四、ガダニュとメディチ

モーリス・セーヴは時々槍試合を女性の前で繰り広げていた。特に愛人ペルネット・デュ=ギュイエの前では演出も派手に、相手の騎士の兜を叩き割ったりした。

連戦連勝の上に、目の覚めるような勝ち方で、詩人としてだけでなく、リヨンの街を守る勇敢な騎士としても、セーヴの名は高まるばかりだった。


一五四八年五月、前年ランスで戴冠たいかんしたばかりのフランス国王アンリ二世がリヨンに入市にゅうしすることが正式に決まった時、セーヴは準備委員会委員長とでも言うべき立場で、この一大セレモニーを成功させる重要な任務を背負うことになった。陣頭指揮の重要な役目に、真っ先にセーヴに白羽の矢がたったのもある意味当然といえた。セーヴの人脈はバカにならない。リヨン生まれでリヨン育ちの地元のコネクションは言うまでもなく、詩歌を通じて社会上層部に多くの弟子がおり、その中には銀行家たちもいた。財政面でも大きな力が期待できたのである。


王の入市は、王と町の結束を確認する重要なイベントである。このお祭りで王の不興ふきょうを買えば、町の存在すら脅かされる。失敗は許されない。


町をあげての準備が始まった。セーヴの手配に抜かりはなく、政治家や宗教家といった市の関係者だけでなく、建築家、画家、装飾家などの芸術家までも駆り出しての一大事業であった。

貴族だけでなく、商人、町人たちも、精一杯の財力を尽くして金銀をちりばめた衣装を新調し、門戸や窓などを改装した。馬具や船の飾りにも、豪勢なシルクが施され、町の城門から広場に至るまで、あらゆるところが王の目に留まるにふさわしいものに作り変えられた。


これだけ大きな事業なだけに、セーヴも日々各所を動き回っていたが、特に足しげく通ったのが現在の旧市街地区のランジル通りにあったメディチ家と、現在リヨン歴史博物館が入っているガダニュ通りのガダニュ家だった。メディチ家は言わずと知れたフィレンツェの豪商だが、リヨンの市場に目を付けて為替かわせ取引を行う銀行の支店を開いていた。当時の銀行家は交換手形を使う金融業を主体として大きな財を築いていた。商人たちは危険な陸路を通って現金を輸送することを好まず、銀行に預けて手形にするというより安全な方法を優先した。一方のガダニュは、リヨンにおいてはメディチ家がかすむほど栄えた一家だった。当時、「あいつはガダニュみたいだ」と言えば、それは金持ちという意味だった。


ガダニュ以前にピエールヴィーヴという商人が大改装したガダニュ館には、入口が二つある。そのうち、丘への登り口がある方の大玄関から、セーヴはガダニュを尋ねた。玄関の前には衛兵がいる。


「ご当主のギヨームさんを訪ねたいのだが。こちらはセーヴ、モーリス・セーヴです。」


「おや、セーヴさんですか。今しばらくお待ちください。」


赤字に白い縦じまが入った服装に、色鮮やかな背の高い羽根のついた帽子をかぶっている、いかにもフィレンツェ風の服装をした衛兵が中に入っていった。

しばらくするとギヨーム・ガダニュがわざわざ玄関まで迎えに来た。


「セーヴさん、相変わらずお忙しいことですな。」


「ガダニュさん、最近は良くお顔を見ることができるので光栄ですな。王を迎える準備はお蔭様で順調です。ガダニュさんが工面くめんしてくれているお蔭ですよ。しかし毎日忙しい。体がいくつあっても足りませんな。ここでもセーヴ、あそこでもセーヴと、私がいなければ話が進まないんですよ。私ほど適切に指示を出せる人間でないと、この役は務まりませんね。」


「セーヴさん、自画自賛は相変わらずで、ご自身の功績のアピールは忘れませんな。まぁ中に入りなさい。うまいワインがありますよ。」


リヨンの旧市街の玄関は狭い。人目につかないトラブールが発展したのも、リヨンの人々がこそこそと隠し事をするのが好きだから、という説もあるほどだ。しかし、このガダニュの館はリヨンにしては珍しい大玄関を持っている。門をくぐると、中庭に入る。ガダニュの館の中庭はリヨンの中でも特に素晴らしいフランス・ルネッサンス様式の傑作の一つだ。現在は大きな一つの庭になっているが、当時は二つの別々の中庭があった。


セーヴは名誉の階段と呼ばれる美しいらせん階段から案内され、両側に組みひものようにねじれた形の装飾が施された大きな暖炉のある、フランス式天井の大きなサロンに通された。


「さぁ、どうぞ、おかけになってください。うまいワインとはこれですよ。」


出てきたのはコンドリユーだ。ヴィオニエと言う白ブドウを使って作られるワインで、清涼感がありながらも、しっかりとした味わいを出す。コンドリユーは、ローヌ川沿いに広がるコート・デュ・ローヌ地方の白ワインで、最も北端、つまり最もリヨンに近い地域で作られている。


「コンドリユーですか。白ワインなら、ボジョレーよりコンドリユーですな。このすっきりした中に感じる深みがたまりませんよ。」


セーヴは一口味わった後、そう評した。


「そうですな。ま、私はどちらも好きなんですが、残念ながらボジョレーは白ワインが少ないので、味わう機会も少なくてね。さ、これもつまみながら飲みましょう。私自身が調理したんですよ。さぁさぁ、味わって下され。」


給仕が持ってきたのはキュウリウオのフライだ。フランス語ではエペルランというが、ワカサギに似ている。リヨンの名物である。リヨンには海がないため、淡水魚が多く、臭いのある魚は油で揚げて食べる。


「いやいや、コンドリユーにエペルラン、最高の組み合わせですよ。やめられなくなってしまいます。」


「いや、セーヴさん。まだまだあるんですよ。白を十分に堪能したら、次は赤に行きましょう。」


ガダニュが自ら奥の部屋へ入り、大きな扉付きの棚から出してきたのはコート・ロティだ。リヨンの南、三〇キロほどのところにある銘醸地で、コート・デュ・ローヌの産地の中では最も北に位置する赤ワインだ。コンドリユーとほぼ同じ地域にあたる。今はアンピュイという町がコート・ロティとコンドリユーの中心地である。シラーが品種の主体だが、十パーセントまでコンドリユーで使用される品種のヴィオニエを混醸こんじょうしても良い。シラーだけだとパワフルすぎるので、ヴィオニエのまろやかさをプラスすることで、口当たりが良くて力強いワインになる。


コート・ロティは「焼けた丘」という意味で、アンピュイの西側に南東向きに広がる急勾配きゅうこうばいの丘のことを指し、太陽の光を強く受ける。冬は寒いが、夏は日差しが強い。コート・ロティの丘は、黄金色の丘を意味するコート・ブロンドと、褐色かっしょくの丘のコート・ブリュンヌの二つに分けられている。かつてこの辺りの領主が、二人の娘に丘を分割して譲り渡し、金髪の娘に与えた方が黄金色の丘、褐色の髪の娘に与えた方が褐色の丘と呼ばれるようになった。


「おぉ、これはまた素晴らしい味わいですな。ぐっと喉元までスパイシーな味わい。このロゼットソーセージがその味わいを豊かにしてくれる。何とも幸せなひと時ですな。」


ガダニュは自らロゼットソーセージを切り分け、セーヴに差し出した。ロゼットとは、リヨンの名物ソーセージで、白い脂身が少ないことからヘルシーで人気のサラミのようなソーセージだ。


セーヴはすっかり美酒に酔いしれていた。


「いかん、いかん。ガダニュさん、大事な用を忘れるところでした。今度の王の入市、またしても入用がありましてね。王のためにある演出を考えたのですが、機械仕掛けのライオンなどを使いましてね。少々費用がかかってしまうのですよ。そこで…。」


「セーヴさん、金のことなら心配しないで下さい。かかる費用は全て私どもにお任せあれ。間違ってもメディチなどに頼られますな。」


「しかし、メディチ家は王妃の家柄ですのでね。無視するわけにもいかないのですよ。」


「あいつらには私のご先祖が随分痛い目に合わされましたからな。今でもしこりは取れませんよ。あいつらと一緒に働くのだけはご勘弁頂きたいものです。」


「それは分かっていますよ。お顔を合わせないように配慮しますから、ご心配なく。」


ガダニュ家がリヨンに来たのは純粋に商取引だけが理由ではなかった。イタリアのフィレンツェではメディチ家が隆盛を極め、気に入らないものは町を追放されたが、ガダニュも彼らに町を追い出された。逃げ込んだ町がリヨンであったが、香辛料や絨毯じゅうたんなど幅広い商品を取り扱う商人として成功を収め、銀行の取引なども行ううちにリヨンを代表する一大商人にのし上がっていった。


大成功を収めたトマ一世はその財力を活かして、大航海時代にイタリア人ジョバンニ・ヴェラザーノのアメリカ大陸探検隊へ資金提供を行ったり、フランソワ一世が一五二五年のパヴィアの戦いで捕虜ほりょになった時に保釈金の一部を支払って王を助けたりした。その功績もあって、ガダニュ家は王の二十四人の侍従じじゅうの一人に任命され、貴族の仲間入りを果たしている。


彼のおいにあたるトマ二世はその遺産を受け継いで、事業を拡大したばかりか、慈善事業にも手を付け、ペスト患者のための病院を建設している。トマ二世には、ル・マニフィック「偉大なる当主」という通称があり、メディチ家黄金期を築いたロレンツォも同様の通称で呼ばれる。欧州を席巻する勢力を誇ったメディチと豪商とはいえリヨンの一介の商人であるガダニュを同列に比べることはできないが、トマ二世はリヨンにおいてガダニュ家の黄金時代を現出げんしゅつした。


気さくな現在の当主はこのトマ二世の息子、ギヨームである。一五六一年に彼が購入したリヨンの西七〇キロほどのところにあるブテオン城は、中世、ルネッサンス、ネオゴシックといった各時代の様式を残しており、ブルボン家も所有したことがあるという立派な城郭を今に伝えている。


「ところで…。少し前にグリフさんに会ったんですが、私に三人の子供を預かってほしいと言われましてね。少なくとも王にご挨拶をする時だけでも、貴族の衣装を着せて連れて行ってほしい、と。ですが、私よりもみなしごをたくさん預かっているクレベルジェさんに頼んでおいたんですよ。彼は『善良なドイツ人』と言われるくらい、ふところの深い人ですから、二つ返事で快諾してくれましたよ。」


クレベルジェとは、ドイツの商人だが、リヨンの貧民のために病院を作るなど、町の人に愛された外国人の一人だった。彼の像は今でもサンポール駅からソーヌ川をリヨン国立高等音楽院の方向へ向けて北上した、岸壁を彫り込んだところに据えられている。また、彼の夫人にも敬意を表して「ベル・アルマンド(美しいドイツ人)」という名の塔がソーヌ川沿いに建てられた。


「グリフが三人の子供を?あのオヤジは曲者くせものですからね。まぁ私が反対をする筋合いでもないので構いませんが、くれぐれも気を付けて下さいよ。ガダニュさんやクレベルジェさんが利用されて痛い目に合わないようにして下さいよ。」


セーヴはこう言い残してガダニュ館を出た。


足早に向かったのは、ランジル通りのメディチ家だった。現在ではメディチ家の名残は全くなくなってしまっており、その通り沿いには現在ピアノのコンサートホール、サル・モリエールが建てられている。モリエールはそこで「粗忽そこつな男」を書き、初演も行ったと言われていることから、その名をリヨンのピアノコンサートホールに残している。


セーヴがメディチ家の前に立った。重厚な門扉もんぴの上部は風通しを良くするために欄間らんまがあり、メディチの紋章である六つの球をあしらった美しい鉄柵の透かし彫りが入っている。そして、その上にメダイヨンがある。


メダイヨンとは丸い枠のことだ。その中に魅惑的な女性が、枠からはみ出さんばかりの大きさで彫られている。浅くかぶった帽子には羽根飾りがついており、巻き毛の髪の毛は額の辺りでバンドで留められているように見える。このバンドは宝石をあしらった額に巻き付けるフェロニエールと呼ばれる装飾品だ。なで肩、ふくよかな頬がメダイヨンの曲線に上手く溶け込んでいる。はだけた胸から首にかけての曲線美は女性らしさを強調し、閉じた目は下から見上げる人を見つめ返しているようにも見える。高いところにあるメダイヨンは、下から見上げて美しくなるように角度調整されている。このようなメダイヨンの中に彫られた胸像はルネサンス期に流行し、ローヌ川流域の地方に多く見られたという。ランジル通りにはもはやそのような胸像は存在していないが、リヨン美術館には、館内展示されている十六世紀の本物とは別に、入館者が入る入り口の高いところにレプリカが掲げられており、さも美しい女性が来館者を迎えてくれるかのような仕掛けがなされている。


アンリ二世がリヨン訪問をするのは初日だが、二日目に王妃カトリーヌが日をずらしてリヨンに入ってくることになっていた。メディチ家にはこの二日目のカトリーヌの歓迎の部分を担ってもらうように、セーヴが取り計らっていた。


セーヴが玄関の扉をゴンゴンと叩いた。奥からメディチ家の衛兵が出てきた。白いシャツの上に黒と青の上下を着ているが、縦にいくつも切り込みが入っているので中の白いシャツが見える。首元はアコーディオン型の襟巻えりまき、平べったい帽子には羽根がついている。


「ご当主はいらっしゃいますか?」


セーヴが問うと、


「しばらくお待ちを。」


と、さっと建物の中へ引っ込んだ。中で都合を聞いているのだろうが、なかなか出てこない。どのくらい待っただろうか。さっきセーヴの横を通り過ぎた往来の人が、買ってきたパンを抱えて戻ってきた。しばらくすると、カツッカツッという衛兵の足音が聞こえてきた。一向に急いでいる気配はない。


「どうぞ。」


無表情でセーヴを中に迎え入れた。


「お部屋までご一緒いたします。」


衛兵が案内してくれる。しかし、何度も来ているし、良く知った仲なのだから、もっと気楽に迎え入れてくれてもいいのにと思うのだが、メディチ家はいつも面倒だ。こうして段取りを踏まないと会ってくれない。心を開いてくれているとはいいがたい。

二階の大きな扉の前にたどり着いた。ヨーロッパでは建物の上階が良い部屋ではない。下の方が大きな部屋が多く、当主や家族はそこに起居ききょする。


「ご当主。セーヴさんがいらっしゃいました。」


「うむ。お通しせよ。」


衛兵は声を聞き終わって数秒後に扉に手をかけた。


ぎぃー


「おー、セーヴさん。ようこそ。」


「メディチさん、お変わりなく。お元気そうで何よりです。」


「そうですな。元気は元気なのだが、気分は優れんよ。王様がいらっしゃるプレッシャーかな。まぁ、おかけなさい。」


メディチでは、ワインどころか何一つ出されたことはない。むしろ、客の方から持ってこいとでも言わんばかりの態度だ。いつものことだ。セーヴは気にせず椅子に腰かけた。肘掛ひじかけがあるが、肘を置くのも申し訳ないような派手な装飾がほどこされている。


「メディチさん、そのようなご冗談を。メディチさんが緊張するようでは、町の誰も王の応対などできませんよ。カトリーヌ王妃おうひ入市にゅうしの段取りはどうぞよろしくお願いします。私も勿論顔を出しますが、縁戚えんせきが世話取りをするほうがよろしかろうかと。」


「セーヴさん、あなた最近ガダニュのところへ毎日のように顔を出されているそうな。ガダニュには王の世話取りで、メディチには王妃を、ですか。メディチもずいぶんなめられたものですな。今回の入市のことは、全てメディチにお任せいただけると思っておりましたので、残念なことです。」


「いやいや、メディチさん、そのようなこと、滅相めっそうもない。ただただ私はメディチさんに掛かる負担を軽くしようと思ったまでですよ。分かりました。王妃の入市の際も、王様がその様子をお目にされるよう手配しましょう。初日のセレモニーの最後に私の槍試合がありましてね。そこで私が派手に勝利して、その場で王に翌日の王妃の入市をメディチさんが采配さいはいすることをお伝えし、直々じきじきにメディチさんのところへ伺ってもらうようにしますよ。」


「相変わらずえらい自信家ですな。王があなたの言う通りになると。ま、お手並み拝見ですな。メディチの顔がつぶれるようなことがあれば、セーヴさん、いくらリヨンの名士めいしであっても承知しませんよ。」


「お任せあれ。それでは今日はこれにて失礼。」


(ちっ、毎度のことながら、高慢ちきな奴だ!)


セーヴは背中にじっとりと冷や汗を書きつつ、心の中の思いとは裏腹に、にこやかな笑顔でメディチ邸を後にした。


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