生まれ変わる街。
出席番号1番 朝比奈冬海
出席番号2番 綾瀬みう
◆◆◆
始業一時間半の教室に、朝比奈冬海が、いた。
冬海の朝は早い。
始業15分前に登校するだけで生徒の鑑のごとくもてはやされる我がクラスにおいて、彼女は30分、下手をすると1時間以上前に登校していることもざら、らしい。
理由は聞いたことがない。
なぜって、私、綾瀬みうは始業ギリギリで教室に飛び込むことが常の鑑ではない方の生徒で、そんな早くに登校している彼女と鉢合わせたことなんてなかったからだ。
「あれー!? みうみう! まだベル鳴ってないよー!?」
「別にベルが鳴らなくても登校するよ……。私ってやっぱり、そういうキャラなのかなぁ……。」
案の定、この反応……。でも、今朝だけは違う! 早めに家を出て、誰もいない教室で勉強に励もうと思い、この通り登校しているのですから!
なんならこれを機に早起きキャラに転向しよう! などと多分できもしない誓いを立てながら、私は机についた。冬海はというと、ぼんやり窓の外を眺めている。
「冬海、テスト大丈夫なの?」
「大丈夫ー。私、予習の鬼だから!」
予習とテスト勉強はなんだか違う気もするけど、自信満々なようなのでそれ以上は突っ込まない。突っ込んでいる場合じゃなかった。よそはよそ、うちはうち!
そう、今日は日本史の小テストがあるのです……。それなのに昨日の夜の私は、眠気との禅問答の末、他力本願とばかりに手を合わせて睡眠の浄土に身を任せたのだった。そして今朝、猛烈に後悔した。
ちなみに私の脳内がこんなに仏教ワードで溢れかえっているのは、テスト範囲の中心が鎌倉仏教だからなのだった。覚えの具合は、ものすごく微妙。なんかロックだなって思って親鸞上人には興味が湧いたけど、あとはさっぱり。
そうは言いつつ、比較的、集中力がある方の私は、気づけば教科書に熱中していた……んだけど。踊り念仏って! フェスかよ! と、教科書に突っ込んだタイミングでぷっつり集中力が切れた。
教科書から顔を上げると、冬海はさっきと全く同じ姿勢のまま、窓の外を眺めていた。時間が巻き戻ったような、もしくは全く進んでいないような錯覚を覚える。
「何、そんなに熱心に見てるの……?」
「んー? 太陽だよー。」
一度、冬海の言葉を反芻してから、やっぱりよく分からなくて聞き返す。
「えーと。それはなんでだろう?」
もう少し他の言い回しも考えたけど、そう聞くのが一番早い気がした。少し間があってから、冬海はこちらを振り向いて答えた。
「変かな?」
「…どちらかというと。」
「そっかーー。」
そう言って、冬海はまた窓の外を向いてしまう。答えてくれないのか、と思ったけど、そもそも聞かないほうがいいことだったのかもしれない。
多分私はなんにも悪くないんだけど、ものすごく悪いことをしてしまった気がして、教科書に目を落とした。踊ってる場合じゃないよ、一遍さん。
「好きだからかな。」
突然降ってきた声に飛び上がりそうになる。
冬海の方を見ると、こちらは向いていない。太陽を見つめたまま、私に答えてくれたようだった。
「特に午前中が好き。日の出は最高に好きだなぁ。」
もしかして、と思う。
「……まさかそれで、早く登校してるの…?」
冬海は再びこちらを振り向く。さっきよりも弾んだ声で、
「ここから見る午前中の景色はほんといいんだからー! 私の部屋ね、西側で朝はイマイチなの。」
と、私を促すように目配せした。その笑顔に吸い込まれるように私は立ち上がり、冬海の隣に立った。
「屋上フリークのみうみうなら、このよさわかるでしょ?」
私たちの学校は高台……というより山の上にあって、教室からは街を見下ろすことができる。東の太陽に照らされた街は、生きているみたいに輝いて見えた。
このために毎日、始業一時間以上前に来ようとまでは思わないけど、今日の早起きのご褒美には十分過ぎるほどの光景だった。
「……冬って太陽出るの遅いでしょ? だから好きなの。ここで日の出が、見れるから」
目線はじっと太陽の方に固定したまま、冬海は続ける。
「さすがに4時とか5時とか、学校入れないから。」
入れるなら来てるのか……。という軽い突っ込みを飲み込む。冬海の朝が、とても高尚な何かに思え始めていたから、少しでも失礼になりそうなことは言いたくなかった。
「放課後の街はよく屋上から見てたけど、朝ってこんな感じなんだね。」
変に飾った言葉じゃいけない気がして、私は思ったままを言葉にして冬海に伝えた。
「なんか、ね。生まれてるって、感じがするの。」
丸い形がはっきりとわかる眼の前の太陽ではなく、冬海は一番好きな日の出のオレンジを思い起こしているのだろう。少し、遠い目をしていた。
「太陽が昇る。一日が始まる。その瞬間って、この街全体が、生まれ変わってるんじゃないかなって思う。」
お昼にお弁当でも食べながら突然そう言われたら、私は返答に困って愛想笑いでもしていただろう。でも今、この瞬間に聞くその言葉は、奇妙な熱を持って私の胸をざわつかせた。
「冬は、夜が長くて、朝が短くて、そのうえ始まりが遅い。街はなかなか生まれ変われないんだ。」
すでに生まれ変わった後の街を見下ろしながら、冬海の声に耳を傾ける。
すべてが眠り急ぐ冬。死が近い、冬。
私の耳には、微かに大好きなピアノの曲が鳴っていた。そう、この曲が似合うのが冬。
冬海はくるりと教室の方に向き直り、軽く伸びをした。
もう、太陽観察は終わりらしい。
「さて! 我々も一日を始めるとしましょう!」
教室には、まだ私たちの以外の姿はなかった。微妙に現実感を伴わない冬海の言葉が、空っぽの教室を上滑りしていく。
「明日も一緒に見る?」
「……遠慮しまーす。」
大丈夫。冬海の聖域に踏み込むような真似は、しないから。意味を知らず、私が参加していい儀式ではないから。
私は机に戻り、教科書を開く。小テストという名の聖戦の準備に、再び身を委ねるために。
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