第5話 シアン=メイ

 ゼルダ。

 本国籍を持つ者のうち、男性が占める割合95パーセント、女性0パーセント。

 二百年前、狂科学者のせいで、国中の赤ん坊はみな男児しか産まれなくなった。

 遺伝子の流出を防ぐために、国が閉鎖されたいきさつについては、国民は生まれて物心つくと真っ先に聞かされる。

 そのまま国が滅びるに身をまかせれば、呪われた血を絶やすことができたのだろうが、当時の政府には納得しない輩が多かったのだろう。

 先人たちの細胞からクローンを創り出すことで場つなぎをした。

 かくして雄性だけの国が誕生したのである。

 当時から政府は何とか解決策を見つけ出そうと、遺伝子学には莫大な費用をかけてはいるが、今でもこのとおり無駄だ。

 ところで、この遺伝子を受け継いだ男児は通常よりは極めて高い知能指数をもち、また体格やその他にもいろいろ優れた点がみられるという特徴があった。そのことに関しても政府の愚案をすすめた理由だろう。


 しかし、男児ばかりが産まれる中、まれに両性をかねそなえた赤子もいた。

 そう産まれた者たちは、強制的にこの道に入らされるといっていい。

 コピーの時代になってもそれは続いた。

 両性具有者たちのたまり場は、たいがい街のすみに形成され、一般的にパラダイスと呼ばれている。

 中流以上の人々からは毛嫌いされているが、下流の者たちにとっては彼らの憩いの場となっている。


 キースはひときわでかい看板にangelとかかれた店に向かった。

 道すがら酒に酔った男たちが、驚いたように自分を避けていく。

 中には酔いがかなりまわり、ふらついた足でからんでくる男もいたが、無視してそのまま通りすぎる。

 無理もない。パーティーに行ってきたままの正装なのだから。場違いというものだ。

 それに、あきらかに官僚然としている男が、たった一人でうろついているのも珍しい。

 キースは目的地にたどりつくと、古臭い汚れたドアを引いた。開きざま、出てこようとする男とぶつかり、相手はぎょっとして身をすくめた。


「ああ。どうも……」


 カウンターに立って客と話していた、頭の禿げあがった店主が気づいて愛想笑いをした。


「あいつは、空いているか?」


 いきなりのキースの言葉に、店主は少し肩をすくめてみせた。


「ええ、上にいますよ。呼びましょうか?」

「いや、いい」


 キースは答えて、カウンター裏に位置する階段へ向かおうと人がごったがえしている通路へと進んだ。

 とたん、野太くて黄色い声があがる。


「あら、キース様!」


 そばで客と話していた彼女が、こっちに来る。

 この女、髪は長く伸ばして束ね、かなり露出のはげしいワンピースを着ているものの、あごはうっすらと青く、脚などは筋張っているしで、女性という外見からは程遠い。まあまあ上手に化粧をしてはいるが、本国以外では女装趣味のただの親父にしか見えないだろう。


「最近、めったに来てくださらないんだもの。店のものみんなで、淋しがってたんですよ」


 のどぼとけの出た頸をつきだしてそう言うと、彼女はキースの腕を取って自分のとからませた。

 以前にも数回会った気がするが、名前が出てこない。


「お忘れですか? あたし、キャロルです」


 吐息の濃い声でキャロルは見上げた。つくりものの胸がいまにもはだけそうだ。


「キャロル! 俺をほっぽって、何そんなやつとイチャついてる。こっちこい!」


 へべれけに酔ったいかにも鉱夫といった男が呼びかけた。


「まっ、馬鹿男! あんたこの人がだれか分ってないのね! すみません、あの人酔ってて……」

「いや……」

「キャロル!」

「うるさいね! あんたはひっこんでな!」


 いきなりドスをきかせたバスで、キャロルは怒鳴る。


「ねえ、キース様、そろそろあたしを買ってくれません?」


 かと思うと、今度はうってかわってしおらしいバリトンでキャロルは乞う。


「そう、そろそろシアンだけじゃ物足りなくなってくるころじゃございませんこと? たまには毛色の違うものを試してみるのもいいんじゃありません?」

「そりゃ、シアン姐さんに比べりゃ、あたしたちは雲泥の差ですけれども……」


 気がつくといつの間にか数人にキースは囲まれていた。

 まわりにむせかえる、きつい香水が混ざったにおい。

 みな、着飾ってはいるが、一人の例外もなくキャロルと似た容姿をしていた。


「ね、ぜひキース様、私と」

「いえ、私と、キース様」


 どうやら、さらに数が増えた気がする。押し付けられる身体の密着度も増す。

 その時上方から、声がかかった。


「おい、なにオレの男、とってんだよ」


 キースが見上げた先には、一人の人物がこっちを見下ろしていた。

 男装の麗人の歌劇団から生まれ落ちたような顔立ち。明らかにまわりにいる彼女らとは異なる細くやわらかな体の線。

 この黒い目と髪を持つ、シアン=メイはパラダイス界隈一のエトワールである。

 階段の手すりにもたれかかり、シアンは微笑した。


「はやく上がってこいよ、キース」


 他の者たちがドレスなどを着込み精一杯女らしく見せようと努力しているのに対して、シアンはタキシードを着込んでいる。それにノーメイクだ。

 それなのに彼は並みの女性より女性らしく美しかった。


「ずるいわよシアン。独り占めなんて」

「たまには、こっちにまわしなさいよ」


 キースの周りの彼女たちは文句を垂れ始めた。


「悪いね、こいつはオレの専属なんで」


 シアンは男っぽい口調でそういうと悪びれず笑った。


「シアン、おれたちの相手もしてくれよ!」


 客の中から叫ぶ男がいた。


「金さえありゃ、相手してやるよ! 頑張って、貯めな!」


 シアンも叫び返す。

 シアンの声は空気にひびくように溶ける。

 アルトに近い不思議な範囲の高さ。

 どれもこれも花形になった理由の要素。

 キースが階段を上り始めると、彼女たちはあきらめたのか一斉にばらばらと散り始めた。


「馬鹿ね。あんたみたいなの、シアン姐さんが相手するわけないでしょ」

「なにい、そっちこそ、あのお上がお前の相手するかってんだよ」

「なんですって!」

「怒んなよ」


 シアンとキースの二人が二階の部屋に消えると、酒場は再びどやどやとにぎわいはじめる。


「いいよなあ、高級官僚は。相手も高級だしよ。ああ、あやかりてえ」

「あの男前の兄ちゃん、まだ若いんだろ? なんであの年でシアンが買えんだよお」

「あほか、お前。あいつはキルケゴールの下で働いてる兄ちゃんだろうが」

「それにしても……あの二人妙にぴったりだから、私たちが入り込むすきがないのよね……」



 **********



「これで静かにできるな」


 シアンは言って部屋のドアを閉めた。防音性の扉は一切の音を妨げてくれる。


「お前、こんな店さっさと出てけよ。もっといい店あるだろ」

「ああ、それも考えたけど。マスターが結構いい人だからさ。……それにマスターに泣きつかれんの想像したら気分悪くなりそうだしね」


 隣に小さなシャワールームが備え付けられた寝室の窓辺に行って、シアンはブラインドをしめる。


「だとしたら改装しろ。汚すぎるし、古すぎる」

「それはいえてるな」


 シアンは年季の入ったベッドの端に腰かけた。それだけでスプリングの軋む音がたつ。


「お前、キャロルと寝てやったら? あいつ、お前のことけっこう本気だよ」

「……やめろ」


 かすかにシアンは笑った。


「お前、最近暇なのか?」


 ああ、とシアンは答え、足を組むと煙草を取り出してくわえた。


「近頃、演説が多いだろ? お得意さんたち皆、そっちに引っ張られて来るヒマがないらしいんだよ。ったく訴えようかな、さっぱりなんだよ」


 火を点けてシアンは煙草の箱をキースにつきだす。キースは一本取ると、傍らの椅子に座った。


 シアン=メイとカイル=キースは寄宿舎時代からの親友である。

 研究所から生まれ落ちた赤ん坊は政府の監視下のもと、乳児院で育てられる。

 それから五歳になると、IQ別に分かれそれぞれのドミトリーに入れられる。ドミトリーでは教育、食事、その他いろいろの面倒を全てみる。

 キースたちのドミトリーは二人一部屋であり、二人は同部屋で最初からシアンがここに来るまで常に一緒だった。


「商売あがったりだね」


 シアンは一息つくとこっちを見た。


「おまえ堅っ苦しいなあ。その服脱げよ。そういう服見たら、こっちまで気詰まるんだよ」

「悪いが、脱いだら少し困ったことが起こる」


 キースはさらりと言った。


「は? 何?」

「脱ぐと、自動的に盗聴器が作動してルーイのところへ送られ記録される。それで、翌日閣下がこれをネタに笑う」

「げっ、まじかよ。あのおっさん最悪なのな」


 シアンは露骨に顔をしかめる。


「……嘘だ」


 数秒後、少し笑ってキースは訂正した。

 しばらく絶句したあと、シアンはあわてて咳払いする。


「つまんない冗談はやめろよ。めったに言わないくせに」

「だがそんな話をしたことがあったのは事実だ」

「……やっぱ最悪だな」


 シアンは小さくため息をついた後、こっちを笑いを含んだ顔で見た。


「まあ、いい。ここへ来てすることといったら、ただひとつ……と、言いたいところだけど」


 シアンは肩をすくめる。


「悪いけど、生憎ドラッグは切れててさ。残念だったな」

「何……?」

「だから、お得意様が来ないって言っただろ、さっき」


 シアンは苦笑した。


「で、カラなわけ」


 ひらひらと手のひらを振る。


「怒んなよ。しょうがないだろ?」


 彼等の遺伝子の特徴のひとつに、麻薬に溺れにくいという特性があった。

 禁断症状がまず出ない。ついでに効きにくい。

 ゼルダでは、ドラッグは禁止されてはいるが、他国に比べると刑はかなり軽い。

 シアンとキースは、そんな中であまり感心しない麻薬常習者ジャンキーであった。これは学生時代から続いている。


「グラスならあるけど。やる?」

「いい」


 煙草をくわえてキースは火を点ける。


「いつも思うが、お前の入手法は? 一体どんなルートでやってくるんだ?」

「さあ、そりゃ、企業秘密ってやつでね」


 シアンは笑って脚を組み直した。長すぎる細い脚が生地のこすれた音をたてる。


「少しヒントやるよ。……流れ鉱夫」

「グレートルイス?」

「ああ、もう言わない」


 シアンは天井を仰いで額の髪をかきあげた。細くてすらりとした首の白さが目立った。


「それよりお前酒臭いけど。かなり飲んできたのか?」

「ああ、パーティーに出席した」

「へえ、なんの」

「三国の親睦を深めるという名目だ」

「そんな大事な集会なら新聞に載ってるはずだろ。名目じゃなく中身はなんなんだよ」


 政情や上流階級に詳しいシアンなら、そんな話があろうものなら自らも飛び出ようとするはずだった。

 キースは今夜のカクテルパーティーのことを吐露した。

 目を見開きながら聞き入っていたシアンだったが、キースが話し終わると呆れた声でもらした。


「バカだな、お前。いや、ホント、バカ」


 シアンは身を乗り出して続ける。


「本物の女とやれるチャンスなんて、そうそうないんだぜえ? 何、もったいないことしてんだよ。こりゃ、あのおっさんのいうとおりだな。外務局に入ったかいないじゃねぇか」


 マシンガントークは続く。


「だいたい、お前はな、ゼルダ人のくせにワガママなんだよ。タダでもいいって、キャロルたちが言ってるのに無視するしよ」

「馬鹿いうな」

「でもキャロルの方が、実は女的な細胞が強いんだぜ、オレより」

「本当か」


 素直にキースは驚いた。


「ああ、ありゃ、オペとかホルモン治療何回かすりゃ、もしかして妊娠もできるんじゃねぇか? だから金必死で貯めてる。……だからって、うらやましいとかじゃねぇけど」


 シアンはふかり、と煙を吐き出す。


「男っぽい細胞の方が、外見はいいって例はあるね。クラリスだって、たしかそうだったぜ。お前も世話になったろ」


 にやりと笑ってシアンはキースを見た。


「あの人はもうダメだね。トシでさあ。お前、いまのうちにさあ、もう一回ぐらいあの人と会っておいたらどお?」


 クラリスとは、十年くらい前にこのパラダイスの華だった人物だ。

 細身の身体にこちらを突き刺すように見る鋭い切れ上がった目の持ち主で、彼女に溺れた男は数知れず。

 高級官僚、はたまた当時のグレートルイス大統領の相手をしたという超売れっ子だった。

 もちろんキルケゴールのお気に入りだった。

 だが彼女はもう伝説になりつつある。


「お前が寝たなんて彼女くらいじゃねえか? 可哀想になあ」


 シアンは煙を美味そうに吸う。


「じゃあそろそろオレがここのトップになるってぇ、おっさんの予言当たるかもな」

「何だそれは」

「……オレが初仕事のとき、おっさんが言い残してったんだよ」


 ぼんやり呟いて、シアンはハッとしたように我にかえった。


「そうといや、忘れてたぜ。あのオヤジ、許さねえ」

「またか」


 うんざりしてキースは息を吐いた。


「そろそろ諦めろよ」

「いやだね、あのおっさんは恐れ多くもこのオレの初物をとりやがったんだ。しかも変装までして身分を隠してな。あの値じゃ、ちと足りないぜ」


 ぶちぶちとシアンは恨み節を続ける。


「承知したくせして何を言う。あの人を選んだんだろうが」

「だから正体がわからなかったんだよ。分かってたらもっと……ちくしょう、もっとふんだくるんだった」


 シアンは乱暴に煙草を灰皿に押し付けて火を消した。


「まさかてめえの上官なんてよ、あーあ、だまされた」


 彼が十八でここに来たとき、初めての相手は変装してきたキルケゴールだった。

 ここの決まりで、最初の相手はシアンが選べることになっているのだが、シアンはそのとき、お忍びできたキルケゴールを選んだ。キルケゴールはもともとシアン目当てで来たらしい。

 その時の料金は、シアンの言うところ、失礼にも程があるという情けない額だったらしく、今の彼の料金とは途方もない差だった。

 何しろ、彼は今、上級ランクに入っている。ここに入ってから一年足らずで急速に登りつめたあとは、着々とトップの座に迫りつつある。


「あのおっさんのありゃ、病気だな。もう、治らねぇな。今ならまだ許せる程度だけど、五年後くらいだったらヤダね。ただの女狂いのハゲ親父と化してるだろうな。それにしても、ゼルダ人だしよ、もう結構なトシだぜ? 元気だよなあ、今日のパーティーといい。おっさんがいつも行ってんだろ?……ああ、折角なら今日のパーティーに、オレも呼んでくれりゃよかったのによ」


 キースはシアンを見た。


「行って何する気だ、お前」

「もちろん、そのまま。各国の高級官僚や、財閥のオジサマが来てたんだろ? 世界的デビューするところだったのによ」


 キースが黙ったので、シアンは探るようにキースを見て微笑んだ。


「軽蔑した?」

「……いや」


 キースは煙を吸い、シアンから目をそらす。


「で、お前は欲求不満じゃないのかよ、据え膳食い損ねてよ」


 シアンはニヤニヤ笑う。


「最近、クラリス姐さんにも会ってないだろうし。よけりゃ、オレが相手してやろうか。親友だからって気にすることないんだぜぇ。オレのお仕事だよ、お仕事」

「アホか」


 キースは冷めた顔で返す。


「お前、 割とクソ真面目なんだよなあ。妙にあのおっさんにも律義だし。ルックスは軽いんだけどなあ」


 シアンは、まじまじとキースを見つめた。

 キースは生まれつき、非常に整った顔立ちをしている。若さと顔つきのせいで、年配者からは軽く見られがちである。

 本人もそのへんを考えてるのか、髪型など努力してはいるらしいが、効果は皆無であった。

 だが、キルケゴールとシアンのいうところ、キースはガチガチの堅物で外見とはギャップがあり、喰えたものではないらしい。

 どうしてこんな男がキルケゴールのそばにいるのか分からない。


「でもよ、まわりの奴らからはオレらはそういう関係ってみられてるけど、それはいいのかね? ……まあ、中で何してるかは知らないからな。外務局長補佐官のキース=カイル氏はジャンキーでしたってか。こりゃ、スクープだな」


 シアンは小さく笑い声をたてる。


「……あ、と、そういえばよ、お前これ知ってるよな?」


 かと思うと何かを思い出したのか、シアンはいきなり真顔に戻った。


「前の演説で、フォークナーのおっさん、国を解放するって説いてたぜ」


 キースは頷く。かなりの過激発言をしたもんだ。


「向こうの国と自由に行き来できて、お前ら外務局並に向こうの女と好き放題ってわけだな。皆熱心に聞いてたぜ」

「別に外務局は……」

「何言ってんだよ。お前らのとこの競争率高いのは皆それ目当てに決まってんじゃん。なにしろあっちこっち出入りできて、あまり干渉うけないもんな。お前らのボスが率先してやってるし。お前もね、折角だから楽しむべきだとオレは思うよ。そうでなきゃ、お前の代わりに外務局落とされた人々に申しわけたたないだろ?」


 シアンはキースに説くと


「ま、フォークナーのおっさんの言葉は実現しないだろうと思うけど、反対だね。そりゃ、避妊さえすりゃ法には触れないだろうけどさ、そんなことなったらオレら仕事成り立たねーじゃん。それにしても思いきったこと言うよな。皆、顔輝かせちゃって、輝かせちゃって」


 シアンは大袈裟にため息をついてから


「オレはトニオの方が好きだね。言うこた堅いが、熱血漢でちゃんとしてくれそうだし。フォークナーのおっさんもいいけど、やっぱトニオの方が若いしよ、人望あるしな。過去もキレイにまっさらで汚れてないし」


 と、煙草の二本目をくわえる。

 フォークナーは過去に一度、汚職で政界を追われている。


「今んとこまだ、トニオの方が優勢かな」

「まあな、政界も軍部もあいつの味方だしな」


 トニオは軍に顔がきく。分裂したにしろ、まだ右翼派の方が中心には多い。


「でもさ、亡命者は射殺ってやつ。あの悪法だけは改正して欲しいね」


 シアンは顔をしかめる。


「外にあこがれんのは健康だよ……閉じ込めることの方が不健康なんだ」


 現在、国境には厳重な警備がしかれているが、亡命者が出た場合、ただちにその場で射殺される。年間、亡命を図り死亡した数は百は超える。


「これじゃ国民の不満はどうにもならねーな。テロだって、増えるだろ」

「現に最近著しくて困る」


 キースは煙草の火を消した。


「つい一週間前だったか、トニオ氏の暗殺未遂があったところだ」

「げ、本当かよ。そんなの知らねーぞ」

「報道されてないだけだ。政界にも知らんやつがほとんどだろう。ウチの者が調べたことだからな」


 外務局専属の情報機関だ。連邦調査局をしのぐほどだ。


「フォークナー氏の手の者か、それは分からんが」

「なんだよ、なんだよ。怖いじゃねーか。内乱なんてやだぜ。もしもの場合、お前のつてで、オレは外に逃げるからな。……あ、もしかして近ごろここに来なかったのはそれか? え、ちょっとまてよ。じゃ、お前こんなところにのこのこ出てきていいのか? 危険じゃねぇの?」


 今更のようにシアンは気付いた。


「おいおい、お前大丈夫かよ」

「まあな、これからはそう来られないだろうが」

「これが最後に会ったことになるなんて、やめろよな。冗談じゃねえ」


 シアンの言葉にキースは笑った。


「いや、マジで」

「そう簡単に死ぬかよ。……まだトニオ氏とフォークナー氏の争いには巻き込まれない。しばらくは。……閣下が巻かれなきゃいいんだが」

「あのおっさんなら、まあ、大丈夫かね」

「それより街中で一般人に刺される方がまだ怖い」

「お前、何かと目立つからねー」


 シアンは目を細めておかしそうにキースを眺める。


「じゃ、そんときは変装して来いよ、おっさんに手ほどき受けてよ」


 二人は思い出して軽く笑いあった。キルケゴールは以前鉱夫に化けてここに来たのだ。


「ああ、そういえば明日、グレートルイスに飛ぶ。二日あまりな」

「何?」

「いつもどおり、急な出張で。……環境部の希望だったか、閣下の代役だ。ルーイとな」

「ルーイか。あのかわいい坊や」


 シアンは口の端を上げる。


「今度来るときゃ、ルーイ連れてこいよ。オレの相手にどうだ?」

「やめとけ。ルーイはそんな人種じゃない」


 キースは苦笑して、首を振った。徹底的な寮生活が創り出した、この世界とは無縁の人格者。清純で善良。それがルーイだ。


「バカ、だからいいんじゃねぇかよ」

「……」


 キースはもう応えようとせず、椅子に身を預けて宙を見た。

 シアンもそんなキースを気にせず、ベッドから立ち上がり、戸棚から酒瓶とグラスを両手に戻ってくる。


「クアン」


 疲れたように目を閉じていたキースが、突然言った。


「は?」


 シアンは顔をしかめる。


「なんか言ったか?」

「……クアン。女って意味らしい。何語か知らんが。オレの育て親の爺さんがよく口にしてたんだ」


 キースは目を閉じたまま、つぶやく。

 乳児院にいるときは、何人かに一人の担当でファザーと呼ばれる保育士がつく。


「響きが柔らかいだろ、音の質が」

「オレの名前と似てる気がするけど」


 シアンは真面目にクアン、とつぶやいて言う。


「まあ、で、それがどうしたんだよ」

「ガキのころ、この言葉に惹かれて女ってのがどんなものか想像してた。……今、思い出した。ただ単に柔らかいものだって思い込んで、猫に人間の顔がついたやつを考えてた」

「……かわいいじゃねぇか。少年時代のバカ話ってやつだな」


 キースの言葉にしばらく考えこんで、シアンは感想を述べた。


「だから初めて女性を見る前、その猫しか思い浮かばなかった。……でも見たとき、失望も感じなかったし、驚きもしなかった。ああ、やっぱりそんな感じだった、と思った」


 キースは目を開き、再び宙を見る。


「何かわかんないけど、お前、ヘンだよ。重症じゃねぇ?」


 シアンはグラスに琥珀の酒を注ぎながら


「世にも美しい生き物を人面猫といっしょにするたあ、女性たちに失礼だぜ。いや、お前の感性つーか見方は自由だけどさあ」


 キースに酒を注ぎ終えたグラスを渡す。


「……何だろうな。この言葉を聞くと不思議な感じになる

「……誰しもが経験する異性への憧れじゃねえの。この国じゃキケン思想ってされてるもんだよ」


 シアンはどかっとベッドに腰をおろし、そのまま寝そべる。肘をつき、片手でグラスを口に運んだ。


「……おかしいと思うか」

「ちょっとね。……で、その言葉を教えた爺さんはどうしてる?」

「死んだ。再生は、もう生まれたらしいが」

「そうか」


 キースはグラスの中の氷を見つめた。


「何故か分からないが、おかしな感じだ。何かおこりそうな気がする。……分からないが、明日の仕事で起こるかもしれない」

「第六感っていうっけ、それ。……当たんねぇよ、気にすんな。ま、せいぜいグレートルイスの女と遊んでこい」




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