第13話

 ミシェルの家から帰ってきたサラはいつもより重い身体に気付いたが、慣れない色気に当てられすぎて精神的に疲れたせいだろう、とあえて気に留めなかった。

 昼食後、改めて『留置封印術』の解術をしようと決めて風呂に入った。身体も気持ちもさっぱりし、ソファーに座るレクスの横に腰を下ろすと解術を申し出た。昨日、途中まではできていたので覚えているうちに解術すれば時間は短縮される。

 一通りサラの話を聞き終えたレクスは「嫌です」と突っぱねた。頷いてくれると思っていたサラは予想外の返事に耳を疑った。

 しばらく考えてサラが口を開きかけた瞬間「熱」とレクスが先手を打った。

 端的すぎて意味が理解できていないサラの額にレクスの掌が触れる。いつもより冷たく心地いい。

「熱があります」

 少し不機嫌そうで少し不安そうな金色の瞳が真っ直ぐサラを見ている。

「そう、かな?」

 自覚がないサラは首を傾げた。

「大丈夫ですよ」

 誤魔化すように笑うサラの額からレクスは手を離し、彼女の首に掛けられていたタオルを奪うと洗い立ての濡れた栗毛色の頭にそれを乗せた。

 何をするのかと不思議に見上げていると、わしゃわしゃとタオルで髪の水分を取っていく。ふわりとシャンプーの香りが辺りに漂った。

「レ、レクスさん!」

 慌てるサラにも動じず、レクスは黙々とタオルでサラの頭を拭いている。

「自分でできますから」

「大人しくして下さい」

 取り付く島もない。サラは諦め、レクスのなすがままになった。

 髪の毛が痛む、と一瞬不安になったが、自分も普段から大した手入れをしていないことに気付き肩の力を抜いた。

 子供の頃、両親や兄からしてもらった時のことを思い出す。

 

 人から頭を拭いてもらうのって、久しぶりだ。

 

 サラは懐かしさと心地よさに瞼を閉じた。


「サラ?」

 気が付けばいつの間にか頭からタオルは取り払われている。はっと顔を上げるとレクスが大きな身体を小さく屈め、俯いていたサラの顔を心配そうに覗き込んでいた。 近すぎる顔に思わず身体が引く。

 レクスはサラの右頬を掌でそっと覆うと溜息を吐いた。

やっぱり熱があります、と黄金の瞳は多分そう言っている。

 

 これだけの至近距離でこんな綺麗な顔見たら、誰だって熱上がるよ?


 サラは違う意味で赤くなった顔を俯かせた。

 頬を離れた掌が今度はサラの頭を撫でる。その長い指はゆるく波打つ髪の毛の隙間に入れられる。

 大きく打つ心臓の鼓動。驚いて顔を上げたサラにレクスは艶やかに微笑んだ。


 そんなに色気を出されても困ります!


 サラは真っ赤なまま口籠もり俯いた。

 そんなサラを見てレクスの唇が楽しげに弧を描く。


「乾きました」

 手を離しながら言われた台詞で、レクスが髪の毛の乾き具合を確認していたと気付く。

「ありが――」

 お礼を言おうと顔を上げると、目の前に座っていたはずのレクスはいつの間にか立ち上がっていた。

 見上げるサラにレクスは上体を屈めて近づいてくる。

「レ、レクスさん?」

 近づく綺麗な顔に思わず瞼を固く瞑る。しばらくして背中と膝の裏にレクスの腕が回された。驚くサラをレクスは軽々と抱え上げた。初体験の視界に――横抱きにされた――サラは当然慌てる。

「ひっ――お、下ろしてく、ください!」

 抱きかかえられてもなお暴れるサラにレクスは歩きながら視線を向けた。

 いつもより近い顔にサラは一瞬息が止まる。

「暴れると熱が上がりますよ」

「だから下ろして」「嫌です」

 見上げるレクスは爽やかな笑顔のまま、有無を言わさぬ口調で拒否した。

 昨日もそうだったがレクスは意外に頑固だ。特にこういう時の「嫌だ」は絶対にしない。

 自分も頑固であることを棚に上げ、サラは溜息を吐いた。仕方なくレクスの胸に、だるくなっていく身体をそっと預けた。


 レクスが向かったのはサラの部屋だった。器用に扉を開けるとサラをそっとベッドに腰掛けさせる。

 重たい頭を下げて靴紐を解こうとしたサラに、レクスはしゃがんで靴を脱がせてくれた。至れり尽くせりのレクスにサラは思わず「お母さんみたい」と苦笑した。

 レクスは途端に顔を曇らせた。

「あ、ごめんね。どっちかというとお父さんだよね」

 そうじゃない、とレクスは無言で訴えたがサラには通じていなかった。


 横になったベッドのシーツがひんやりしていて気持ち良い。ようやく自分の身体が熱を持っていることを自覚した。

「風邪引いたのかな」

 レクスはベッドに腰掛け、サラの頬に触れる。その表情には後悔が滲んでいた。

「ここで寝かせれば良かった」

 人がこんなに弱いとは。

 レクスは小さく呟く。

「レクスさんのせいじゃないよ」

 半日がかりの解術で疲れていたところに、夜風で冷える部屋で居眠りをしてしまった自分のせいなのだ。

「眠っているあなたを抱いて部屋には入りたくなかったので」

 レクスの声が艶気を含んで低くなったことに、熱で頭が鈍るサラは気付けなかった。

「気を遣わせてごめんなさい」

 言葉を額面通りに受け取り素直に謝った。

 それで今まで部屋には入らなかったのか、とサラは言葉の意味を取り違えて納得した。

 どれだけレクスが小さい花を手折らないよう心掛けているのか、わかるはずもなかった。

 レクスはサラの素直さに目を瞠り、その後苦笑した。

「遠慮は適度にします」

 爽やかな笑顔で意味深な宣言をしたレクスだったが、あれでも遠慮していたのか、と普段の密着ぶりを思い出して驚くサラに、またしても真意は伝わらなかった。


「ゆっくり休んでください」

 額に触れる掌の心地よさに瞼が重たくなり、「ありがとう」と呟いた後、サラの意識は沈んでいった。

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