が微笑んだように見えた。


 亡くなった夫を追うようにアーシアは一昨日の朝、息を引き取っていた。

 もう少し早くあの依頼を請けていれば、とサラは密かに後悔した。顔に出したつもりはなかったが「お前が悔やむ理由はない」とセイアッドに慰められた。挙げ句「納棺には間に合った訳だし、エヴァちゃんも喜んでいたしさ。約束は守られたんじゃない?」とコルヴォにまで気を遣わせてしまった。

 思い上がりだと言われるかもしれないが、それでもサラは生きているうちに叶えて上げたかった、と埋葬される棺を見て強く思った。



******



「報酬のことですけど」

 村を出た後、サラにそう言われるまでコルヴォは報酬の交渉をすっかり忘れていた。

 でも何と答えるかはもう決まっていた。

「要らないよ」

「でも――」

 サラは困惑したようにコルヴォを見上げた。思った通りの反応につい苦笑が漏れる。

「報酬はエヴァちゃんから貰っているし。それに正直、あの指輪がなかったら、どう説明していいかわからなくて困っていたんだよね。逆にサラちゃんに報酬を渡したいくらいさ」


 コルヴォが調べたところ、今から六十年程前、あの崖から遠く離れた下流の森で大きな魔獣の死骸と瀕死の少年が発見されていた。

 介抱したという集落の人によると、意識の戻らない少年は時折「指輪を返さないと」と譫言うわごとを繰り返していたが所持品の中に指輪はなかった。

 少年は意識が戻らないまま数日後に息を引き取った。

 名前も身元も分からない少年は集落の風習にのっとり火葬され、遺灰は山に撒かれた。

 長い年月が経ち、その出来事を知る人物も少ない上に記憶も曖昧で、少年が魔人だったかどうかもわからなかった。少年がエリオだという確証も取れなかった。

 こんな不十分な報告で報酬を貰うなどコルヴォの情報屋としての自尊心が許さない。

 考えあぐねていた矢先にサラが指輪を持ってきてくれたおかげで、何とか依頼主の要望にも自分の誇りにも添う形で終われた。


「情報屋は人捜しも請け負うのですね」

 サラが尊敬の眼差しでコルヴォを見上げた。

「まさかぁ」

 うんざりしたようにコルヴォは肩を竦める。

「じゃあ、何故今回は請けたのですか?」

 不思議そうに見つめてくるサラに口ごもった。一番不思議に思っているのはコルヴォ本人だからだ。

 しばらく逡巡して視線の向いた先にいたのはセイアッドだった。今、空を飛ぶために古代種そのものの姿をしている。そしてその姿は在りし日の友人と同じだった。


 最初は断ろうと思っていた。一般人の捜索など専門外だ。けれどエヴェリーナの話を聞き終わると、何故だか依頼を請けてしまっていた。

 誰かを一途に想い続けるなど考えられないし自分にはできないことだと承知している。だけど憧れている部分もあり、そんな人たちの手助けを少しでもしたかったのかも知れない。

 サラを見てコルヴォはようやく気が付いた。

「エヴァちゃんが可愛かったから、つい」

 嘘ではない。

 だから理由はこれでいい、とコルヴォは自分を納得させた。


 サラは呆れたような表情を浮かべたが、セイアッドはコルヴォの心を見透かしたようにふと表情を緩めただけだった。そんな懐の深さも友人そっくりで、だからつい一言言いたくなった。

「もしサラちゃんがどうしても報酬を払いたいのなら一晩でいいよ」

「ひ、一晩って、まさか」

 頬を赤く染めるどころか、青ざめて本気で嫌がるサラの反応にちょっとだけ傷つく。けれど感傷に浸る間もなく、殺気を帯びた視線が突き刺さる。

「今すぐ永眠させてやろう」

 つがいに対する独占欲も同じだった。封印されていた時とは比べものにならないほど肌を刺すような魔力から逃れるため翼を羽ばたかせた。

「ったく――冗談だよ」

 セイアッドはサラが腕の中にいるからか追ってはこなかった。

 

 手が届かないから女神なのだ。

 自分が触れてしまえば女神は穢され、神格が失われるような気がしていた。

 

「彼女と約束があるから先に帰るわ」

 コルヴォは二人に手を振って夕焼け色の空へ飛び立った。



******



 王都に着く頃にはすでに日が落ちていた。サラは眼下に見えたある場所でセイアッドに声をかけた。

「セイアッドさん、ここで降ろしてください」

「ここか?」

 訝しげなセイアッドの声にもめげず、サラは「はい」と大きく頷いた。

 街道から少し離れた川岸はセイアッドと話をしたあの場所だ。

 初めてあった夜から一年近く経っていたが、辺りの静けさも梟や蛙の鳴き声も川のせせらぎも、あの日から何も変わっていないように思える。見上げた月も同じように輝いていた。

「月が綺麗ですね」

 サラは声に出してすぐにセイアッドの名前が古代語で『月』という意味だと思い出した。

「そうだな」

 月を見上げるセイアッドの穏やかな横顔にサラの胸は苦しくなった。

 アーシアとエリオはお互いの気持ちをわかっていたのに言葉にしなかった。理由や事情があったにせよ、どれほど後悔しただろう。


『アーシア、帰ってきたら――』

 貴方は帰ってきたら彼女に何て言うつもりだったの?


『待っている、から』

 貴女は彼を迎えた後に何て告げるつもりだったの?


 セイアッドがいくら古代種で強いといっても死なない訳じゃない。サラだって契約しているとはいえ不死ではない。

 明日、何が起こるかなんて誰にもわからない。


 言葉にしなくても伝わる想いはある。だからといって言葉にしなくても良い訳じゃない。

 頭ではわかっているのに、言葉にしようとすると声が出ない。

 

 こんなに好きなのに、どうしてたったの一言が言えないのだろう。


 自分が情けなくて涙が滲む。

 俯いたサラの背中を誰かがトン、と押した気がした。慌てて振り返ったが誰も居ない。

 不思議と怖くはなかった。何故かそれがアーシアとエリオだった気がしていた。昨日、ヨランダにも背中を叩かれたことも思い出す。

「セイアッドさん」

 それまで月を見上げていた金色の瞳がサラを映した。

 俯いてしまいそうになる自分を奮い立たせる。

「私のそばにいてください」

 あの夜と同じ台詞を口にした。


 身体全体が急に熱くなる。激しく打つ続ける鼓動がセイアッドにも聞こえているのではないかとサラは心配になった。

 セイアッドが口元を緩めた。

「この前もここでそう言われたな」

 

 確かにあの時はセイアッドに対して特別な感情はなく、ただ呪いを解きたい一心でそう言った。だからその後すぐに「そういう意味じゃない」と否定した。

 でも今は違う。

 大きく息を吸うとセイアッドの目を真っ直ぐに見つめ返した。

「こ、今度はそういう意味、です――から」

 直接「好き」とは言えなかったが、それでもサラの精一杯の告白だった。

 言っているうちに恥ずかしくなり、結局視線をセイアッドから外してしまった。最後の方は穏やかな川のせせらぎに掻き消えてしまいそうなほど小声になっていた。


 セイアッドがこの言葉でどこまで理解してくれるかわからない。けれど言葉にしたことで、胸の中は少し軽くなっていた。


 流れる沈黙の中、上目遣いでそっと見遣る。

 セイアッドが固まっているのが月明かりでもはっきりわかる。


 伝わらなかったかもしれない。もしかして誤解されたかもしれない。


 サラは慌てて顔を上げた。

「あの、セ――」

 そこでセイアッドに腕の中に閉じ込められた。突然のことに今度はサラが固まる。

「傍にいる」

 見上げるとセイアッドが微笑んでいる。

「間違って死んだら連れ戻しに行くから」

 それは死者の門の前で見せたあの笑顔だった。

 サラは自然とセイアッドの胸に顔を埋め、腕を彼の背中にまわしていた。

「セイアッドさん」

「サラ」

 熱を帯びた声で名前を囁かれ、喜びで満たされていく二人は、月明かりの下で強く抱きしめあっていた。

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