蠢くモノ(2)

 レラとティニーが料理を始めてから、そう時間は掛からずに食事の準備は終わった。


 カンパーニュというフランスの田舎パンとよく似た固いパンと乾燥肉を湯がき塩と手持ちの香辛料で味付けをした即席のスープに、大衆食堂で注文した平焼きしたパン生地で程よく火を通した雄牛の肉と野菜を包んだケバブのような包み料理。


 二人分から三人分になった事で一人一人量は少なくなってしまったが、漸く名無達は落ち着いて食事にありつけることが出来たのだった。




「はぐっ、はぐっ……むぐっ! あむ……うむぅ……!!」




「ふふっ、そんなに急いで食べなくても取ったりしませよ」




「余程お腹が空いていたんだな」




 量が少ないとは言え子供のティニーにしてみればそれなりの量だが、殆ど噛まずに料理を詰め込んでいくのを見る限り名無達よりもずっと早く食べ終わるだろう。それだけ空腹だったという事なのだろうが、料理を詰め込みすぎて喉を詰まらせたりしないか心配になる勢いだ。




「あっ、口の周りが汚れちゃってますよ



「う、ん」




 汚れた口元を拭いてくれているレラの言葉も何のその、ティニーは食べるペースを落とさず目の前にある料理を口に運び続ける。その食欲に身を任せる姿に名無は笑みを溢す。




「それだけだと足りないだろう」




 食事を始める際にレラの隣に座ることを選んだ事から、まだティニーに怖がられていると充分に理解している名無は慎重に慎重を期して自分の分のスープをティニーの前に差し出す。


 まさか名無から殆ど口を付けていないスープを差し出されるとは思っていなかったのだろう、これには名無に怯えていたティニーも困惑や疑いよりも驚きに手を止めた。




「い…………いい、の?」




「ああ」




 それ以上は何も言わず名無は手に持っている包み料理に口を付ける。


 素っ気ない態度に見えはするものの、ぎこちなさは無く何処か重苦しかった空気は無くなっていた。


 これが一時的なものだったとしても、名無とティニーがやっと関わり合いを持つ事が出来た事にレラは口元を綻ばせる。




「ティニーちゃん、これもどうぞ」




 レラもまだ口を付けていない包み料理を空になったティニーの皿の上に置いた。


 二人分あったものの一つをまるまるティニーに分け、もう一つを名無と半分にしたものだがそれもティニーに与えるレラ。




「ティ、ティニーはもうたべたよ」




「そうですけど食べてください、ティニーちゃんは育ち盛りです。それに傷は無くても怪我をしていましたから、少しでも早く元気になるためにもいっぱい食べないといけません」




「で、でも……」




「私の事は心配いりませんよ、元々沢山食べられる方では無いのでスープだけでも充分お腹いっぱいにまりますから」




「ほ、ほんと……?」




 名無だけで無くレラも料理を分けてくれたことに引け目を感じ怖ず怖ずとレラに聞き返すティニー。


 いくら名無達が大丈夫だと言ってはいても三等分した料理を更に減らしてしまえば、その量は食べ盛りの子供で無くても大人の空腹を満たせる量で無い事は一目で分かる。只でさえ助けてもらった事もあり、これ以上恩を返すこともせずに善意を受け取って良いものなのかとティニーが頭を悩ませてしまうのも無理は無かった。


 ティニーを取り巻く状況はまだハッキリしていないが、彼女の人柄は人間社会の悪報に染まっていないことが分かる。


 子供だからこそ自分の眼で見た世界の在り方が全てだと思い込みやすい、だと言うのに力で全てが決まると思っていない真っ直ぐな心根は間違いなくティニーの確固たる自我。この世界で掛け替えのないものを前にしてレラの笑みは一層輝いた。




「はい、本当ですよ。遠慮しないで食べてください、その方が私もナナキさんも嬉しいです」




「……ナナキ、お兄ちゃんも……ティニーがいっぱいたべても…………おこらない?」




 名無達に分けてもらった料理を二人に返しても食べてくれないと分かったものの、それでも踏ん切りが着かないのか黙々と口を動かすナナキに上目遣いで翡翠色の双眸を向けるティニー。


 その瞳に映っているのは明確な不安ではあったが、怯えでは無く純粋に子供らしい食欲を満たしたいという欲求と遠慮が入り交じったものだった。明らかに自分に向ける眼差しの変化に名無は眼を喜びに細め頷き返す。




「怒る理由が無い、沢山食べられると言う事はそれだけ元気になれると言う事だ。子供は暗いよりも明るく元気であってくれた方が嬉しい……冷めないうちに食べてると良い」




「……………………うん」




 静かな返事と共に止まっていた手を動かすティニー。しかし、さっきまでのように勢いよく口にかき込むような事はせず、一口一口ゆっくり噛んで食べていく……名無とレラの優しさを噛みしめるように。


 それからは特に会話らしい会話もないまま食事は続いたが気まずい空気は微塵も無く、静かでゆったりとしたものだった。




「ティニーちゃん、次はお風呂に入りましょう」




 そして程なくして食事を終え、中でもレラがいち早く行動を起こした。




「おふろ?」




「はい。ティニーちゃんが眠っている間に身体を拭かせてもらったんですけど、疲れた身体にはお風呂が一番ですから



『――レラ様の意見に同意いたします』




「ひぅっ!?」




 レラの後に続き部屋に響いたマクスウェルの声に小さな悲鳴を上げ、レラの腕にしがみついて突然聞こえてきたキョロキョロと部屋の中を見渡すティニー。




『驚かせてしまい申し訳ありません、ティニー様。マスター・ナナキの支援を行っている心器でマクスウェルと言います、ワタシもティニー様に危害を加えるような事は一切しない事をお約束いたします』




「しんきの……?」




『そうです、普段はレラ様と共にありますが今はマスターの首元で待機しています』




「ナナキお兄ちゃんが付けてる……きれいなチョーカーがマクスウェルお姉ちゃん?」




『お褒め頂きありがとうございます、ティニー様』




 突然の呼び掛けに驚いていたティニーだったが、名無の首元で輝くマクスウェルを興味深げに眺める。心器を初めて見るのか、それとも知らないのか……少女の翡翠色の瞳にこれまでに無い好奇心の色が見えた。


 しかし、マクスウェルはティニーの期待に応えること無く淡々と言葉を続ける。




『ワタシの詳細は後でご説明しますので今は入浴すべきだと再度進言します、マスターと対話するしないは別にしても疲労した肉体を癒す事を優先して頂ければと』




「そうだな、その方が良いだろう。レラ、ティニーを頼む」




「はい、任せてください。さっ、お風呂場に行きましょうか」




「う、うん」




 名残惜しそうにマクスウェルに視線を向けるティニーだったが、手を引いてくれるレラに抵抗すること無く浴室へと入っていく。まだ幼いとは言えティニーも年ごとの少女のようだ、宝石やネックレスのような装飾品では無いがマクスウェルの光沢有る銀の輝きと澄み切った機械水晶に此処とを奪われた様子は微笑ましい。


 このまま気の抜けた時間を過ごすのも悪くは無い、そう思ってしまう名無ではあったが


彼等を取り巻く状況がそれを許すことは無かった。




「マクスウェル、外の様子は?」




『索敵範囲内に置ける熱源反応は約五百、その内の十二人に不審な動きが見られます』


「その十二人の状況と現在位置は?」




『三人一組で時折熱源反応が点滅。恐らく三人の内一人が転移魔法で別の班へと合流しつつ情報の共有化を図っていると思われます、各々の現在位置は私達を中心に百メートルほどの位置取りで大凡東西南北に分かれこちらを監視しているようです』




「分かった、だが……」




 魔法による監視範囲がどれだけのものなのかは分からないが、百メートルも離れて四方向からの監視であれば間違いなく死角が無いよう互いの索敵範囲が重なるような位置取りのはずだ。それでもマクスウェルの報告からしてこちらの警戒網の範囲内に入っていることには気付いていないのは、先に仕掛ける事を考えれば充分過ぎる強みである。


 敵の数と位置取りが分かっている以上、有利性が失われないうちに攻めた方が安全策ではあるのが……




「廃墟から此処に来るまでに追いつかれたのか?」




『イイエ、ワタシの索敵でも彼等の追跡は感知出来ませんでした』




「マクスウェルの索敵範囲外ギリギリで追跡されていた可能性は?」




『ゼロではありません。しかし、あえてゼロだったと断言します』




 マクスウェルの索敵は純粋な科学技術、異世界に来た事でその力は十全に発揮しきれはしないものの能力や魔法による事前察知はほぼ不可能なものである。今の発言も一見、この世界における自身の性能の優位性を全面的に押し出しているようなものに思えるがマクスウェルの声音に余裕も油断も篭もっていなかった。




『何の訓練も受けていない一般人ではワタシを所有していても敵側の追跡を完全に振り切るのは不可能です。ですがワタシのサポートが前提とは言え追跡、逃走と充分な訓練と経験を積み能力の行使も可能なマスターが対象では目標地点までの追跡は困難を極めるでしょう』




「ティニーを保護し廃墟での一時滞在時には完全に追跡者を振り切っていたことに間違いは無いんだな」




『イエス、この追跡者達はマスターがこの宿に到着した瞬間に現在確認している位置に出現しました。つまり、純粋な追跡行為で此処まで追っ手これたわけではありません』




「………………少なくとも相手は《異名騎士》クラスの実力者か、それ以上の手練れか」




 マクスウェルの意見に名無は眉を寄せ胸の前で腕を組む。


 純粋な追跡無い上に突然姿を現したと言う事は間違いなく転移魔法によるものだろう。転移魔法は魔法騎士の中でも使えるものは限られ、中でも異名騎士以上の力が無くては使うことが出来ない。魔法具による補助使用が出来る事を考えれば、一概に敵の戦力を過大的に捉えている可能性もある。


 しかし、ティニーを……年端もいかない一人の少女を執拗に追いかけている様から素人や生半可な人間にさせているとは考えにくい。


 ティニーがこの街の法に触れるような事をしたとしても彼等の行動は不可解だ。彼女が犯罪を犯したというのなら、すぐにでもこの場に乗り込んで捕らえようとしてもおかしくは無い。だが、それをせず遠目から自分達を監視している言う事は別な要因が絡んでいるはずだ。




『敵戦力の解析も重要ですがそれ以上に考えなくてはいけない問題が』




「ああ、分かってる。どうして俺達を監視しているのかだな」




 相手が監視という行動を取っているという事は、相手にとって監視せざる終えない対象が何処で何をしているのか分かっているからだ。だが、さっきもマクスウェルが言った通り追っ手は完全に振り切った筈だ。


 勿論自分の力を過信しすぎている可能性が大きいが、レラへの配慮について一騒動あった後だ。そこに正体不明の少女とその追っ手、ティニーを保護すると決めた時から同じ失敗を繰り返さないよう最大レベルでの警戒は怠ってはいない。


 使うことの出来る能力を最大限活用し、第三区画から第二区画に戻る際に通らなければならない検問所も問題無く通過した。その際も、検問所を受け持つ憲兵や他の滞在者達の様子にも眼を光らせたが可笑しな様子は無かった。この宿の従業員に出迎えられた時も同じである。少なくとも自分達からティニーの存在を晒すような事はしていない点から、追跡者達に追いつかれ監視されるはずが無いのだ。


 だと言うのに、こうして監視されていると言う事は自分達がティニーを匿っている可能性が大きいと判断して動いている。


 それは何故か……考えられる可能性は大まかに二つ。


 その内の一つは大がかりではあるが、自分が考えている疑問を有る程度納得させる事が出来る答えになるもの。もう一つは今後の行動が嫌がおうでも制限されかねない憶測。


 名無は閉めたカーテン越しに見えない空に視線を向けた。




「あの空を写す天蓋、俺はアレその物が監視装置としての役割を担っていると考えているが……お前はどう思う?」




『イエス、その可能性は充分に有り得るかと。おそらく天蓋に映し出されている空は複数の魔法を常に発動させて、一種のホログラムのようなものを形成しているのでしょう。最初は防衛優先の閉鎖空間内に置ける時間経過の目安、精神的な保養や生活環境の明確化の為のものではないかとワタシも考えました。ですが、第三区画の裏路地の整備状況を見てそれだけではないと判断しました』




 宿屋に戻るために最短距離としてマクスウェルが導き出した帰路は本来であれば通行に不向きな狭い道だ、如何に整備が行き届いていたとは言っても日が暮れ始めれば影が差し人によっては不気味さを感じる細道。


 幾つもの岐路が入り組む道は地元住民でも完全に把握しきれるものでは無い、それこそ探知系の魔法を使わなくてはティニーのような小さな少女を追跡しきれるものでは無いはずだ。実際、名無達は追っ手の追跡を振り切って検問所を通り借り受けた宿屋へと戻ってきた。


 その間、追跡者の姿や魔法の気配は微塵も無かった。それが宿屋に着いた途端に姿を現したとなれば、道その物に細工を施すか街全体を見渡す事が出来る場所から名無達の姿を監視するしかない。この二つの仮説を基盤に考えれば、まず道その物に細工が施されていたのなら名無とマクスウェルが気付かない訳がないのだ。


 結果、残るのは街全体を見渡せる場所。それも名無が目視しても姿を見つける事が出来ない場所――偽物の空を映し出す天蓋の上からの追跡。




「裏路地の整備が行き届いていたのは夜になっても対象を見つけやすい環境を整えるため、幼児知育の教材に第三者の視点から迷路を踏破する本があったが……その要領で俺達を監視していたと言った所か」




『そういった手法であれば手の打ちようは有ります、ですが魔族の『特殊能力』の類であれば話は変わってきますが』




「魔族の特殊能力は俺達と違って発動の前兆は無い、『振無波断ネアン・ウェイブ』で部屋の様子は分からないだろうが監視されているなら動くのが少し難しくなる」




『今の所、こちらで確認が取れている魔族のデータと照合できる対象は追跡者達の中にはいません。索敵範囲外の天蓋の上でとなるとこちらから出来る事は様子見くらいすが……』




「監視で留めている現状で考えれば相手も無理に動く気はなさそうだ、少なくてもこちらの行動を把握するまでは」




 戦力比率で見れば一対十二、相手は異名騎士以上というこの世界でも多大な戦力。それを差し向けておきながら打って出てこない、相手もこちらの出方を窺っているのだろう。 今すぐに打って出るのも手ではあるが、レラのお陰で落ち着きを取り戻したように見えてもティニーの精神はまだ不安定だ。今後も安定するとは限らない、落ち着ける時間を確保出来るのなら敢えて監視させ体勢が整うまでの時間を稼いだが後々動きやすくなる。




『では、このまま敵の出方を窺いつつティニー様から情報を引き出す方向性で動くと言うことで良いですか?』




「そうだな、だが無理強いはするな。あの子から情報を聞き出すことが出来なくても、槍用は他にもある……良いな?」




『イエス、マスター』




 人間に限りなく近い感性の様な物を有しているとは言えマクスウェルは機械。対話、情報収集、誘導尋問、どのような土俵でも名無に必要な情報であれば遠慮も配慮も無く問いただしてしまう傾向にある。


 精神的に弱った相手を懐柔するような話術もプログラミングされているが、そこに悪意は微塵も無い。それでも抑揚の無い声で淡々と問い詰められれば苦行になってしまう。辿々しくとも話をしてくれるようになったのだ、また恐怖感や威圧感を植え付けてしまう真似はしたくない。


 そんな無理強いをしなくとも立派な情報源が態々向こうから出向いてくれている、ティニーの心を痛めずに情報を手に入れるのであれば敵に口を割らせるのも一つの手なのだからむしろそちらを取った方が人間関係にも要らない亀裂と隔たりを残す事も無くなるだろう。


 戦いに明け暮れ子供との触れ合いなど殆どした事が無い名無ではあったが、ティニーの事を心配する姿はレラにも負けない気遣いが感じられた。




『それでティニー様についてですが、生体スキャンの結果を報告してもよろしいでしょうか?』




「ああ、ティニーの体調はどうなんだ」




『イエス、一時間弱の睡眠では疲労は取り切れていませんが肉体的に何の問題もありません――何の問題も無い事が問題だと進言します』




「そうか……レラは気付いていなかったみたいだったが、やはりティニーの体調は万全に近い状態まで戻っていたんだな」




 ティニーの体調が戻った事は先に決めた行動方針云々を覗いても名無達には喜ばしい事ではある。しかし、出血を招いた傷が見当たらなかったとは言え致死量に近い血液を失いながらこの短時間で、その失った血液と体力を取り戻せる訳が無い。




『眠っている間にティニー様の体内で通常ではあり得ない速度の細胞分裂と造血現象を確認しました、どちらも常人の十倍近い速度です。おそらく回復しきれなかった疲労はその反動によるモノだと思われます』




「魔法を使った素振りは無かった……となると、生まれ持った体質か?」




『イイエ、生まれ持った体質であるのであれば既に彼女は既に死亡している可能性の方が大きいです。今も存命である事を考えれば恐らくこの回復力は後付けされたものではないかと……こちらの世界の人間に関する統計データが少ないので断言はできませんが』




「人体実験か」




『だとしても、この世界にそれだけの科学技術はありません。個人であれ組織であれ、これが魔法によるものであるなら魔法使いとしての技量は完全にマスターを上回っています。レラ様とティニー様を護りつつ交戦する状況に陥る可能性も無いと言い切れません、敵の規模をラウエル全体と仮定して『身体劣化キヤパシティ・ダウン』だけでなく『誓約封書プロメテア・リスト』も解除し……『虐殺継承リスティス・マーダー』の完全解放も視野に入れておいた方が良いでしょう』




「心配はいらない、マクスウェルの言う通り俺もそうするつもりでいた。今の俺は特定の魔法を十全に使えると言うだけで、様々な用途と状況に応じて使い分けや組み合わせが出来る訳じゃ無い。身体能力の解放でも充分戦えるのは確認出来たが、魔法戦となれば話が違ってくるからな」




 『虐殺継承』は名無本来の力で有り切り札と言える能力だ。


 一対一の戦闘だけでなく一対多数においても絶大な力を振るうことが出来る、それこそ純粋な戦闘行為において戦力外であるレラとティニーを庇いつつも多様性を誇る魔法を上回る事も出来る程に。


 それだけの数の能力を使わずに済むのならそれに越したことは無いが、使わずに最悪の事態を招いてしまうのであれば今の名無に『虐殺継承』を使わないという躊躇いは無かった。




『マスターとワタシの認識に然程誤差は無いと言うことで宜しいですか?』




「ああ」




『では、ティニー様の件についてはどうしますか……レラ様に人体実験の被験者である可能性の提示は?』




「……伏せておく、彼女は隠し事に向いていないからな」




 傷の治りが早い、言葉のまま捉えれば悪いことでは無い。だが、傷の治りが早い――言い換えれば普通の人間よりも肉体を構成している細胞分裂現象が多く確実に寿命を縮めているという事に他ならない。


 これが本人の同意を得られた上で行われているのなら問題は無い、命を失いかねない傷を治すためにやむなく緊急的に施したと言うのであれば英断と言う事も出来る。しかし、ティニーの怯えようからそんな人道的価値観の下に行われたわけでは無い事がありありと想像できた。


 かつて仲間達の中にそう言った実験に使い潰された者もいた。




 電子機器と言った精密機械、多くの人間や物資を運搬する車両等と同じく限界が来るまで続けられる肉体の性能や強度の測定、所有する能力の発動限界を超えての能力の使用を強要された者。既存の薬品を掛け合わせ新たに造り出した薬物がどのように作用するのか、どんな副作用があるのか記録するための実験動物モルモツトのように。いや、人であり人を超えた存在であるからこそ実験動物以上に有益な素体として大量の薬品を投与され、度重なる副作用の末に精神が壊れ息絶えても身体を切り刻まれ臓器、骨子、皮膚、毛髪一本に至るまで実験サンプルの標本と成り下がった者達が……。


 魔法による人体実験がどのような物なのか想像するのは難しい、難しいがその悲惨さは簡単に思い浮かべられる。


 血みどろの最前線で戦い続けた自分がまだ幸せだと思える程に、狂気に染まりきった探究心の下に延々と行われた人体実験の話などレラに話す事など出来るわけがない。それが目の前にいる少女にも起こりえたかも知れない、そんな現実を知れば彼女はきっと涙する。何一つ悪くない自分を責めるだろう……その優しさがティニーにとって薬になるのか毒となるのか分からない状況で話すのは危険だ。




「幸い向こうに強行手段で訴える気配は無い……が、何時でも動ける様に警戒を続けてくれ」




『イエス、マスター』




 状況は少しだけティニーと打ち解けた事以外の進展は無い。


 進展は無いものの無闇に動けばそれだけ武力衝突にレラ達を巻き込む可能性が大きくなる上、仮定の話とはいえ人体実験にまで手を出す輩を相手取ることになる。ティニーの心象を鑑みても出来るだけ正面衝突は避けるようにしなくてはならないだろう。




「――お風呂、いただきました」




 名無とマクスウェルの意見のすり合わせが終わった頃、浴室からティニーを連れて出てきたレラの声が二人の話し合いの終わりを告げる。


 流石に着ている服を濡らさずにティニーを湯浴みさせるのは中々の重労働だ、服を気にして洗うよりも一緒に入った方が効率的だったのだろう。レラの頬は僅かに上気し、結っていた烏羽根色の髪も解かれ艶やかに流れていた。




「あがった後で言うのもなんだが、もう少しゆっくりしてくれても大丈夫だぞ」




「私もナナキさんが近くにいてくれるので、そうしようかなって思ったんですけど…………」




「……、……、…………」




 レラは自分の横でコクリ、コクリと舟をこぐティニーの姿に小さな笑みを浮かべる。


 満たされた食欲と温かくなった事で緊張が緩み襲いかかってきた睡魔に細やかな抵抗を見せる様子に思わずと言ったところだろう。




『今日はこのまま就寝した方が良いかと。ティニー様だけで無く、お二人も少なからず疲れているはず、事情の確認は明日でも問題無いでしょう』




「そうだな、そうしよう。ベッドは君達が使ってくれ」




「ありがとうございます、ナナキさん。でも、寝付けない時はすぐに言ってください。私が代わりますから」




「ああ、その時は頼む」




 シャルアからラウエルまでの間、ずっと野宿で夜を過ごしていた。敵襲を警戒するだけでなく寝心地が悪い固い地面や小さな虫たちが遠慮為しに寄ってくる芝生の上で、深い眠りに入ることは中々に難しい。


 ふわふわな枕にもこもことしたベッド、上質でしっかりとした寝具で寝るのはここ暫く無かった。間違いなく気持ちの良い深い眠りが提供されるはずだ。だが、この部屋にベッドは一つだけ。


 最初から二つある部屋を取れば良かったのだろうが、レラと主従関係を演じている中でそれは出来なかった。


 人間の奴隷も良い扱いは受けないだろうが、魔族はもっと酷い待遇に置かれる事は想像に難くない。食事一つとっても同じ物を食べると言っただけで驚かれるくらいだ、レラを気遣って二人分の寝具がある部屋を頼めば要らぬ勘ぐりをされてしまうのは眼に見えている。


 なら、自分の都合に巻き込み疲れも自分以上に溜まるレラにベッドを明け渡すだけだ。今は予期せぬ保護対象となったティニーもいるのだから、レラの申し出は素直に有りがたかったが気を抜きすぎるわけにはいかない。




「それじゃ、遠慮無く使わせてもらいますね。ティニーちゃん、今日は私と一緒に寝ましょう。こっちに来て下さい」




「………………わ……た…………」




 もう起きているのもやっとと言った状態で、ティニーはレラに言われるがままベッドに横たわった。




「……ナナキさん、灯りをお願い出来ますか?」




「ああ」




 ティニーが寒くないようにと身体を寄せ一緒にシーツを被るレラ、名無も小声で呼び掛けるレラに答え灯りを弱める。




「……すぅ……すぅ……」




「おやすみなさい、ティニーちゃん」




 微かな灯りが照らす部屋にあがる小さな吐息。


 同じ部屋に名無がいながら無防備に横になるティニーの姿からは、本当に疲れていることが伝わってくる。そんな少女の眠りが少しでも深く穏やかであるようにとレラは包み込むようにティニーを優しく抱きしめ瞼を閉じた。




「ナナキさんとマクスウェルさんもおやすみなさい」






「ああ……おやすみ、レラ」




『イエス。三人とも良い夢を見られますよう、ゆっくりお休みください』




 名無は眼を瞑りながらもその手に対輪外者武器を握りしめる。そして、休む必要の無いマクスウェルは名無がレラだけでなくティニーも護りきれるよう最大限の警戒態勢を維持し、考えられる防衛策の抽出に専念する。


 二人と一機は無垢な寝顔を浮かべる少女を思いながら一夜を明かすのだった。






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