写真

 は、とエバンズは目覚めた。あわてて、身体を起こすとダイニングの中はうす暗かった。

 壁の時計を見ると5時。

 何時間寝ていたのだろう。

 今までダイニングテーブルに突っ伏していた頬に手をやり、垂れていたよだれを拭う。


 あ。ああ……、しまった……。


 まだぼんやりする頭で、エバンズは額に手をやりため息をついた。


 昼食にワインが入っていたらしい。

 自分はあり得ないほど酒に弱い。洋酒入りのチョコを食べただけでフラフラになる。


 キッチンで、トマト缶を探し出したベアーが煮込み料理を作り出し、馳走してくれたのは覚えている。

この間、姉夫婦と子供たちとこの家で感謝祭をしたときに、義理の兄が飲んでいたワインが残った。冷蔵庫にあったそれをベアーが煮込み料理に加えたのだろう。


 ベアーは。


 エバンズはそろそろと、椅子から立ち上がった。

 まさか、金目のものをとって逃げたんじゃないだろうな。

 だとしたら、警官として屈辱的であるほど恥ずかしい。

 警戒心が無かったな。

 彼の穏やかな立ち振る舞いと、出された食事がとんでもなく美味だったのでつい気が緩んでしまった。


 まだアルコールが抜けきらない頭でエバンズは二階の自室へと階段を上る。

 制服のままだった。はやく、よれよれのセーターとだぼだぼの綿のズボンに着替えよう。

 階段をのぼりきったエバンズは、自室のドアが開きっぱなしなのに気づいた。


 硬直する。


 まさか。

 そうであってほしくない、と祈りながらエバンズは部屋に飛び込んだ。


 あ、ああ……。


 部屋の中央にベアーが乾いた洗濯物を抱えて立ちつくしていた。


「こ、これはですね、その……!」


 あせって声を出したエバンズに、ぼんやりと壁の写真群に見入っていたベアーが振り返った。


「ああ、すみません、エバンズさん。いきなり、眠ってしまわれたものですから。とりあえず、洗い物とキッチンの掃除をしていたのですが、それでもお目覚めになられなくて。干してあった洗濯物をとりこんだところです」

「帰ってくださってよろしかったのに!……あ、いえ、どうもそれはありがとうございました」


 エバンズはベアーから洗濯物の山を受け取る。

 部屋の壁四面と天井に貼られた大きな拡大写真群が、部屋の中央に無言で立つ二人をしばらく見守った。


「こ、こ、この写真はですね」

「先程話に聞きました彼女ですね」


 背の高いベアーがエバンズを微笑んで見下ろした。

 かあ、とエバンズの頭に血が上る。

酔っぱらって、彼に彼女のことを洗いざらい話してしまったのか。


「べべべ、べ、別にいいじゃないですか!」


 真っ赤な顔でエバンズは叫んだ。


「え、ええそうですよ! ぼ、僕はイタい男ですよ! ざ、雑誌の小さな写真に写っていた彼女にひ、ひ一目惚れして、追っかけましたよ! か、彼女はゼルダ人だから情報を得られないし、あ、あきらめてたら、カ、カチューシャ市国の新聞にいい、い、いきなり彼女が現れて……。な、何枚か切り抜きましたよ!」


 天井に貼ってあるうちのひとつはカチューシャ市国の新聞だ。あの国の国事、前夜祭で彼女は幸運の十人に選ばれた。

 一面アップで写っている彼女の笑顔が最高に可愛くて、隣の邪魔なキエスタ人のモデルの男を切り取って天井に貼った。


「し、し、調べたら……か、彼女、こ、この国に移住する予定だということが分かって。で、でも、どど、どこに住むのか分からないし。そ、そうしたら、シェシェ、シェリルシティへ家族旅行に行った姉の写真に、か、彼女が写っていて……」


 壁に貼ってあるうちの一番大きく拡大した写真が、その写真だ。

 カチューシャ教の礼拝服を白くした衣装に身を包んだ彼女は、姉の子供二人の肩を抱き、中央でにっこりと笑顔を向けている。女神レベルの可愛さと美しさだった。


「ううう、う、運命かと思いましたよ!こ、ここ、これは僕と彼女はなんか縁があるんじゃないかって……。す、すぐさま、シェリルシティに飛びましたよ!」


 結果は惨敗だった。

 いや、正確には彼女に近づくことすらままならなかった。

 カジノを楽しんでいる彼女を発見したのはいいが、話しかける決心がつかずぐずぐずしているうちにオイルダラーの若いキエスタ人の青年に彼女をかっさらわれた。

 未練がましく、彼らのあとをつけたエバンズだったが、次には身も凍るほどびびった。

 彼女に近づいたオイルダラーのキエスタ人を、あきらかに堅気ではないスーツを着用したキエスタ人の男が脅す風景を目撃したからだ。ベアーくらいの大男だった。


「エバンズさん」

「か、彼女はシャチの情婦でしたよ! な、何もできずに、に、にに、逃げ帰ってきましたよ! ……わ、悪いですか。あ、あきらめきれずに写真を持ち続けて……。い、いいじゃないですか! ファファ、ファンでいるぐらい! だだだだって、彼女は信じられないほどか、可愛い……!」


 ベッドの枕の下にある、彼女の顔を切り貼りした雑誌の存在はベアーに気付かれていないことを願う。


「エバンズさん。……僕がさっきあなたから聞いたお話は、バッヂの裏に挟んである写真は家族ではなく、かわいいモデルの女性だ、ということだけですが」


 ベアーののぼせ上がった頭に、ようやくベアーのためらいがちな言葉が届いた。


「あ……そ、それだけ?」

「はい、それだけです」


 へなへな、とエバンズはベッドに腰を下ろした。


「そ、そうですか」

「はい」


 エバンズは手で顔を覆った。


 恥ずかしい。自分で吐露してしまった。

 酒に酔って、べらべらと自分がまだ女性とつきあった経験がないということまで暴露してしまったのかと思っていた。


「……わかります」


 目を閉じたままのエバンズに、ベアーが声をかける。


「あなたに何がわかるんですか」


 つい、攻撃的な言葉を吐いてしまう。派手に女性と遊んでいた過去を持っているあなたが。


「私も、パスケースに女性の裸体写真を持ち歩いていました」


 エバンズは手から顔を離し、ベアーを見上げた。


「裸体写真? 職場にも?」

「はい」


 ベアーは頷く。


「ばれませんでした」


 それは。

 勇気あるな。


 エバンズは目前の男の神経の図太さに少々、感心した。


「この世のものとは思えないほどの美女だったんです。子供の頃から、片時も離したくなくて」

「そ、そうですか」


 エバンズは相槌をうち、頭に手をやって掻いた。


「あー……し、下で、コ、コーヒーでも飲みます?」

「はい」


 エバンズの問いかけに、ベアーは微笑んで答えた。






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