レイカ-宇宙に燃えていたロウソク-

stormers

レイカ-宇宙に燃えていたロウソク-





俺は臆病で、軟弱で、そして幼い。

自分本位で、めんどうくさがりで、そのくせ同族嫌悪のきらいがある。けれどそんな俺にも、勇気を出して接することの出来る相手が居た。


おかしなものだと思う。

今でも、一人の女のために努力出来た日々が、奇妙な満足感が、青い感情が、こんな俺に存在していた事実が不思議でならない。


そして、そのあらゆる充足感が、時間の経過によって風化し、赤褐色に錆びついてしまったこともまた、同じく。




――冷華は空だった。

綺麗で、健やかで、清純で、そして透明だったから、俺と冷華との間にはどんな隔たりも無いと思っていた。


けれど、彼女の透明な態度の向こう側には、宇宙に似た、茫洋とした暗闇があった。


俺は鳥だった。そして、彼女の宇宙を飛びたかった。何もかも理解して、真っ暗な過去を照らす火の鳥になりたかった。


たった一つの空の下で、たくさん飛んでいる鳥の一羽ではなく、特別な存在に。



願いは叶った。俺は光って、宇宙を飛んだ。けれど、きっとそれで満足してしまった。


心の大気を突き抜けて、虚無の空間に浮かんだ俺は、時間が無くなって、永遠になる感覚におぼれた。


だから、一瞬一瞬に起こる小さな変化なんて馬鹿らしく思っていたのだろう。


ただ目があうだけで嬉しかった感覚も、抱きあって眠る安らかさも、冷華の化粧にせいいっぱい気を遣いつつ、涙を拭ってやることも、当たり前になって、尊さを感じなくなった。


俺と冷華の関係が、男女の恋愛である前に、人と人との付き合いだという事を忘れていたのだ。


だから、いつしか宇宙の息苦しさを我慢することもしなくなった。いや、我慢はしていたが、めんどうになっていたのかもしれない。


今となっては、詳しいことはわからなくなってしまった。



俺だけに漏らした愚痴も、俺だけに言ってくれたわがままも、苦しくなった。俺が頼んだくせに、彼女の弱みを見るのがめんどうになった。


それでも、表面上はどうやら上手くやれていたようだった。冷華はきっと俺のことを最後まで信頼してくれていたし、俺は彼女を変わらず愛していると勘違いしていたから。


きっと、愛は俺の自覚しないところで薄れていったのだと思う。




だから二人の関係は変わらなかった。

俺はどうだったか知らないが、冷華はよく出来た人間だったので、ときには熱くなりすぎたり、冷めたりしたけれど、何とか軌道修正しつつ、俺らの関係は続いた。


しかし、自分でも気付かないところで端の方から凍り始めていた心は、ふいな瞬間に、当然のように、驚くほど白々しい言葉や態度に繋がった。

 

そして、俺たちは別れた。いや、別れたとも取れない。二人の関係は中途半端に終わってしまった。拍子抜けするくらい、あっさりと。



今では、別に好きじゃない。別れた事自体には、何の後悔も無いと思う。けれど、終わり方がまずかった。




自責の念は、過ちから長い時間をかけて、やっと訪れた。


気付いた時には遅くて、俺は冷華に謝ることも億劫になってしまい、せっかく覚えた勇気の出し方も忘れていて、跡には愛の火がともっていたはずの爛れたロウソクと、健気な冷華と、屑な俺が残った。


ロウソクを溶かしていた火は、宇宙に居たくらいで燃え尽きるようなものではなかった。


消したのは俺だった。自覚はないが、俺に違いなかった。今でも、あの時の俺たちは信じられないくらいよく出来た関係だったと思う。


それは、相手が冷華だったからなのだろうと思う。冷華以外とはあんなに上手く付き合っていけなかっただろうし、むしろ冷華の方は、俺以外の男が相手でも、理想的な関係を築けていたに違いない。





とにかく俺がガキだった。当時、高校二年の夏か、秋頃だったろか。まだヤンチャぶっていた頃の俺は、何事にも投げやりなのが格好いいと思っていたし、そういう生き方をしていた。


しかし、今になって考えてみると、あれも言い訳みたいなものだったように思う。俺はただ、何かに対して真面目に取りくむことが全然できなかったのだ。授業をさぼっていたのも、良い歳のくせに漢字もかけず分数も出来ないコンプレックスから、やる気を失くしていただけである。


授業をさぼり始めたのは、小学三年生の頃だったか。さぼりも、最初は好奇心からだった。


友達と話を合わせ、どちらが先に叱られるかという、競いあいみたいなものから始まった。周りの反応が知りたかったのである。


授業をさぼったら、クラスメートの注目の的だ。先生に怒られるのも、クソガキからしたらいわゆる『箔がついた』くらいのもので、目立ちたがりだった俺は、どんどんいい気になっていった。


俺はガキんちょのヒーローの一人だった。だから、自分の愚かさに気が付かなかった。


せめて、小学五年生、いや六年生の一学期くらいからは真面目にやっておけばよかったと思う。しかし当時の俺はやっぱりバカだった。さぼってさぼって、気付いたら卒業していた。


そして、中学に上がる。

中学では、まぁ高校にも関わるし、それなりにやってやろうと思っていた。けれど、それまでさぼっていた人間が急に真面目になるなんて、簡単なことではない。


俺は、変わらず自堕落な日々を送った。それでも、本当にやる気があれば、出来ないことはないはずだった。けれど俺にはその根性がなかった。


根性なしの俺は、中学一年も寝て過ごした。


俺は中学で、良くも悪くも、すぐに話題の人物の一人になった。ヤンキーの先輩に目をつけられ、やっぱり一緒になって授業をさぼって、髪を染めて、窃盗でくだらない前科をつくる。



それでもやっぱり目立つから、良い気になっていた。


一年から二年に上がる際、クラスで寄せ書きを作った。

俺の寄せ書きには、『来年は授業中寝るなよ(笑)』とかそんなことばかり書かれていた。


その寄せ書きも何故か誇らしかったし、来年も同じ自分で居ることを期待されているような勘違いさえしていた。


恥の多い生涯だった。

本当に、そう思う。


中学卒業間際に、太宰治の人間失格を読んで、俺はようやく浅はかな自分を思い知った。


けれど遅すぎた。高校も、名前をかけば受かるようなところに決まった。もう人生終わりだと思った。しかしやはり、遅くはないはずだった。


世の中、頑張れば、何とか出来ないことなんてないはずなのだ。


でも俺はがんばらなかった。

開き直って、「やんちゃな生き方もいいじゃない。土方にでもなって、なんとかやっていこうかな」とか、「別に学歴が酷くたって、人付き合いさえできればなんとでもなるでしょ」とかいう言いわけをくゆらせて、だましだまし生きてき






そんなときに、俺は冷華と知り合ったのだ。笑顔はかわいらしいが、地味な女だった。


外見もノリも雰囲気も、全部好みじゃなかった。けれど、俺はいともすんなりと、冷華に惹かれ、交際に至ったのだった。


俺はなかなか気が付けなかったけれど、冷華にはたくさんの魅力があった。それは、簡単に言ってしまえば人間的魅力だった。


あいつは、自分自身をちゃんと理解している人だったのである。俺のように、言いわけがちな人間とはまるで違っていた。


冷華は俺に対して、素直に接してくれた。いや、俺だけではない。あいつは誰にだってそうだった。思ったことをちゃんと口にして、嫌いな人には嫌いと言える人だ。


そして、母を除いて唯一、俺を叱った女だった。だから、俺は当然のように冷華に惹かれたのだ。


冷華はいつも、人のことを考えていたのだと思う。実際、俺はあいつの性格を、バカらしくも感じていた。そして俺は、冷華が俺や他人のために生きるのなら、俺は冷華のために生きてみようかなと思った。


そして、告白した。確かな気持ちだったと思う。けれど、あくまで、ありがちな初心に過ぎなかった。


初心は、すぐに薄れてしまう。大事なのは、何度もその気持ちを思い出し、自分を戒めることなのだ。だけど、俺がそれに気づいたのは、冷華と別れた後だった。


思ったより、まともな恋愛というのは、簡単なものではない。何も考えずに成り立つものでもない。


思考放棄と無責任な発言を繰り返して、俺はゆっくりとロウソクの火を消した。





俺たちの交際の末、冷華には辛い想いをさせてしまった事だろうと思う。けれど俺は、あいつと付き合えて幸せだった。


冷華と過ごした日々は、俺を確かに変えてくれた。


今はまた臆病で、軟弱で、そして幼くなってしまったし、自分本位で、めんどうくさがりで、そのくせ同族嫌悪のきらいがあるのは変わらないけれど、それでも、多少は大人になれた。



こんな経験の末に、俺もそのうち、まともな大人になれるのだろう。


そんなことをぼんやり考えながら、毎日を生きている。


次、もしまた冷華のような女に出会えたら、今度は初心を忘れないように付き合っていこう。そう考えながら、ロウソクの残骸を見る気持ちで、ときおり冷華を思い出す。

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