第78話 約束の日 前編
それは解術依頼としては特徴のない、ごく普通の内容に思えた。
依頼主の家もここから近いし報酬も低くない。近場で簡単な内容の依頼は人気なのに、二週間経った今も誰の手にもとられることはなかった。
依頼掲示板に貼られたそれをサラが凝視していると砕けた口調が話かけてきた。
「サラさんに請けて貰えると嬉しいんだけどなぁ」
この依頼のことを言っているだろう。名前を呼ばれ、サラは声のする方に顔を向けた。美人の受付嬢は、この場に三人しかいないことを良いことに、カウンターの上で頬杖をついていた。
受付の仕事には持ち込まれた依頼内容を確認し、引き受けるかどうかの判断も含まれる。つまり、引き受けてのない依頼が増えることは受付の責任になる。
どうやらこの依頼はビビアナが承諾したものらしく、わかりやすい彼女の反応に苦笑しつつも感じた疑問を素直に口にしてみた。
「何で誰も請けないのでしょうか?」
「簡単な依頼なのにここまで人気がないと、なんか不気味で」
溜息交じりでビビアナが愚痴をこぼす。答えは聞けなかったが、サラは視線を掲示板に戻すとその張り紙を手に取った。
「請けるのか?」
隣に立っているセイアッドが意外そうに声を発する。
「はい」
サラも意外そうな顔で彼を見上げた。
「話だけでも聞いてみようかと思って」
当たり前のように言うサラに、セイアッドは同じ表情を見たことがあると思い出した。
『――解きますけど?』
断片的に思いだした記憶で、アスワドとの殺伐としたやりとりを聞いた後でも、呪いを解くと
呪いが解けた今もセイアッドは魔力を抑えているため、古代種の証である角や翼は消えている。古代種であることを隠すためではなく、魔力を封じられていた年数が長かったせいか元の姿で過ごす感覚が戻らず、家の中で角や翼をすぐにぶつけてしまうからだ。しかも、それらが邪魔であのソファーで横になれないこともわかった。
けれど魔力を抑えている一番の理由は、長く鋭い爪ではサラに触れられないからだった。
一度、不注意で彼女の柔らかく白い腕に赤い筋をつくってしまった。傷という程ではなく血は出なかったが、セイアッドは動揺した。それに気付いたサラが「これくらいはすぐできるので大丈夫ですよ」と慰めてくれたが、すぐに治癒魔術をかけたのは言うまでもない。あの姿は今のセイアッドにとって不便で邪魔で厄介でしかない。
魔力を解放することで本来の姿に戻ってしまうが、平和な日常生活ではそうしなければいけない事態は滅多になく、魔獣と対峙するときですらこのままで十分だ。目立つ角や翼がなければ見た目が魔族と変わらないせいか、セイアッドが古代種だと気付く者はほとんどいない。それでも魔族である以上は何かと目立つ。
でもサラは最初に会った夜から何一つ変わらないでいてくれる。
二人は不思議そうに見つめ合っていたが、セイアッドがふと相好を崩した。異性ならば誰もが見惚れる微笑みだが、依頼のことで頭がいっぱいのサラは彼の表情の変化にますます不思議そうな顔になった。
「どうかしましたか?」
「いや、何も」
楽しそうに微笑む魔族と首を傾げる解術師のやりとりに、ビビアナだけが一人カウンターで頬杖をついたまま、やさぐれ気味の溜息を吐いた。
******
依頼主の家は南地区の住宅街にあった。
出迎えた夫は玄関先で固まった。自分より若いサラへの不信感と魔族であるセイアッドへの恐怖感が顔にはっきりと表れていたが、背に腹はかえられなかったのか、渋々家へ招き入れた。
仕事帰りに旅の行商が売っていた指輪を気に入り、妻に買って帰った。彼女も喜んでくれたが、嵌めたその晩からうなされるようになった。
『違う――約束――帰りたい――会いたい』
妻のはっきりとした言葉に目が覚めた。小さな明かりを点け隣を見ると、閉じられた瞼の隙間から枕が濡れるほど涙がこぼれ落ちている。慌てて起こしたが、彼女は自分が涙を流していることに驚くばかりだった。
怖い夢を見ていたのだろう。
その夜、二人は自分たちを何とか納得させたが、次の日も、その次の日も妻は同じようにうなされ、同じように泣いている。原因が指輪だと気付くまで、そう時間は掛からなかった。けれど元凶は、何をしても彼女の細い指から抜けなくなっていた。
ソファーに凭れ掛かるように座っている女性はサラと同世代だと聞いたが、
最近では眠るのが怖いと言ってベッドにも入らなくなっているらしい。寝ている間に、自分が知らない場所へ行ってしまうかもしれないという強迫観念に襲われているようだ。
サラが夫人の手を取り指輪に触れた瞬間、それはするりと抜けた。
「えっ?」
サラを含めてその場にいた全員が、何が起こったかわからなかった。それほど意外な結末だった。
抱き合って喜ぶ夫婦に顔を綻ばせて、サラは自分の手の中にある金色の指輪に視線を落とした。内側に独特の意匠が掘られているが宝石などは付いておらず、簡素な作りの古い指輪だった。大きさから女性用のようだ。
破魔の魔力に反応して感じる痛みはないので、この指輪は呪われてはいない。
どういうことだろう。
サラが疑問に思った瞬間。
『頼む――約束を守らせてくれ』
若い男性の請い願う声が聞こえ、同時にサラの頭の中に見たこともない場面が浮かんできた。
灰色の曇天の下、重く響く鐘の音が聞こえる。
濃い緑に囲まれた小高い丘の上に建つ、珍しい煉瓦造りの小さな教会からそれは鳴り響いている。
「――エリオ」
震える声で視線を下げると、長い金髪の若い女性が潤む青い瞳で悲しそうにこちらを見上げていた。
自分がエリオという名前でこの視点は彼のものだ、とサラは理解した。
「アーシア、帰ってきたら――」
最初に聞いた同じ若い男の声はそこで言葉が途切れ、視線が落とされる。アーシアと呼ばれた女性も耐えきれなくなったように俯いた。
沈黙の二人の間を湿った風が吹き抜ける。
小刻みに震える肩に、エリオの右手が躊躇いながらもそっと置かれた。アーシアは顔を上げる。その目は涙を湛えていた。
「待っている、から」
自分の指に嵌まっていた指輪をエリオに差し出した。
「帰ってきたら返してね。約束だよ」
涙を流しながら、それでも懸命に微笑む彼女に胸が締め付けられる。
渡された小さな指輪を掌にしっかりと握った。
「――約束するよ」
「――ラ、サラッ!」
左肩を揺すられ、セイアッドの声でサラの意識が戻った。見上げると慌てているセイアッドの顔が歪んで見える。かすんでいるのかと思い指で目をこすって、初めて自分が泣いていることに気付いた。
「大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」
安堵の表情になったセイアッドは、頬を伝う涙を優しく指で拭う。辛く悲しい別れの場面を見せられたせいか恥ずかしさや照れも忘れ、サラはただその温もりを感じたくて目を閉じた。
呪術ではない、と解術師として依頼主に説明をしたが、夫婦からすれば呪いだろうがそうでなかろうが、とにかくこの気味の悪い指輪がなくなればそれで良いらしい。不要になった指輪の処分を任されたサラは依頼主の家を後にした。指輪は無くさないよう袋に入れ、腰のベルトに結いつけてから外套を羽織った。
仕事はこれで完了だが、サラはあの声が忘れられないでいる。
『頼む――約束を守らせてくれ』
見も知らぬエリオの想いが痛いほどわかる。
サラもあの時、同じように想ったから。
彼に会いたいと、必死に願ったから。
自然と隣を歩くセイアッドを見上げていた。気付いたセイアッドと目が合う。
「どうした?」
ただ傍に居られるだけでもそれは幸せなことなのだと、その時に初めて知った。だから今、一番傍に居たい人に向けて笑顔を返していた。
「もう少し付き合ってくれますか?」
サラの突然の申し出にも、セイアッドは快く頷いた。
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