張り込み

 翌日の朝、相棒のテオにエバンズは起きるなり電話して、昨晩のことを話してみた。

 そうか、と気乗りしない返事のテオだったが、一応、自転車の紛失届を見てみることと、少年の言った言葉について上司に報告はしておいてやる、とは言ってくれた。

 まあ相手にされないと思うけどな、のテオの一言にそうだろうな、とエバンズは答える。

『でも、お前、停職中にこそこそしてたら、まずいんじゃないのか』

 僕もそう思う、と心の中で頷いてエバンズは電話を切った。


 あの少年は、誰のことを言っていたのだろう。

 ロザリーのことではなかったのかもしれない。

 でももし、少年がロザリーのことを少しでも知っているならエバンズは聞きたいと思った。

 彼女と少年の関係がどんなであっても、彼女の死に少年が関わっていなかったとしても。

 生前の彼女の様子を知りたかった。

 それが、彼女を悼むうえで最低限必要なことではないかと思った。





 それから一刻のち、エバンズは名門校であるハイスクール、セブール校の校門前で立っていた。

 正体がばれては困るので、私服姿でである。

 部屋着のような恰好をした男が、ぬぼっと立っている光景に登校する少年たちは冷たい一瞥をよこしながら通り過ぎて行った。

 あの少年を探すつもりだった。

 たぶん、顔は見たら思い出すと思う。


「巡査?」


 登校中の集団から声がし、眼鏡をかけたダニエルが近づいてきた。


「どうしたんです? 僕を探してたんですか?」


 いや、ちがうよ。

 ダニエルに首を振り、ベアーから聞いたと思うけど、ホームレスをリンチした少年たちに一言注意したくて、とエバンズは返した。

 ある少年がロザリーの件に関与しているかもしれないということは、ダニエルに話さない方がいい、とベアーと相談した。ダニエルに余計な心配をかけることになるかもしれないからだ。


「そうですか。僕もどいつがそんなことしたのか、調べておきますね。自転車の件のやつも」


 気の毒そうにダニエルは言って、校門に入って行った。


 ダニエルは、イマイチな分類に入るんだな。


 彼の後姿を見ながら、エバンズは思った。

 服装、髪型、制服の着崩し方、そして漂うオーラ。

 校門に入っていく少年たちを観察して、エバンズはなんとなくわかってきた。

 この世界で、イケてるグループに属する少年と、イケてないグループに属する少年の違いが。

 ダニエルはどちらかというと、イケてないグループ寄りの少年だと思った。


 自分がハイスクールにいたときもそんな感じに確かに分かれていた。

 自分はもちろん、ダニエルと同じイケてない方だった。

 エバンズの通っていたハイスクールはセブール校のようなお高い学校ではなかったけど、学生の中には貴族の姓を持つ者もいた。

 そういう貴族出身の者は、集まってグループをつくり、周りの者とは一線を画していた。

 グループには他にもスポーツマン、理系、文系、アーティストといったグループが存在し、『それ以外』のグループというのもあった。

 エバンズは『それ以外』のグループだったと思う。

 あのころ、大人になってもこのグループ分けのまま、世界は続いて行くんだと思っていた。

 でもそんなことはなかった。

 ハイスクール時代にヒーローだったラグビー部の花形は、さっさと結婚して実家の花屋を継いでいるし、暗くて写真ばっかり撮っていた少年は、今や芸術の都フェルナンドで名を上げつつある若手の映画監督だ。

 人生は分からない、と思う。

 学校を出てからの人生が本番で、それまでの地位などどうでもいいことになってしまう。

 それは、とても悲しいことでもあるな、とエバンズはベアーを思い浮かべた。

 ベアーはどんなハイスクール時代を過ごしたんだろう。

 やっぱり、イケてるグループだったんだろうな。成績もよくて、女の子たちからモテて。

 それがいまや、あんな生活を送ることになってしまうなんて。悔しいだろうな。


 始業のベルが鳴り、最後だと思われる遅刻者の少年一人を見送った後、エバンズは校門から離れた。

 記憶の少年には会えなかった。

 また夕方、帰宅する少年たちの顔を見よう、とエバンズは朝食がわりにカフェへと向かった。


 *****


 カフェのオープンテラス席に座ろうと席を選んでいたエバンズは、ある席の女性客から声をかけられた。


「巡査! どうしたの?」


 見ると、その席に座っていたのはサラだった。

 サラの見違えるような姿にエバンズは目を見張った。

 サラはオートクチュールの見本のようなワンピースとブーツ姿、顔周りを毛皮で覆ったコートを羽織っていて、モデルのように美しかった。

 隣に座っているのは、70を過ぎているであろうご老人で、訝しげにエバンズの方を見ていた。

 こっちを見ていたサラは、隣の老人に何かささやいて額にキスすると、エバンズのところへ歩いてきた。


「おはよう、巡査。ランニングの最中とか? だよね、その格好」


 がん、とエバンズはショックを受けた。

 そんな格好にしか見えないのか。やはり、この服装はまずかったか。


 はい、と頷きながらエバンズは心の中でうなだれた。


「いつも、制服姿だから最初分からなかったよ。私服姿、新鮮でいいね。若く見えるよ」


 サラの言葉に、


「あなたも、とても素敵です」


 とエバンズはサラの服を見ながら返した。

 ふふ、とサラは笑い、エバンズの耳元に顔を寄せた。


「昨日、ブーツ買ってもらっちゃった。この服も、みんな。……あたし、最近おじいちゃん専門にやってんの。やさしくて、お金持ちのおじいちゃんが多くてさあ、朝ごはんまでいただいちゃってんだ。……仕事もラクだし、いいよ」


 再び、がん、というショックにエバンズは打ち震えた。

 彼女にブーツをプレゼントしようかな、と考えていた矢先だった。

 ……早くすればよかった。


 じゃあね、と手を振って老人のもとへと戻り、席について彼と会話を始めるサラにエバンズは切なさを覚えた。

 あんな、ご老人と。


 ベッドで老人の相手をするサラの姿が頭の中に浮かび、エバンズは息苦しくなった。

 かすかな怒りが胸にわきおこり、エバンズは彼女らのそばにいたくなくて、カフェから出た。

 そのまま家まで走って帰った。

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