中幕 ゼルダ 再び セパ
第43話 父親と娘
眼前に広がるオビ川は白い平原だった。
ゼルダ東部の山脈地帯を水源とし、幾つもの川と合流を繰り返したあとは、首都セパをとうとうと流れ、最後には海に注ぎ込むオビ川。
冬期以外は船が行き交うが、何もかも凍てつく冬は厚い氷に覆われ、その上を人々は交通する。
二週間程前なら、スケートをする子供らや穴を開けて釣りをしていた男を見かけたが今は誰もいない。
氷の平原は太陽光を浴びて所々きらきら光っていた。
ウーは立ち止まったまま、目の前のオビ川の風景を見つめていた。
「ウー。スケートはもう出来ないよ。あったかくなってきたから。いつ氷が解けるか分からないからね」
シアンが後ろから声をかけた。
ウーは返事をせず目の前を見つめている。
すっぽりと頭を覆う毛皮の帽子に、鼻まで覆ったマフラーの下の顔は、きつく唇が噛み締められていた。
動こうとしないウーにしびれを切らしたのか、シアンは歩いてきてウーの隣に立つ。
彼も毛皮のコートに身体を包んでいたが、マフラーをしていないため首をすくめてコートに顔をうずめていた。
「早く帰ろうぜ。止まってると寒い」
言うシアンの唇は血色が悪く、寒がりの彼に同情したくなってくる。
「シアン」
ウーが声を出した。
前を見たままの彼女の瞳は暗くこの国の灰色の空を思わせた。
「あたしはもうこの国から出られないのか」
************
爆破事件が起こって一週間が経ったときだった。
ウーのいた歓楽街のシアンの店に、灰色のコート一色に身を包んだ男たちが来た。
外務局員の一部だとシアンが教えてくれた。
男たちはウーに来て欲しいところがあるといい、外に連れ出そうとした。
それを止めたのはシアンだ。
自分も一緒に行かせろ、と言ったシアンに、男たちは意外にもすぐ了承した。
シアンと二人乗り込んだ車は病院に着いた。
男たちに連れられて入った病院の一室。
その瞬間を今でも覚えている。
ドアを開けるなり、炎のような橙色の髪が目に飛び込んできた。
こっちを向いた顔は、長い紅毛を巻いた美しい女だった。
顔の部位が全て大きめのはっきりした目鼻立ち。
肉感的な唇は彼女の身体をそのまま表しているようで、ワンピースの生地が沿う身体のラインは急激な二つのカーブを描いていた。
この国に来て初めて自分以外の女性に会ったとウーは驚いた。
が、次には彼女の奥のベッド上に座っている黄色の髪の男に目を奪われた。
不自然な色の髪、常人離れした深い青過ぎる瞳の色。
ウーは理解した。
ああ、この男が、と。
「キルはいつも可愛い子を切らさないのね」
一瞬の沈黙を破ったのは紅毛の女だった。あでやかな外見に合う艶のある声をしていた。
だが、こちらを見つめる彼女の琥珀色の目はウーが今まで向けられたことのない感情を秘めていて、ウーは戸惑いを感じた。
俗にいう狼の目。
女狼は、テリトリーに入ってくる侵入者を敵として認識したようだった。
「ヴィクトリア。すまないが」
ベッド上のキルケゴールが声をかけた。
「わかったわ、私は退散しましょう」
ヴィクトリアと呼ばれた女はキルケゴールの髪に指を絡ませ、彼の頬に口づけた。
そしてこっちに向きなおると歩いてきた。
30代半ばだろうか。
彼女は姿勢が良く、実際の彼女の背より大きく見えた。
彼女が横を通り過ぎるとき、自分とはさほど変わらない身長だとウーは気付いて驚く。
自分の5倍はあるかと思う体の曲線に、ウーは故郷の
彼女が部屋を出て行ったあと、動いた空気にのって残り香が鼻腔をくすぐった。
官能的で甘く大輪の花を思わせる匂いだ。
ウーは何かを思い出しかけたが、次のシアンの言葉に我に返った。
「キャラバンの3番か。みんなにあれ、贈ってるんですか?」
ヴィクトリアのつけていたブランドの香水にシアンは苦笑した。
「そうだよ。君は付けてくれないがね」
キルケゴールは微笑み返す。
「いい趣味だと思いますよ。だけど、オレはあんま好きじゃない」
シアンはウーの背中を軽く押して前に歩きすすむ。
シアンのキルケゴールに対する言葉遣いが普段よりも丁寧なのは、後ろに立っている男たちに気を遣ってだろうか。
「わざと鉢合わせ狙ったんですか。悪趣味な。あれが噂のヴィクトリア嬢ですか」
「仕方ないだろう。面会があるからと言ったんだが、出ていこうとしないんだから。東オルガンから、わざわざ飛んできてくれたんだ。そう無下にできないだろう?」
キルケゴールは答えて、シアンの隣のウーに目を移す。
真っ青な二つの目がウーの姿をとらえる。
「あなたに聞きたいことは山ほどありますが。まあ、とりあえず。これがシャン・ウーです」
シアンがウーの肩を抱いた。
あのときの自分は、ただ目の前の男を見つめることしかできなかった。
彼という男がどんな男か知らなかったからだ。
「やあ」
キルケゴールは微笑んで自分に手を伸ばした。
「自分の娘がこんなに可愛いとはね。よろしく、ウー」
隣のシアンが息をのむのが聞こえた。
ウーは息をするのも忘れて、彼の顔をただ見つめていた――。
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