第六十九話:回想は終わり、そして現在に至る。

 僕は一目で、そのメールが、夕平が送ったものではないということが分かった。


 これは、僕が冷静であったと言うよりも、夕平がこんなメールを送るはずがないと思い込んだと言う方が正しいと思う。


 ――――そう、ありえなかった。

 何故なら最後に僕が見た夕平は、夕暮れの屋上で、まるで意思のないぬいぐるみのように桜季のそばでうなだれて、暁の死ぬ瞬間までずっと押し黙って……。

 僕は忘れない。あの絶望の顔を。

 この世の全てが壊れたかと思わんばかりの表情を。


 そんなあいつが、こんなメールを送ってこれるはずがない――――と。

 では他に誰が、などと、考えるまでもない。夕平は、連れ去られたのだ。あの場にいたもう一人の当事者に。


 僕は確信していた。

 これは、夕平のスマホで桜季が送ったメッセージだと。


 ならばと、僕は――――夕平を救う作戦に出た。


「も、もしもし、警察ですか……! た、助けてください! わ、私今、ふ、不審者に終われてて……っ」


 昨日から降り続ける雨が強い。

 夏の夜だと言うのに、寒気さえ覚えるような日だった。


「ば、場所は◯◯公園の近くで……はい、はい。分かりました、あの、は、早く来てください! お願いします……!」


 そうして、それだけ言うと通話を切り、


「……んで、これでいいわけ?」


 電話を掛けていたギャルっぽい女が、ひょいとその僕のスマホを投げ渡してくる。

 


「あ、はい……あ、ありがとう……ございました。あの、こ、これ……」

「ん、あんがとね」


 僕の差し出した万札をかっさらうように受け取り、つまんだそれをひらひら泳がせる。

 

「ま、何してんのかなんて私にゃどうでもいいけどさ。程々にしなねー、ぼくちゃん」


 そうしてあはは、とひときしり笑うと、その女はそのまま去っていく。


 そしてこれが、僕の作戦だった。夕平を奪還するため、暁のために出来る、最後の贖罪。


 警察は、男の声よりも、女の助けの声の方が迅速で対応すると聞く。

 その話が定かであるかはさておき、少なくとも僕が通報するよりも遥かに効果的であるように思えた。そしてもちろん、あの女の言っていたことは、警察を焚き付ける為の、僕が考えたデマカセだ。


 後は言うまでもない、警察なら桜季を止められる。確かに嘘の通報はしているが、あれから夕平を拉致しているあいつを見逃すはずがない。


「こ、これで……夕平を助けられるんだ。あの女から……」


 相手は国家権力だ。

 桜季という人間がとれほどであろうと、銃を持ち、手錠で人を拘束する権利を持つ日本の最大組織を相手に、たった一人で敵うはずがない。


「ぼ、僕を甘く見たこと、こ、後悔させてやる……!」


 メールの意図は、分からない。

 しかしこれは、チャンスなんじゃないか、と考えた。

 僕に与えられた、最後のチャンス。

 暁は死んでしまった。今、夕平を救えるのは――――もう、僕しかいないのだ。


「暁……仇、討つからな……! ……絶対にっ……!」


 ――――そう、思っていた。


 約束の時間、それからほんの十分前まで。



◆◆◆



「相川くん、どうかしたの?」

「うん?」


 声をかけられて、ふと我に返った。

 暁が、探るような上目遣いで俺を見ている。


「あの、何かずっと黙ってるから……」

「あー……」


 少し感傷に浸ってしまっていたのか、意識が宙に向いていたようだ。


 この理科準備室に籠ってから、かれこれ一時間が経とうとしている。

 今は様子をうかがっている最中というだけで、昔のことに気を取られている場合ではないというのに。そんなことにも気付かなかった。

 

「いや、大丈夫だ。何でもない」

「そっか……」


 それも、暁がいるからだ。

 彼女と二人きりになると、どうしても思い出してしまう。昔のこと――――そして、一度訪れた破滅。

 

「……お前は、俺のことが凄いとか何とか言ってたな」


 尋ねる。

 暁は、浅く頷いた。


「え? う、うん」

「…………」


 そして、じっと俺を見据える。


 その純真な瞳を目にすると、まるで懺悔前の信者のような気持ちになる。

 全てをぶちまけたくなる。


 彼女にしてみたら、過去にその身に起きたことなど知るよしもない。俺の気持ちなど、知るべくもないというのに。


「……違うんだよ」

「え?」

「俺は……いや『僕』は、本当に弱かった。そのせいで失ったものも、晒した醜さも……とても自慢できるような話じゃない」


 俺は謂わば、『休息』していたのだ。桜季に対抗できるように、色々な経験を得るための。

 目的を果たすために、カシコク生きてきた。


 しかし本当に、ここまで随分と時間が経ってしまった。

 とても長い……ほんとうに長い『休息(まわりみち)』だった。


――――」



◆◆◆



 ――――僕が、やらなければいけなかった。


 他の誰でもない、事の顛末を見てきた僕でなくては、駄目だったのだ。


「……警察なんて呼んでも、無意味だよ」


 最後の最後で、僕は、当事者でもない他人に頼ってしまった。

 終わりを見届けることもせず、自分の責任を果たしたような気になって、ただ丸投げて祈ろうとするだけだった。


「君をここに呼んだのは、そのことを言う為だったんだけど……」 

「あ……あ……」

「まあ、もういいか」


 偽の通報で呼び出された警官は数人、僕の想定通り桜季の姿を認めた。

 そしてその瞬間、彼らは目の色を変えた。


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 しかし――――それだけだった。

 

「全く、私と夕平くんの生活を脅かそうなんて。私達を引き離そうとしたって、無駄なんだから」

「こ、ころさ、ないで……」

「…………」


 辺りには、制服姿の男達が数人、雨ざらしで転がっている。

 しかし――――彼らは全員、桜季に引き倒されたまま、ピクリとも動かない。


「……可哀想な相川くん。手にいれたお友達は、みんないなくなっちゃった」


 歌うように、


「可哀想な相川くん。最後の最後まで何も出来ずに情けなく生かされちゃった」


 憐れむように、


「可哀想な相川くん。全部、全部君のせいなのに、もう責める人さえいなくなっちゃった」


 哀しむような声音で、告げた。


「――――さようなら、相川くん。私達の幸せを、どうか願っててね」


 離れていく。

 今度こそもう、僕の手の届かない所へと、離れていってしまう。


 なのに、身体が動かない。

 その背中に悪態一つ吐けない。

 それどころか挙げ句には、『殺さないでくれ』ときた。

 我が身可愛さに、みっともなく震えることしか出来ないのか、僕は。


「……なあ、相川……」


 その地の底からの断末魔のような声に、背筋が凍った。

 ずるずると引きずられていく夕平の目が、確かに僕を捉えていた。


 夕平は、たった一週間で見る影もなく痩せこけ、目の下には深い隈が浮かんで、現実と悪夢に苛まれた夢遊病患者のような虚ろな風貌をしていた。


「ゆう……へ……」

……」


 それは。


 ――――友達って、助けてもらうためにあるんじゃないんですか?


 それは、全部。


 ――――……どうして、僕はこんななんだよ……どうして……僕は『僕』なんだよ……。


 全、部……。


 ――――……だって、あいつらは付き合ってるんだからさ。

 

「あ、ああ。あぁあ……」


 僕のせいだ。

 僕がいなければよかった。そうすれば、こんなことには。


 僕が、あんなこと言わなければ。

 僕が、夕平と暁と、仲良くならなければ。

 僕が、桜季と、友達にならなければ。 


「あ、ひぃ、あっ、うああアアアアアアアアアアアア……!!」


 僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が。

 全部僕が、弱いせいで。


 全てをやり直したい。一から、誤りを無かったことにしたい。。

 取り返しのつかないものを、取り返したい。 


 嗚呼、でもしかし、暁は死んでしまった。夕平は遠くに離れていった。

 二人を取り戻すなんて、そんなこと――――


「――――あ」


 そして――――そこで、閃くことがあった。

 どうして今までこんなことにも気付かなかったのか、呆れたような素っ頓狂な声を漏らし、そして直後、歓喜の咆哮を上げた。


「ぁぁ、あ、あああはははははははははははははははは――――!!」


 そうだ、〝だったら『やり直せばいい』〟。


 ムゲンループを繰り返して、夕平を、暁を救おう。


「変えてやる……変えてやるよ、こんな結末」


 何十年という月日を費やして万全を期し、僕自身が強くなろう。

 そのためなら、僕は永遠に独りでもいい。

 人生を賭けてでも、二人を――――



「――――ムゲンループを使って、『俺』が二人を救ってやる……!!」



 そしてこの日この時、何もかもから逃げ続けていた『僕』は死んだのだ。



◆◆◆



『さて皆様、そろそろ「休息」はお済みでしょうか。お手洗いなら、今のうちでございます』


 モニターに清上学園の様子が映った『鑑賞部屋』に、朗々と響く声。


『さて、ここしばらく、血みどろのダンスショーが見れず退屈のことでしょう。彼らはお互いの姿を見失い、現在停滞している。これ程つまらないこともない』


 この場に集まったVIPらは、司会進行の男の語りに注目する。


『私達が見たいのは、彼らの馬鹿馬鹿しい過去でも背景でも独白でもない、血肉湧き踊る獣同士の生の殺し合い、そして皆様の賭けの結果……違いますか!?』


 まるで知ったような口振りで、しかし強い語気と説得力を以て話し続ける。

 その口元には、道化師(ピエロ)のようにうっすらと笑みを浮かべながら。


『しかしご安心を! ここから先の展開は実に見もの! 管理者の私が宣言致します!』


 大仰な身振り手振りに、『観客席』から拍手喝采が上がり、粗野なヤジと口笛が飛ぶ。


『―――― 次なる「火種」は既に火が燻り始めております! さあ、ワインを片手に、どうぞご覧くださいませ! 手に汗握る最高の第二ラウンドの始まりを!』



◆◆◆



 窓の外から、けたたましいガラスの破壊音と共に、小粒の岩のような黒いものが飛び込んでくる。


「……十八……!」


 桜季は平然とその物体をナイフではたき、打ち落とす。

 それは、よく見ると口がきっちり結ばれ、中に固い詰め物をした無地の靴下のようだった。桜季は自分の知識のなかから、このような形状の武器が、『ブラックジャック』と呼称されるであるということを知っていた。


「っ……!」


 そしてそれを認めたとほぼ同時、視界の端、二方向の空気が『淀んだ』。

 

 滑るように静かな風切り音は、まるで罠そのものがその桜季の姿を視認しているかのように、的確に自分に伸びてくる。


 桜季は、その何かを『見た』。


〝そう、確かに見ただけだ〟。

 飛んでくる罠を迎え撃つため、その瞳孔にそれらを映した。たったそれだけ。


 ――――


 ゆらゆらと漂う海月のように、目に見える森羅万象がゆったりと時間を忘れたかの如く、その動きを静止させる。

 もちろん、それは桜季の超人的感覚故のもので、本来並の人間には対応さえ出来ない程のスピードと殺傷力で牙を剥いている。


 しかし彼女には、この程度の罠、宙で止まっている物を弾くくらいに容易い。


「――――十九、二十……!!」


 そして、時は動き出す。


 首元を潜り抜け、死角を狙ったそのワイヤートラップを切断。さらにもう片方から閃光のように滑空するナイフの刃を、首を振って避けた。


 桜季の動きは、極めてシンプル。

 しかし、これ以上ないほどに洗練され、最小限の無駄のない対応だった。


「ふうっ……結構凝ってるね」


 と、さながら良く出来た遊園地でも回っているみたいな言葉まで口にする始末。その声音には、どこまでも気楽な喜色を湛えていた。


 現在、桜季は東門手前の三年制の校舎、A校舎の三階を徘徊していた。

 拓二達のいる理科準備室があるのは、C校舎の二階であるため、目的からしたら彼女は今見当違いの方へ動いていることになる。


 何故、彼女がそのような場所にいるのか。


 まず一つの理由として、拓二が暁に話した『しらみ潰し』という考えがあったためだ。

 短時間で広い校舎を見て回ることで、拓二の行動範囲を狭める意味がある。そしてこれも拓二の語った通り、彼女は放送室の鍵以外に、準備室などには使えないマスターキーしか持っていない。


 そしてもう一つの理由に、自身の行動範囲を広めるというものだ。

 拓二の罠は、確かに厄介ではある。

 いくら人間としての限界を掴んでいる桜季といえど、拓二を相手取りながらの罠の存在は、どうしても気を取られてしまうのだ。

 事実、そのせいで一度、二人を取り逃してしまっている。


 ならば――――

 拓二と罠が一緒に来るから厄介なのであって、今の桜季には罠単体など何も脅威ではない。

 

 要は、学校を舞台にしたモノポリーだ。

 罠を張っている拓二の陣地を、今一つずつ自分の陣地にしていっている作業をしている。自分の不利を、公平に戻していっているのだ。

 もちろん、このまま放っておく拓二ではないだろうが……。


「……A校舎にはいなかったか。まあいるとしたら……多分C校舎なんだろうけど」


 果たしてその呟きは正解で、拓二達はC校舎の理科準備室に潜んでいる。

 その気になれば、何時でも拓二達の所へ迎える


「……ううん。慌てちゃ駄目だね。まだまだ夕方まで時間はあるんだから。もっと、もっと確実に、じわじわ追い込まないと」


 そうぼやきながら、


「……雨、強くなってきたねえ……」


 ふと何気なく――――本当に何気なく、雨が降りしきる窓の外に、視線を移した。


 そして、桜季は驚愕する。


「……え。あれ、って……?」


 ――――清上学園に放たれた、新たな『火種』に。



◆◆◆



「ね、ねぇ、今のって……」

「…………」


 異変は、波のように伝播する。

 新たに投げ出された『火種』、その波紋は拓二、暁にも確かに届いた。


『――――』


 しかし、確かに今。

 ――――声が、聞こえた。


 自分達のものでもなく、そして桜季のものでもない。お互いに、そんなことをしている場合ではない。


「……まさか……まさか」


 この逼迫した均衡を知らない、第三者の声。



『――――……相川ー! 暁ー! どこだーっ!? 返事してくれー!』



 


 全てがまた繰り返されようとしているかのように、収束していく。

 今やループした過去の悲劇に関わった人間が、ここで揃ってしまった。


「――――ふざけろ、マクシミリアンッッ!!」


 ――――しばしの『休息』は、慌ただしく幕を降ろし、そして再び、闘いの火蓋が切られた。


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