第5話 忠告

「あー……」


 ソラは風呂上がりで熱を持つ身体をソファーへ投げ出し、気だるげな声を出す。側にはソラだけが見える鎖が常時出現しており、これが中々どうして邪魔くさい。


 それに、この鎖によって、僅かとはいえ体力を奪われる。これで死体が犯人の下へ帰っていなかったら、骨折り損のくたびれ儲けだ。


「疲れたし、結構やばかったし、面倒だ……」


 ソラは戦闘を思い返しながら、深いため息をつく。犯人は死者の理論武装レジストまで使えるのだ。戦闘になることを考えると、気が滅入っても仕方が無い。


 ソラが気の赴くままダラダラしていると、同じくお風呂を終えた沙夜がリビングへ入ってきた。長い髪は既に乾かされているのか、ふんわりとしており、ソラのところにまで甘い香りが。


 ソラはそんな沙夜を眺めながら、心底不思議そうに言う。


「なあ、何で女っていい匂いすんの?」

「…………」


 変態じみた発言。それは、沙夜をとてもイイ笑顔にさせた。それはもう、天使の如く。


「ソラ、死ぬか、家から出ていくか、どっちがいい?」


 ……と言っても、ソラには悪魔の笑みに見えるが。


 極上悪魔の笑みを浮かべながら放つ言葉は、ソラへの死の宣告。から笑いをするソラは、風呂上がりだというのに寒気がした。


「どっちも嫌です。すいませんでした」


 ゴミを見るかのような目で蔑まれながらも、ソラは誠心誠意をもってきちんと謝った。すると、沙夜の視線も普段と同じに戻る。


 そして、何を思ったのか、沙夜がソラの隣へ座った。ソファーはそこまで広くはないので、少し詰めれば肩と肩とが触れ合うほどだ。


 ソラは珍しい沙夜の行動に、目を丸くする。


「どうした?」

「……別に」


 そう言いながらも、沙夜はソラの肩に自分の頭を置く。身長差によって、丁度いい位置にソラの肩はあったが……無論、普段の沙夜は、頼まれてもこんなことは絶対にしない。


「…………」

「…………」


 どちらとも一言も発さず、静かな室内には時計が進む音だけがやけに耳に残る。


 ソラは漂う甘い香りを極力意識から排除し、冷静さを保てるよう努力をする。朴念仁でも何でもない一般の十七歳には、この刺激は結構ヤバいからだ。


 沙夜は既に寝巻き姿になっているのだが、その姿は、いくらソラだけしかいないとはいえ無防備過ぎた。


 目をつむっている沙夜の頬は微かに上気し、桃色。少し見えかけている首元はとても細く、肌もきめ細かい。寝巻き越しに伝わるのは、女の子の柔らかい肌の触感。そして沙夜の全身を包む、甘い香り。


 ソラが枝毛のないよく手入れされた黒髪を手でとかすも、抵抗は無く。何をしても許されそうな雰囲気に、思わず呑まれそうになる。


 思春期男子には刺激が強過ぎるその格好を目の前で見せられているソラは、普段とは違う沙夜の様子もあって、柄にもなくどぎまぎした。


「ふふ、どう?」


 不意打ちのように発せられた、からかうような声音。ソラは赤くなる頬を自覚しながらも、素直な気持ちを言う。


「……嬉しかったですよ」

「そう、それは良かった」


 満足げな笑みを浮かべた後、沙夜はソファーから立ち上がった。そして、そのままドアへと向かう。


「もう寝るわ。あなたも疲れてるんだから、早く寝なさい」


 おやすみ、と一言残し、キィと音を立てるドアを開け、沙夜はリビングを出ていく。ソラは、それに気の抜けた返事だけをした。


 会話がなくなったリビングには、時計の秒針の音と、ソラ自身の少し早くなった鼓動の音だけが残る。


 未だ感じられる右肩の温もりは、ソラの心をかき乱すには十分過ぎるものだった。


「あー、くそ」


 片手で顔を覆う。指の間から見えるシミ一つない天井は、今の自分の心と対極で。それが、やけに気に障った。


「……寝るか」


 このままだと考え続けてしまいそうな気がして、ソラはもう寝てしまおうと決める。顔を覆っていた手をソファーへつき、立つ。


 少しの目眩。


 沙夜の忠告通り、確かに身体には無視できない疲労が蓄積されていた。しっかりと休まなければ、もし襲われでもしたときに、対処できない可能性がある。


 つけていた暖房と電気を消すと、二階へ。ベッドとタンス以外何も無い部屋へ入ると、直ぐ様ベッドへ潜り込んだ。


 ソラはその日はそのまま何も考えず、意識を闇へと沈めた。



♢♢♢



 ソラが就寝したのと、ほぼ同時刻。


 郊外の、寂れた建物の中の一つ。一際大きなその建物には、明かりはつけられておらず、一見しただけではただの無人の屋敷としか判断されないような風貌だ。


 しかし、その廃屋からは声がした。


「ふんふふ〜ん♪」


 少女の、機嫌が良さそうな鼻歌。それは人の少ない郊外に響き、夜を彩る。そして、数十秒続いたその音は、ふいに止まった。


「……あ〜、楽しみだなぁ」


 少女は人形おもちゃに囲まれながら、怪しげに笑う。その頭の中は、つい最近見つけた人形おもちゃのことで一杯だった。それは、ある日見つけた、高校生ほどの青年。


 彼は圧倒的な強さを誇る少女の人形おもちゃを、苦戦していたとはいえ完全に破壊した。それは、並大抵のことではない。


 ーー故に、少女は笑う。アレを人形おもちゃにしたらどうなるのかと。その強さを想像し、笑う。


。……早く、来て」


 死に彩られた館で、少女は化物同胞を待つ。ーーその顔に、歪んだ笑みを貼り付けながら。



♢♢♢



 午前七時。


 昨日の疲労の所為か、ソラの起床時刻はいつもより幾ばくか遅かった。いつまでも寝ているわけにもいかず、二度寝の誘惑を振り払い、ソラはベッドから下りる。


「んー!」


 寝惚けている頭を覚醒させるべく、一つ伸びをした。窓からの柔らかい日差しも浴びて、心地よい。


「……よし」


 幾分かスッキリした思考。疲労もかなり無くなっており、体調は良好だ。


 そして、いつも通りリビングへ向かおうとドアを開くと。


「ん?」


 階下から、良い香りが漂ってくる。そして、この家には、ソラと沙夜しか住んでいない。


 即ち。


「あの沙夜が、俺より早く起きて料理だと……」


 愕然とするソラ。このところ珍しい行動ばかりする沙夜を、不審に思う。


「俺、そのうち殺されるんじゃ……」


 ソラはどうしてそうなったと問いただしたくなるような結論を導き出し、戦慄の表情を浮かべる。

 そうやって、廊下で一通り表情をころころ変え終えると、ソラは階段を降りてリビングへ。そこにはやはり、エプロンを身に纏った沙夜の姿が。

 

「おはよう……」

「ん、おはよう」


 沙夜は、どうやら丁度朝食を作り終えたらしく、エプロンを脱いだ。綺麗に畳まれたエプロンを収納すると、そのまま手際よく朝食を並べる。


「…………」

「ソラ?」


 無言でそれを見ていたソラは、沙夜に声をかけられてようやく我に返った。


「あ、悪い。……でも、お前最近どうしたんだよ? 悩み事があるなら、相談しろよ? なっ?」

「随分と丁重な扱いありがとう。でも、その必要はないわ。死にたくなかったら、早く朝食を食べてちょうだい」


 沙夜は笑みを浮かべる。

 ソラも笑みを浮かべる。


「はい、すいませんでした」


 ソラはおとなしく席につき、朝食を食べた。



「ふぅ……」


 食事と洗い物を終えたソラは、ソファーに座り、一息つく。沙夜は用事があると外出しており、現在ソラは一人。しかし、夜にならない限り行動を起こせないため、ぼーっとして時間を過ごすしかない。


 時刻は九時。


 手元の鎖を弄りながら、時間を潰す。しかしそれも、数分で飽きてしまう。


 数秒の思考。


 ソラは勢い良く立ち上がった。


「外、行くか」


 そうと決まったら、行動は早い。


 自室で着替え、家の鍵を持つ。電気やら暖房やらの全てを消したことを確認すると、家を出た。


 手早く玄関の鍵をかけ、そして空を仰ぐ。


 二月も後少しで終わるためか、段々と気温も上がり始め、今日も快晴である。雲も殆ど無く、実に晴れやかだ。


「お出かけ日和ってな」


 ソラは特に目的もないため、ぶらぶらと近辺を歩き始める。そんなソラが現在所持しているものは、財布と携帯のみ。正に必要最低限のものだけだ。


「今頃沙夜は何してんだか……」


 用事の内容も告げずに出ていった同居人の顔を思い返しつつ、人混みの中を目的もなく進んでいく。


 程なくして現れたのは、大量のビル。現代社会において当たり前となっているその光景をぼんやりと眺めると、直ぐに視線を切った。そして、気の赴くまま、進んでいく。


「…………」


 無言で進むこと数分。


 先ほどから、ソラの視界にはちらほらと、治安隊の服装をしている人物が見受けられていた。ソラの現在位置が治安局から近いのもあるが、やはり事件の影響が大きいだろう。


 治安局。立ち並ぶビル群の中でも一際高いその建物は、日本には欠かせないものだ。何せ、日本が国として成り立っているのは、治安局のお陰と言っても過言ではないからだ。


 人間は確かに次の段階へと進化したが、それは必ずしもプラスだけに働くわけではない。それによって犯罪が起きたりするのは、自明の理だ。だからこそ、この治安局が設けられた。行き過ぎた人間を、排除するために。


「ま、笑えるけどな……」


 しかしそれも、ソラにとっては笑える話だ。犠牲なしの進化なんてあり得ないのに、今度はそれによって現れる犠牲者を減らそうとしている。犠牲を前提とした進化を当たり前のように享受しているのに、犠牲を許さないようにしている。


 まるで、出来の悪い脚本のようだ。


「…………」


 暫し無言で眺めた後、その場を離れようとするソラ。すると、振り向きざまに、ソラの目の前を一人の男が横切る。


 ソラが特に気にすることなく通り過ぎようとすると。


「あまり、急ぎ過ぎるなよ」


 すれ違いざまに、確かに呟かれた言葉。


「っ!」


 ソラが慌てて振り向くも、男は人混みの中へ消えていた。探そうにも、人が多すぎる。


「今のは……」


 急ぎ過ぎるな。男は確かにそう言った。どういった意味なのかは分からない。しかし、それよりも。


「俺を……知ってる?」


 ソラについて、知っている。男は、そんな口振りだった。ソラは男の顔を見たが、勿論覚えはない。


「誰なんだ……?」


 今日仕掛けようと思っていた矢先に、急ぎ過ぎるなという忠告。下手をすると、男は現在のソラの状況まで把握していることになる。


「くそっ……!」


 自然と、悪態をつく。数日前まで平和そのものだったというのに、随分な変わりように自嘲する。しかも、謎の男からの謎の忠告のおまけ付だ。


「どうするべきか……」


 ソラは悩みながらも、その足を進めた。

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