第61話 終幕
空が、群青から薄紫にだんだんと移りゆく明け方、カール修道士は急ぎ足でケダン教会へ行きつく丘を上っていた。
朝には終わってよかった。
ソビヤンコとドミニクへの別れができなくなるところだった。
息があがっている。
カールは舌打ちをしてローブがまとわりつく足を先へと運んだ。
まったく、この歳で徹夜仕事なんて勘弁してくれ。
少し仮眠したいがそれは無理だろうな、とカールは考えながら、足元から視線を上にあげた。
暗い青で立ちはだかるケダン山脈がその姿を徐々に現し始めていた。
そういえば、明け方の山脈を見るのはこれが初めてかもしれない。
しばし見とれてから、カールは歩みを急ぐ。
教会の入り口に来たとき、カールは眉をひそめた。
教会のドアが開け放たれていた。
いくら盗るようなものなど何もない教会であっても、あまりにも不用心ではないか。
ナシェが送別会に疲れて、うっかり閉め忘れたのか。
ドアの近くまで来たカールは中を見て目を見開いた。
廊下に残る、おびただしい数の泥で汚れた、足跡。
不安に胸が早鐘を打ち始めた。
カールは中に入ると修道士たちの自室に、急ぎ足で向かう。
「パウル!」
一番手前の彼の部屋を開けると、彼はいなかった。
今まさに着替えようとしていたのか、寝台上に寝間着が投げ出されていた。
「キャンデロロ!」
隣の部屋を開けるが空だったのは同じだった。
その隣の部屋をカールは開ける。
「ドミニク!」
「……カール様ですか?」
一瞬の間の後、声だけが聞こえた。
「どこにいるのかね」
「ここです」
声がして、しばらくしてから寝台の下のドミニクが姿を現した。
「ドミニク!」
カールはかけよって彼を引っ張り出す。
「……彼らが、来たのです。私は、ずっとここに」
ドミニクがおびえた様子でカールの肩をつかんだ。
「他の者はどうした」
「わかりません。……銃声が一度聞こえました」
震える声でドミニクは答える。
カールはドミニクを立たせ、支えると部屋を出た。
他の修道士の部屋も皆同様に空だった。
厨房の前を通り過ぎると納戸が開け放たれ、中の食材がひっかきまわされているのが見えた。
何か食べたような跡もある。
「皆はどこに行ったのでしょう」
ドミニクがまだ震える声で言った。
礼拝堂の中に入った時、違和感に二人は立ちつくした。
聖ギール象が倒され、燭台も破壊されていた。
床に目をやったドミニクが何かに気づいた。
そして、絶叫した。
言葉にならない声を上げながら彼はその場に座り込む。
カールもドミニクの視線の先を見て、力が抜けて倒れそうになるのを壁につかまって支えた。
床の血だまりの中に倒れているのは、パウルだった。
彼の血を踏んだのであろう足跡が無数に礼拝堂の床に散らばっていた。
「パウル」
力なく、カールはパウルのもとへと近づく。
額に銃痕がある様子から、一瞬で命を奪われたことは分った。
彼のそばに膝まずき、カールは見開いたままの彼の目を閉じさせた。
滑らかな色素の濃い肌の彼の顔は目を閉じると幼くなり、カールがここに来たころの彼の寝顔を思い出させた。
こんなに、まだ若かったのか。
いつも冷静で取り乱すことのなかった彼は普段、実際の年齢よりはるかに上に見えた。
だが今こうしてみると、彼はまだ、ほんの若造だ。
彼が15歳のころ、パイプカット術を彼に施した。
術後、グレートルイスへの移民申請をすすめるカールに彼は首を振った。
『わたしはこの国を愛しています。離れたくありません』
そう言って、断った彼が。
この国の者に殺されたのか。
彼のような若者が死んで、私のような老体が生き残ったのか。
こみあげる感情に嗚咽が漏れた時、カールは浮かび上がった考えに表情を固まらせた。
村人は彼らがここに来ることを知っていたのではないだろうか。
その疑問は、そうに違いないのではという確信を帯び始めた。
それほど難産でもなかったのに、自分の足を明け方まで引き止めた村の民。
カールは顔全体を歪ませた。
ここに教会が建って、50年。
布教はできなかったが、村の民とは打ち解け、お互い挨拶を交わし、作物や食べ物を交換し、子供たちの学校を開き、祭日には交流を繰り返すまでになっていた。
だが、彼らが選んだのは。
この自分だけか。
声をもらしてカールは泣いた。
当然か。我々の国は、この国にそれ相応のことをしたのだから。
ドミニクの絶叫と自分の泣き声が、血に染まった礼拝堂の中で響き続けた。
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