第61話 ただ、それだけを願う
声が聞こえる。
何を言っているのかはわからない。でも叫んでいるような、泣いているようなその声を聞くと胸が締め付けられる。
辺りは真っ暗で自分が目を開けているのか閉じたままなのかもわからない。
声の主の姿も見えないけれど、すぐ傍にいることだけはわかる。
声はどんどん大きくなる。悲しみや怒りや苦しみや、幾つもの感情が渦巻いている。
その声を耳にするたびに胸が苦しなる。涙が溢れてくる。
手を伸ばそうとして指一本動かせないことに気が付いた。身体が動かず、必死に叫んでも口すら開かない。
私の声は誰にも届かない。
もう何もできないと悟ってしまった。
最初に会った日のことを思い出す。
あの夜、川岸で消えてほしくないと思った。掴んだ手を離したくなかった。いろんな表情が見たかった。
だから彼の呪いを解きたいと強く思った。あの時は解術師としてだったけれど、それはいつしか、私自身の願いになった。
でも、それも叶えられなくなってしまった。
途方もない無力感が大波となって私を飲み込み、意識が薄れていく。
私という存在が、波にさらわれる砂のように足下から消えてしまうような感覚に襲われた。
悔しくてやりきれなくて、崩れかけた心の中で叫んでいた。
少しだけ! ほんの少しだけいい!
呪いを解くことができなくても、せめて、彼の苦しみを消し去れれば。
彼に届くまでこの手を伸ばせれば、それで――。
違う。
単なるわがままだけど、ただ彼の顔を見たいだけなんだ。
本当は彼に会いたいだけなんだ。
「それがあなたの願いですか?」
初めて聞く女性の声が耳に届くと、薄れていた意識が戻っていく。
真っ暗だった世界に小さな光があった。
光は大きくなっていき、やがて人の姿を形作った。
あなたは?
心の中で問いかける。目映い光のせいで輪郭はぼやけ、姿や顔まではわからない。
「私たちはかつて『巫女』と呼ばれていました」
先ほどとは別の女性の声が答えてくれた。大勢の気配が同意するように揺れている。
「あなたの願いを叶えるために助力いたしましょう」
喜びにわく私の心とは裏腹に、巫女の一人が低く強い声で言葉を続けた。
「ただ、あなたの命は今にも尽きようとしています」
それは、私が死ぬ、ということですか?
思ったよりその言葉を冷静に受け止めていた。何となく、どこかで気付いていたのかもしれない。
巫女たちは誰も、何も答えなかった。でもそれが明確な肯定を表していた。
「あなたが意識を取り戻せる時間はごく僅かです」
「その僅かな時間にあなたに何ができるのか、何が変わるのかはわかりません」
「意識を取り戻しても願いが叶わなければ、その後のあなたの苦しみは計り知れませんよ」
巫女たちは気遣うように確認してくる。
再び目を開けたとき、彼は傍にいないかもしれない。手の届かないところにいってしまっているのかもしれない。想像しているのとは違う景色が、知らないほうが良かったと思う現実が広がっているのかもしれない。
もしそうなら、再び瞼が閉ざされた時、抱えた絶望は今よりも大きくなる。
きっと私はそれを抱えきれず、暗く冷たい水の底に沈んでしまうだろう。
「それでもいいのですか?」
最初に声を掛けてきた巫女が、迷う私に判断も求めてきた。
『迷ったら自分に正直でいなさい。自分で決めたことは例え後悔しても、誰も恨まずに済むからね』
両親の声が聞こえた、気がした。大好きな家族や彼の顔が浮かんでくる。
お願いします。
何ができるかわからない。何もできないかもしれない。
無駄でも、意味がなくても、やらないまま永遠に後悔するよりはいい。
もう一度、彼に会いたい。
「最後の巫女」
優しく慈しむようなその呼び名が私に対するものだと身体が反応した。
「私たちもあなたもただの人間です。ですから命の灯火が消えてしまえば、それを再び灯すことはできません」
「その時はまた迎えに来ます」
「どうか悔いのないように」
「あなたに幸運の光が降り注ぎますように」
降り注ぐ温かく柔らかい真っ白な光が暗闇を消していった。
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