第24話:化魄③

 黒依の背中を一刀両断し、霞は血飛沫を全身に浴び、血まみれの姿で空虚に立ち尽くす。


「く……終わらぬ、このままで、終わってたまるか!」


 地の底を這うような、黒依の呻き声。

 華奢とも言える黒依の体型を内側から破り、みるみる巨大化していく。

 その姿は、もはや美しさの欠片もない、巨大なムカデの様だった。


「ち、変妖しやがった……K!」


 霧子が、銃の封印を解き、巨大な魔物の頭部に照準を合わせる。


「……フ!」


 霞は、バネ仕掛けの人形の様に飛びずさると、間合いを取り、刀の切っ先を高く掲げた。


「逃げるな、人形! 我はもう助からん……ならばせめて、我が牙の餌食とするのみ! 我が冥府への道……その道標を照らすがいい!」


 巨大ムカデは、地面を削りながら、霞に向かって一直線に襲い掛かる。

 霞の反応より早く、黒依の牙が、喉元深く突き刺さった。


「どうじゃ! 捉えた者を千年は蝕む毒の牙! 如何なお前とて、尋常ではおれまい!」


 最後の攻撃を、見事敵に打ち込み、勝ち誇る酷月の黒依。

 しかし霞は、喉元を牙で穿たれたまま、黒依の頭部を、その両手で優しく包み込んだ。


「錬神……還虚……」


 霞の口から、微かな言葉が漏れる。


「な!? こやつ、我が霊気を……!」


 霞は、深々と撃ち込まれた牙を通して、黒依の霊気を吸い取り始めた。


「コオオ……」


 黒依の霊気が、霞を通じて、まるでフィルターを介したように無害な存在となって、虚空に放出されていく。

 黒依は堪らず、牙を離し、後ずさった。


 シャリーン……


 霞は再び、太刀を正眼に構える。

 吸い込まれるような、虚ろな瞳。


「……よ、寄るな、寄るな! あ、ああ!」


 まさに、一閃。

 霞の刀が、巨大ムカデとなった黒依の頭部、その額を真っ二つに割る。

 頭を割られた巨大ムカデは、地面に崩れ落ち、そのまま灰となって消えた。

 それが、帝都北東区を蝕む若き聖魔、酷月の黒依の、最後だった。


 戦いを終え、霞は、糸の切れた人形の様に、崩れ落ちる。

 それを辛うじて抱きとめる霧子。


「K……K! しっかりしろ!」


 そう叫んで、霞の体を揺すり、頬を叩く。

 人間の姿を取り戻した霞が、弱々しい笑みを浮かべた。


「どうです、お姉さん……アタシ、やれましたでしょ……?」

「K、お前、あの姿は一体……」


 動揺を隠せない様子で、霧子が問いかける。


「はは、ビックリしましたよね? 無理もないです……」


 霞は、照れくさそうに笑った。


「ああ、ビックリしたさ……まるで幽霊みたいだったぞ」


 霧子が答えると、霞は少し目を伏せた。


「鋭いですね……実はアタシ、人としては、とっくの昔に死んでいるんですよ……」


 寂し気な笑みを浮かべ、そう告白する。


「な……に!?」


 霧子は、驚いて口をつぐむ。

 人の生死、その魂の変化を敏感に感じ取るのは、修錬丹師ならではの感覚だ。

 しかし、霞と出会って、彼女が変異するまで、いや、変異してもなお、霧子は彼女に死者の匂いを感じる事はなかった。

 それなのに、霞は自分が死んでいると言う、これはどういう事なのか?

 霧子は、霞の告白を、黙って聞いていた。


「……アタシは、幼い頃に聖魔に殺されました。浄山の武仙よって魂のみを救われたアタシは、化魄と呼ばれる木人形に魂を宿す事で、かろうじて生き残ったんです。先ほどの姿は、化魄の本性……鬼の姿です」

「恐ろしかったぞ……さすがの私も、少し引いた」


 動揺してはいけない、彼女を傷付けてしまう。

 霧子は、おどけたような態度で、笑って見せる。


「あは、引いちゃいましたか……それでも、こうして庇ってもらえて……アタシ、嬉しいです」


 霧子の腕の中に抱かれたまま、霞は微笑む。


「言ったろ? 私は、お前が何者であろうとも、変わらずに受け入れるって」


 霧子は、心から嘘偽りのない言葉をかける。


「……立てるか?」

「はい、ありがとうございます、お姉さん……」


 そう言って、霞はおぼつかない足取りで、立ち上がった。


「さて、これで事は大きく動くな……おい、お守り様とやら!」


 霧子が社殿に向けて声をかける。

 社殿の中から、狐の神使と吹絵が出てきた。


「終わったの?」


 吹絵が訊ねる。

 吹絵には、霞の変化については語らない方が良いだろうと、霧子は判断した。


「ああ、Kの奴が、軽くひねってくれた……大した奴だよ、こいつは」


 そう言って、霞の頭を撫でる。


「あの、社長……刀、どうもありがとうございました」


 霞が一礼して、吹絵に刀を返す。


「ああ、うん、役に立ててよかったわ」


 吹絵は刀を鞘に納めると、苦い顔をする霧子を見つめた。


「霧子、事が動くって、どういうこと?」

「今やっつけた奴な、多分、大妖の吾子だ。愛しの我が子を殺され、大妖様は怒り狂うだろうよ……そうなったら、奴の潜む現場は、最悪の状況になる」


 そう言って、霧子はお守り様に問いかける。


「出来れば明日の突入まで、この事は隠しておきたい。お前等の結界で、現状を封鎖できるか?」

「現状のまま、この場を封鎖し続ける事は可能だ。だが、お主等を外に出すには、一瞬であるが結界を解かねばならん」


 狐の神使が、声を揃えて答えた。


「その時にバレるか……」


 霧子は、右手で前髪を少し持ち上げ、眉を顰める。


「でも、ここを出ない訳にもいきませんよ?」


 霞が問いかける。


「仕方ない、予定を早めよう……吹絵!」


 霧子は、意を決したように、吹絵に声をかけた。


「分かった、菊ちゃんに王子警察に来るよう、連絡するわ」


 吹絵が答える。


「頼む、私は鷲尾ちゃんに連絡する」


 大社の大門に向かい、歩き出す三人。


「それじゃあ守り様、お願いします」

「うむ、武運を祈るぞ」

 狐の神使の念力によって、大門の扉がゆっくりと開く。


「ありがとうございました、お守り様!」


 霞は、振り返ると、大きく手を振った。

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