第5話 地に足をつけよう
『地に足がつかない』って慣用句があるけれど、今がまさにその状態だと思う。
このまま魔法陣の中で浮いているわけにもいかず、かといって他に選択肢もないので契約するしかない。
結婚式で神父さんの言う宣誓みたいな呪文をハル君が唱え、互いの右手のひらを合わせて了承することであっさり終了した。
「これでおしまいです」
「それが契約の印です」
当たり前だけど模様は指で擦っても落ちなかった。
「契約解除になれば消えますから」
「みんな?」
「契約している召喚獣には必ずあります」
召喚獣によって契約印は違うらしい。
ようやく地面に足がついた。今までは気にも留めなかったのに、ただ足を前に踏み出すだけなのに、その一歩が緊張した。そして急に不安に襲われた。地に足がついたからこそ、この世界を現実に感じたからかもしれない。
ふと足下を見て、何かがおかしいことに気付く。
魔法陣の中にいた時はグレーのスーツに黒のハイヒールだった。けれどいつのまにかグレーのロングワンピースを着て、黒い編み上げブーツを履いている。
自分の体の違和感にも気付いた。
髪が短くなっている。慌てて部屋を見渡し、大きな姿見に近づく。
「な、なんじゃこりゃーーーー!」
古い有名なドラマの台詞じゃないけど、思わず口をついて出た。
鏡に映った姿が自分の思っていた姿じゃない。どれだけ鏡に近づいても見る角度を変えようと27歳ではない、それよりも若い私がいた。
それはあの時の、人生最悪だった15歳の私。
「ハハハハ、ハル君?」
真っ青で混乱する私にハル君はものすごく冷静に説明してくれた。
召喚獣は姿形が様々なので、契約して召喚者から魔力を得た時点でこの世界向きの姿に自然と変化するらしい。もちろん契約解除すれば元の姿に戻る。
確かに、この世界に巨大なドラゴンやらスーツ姿のOLやらが闊歩していたら、カオス以外の何ものでもない。でも――。
「――どうしてこの姿なの?」
苦々しく呟いた独り言はハル君の耳に届いてしまったようだ。
「今の姿はその召喚獣の真実を表している、と言われています」
でも彼はその真意には気付いていない。
「真実って――」
「仕組みなどは良くわかっていないようです。また召喚獣自身が意識して変化することはできないようです」
自分好みにはできない。
当然だ。意識したのなら私は絶対にこの時の姿にはならない。
「性別や性格などが表されるようです。だから若くても老成しているものは老人に、反対に年齢を重ねても無邪気であれば子供の姿になるようです」
じゃあ、何故この時の『私』なんだろう。
「僕もナツキさんがまさか幼くなるとは思いませんでした」
ハル君も首を傾げている。
もう一つ、気になったことを口にした。
「私、元々人間だけど変化する意味あるの?」
「人間でも異世界から来ているので、この世界に馴染む姿になるようですよ」
「確かにあのスーツでハイヒールなら浮いちゃうけど、でも、よりによってこの時の私か。精神年齢が子供なのかなぁ。人生で一番太っている時期じゃない、顔丸いし幼児体型だし」
「ナツキさんの本当の姿はとても素敵ですけど、この姿はとても可愛いです」
「あ、ありがとう。そう言って貰えると嬉しいけど、でもすっごい複雑」
肩を落とす私を見て、ハル君は楽しそうに声を上げて笑った。
まぁ、いいか。
初めて見る、ハル君の屈託ない笑顔に癒されていた。
窓の外は澄み渡った青い空に白い雲が広がっている。この部屋はアパートの3階で、周りにそれほど高い建物がないため眺めが良い。窓を開けて直に景色が見たくなりハル君に了承をもらう。
眼下にはレンガ造りの建物が石畳の道に沿って建っている。テレビで見たことのあるヨーロッパの古い街並みみたいだけど、よく見ると店先の看板の文字が全く見覚えなかったり、毛むくじゃらで角の生えた緑色の生き物が荷車を引いていたり、長剣を携帯した人や鎧を着た人が歩いていたりする。
やっぱり異世界なんだ。
現実を受け入れ始めている心の中を、冷えた風が容赦なく通り抜けて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます