73豚 エンチャントソードの輝き
工業区画の廃工場は明らかに戦いの後だった。
彼女の隠れ家は壁面が崩れ内部を外から守るという建築物本来の機能を失っていたし、彼女を待っている筈の者達は一人もいなかった。
ナタリアに迫った追撃者はもういない。
途中で魔法の追撃が止まったことは不思議に思ったが、彼もまた体力の限界だったのだろうとナタリアは考えた。
それに恐らく、スロウ・デニングは学園の惨状をヨーレムの町に駐屯している兵に伝えることを優先したのだろう。
「火事といいここといい、一体何があったのかしら……」
空からヨーレムの町を見渡して、ナタリアは何か問題が起きたのは貴族が住まう高級住宅街だと当たりをつけた。
けれど、それ以上の詮索はしなかった。
貴族が住まう住宅区域。
所詮、全てを失った自分には関わりの無い場所なのだ。
「金剛傭兵団! 出てきなさい!?」
がらんとした工場区画はただ雨が降り注ぐ音以外には何も聞こえない。
普段はごろつき達の溜まり場となっている場所には町の荒くれ者達の姿さえ見られなかった。
ナタリア・ウィンドルは経験豊富な傭兵である。
このような想定外の状況では、どれだけ冷静で居続けることが出来るかが生死を分けると知っている。
だから一瞬たりとも緊張感を切らさない。
針が落ちる音でさえ聞き逃さない自信があった。
それでも彼女は気付かなった。
生きるか死ぬかの傭兵の世界では、過程ではなく結果が全てなのだ。
「ほんとにあの先生と瓜二つじゃねえか。それに―――疲労してるな、傭兵」
後ろから地面に押さえつけられる。片手を背に回され、猛然と出現する濃密な死の気配。首に冷たい剣の切っ先を当てられ、ナタリアは終わりを悟った。
尋常じゃない程の早業。
自分が気配に感づくことすらも出来なかった。
「―――降参するわ」
その一言が無ければ彼女は己の首が跳ね飛ばされてると感じた。
だがその言葉が自分を捕らえた者には好ましいと思われたのか殺気は霧散し、ナタリアはふうっと息を吐いた。
「傭兵に暗器は付き物だからな、悪く思うなよ」
ナタリアの身体に何者かの手が触れる。
彼女は抵抗も無く受け入れた。
背に隠したナイフを取られたとき、彼女は本当に自分の敗北を受け入れた。
「ああ、これか……坊ちゃんの手紙に書いてあったのは…………さあて、王室騎士。こいつを魔法で捕縛してくれ」
建物の屋上から飛び降りてさえ、静かな着地音を立てない者達。
彼らを横目で見てナタリアは固まった。
白い外套を翻す奴らはこの国が誇る
「……豪華な面々。王室騎士が私を捕縛するの? ……訳がわからないわ」
「全く持って度し難い。何故、あの男が私達に手柄を渡したのか分からない。ああ遠慮無く頂いておくが」
既に金剛傭兵団は囚われ、
ダリスを中心に活動していた荒くれ者の筆頭は今頃、牢の中に連れていかれる真っ最中であろう。だが、その功績全てを王室騎士団を率いるマルディーニ枢機卿の功績として譲り渡すとシルバは告げた。
寛大な計らいはシルバが言うところの坊ちゃんとかいう者の計らいらしいが、王室騎士達にはその者が何者なのか知る由も無かったし、知ろうとも思わなかった。
「傭兵。まさか我らの間合いに入りて、次なる一手があろうとは思うまいな」
帝国と小競り合いを続けるダリス軍。
賞賛を浴びる彼らと違い、王族の守りのみに力を注ぐ王室騎士団の評価が国内で下がっていたのは紛れも無い事実。
王族の警護を重点的に行う彼らが戦場に投入されることは滅多に無い。
しかし、今回の功績で話は変わる。
邪な計画から治安を守り
シルバからの申し出は王室騎士達にとっては願っても無い話だったのだ。
「王室騎士が十数人。貴方方から逃げ切れれば晴れて私も化け物の仲間入りよ。だけど生憎、そこまでの力も自信も無いわ。ねえ、それよりいいのかしら? ここは隔絶された工場区画で雨音で音も衝撃も通りにくい。この場にいたであろう貴方方は気付いていないようだけど町は今騒ぎになっているようよ」
「……領館にも仲間達が待機している。何かあれば彼らが対応するだろう」
ナタリアはさて、どうやって彼らの関心をこちらから逸らせようかと思いを巡らし始める。
最も彼らの心を荒れさせるキーワードは王族だが、さすがに王室騎士の前で王族絡みの失言をすれば即座に首が飛ぶだろう。
しかし、ナタリアの次なる言葉は不躾なる乱入者によって発せられることが無くなった。
「事が済むまで入ってくるなと言っただろう! 何用だ……ッ!」
兵士の一団が現れたからだ。
金剛傭兵団の護送を終えたであろう彼らは雨だというのに、顔を赤くしてこちらに向かってきていた。まるで猪突猛進さながらに、白い外套を目にすると途端に叫んだ。
「マルディーニ枢機卿より
王室騎士の目の色が変わり、彼らは我先を争うように走り出す。
感嘆すべき忠誠心だとナタリアは賞賛し、心に笑みを浮かべようとして―――。
彼らは通り過ぎ様に捕縛した傭兵の首筋に―――手刀一閃。
ナタリアは意識を刈り取られた。
「金剛傭兵団と同じく名の知れた賊だ! 逃げようとすれば殺せ!」
「はッ!!!」
だが、そんな彼らよりも早く動き出した者がいる。
兵士の一団の声よりも早く、ただ一人その男だけが空気の変質を理解していた。
鞘の中から光が溢れている。
それが意味するのは光の大精霊が契約せし、ダリス王族の危機。導かれるままにシルバは走り出した。
「そういえばあの時もこんな感じに空気が震えていたっけな」
工場区画に聳え立つ建物群を縫うようにしてシルバは走る。
風の魔法を駆使して駆ける王室騎士達も彼には追いつけなかった。
光の大精霊の加護を受けた
(あれは……スロウの坊ちゃんが彼女を救い出した時)
足を動かす中で、シルバは思い出していた
デニング公爵との契約を打ち切り、シルバは再び旅に出た。
呪われたウィンドル領から命からがら逃げ出して、当ても無く彷徨っていた少年時代とは違う目的を持った旅の結末。
(……俺の考えが正しければ。皇国の姫であらせられる彼女を助け出したときの―――)
つまるところシルバの二度目の放浪は、あのシャーロットちゃんが何者であるかを探し出す旅に他ならなかった。
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