勝鬨橋さんと千本木くん。~竹原田恭子28歳の事件簿~

池面太郎

あの子と自転車で出掛けたいだけの人生だったのにお前のせいで!


 例えばこんな昔話がある。

 あるところにとても悪い魔女がいた。ある時容姿の美しい男に心を奪われた魔女は、あらゆる手段を駆使して男の心を我が物にしようと挑んだが、篭絡することはできなかった。理由としては実に単純で、男の恋人を想う気持ちが強かったというだけのことだった。

 そのことを知った悪い魔女は、男の恋人である清純な乙女を妬み、乙女にある呪いをかけた。それは恋人に対して愛の言葉をかけると死んでしまうというもの。呪われた乙女は自分の命を守るため、以後男に愛をささやくことはなくなった。男は恋人の心が自分から離れてしまったと思い、絶望して街を出て行った。

 悪い魔女はその様に満足し、その男への興味も、乙女にかけた呪いのことも忘れて次の男を漁ったという。

 この話の結末を、普通の高校生・千本木一郎は覚えていない。だが、彼の現在はまさに、この昔話のような状況だった。

 そう、今現在を切り取るなら、これはそんな酷い話だ。


・・・・・・・・・


 ――夕刻。ここはA県T市、気候もよく大地も肥沃で農業が盛んな片田舎だ。その東の果て、神明町にある名も失われた旧い神社を目指して、高校生の男女一組が自転車を漕いでいた。


「なぁ、瀬川」と、千本木一郎。

「何かしら? 千本木くん」と応えたのは瀬川愛理。

「俺はさ、好きでもない相手のことを、好きだと言うのは罪だと思うんだ。口に出すたび自分の本当に好きな相手を想う気持ちを裏切っているように感じるからな」

 悲痛な表情でこめかみに人差し指を当てながらそうのたまう一郎を見て、突然何を言い出すのかと思ったのだろう、愛理は少し考える素振りを見せたが、すぐに一郎の言いたいことがわかったのだろう。「私もそう思うわ」と返した。

 これは彼と彼女の嘘偽りない本心だ。

 なのに、なのにどうして――。

「瀬川、好きだ」

「私も好きよ、千本木くん」

 言った後に長い沈黙――。二人ともとても愛の告白をした直後とは思えないほど無表情。自転車を漕ぐたび軋む音と虫の音だけがあたりを支配している。

『……はぁーーーーーー』

 二人は盛大なため息をつく。

 そう、一郎の前置きからおわかりかと思うが、彼らはお互い好き合っているわけではない。むしろ有り体に言えば嫌い、或いは邪魔だとさえ思っている。やむにやまれぬ事情があって、お互い好き合っているように接することを強制されているのである。

 なぜ? どうしてこうなった? と、考えない日はない。なぜなら彼らにはお互い、別に好きな相手がいるからだ。こんな奴と、こんな無益なことをしている暇なんて一秒だって惜しい。一刻も早く想い人にその想いの丈をぶつけたいのに――。

 なのに、どうしても、一郎は瀬川愛理以外の人間を好きだと言うことができない。愛理はどうしても、千本木一郎以外の人間を好きだと言うことができない。

「もう! いい加減にしてよ! 何なのよこの状況は!」

 愛利は相当に怒っている、普段容姿も性格も生活態度も大人しい愛理の怒声に、一郎は一瞬ぎょっとしたが、これもここ数日では珍しくもなくなっていた。

「怒ったってしかたないだろうよ、原因もわからないのに」

「怒るくらいいいでしょ! あんたみたいなのを好きだって言わされるこっちの身にもなってよね!」

「それを言うなら俺だって」

「なによ、だいたいあの日、あんたがわけのわからない神社なんかをフィールドワークに選ぶから!」

「それは人気の無いトコがいいからってお前が決めたことだろ、俺のせいにするなよ」

「覚えてないわよそんなの! 細かいこという男ってホント無理」

 酷い言われ様だ。だが愛理の気持ちを思えば一郎も強くは言い返せないのである。

 こいつも可哀想なやつなんだから――。

「まぁ、もうすぐその神社に着くし、とりあえずは調べてみよう。何かわかるかもしれないし」

「わかんなきゃ困るのよ! 其ノ神坂くんに誤解されたままじゃ気が狂いそうなんだから」

「俺だって勝鬨橋に誤解されたままじゃ困るんだよ」

「あんたのことなんてどうだっていいわ。どの道カッちゃんには近づけさせないから」


 さて、そろそろこのややこしい状況について、詳しく語らなければならないだろう。冒頭から置いてけぼりをくらわせて申し訳ない。

 どこから話したものかと思うが、やはりここは普通の高校生・千本木一郎と、根暗女子・瀬川愛理の出会いからというのが筋だろう。大方が退屈な話だが、時間が許すなら、すまないが聞いていって欲しい。





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