よくある黒塗りの高級車

 大きな車は鳥居を塞ぐように停められており、完全に邪魔になっていた。ただでさえ細い道である、もし車が入ってきたらすれ違うこともできないだろう。

「昨日は、あんな車、無かったですよね……」

「随分悪趣味だねー。もしかして、ヤのつく人だったりするかな」

 仮に本職であっても、きっと、見かけだけなら南雲ほどは恐ろしくはないだろう、と思わずにはいられない。その程度には、南雲の存在感は堅気からかけ離れている。

 しかも、今日は仕事帰りということもあり、細身の黒スーツに黒い革靴姿である。そこに剃り跡一つ見えないスキンヘッドと、黒縁眼鏡の下でぬらりと光る鋭い目つきという、絶対にお近づきになりたくない出で立ちだ。実際、ここまで歩いてきて、ほとんどの通行人は八束と南雲を避けるように、必ず数歩離れた場所を通っていた。

 とはいえ、見た目と中身が一致しないことに定評のある南雲は、後ろ頭を掻きながらのんびりと言う。

「あそこ通らないと入れないけど、あんまり近寄りたくないなー」

「南雲さんに言われたらおしまいな気がします」

「八束も言うねぇ」

「あっあっうめぼしはやめてくださいっ」

 両のこめかみを拳でぐりぐりされて、八束は慌てて身をよじる。しばしのゆるい攻防の後、何とか解放された八束はすっかりぼさぼさになってしまった髪の毛を整えつつ、車の辺りに目を凝らす。

 どうやら、ちょうど車の運転手が車から降りようとしているところだった。南雲も車の方の動きには気づいたのだろう、ぎりぎりまで目を細めて囁く。

「見える? 俺さっぱりなんだけど」

 薄暗がりとはいえ、ちょうど車は街灯の下にあり、八束にははっきりとその様子を窺うことができる。八束の目が人よりいいということもあるが、それ以上に――。

「南雲さん、先ほども思いましたが、そろそろ眼鏡買い替えましょう」

 やだよめんどくさい、といういつも通りの返答があったところで、車を降りた運転手に意識を集中させる。

 仕立てのよいスーツを隙なく纏い、片手にステッキを提げた、寂れた小さな神社には似つかわしくない初老の男だ。真っ白な髪を撫で付け、鷲鼻の下のちょび髭としゃくれた顎が特徴的だった。

 そして、八束は、この男の顔を知っていた。

「あっ、あの方、城崎与四郎さんですね」

「怪物ハンターの爺さんか。やっぱ河童に用なのかね」

 河童のミイラなんて、怪物ハンターにとっては珍しくもないと思うけど、と南雲が眉間の皺を深くする。

 怪物ハンター。八束はテレビを持っていないため彼を扱った番組は知らないが、新聞や雑誌の記事で何度も取り上げられている以上、八束が彼のことを「知らない」道理はない。

 日本各地の未確認生物を追う男であり、その冒険は度々テレビで放映されていると聞く。とはいえ、実際に未確認生物を捕らえたことは一度もなく、未確認生物が存在したと思しき痕跡を見つけるだけなのだという。

 今から二年ほど前までは毎日のように彼の名が新聞のテレビ欄に躍っていたが、最近はほとんど名前を聞かなくなったと思い出す。

 八束の目から見る限り、胡散臭い男だとは思うのだが――。

「つまるところ、山師ってやつだよな」

「南雲さん、聞こえますよ」

「本人だってそう言われてることくらいわかってんだろ。もしわかってなかったら、余計に近寄っちゃいけない物件だけど」

 そんな人聞きの悪いことを言いながら、南雲はゆったりと歩き出す。とりあえず、相手がヤのつく人でないとわかった以上、特に危険はないと判断したようだ。八束も慌てて小走りに南雲の後を追う。

 そして、ちょうど鳥居の前、つまり車のすぐ側まで接近したところで、どたどたという足音が聞こえてきて、八束はついそちらに視線を向けてしまう。

「あっ、城崎さん! 奇遇ですねぇ、こんなところでお会いするとは」

 八束たちとは逆の方向から駆けてきた足音の主は、ぼさぼさの髪をした小太りの男だった。南雲より少し若いくらいだろうか、リュックサックを背負い、首からはカメラを提げた、びっくりするくらいステレオタイプなオタク風の男である。

 そして、城崎にとって、そのオタク風の男は知らない顔ではなかったらしく、しゃくれた顎を指先で撫ぜながら、にたりと笑みを浮かべる。

「おお、君は『幻想探求倶楽部』の記者だったね」

「はい、カサイです。城崎さんも河童のミイラを見に?」

 ああ、と笑顔で応じる城崎と、更に最近の城崎の活動について質問を重ねるカサイとやらの横を、そのまま通り過ぎようとする。城崎と男の視線が一瞬こちらに向けられた気がしたが、ひとまず無視を決め込む。

 だが、どうしても一つだけ気になることがあって、八束は南雲の袖をそっと引く。

「……あの、『幻想探求倶楽部』って、確かオカルト専門の雑誌でしたよね」

「ばっか八束、黙って歩けって、目をつけられたら面倒だ」

「あっ、待ってください南雲さんっ」

 背の高い南雲が早足になると、八束の短い足では到底追いつかない。ぱたぱたと足音を立てながら、何とか南雲の背中に追いつこうと駆けてゆくのだが。

 ほんの一瞬。これが、聞き間違いでなければ、だが。

「『南雲さん』……?」

 カサイと呼ばれた男の呟きが、八束の耳に引っかかった。

 一瞬振り向きかけるも、「八束」という南雲の声で我に返り、前を向く。そして、何とか南雲の背中に追いつくと、後ろの二人には聞こえないように囁く。

「今、何かあの人、南雲さんに反応してませんでした?」

「人違いじゃない? ほら、スキンヘッドだと人相は記憶しづらいって聞くし。実際何度か間違えられたことあるし」

 八束は眉の形や鼻の高さ、輪郭や体格など全ての形をそっくりそのまま記憶して照らし合わせるため、それこそ骨格を変えるレベルで意識的に人相を変えていない限り「人違い」という概念とは無縁だ。もちろん、普通の人間が八束と同じような記憶を持たないこともわかってはいるため、小さく頷いて、そのままシームレスに首を傾げる動作へ移行する。

「しかし、南雲さんの顔と言うより、名前に反応していたようですが」

「……まあ、そうだろうね」

 南雲の声は、聞き違いとは思えない、深い溜息を含んでいた。ただ、そこに含まれた感情まではわからなかったため、疑問符を投げかける。

「何か思い当たる点がありますか?」

「あるけど、今回の事件には絶対に無関係。すっごいプライベートな話だから、詮索しないでくれると嬉しい」

 下手な誤魔化しを加えずに「ある」と率直に言ってくれるのが、南雲の好ましいところだと八束は思っている。そして、八束への希望を真っ直ぐに伝えてくれるところも。人の気持ちを慮るのが下手くそという、八束の特性を理解した上での発言であろう。

 だから、八束も一つ頷いて、南雲の顎の辺りを見上げる。

「わかりました。では、この話はここまでにします」

「ありがと。まあ、詮索するまでもないかもしれないけどね」

 もう一つだけ小さな溜息を添えて、南雲は石段に足をかける。石段は柔らかな灯火に照らされており、夜に近い薄闇の中でも足元が見えないということもない。八束も軽やかなローファーの靴音を立てながら石段を一歩、また一歩と上ってゆく。

 そして、社の前に辿りつく。

 社の戸は既に閉ざされており、暗がりの中の影として物言わず存在している。代わりに、横に建っている社務所の方に明かりがついていた。内側には確かに人の気配がある。

 八束は戸を軽く叩き、腹の底から声を上げる。

「こんばんは! 神主さんはいらっしゃいますか?」

 それから数秒の後、ぱたぱたという足音が近づいてきて、戸が横に開いた。着替え終わったところだったのか、随分ラフな格好の菊平が、八束とその後ろに立つ南雲の姿を認めてほっと息をついたのがわかった。

「八束ちゃんか。それに南雲も」

「あの後どうなったか気になって来ました。あ、あとこれ差し入れっす」

 片手で戸を閉めた南雲は、もう片方の手で持っていた箱を菊平に突き出す。菊平は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながらも、箱を受け取った。受け取ってしまってから、怪訝な顔で南雲を見やる。

「これ、何だ?」

「見ればわかります」

 訝しげにしながらも、菊平はその場で箱を開く。中には、かわいらしいデコレーションが施されたチョコレートケーキが丸々一つ入っていた。社務所の玄関がチョコの甘い香りに包まれる。

「本当は、俺のおやつになる予定だったケーキです。ご家族で召し上がってください」

「南雲さん、予定に関する言及は余計じゃありませんか」

 八束はついつい指摘せずにはいられなかった。ただ、この箱が、今まで対策室の冷蔵庫の中に入っているのを目撃していたからわかる。このケーキは、元々は南雲の「自分へのご褒美」だ。ただし、仕事をしようとしない南雲のどこにご褒美を享受する要素があるのかは永遠の謎である。

「あと、一人でワンホール食べる気だったんですか」

「……八分の一くらいは、八束と綿貫さんに分けたげるつもりだったよ?」

「それ、実質わたしは十六分の一しか食べられない計算ですよね。十六分の一カットとか、薄すぎて自立しませんよ絶対」

 誤魔化すように「てへっ」とかわいく首を傾げる南雲の顔は、不気味な仏頂面のままである。そのちぐはぐさに当初は違和感しかなかったが、今となっては当たり前のものとして受け止めてしまっている自分が切ない。

 そんな八束と南雲のやり取りを唖然として見つめていた菊平が、やがて「ははっ」と笑い声を上げた。

「お前ら、つくづく面白いな」

 その言葉を受けた南雲は、眉一つ動かさずに、しかし極めてゆるーい声音で応じた。

「よく言われます。警察辞めて漫才コンビ組んだ方がいいかなって時々考える」

「考えないでください! わたしは嫌ですからね!」

 八束がきゃんきゃん声を上げてみせても、南雲はどこ吹く風とばかりにそっぽを向くだけだ。暖簾に腕押し、糠に釘。南雲彰というのは、いつだってそういう男である。

「まあ、立ち話もなんだ。ひとまず奥に――」

 菊平がそう言ったところで、扉が乱暴に開かれた。ぎょっとしてそちらを見ると、先ほど鳥居の前に迷惑駐車をしていた城崎と、オカルト雑誌の記者らしい男が立っていた。

「失礼するよ、菊平くん!」

 城崎の大きな口から放たれたのは、朗々たる声。人に聞かせるための声だ、と八束は思う。大勢の人を前にして、その全員に届かせるための声。こんな狭い場所で聞かされると、単純にうるさいだけなのだが。

 菊平は、その姿を目にした瞬間、露骨に眉を寄せた。それが意味するところは、苛立ちと嫌気、だろうか。

「城崎さん」

「今日は随分静かだが、例の河童はどうしたのかね?」

 対する城崎は、何がそんなに愉快なのか、満面の笑みを浮かべている。ステッキの握りの部分に両の手を重ね、ぴんと背筋を伸ばした姿で立っている。さながら、舞台の上の役者のように、堂々と。

「都合により展示は見合わせ、って鳥居の前に張り紙してありましたよね?」

 菊平の声には、八束にもはっきりとわかる棘が混ざっていた。その棘は、明らかに八束たちではなく、新たな来訪者たる城崎とカサイとかいう男に向けられていたわけだが――。

 八束は、そっと、南雲の袖を引いて囁く。

「……張り紙、してありましたか」

「あったよ。八束は車に気を取られてたから、目に入ってなかったと思うけど」

 いくら一度記憶したものを忘れない八束でも、「目に入っていない」ものを思い出すことはできない。観察力を鍛えろ、というのは前の上司の口癖だったが、つまりはそういう詰めの甘さを指摘していたのだろう、と分析する。

 気をつけなければ、と思ったその時、ステッキをついた城崎が八束を押しのけるようにして菊平の前に出た。八束が抗議の言葉を放つ間もなく、歌うような城崎の声が響き渡る。

「ふむ、河童を見せられない理由があるのかね? 私は是非もう一度あの奇妙な姿を見てみたいと思っていたのだが。君もそうだろう、カサイくん?」

 カサイと呼ばれた記者は実際には興味があるのかないのか、「そうですねぇ」と軽く答える。だが、それで城崎は満足だったようで、口元の笑みを深めた。菊平は二人を何ともいえない表情で見据えていたが、やがて重々しく口を開いた。

「いえ、内輪でちょっとした厄介ごとがありましてね。まあ、すぐに解決しますよ。警察の人にもお願いしてますしね」

 ちらり、と菊平が八束たちの方に視線をやったことで、初めて城崎の意識がこちらに向けられた。微かに、息を呑むような気配と共に。

「警察……? こちらの方々か?」

 その声には、明らかな疑いの色が篭められていた。それはそうだろう、自分で認めるのは悔しいが、八束と南雲の二人が一目で警察官と見抜かれたことは、今までに一度もない。

 だから、というわけでもないのだが、八束は鞄から警察手帳を出して城崎とその後ろで目を丸くしている記者に見せる。

「待盾署の八束です」

 横に立つ南雲は頭をふらつかせているだけで、何も言わない。南雲のことも紹介すべきかと逡巡している間に、目をぱちぱちさせていた城崎が口を開いた。

「なるほど、確かに警察の方のようだ。……菊平くん、我々は一旦退いた方がよろしいかね」

「ええ、すみませんがお願いします。出来る限り早く河童の展示を再開したいとは思っています」

「ああ、頼んだよ」

 にぃ、と。城崎の口が三日月のような笑みを浮かべる。動きが大げさなせいだろうか、どうも八束には城崎の考えが上手く読み取れない。助けを求めるように南雲を見ても、南雲は眠そうに目をこするばかりで、話を聞いているようにも見えなかった。

「では、日を改めることにしよう」

「そちらの、カサイさんでしたよね。わざわざ来ていただいたのにすみません」

「あ、いえ、自分は別にいいんですけど――」

 菊平に声をかけられて、カサイ、と呼ばれた男は慌てて返事をする。何か、別のことを考えていたところに、虚を突かれたような。そんな慌てぶりであった。しかし、そのカサイの言葉に被さるように、城崎の朗々とした声が響き渡る。

「それと、『コクゲイの髭』の件、考えていただけたかな?」

 コクゲイの、髭?

 その言葉に、菊平の眉間の皺が余計に深まった。それだけで、城崎も彼の考えていることを理解したらしい。溜息をついて肩を竦め、菊平に背中を向ける。

「忙しいところ、お邪魔したね。失礼するよ」

「はい。それでは、また」

 菊平はかろうじてそれだけを言って、頭を下げた。城崎は「ふん」と鼻を鳴らし、カサイを引っ張るようにしてその場から去っていく。

 そして、その場に訪れた沈黙に――、

「嵐が過ぎ去った」

 ぽつり、と落とされた南雲の呟きが、妙によく響いた。

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