第15話

「サラが熱を出したので、留守の間見ていて欲しい」

 レクスはミシェルの家を再訪してそれだけ言うと、薄着の彼女には興味も示さずあっさり去っていった。ミシェルは逆に感心しながら、すぐに洋服を着てサラの家に向かった。


 汗をかいているサラの身体を拭き、服を着替えさせてくれたのもミシェルだった。

言われてようやくサラは自分の服が替わっていることに気付いた。

「ありがとうございます。ご面倒をお掛けてしてすみません」

 頭を下げるサラに「いいのよぉ。困ったときはお互い様じゃない」と普段通りの口調でミシェルは笑う。

「よくわかんなかったからぁ、悪いと思ったけど勝手に引き出し開けさせてもらっちゃった」

 ごめんね、と謝るミシェルにサラは「どこでも好きなところを開けてください」と少しずれた返事をした。


 サラはすぐ隣のレクスを見上げた。

 

 離してくれないなら、もう二度とくっつかせません。

 

 心苦しく思いながらも何を言っても離れないレクスに究極の選択を突きつけた。

抱き付くのは止めてくれたが、今もベッドで上体を起こしているサラに寄り添う形で腰掛けている。

「レクスさんもありがとう」

 同性であるミシェルを呼んでくれたことへの気遣いが嬉しかった。私が着替えさせました、などと笑顔で言われたら彼の顔を一生見られなくなっていただろう。

 レクスは艶やかに微笑むと顔を近づけてきた。サラの身体がびくりと小さく跳ね上がり、じりじりと距離を取ろうとする。ミシェルはその光景が、狙う肉食獣と逃げる草食獣の姿に見えて仕方なかった。


 レクスの動きがぴたりと止まる。険しい表情で視線を部屋の外に向けた。サラも自然にその視線を追いかけたが何も見つけられなかった。不思議に思いながら顔を戻すとサラは再びレクスに腕の中に捕らわれていた。

「レ――」

「こうしていると落ち着きます」

 そう言われると弱い。

 言葉に詰まったサラはレクスの腕の中でミシェルに助けを求め視線を合わせたが、「私のことは気にしないで~」と笑顔で見捨てられてしまった。

「それと、実はぁ」

 ミシェルはサラの恨みの籠もった視線を無視して言葉を続けた。困ったような表情がわざとらしい。

「お兄さんを呼んじゃったの。ごめんねぇ」

 てへっ、と舌を出すミシェルは反省するどころか明らかに楽しんでいた。


 あ、悪魔だ。


 サラが絶望を感じた瞬間、家の扉が壊れんばかりの勢いで開かれる音が響き渡った。



******



「こんな所にいたのか。探したぞ」

 昼から資料室に籠もっていたカイを見つけ、同僚のジークヴァルトは呆れたように肩を竦めた。

「お前が仕事をサボっているってことは、妹さん絡みだろ?」

「サボっている訳じゃない。調べものだ」

 否定しないと言うことはやはり妹のことらしい。

「団長がお前のこと探していたぞ。それと――」

 言いながらポケットに手を入れたジークヴァルトだったが「どうせ大した用事じゃねぇだろ」とカイにあっさり遮られた。


『団長よりも国王よりも血の繋がらない妹のほうが大事らしい』


 ジークヴァルトは大袈裟だと思っていた噂の半分が本当だったことに苦笑しながら、一度会ったことのある小柄な彼女を思い出していた。

 二十二歳という年齢にしては幼く、地味な印象だった。可愛いらしかったが、目を引くほどの美人ではなかった。ただ顔立ちは整っていて、各パーツは小さな顔にバランス良く収まっている。

 少し潤んだ大きな焦げ茶色の瞳で見つめられると、庇護欲ひごよくを駆り立てられた。顎の高さで揃えられている、栗毛色の柔らかそうな髪に触れてみたくなり手が伸びかけた。が、きっとそれは異性としてというよりも子犬か子猫を愛でる感覚に近いのかもしれない。

 ジークヴァルトの第一印象はそうだった。


「ジーク」

 突然自分の名を呼ばれ、ジークヴァルトは面食らった。何故か敵意の色を帯びた紫の瞳に、自分の思考が外に漏れ出たのかと一瞬肝を冷やす。

「お前、魔人まじんだよな?」」

「――曾祖母が魔族だけど」

 浅黒い肌に少し尖った耳、金色の瞳を持つ者は純血種でなくても「魔族」と呼ばれその特徴を受け継ぐ。しかし血が薄くなるとその特徴は消えていく。

 ジークヴァルトは肌が白く耳は人間のそれと変わらないものの、金色の瞳に見惚れるほどの美貌はしっかり受け継いでいた。

 魔族の特徴を一つでも受け継ぐものは「魔族」と区別するため「魔人」と呼ばれている。


「曾ばあちゃんって強かったか?」

 カイの質問にジークヴァルトは、すでに鬼籍に入って久しい彼女を急いで記憶の中から引っ張り出した。

「カミラさんは――」

 魔族である曾祖母は見た目が若く「お婆ちゃん」と呼ばれることを酷く嫌った。だからひ孫であるジークヴァルトも、幼い頃から名前で呼ぶように言われていた。

「人間の曾じいちゃんに負かされて惚れたっていうくらいだから、そんなに強くはないだろうな」

「この古代種って今もいるのか?」

 カイは開いたままの資料を指差しジークヴァルトに尋ねた。見ればカイの周りには魔族に関する資料が山積みされている。

「古代種は純血種の総称だから、もういないだろう」

 古代種は古い血筋の魔族の総称だが、その姿が最後に確認されたのは今から数百年も前になる。

 現在の魔族より強い力と長い寿命を持ち、気性が荒く、一度我を忘れると自身の命が尽きるか、忠誠を誓う相手に止めてもらうまで破壊し続けると言われている。一人の古代種によって世界が滅びかけたという逸話も残っている。

 

 資料に古代種の挿絵が載っていた。頭には竜のような角、背中には蝙蝠のような翼を左右に一対ずつ持ち、鋭い爪と牙も描かれている。現在の魔族とは姿が異なっており、カイは密かに胸をなで下ろした。

「何で古代種はいなくなったんだ?」

「純血種じゃなくなったからさ」

 気に入れば石でも伴侶にする、と口さがなく言う者もいるほど、魔族は一度伴侶と決めたならば同族だろうが他種族だろうが気にならない。

 魔族の強さは個体差によるところが大きく、血の濃さに重きを置くものはほとんどいない。

 逆に同族を伴侶に選ぶ魔族は少ない。相性が悪いのか他に理由があるのか、本人たちは気にしていないので理由はわからないようだ。

 他種族の血が入れば純血種ではなくなり、すなわち古代種ではなくなる。今の魔族の姿は人間とほぼ変わらない。そして現在の姿が魔族として定着している。

 

 資料に視線を落としたカイは再びジークヴァルトに尋ねた。

「フロウ一族は俺より強いか?」

 突拍子もないことを聞く同僚に一瞬吹き出しそうになったが、真剣なその表情に顔を引き締めなおした。

「どうかな?」

 カイが見つめる王国の監視対象者リストの魔族の欄にその名前はある。

「自由気ままに生きる魔族の中では異例の血脈主義で他種族嫌い。だから伴侶も魔族の中で実力のある者からしか選ばないって言うし」

 一族の名を持つ魔族が過去に何度か他種族に対して傷害事件を起こしているため、監視対象者リストに載っている。

 古代種は今の魔族を遙かに凌ぐ。フロウ一族は血が濃くなることで純血種、古代種の強さが手に入ると信じているようだが、ここ数年一族は姿を見せていない。

「手に入れられるのか、それとももう手に入れたのか」

 ジークヴァルトは肩を竦めた。

 魔族は興味がないもの対しては驚くほど無関心だ。けれどジークヴァルトは騎士になりたての頃、カミラに一度だけ言われたことを思い出した。

『フロウ一族には関わらない方が良いぞ。あやつらは魔族の恥さらしだ』

 それは曾祖母の最初で最後の忠告だった。


 我に返ると、カイは険しい顔で何かを考えている。

 妹に魔族の恋人でもできたのかもしれない。ジークヴァルトはふと思った。

「あ、そうだ」

 妹の話でようやく思い出し、さっきポケットから出しそびれた紙切れを手に取った。

「その妹さんの大家から伝言で」

 カイの大きな耳がぴくりとジークヴァルトの方を向く。

「良ければ仕事帰りに寄ってくれって」

「何で?」

「えーと、何でも熱を出した――」

 カイは椅子を倒して立ち上がると、ジークヴァルトの手から小さな紙切れを勢いよく奪った。

「先に言え!」

「お前なぁ」

 普段温厚なジークヴァルトも流石に呆れる。

「小さな子供じゃないんだぞ。命に別状があるわけでもなさそうだし、それにまだ勤務中――」

「くそっ、俺のせいだ」

 カイは脇目も振らず資料室を飛び出した。

「おいっ、話を聞けよこのシスコン! どうすんだよ、これっ!!」

 取り残されたジークヴァルトは山と積まれた資料を片付けながら、綺麗な顔に似合わない罵詈雑言を吐き続けた。



******



「レ、レクスさん! ちょっと離れてください!」

 近づいてくる足音にサラは小声で必死に訴える。ベッドの上でレクスに抱きしめられている姿など、とてもじゃないが見せられない。

 レクスは清々しい、けれどどこか意味深な笑顔を見せた。

「嫌です」

 絶対に譲らない時の「嫌」に、サラは軽い目眩を感じた。

「い、嫌じゃなくて! こんなところをお兄ちゃんに見られたら――」

「もう無理です」

 冷静なレクスの一言とほぼ同時に、制服のまま大きな袋を持ったカイが現れた。


「サラ、大丈夫――って、またお前はっーーー!!」

「喚くな。また具合が悪くなるだろう」


 もう具合は悪いです。違う意味で。


 仲良くなれそうもない兄と同居人に、サラは頭が痛くなっていた。

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