二、オオカミオトコの正体

三人が寝付いた頃、空には満月が輝き始めた。その光を感じてか、クロードがむくりと起き出した。


「やっぱり聞こえてくるな。今日こそ正体を掴んでやる。」


「あんた、正気かい?川の向こうだって言ってるじゃないか。ここにまで来るわけじゃないんだから、わざわざ危ない目に遭いに行くことはないじゃない?」


クロードの妻も眠れないようだ。


「だけどよ、いつ川を渡ってくるかなんてわかりゃしねぇ。仲間を集めてるかもしれねぇぞ。その前にぶっ殺してやらねぇと。」


クロードの鼻息は荒い。

ワラのベッドではやはり熟睡できないのか、クレモンとアレックスは二人の会話を聞いてパッチリと目が覚めてしまった。


「クレモン、ルーガルーの話だ。晩御飯の時に話してた。」


「そうみたいだな、アレックス。声をひそめておかないと危ないのかな?」


二人がひそひそ話す声が、同じベッドで寝ているお母さんに聞こえた。


「ちょっとあんたたち!起きてるのかい?起きてるんだったらクロードについてってやってくれよ。」


「無茶言うんじゃねえよ!まだ子供だぜ!」


「何言ってんだい?少年十字軍よりはずっと大きいだろうよ。」


十三世紀に少年十字軍として飛び出した子供たちも同じ年頃の少年だっただろうが、同じ十三才と言っても、現代の食文化で育っているだけに、体は中世の子供と比べてもずっと大きい。いや大人と比べても大きいくらいだ。


「少年十字軍なんて古い話を持ち出すんじゃねぇよ。それにあんなの、うそっぱちだよ。みんな大人たちが作った作り話さ。子供が悲劇に遭った、っていやぁみんな気持ちが高ぶって『俺も行かなきゃ』ってなるように仕向けられたんだよ。。ま、でもこいつらは体もデカいし、確かに使えるかもな。」


二人の会話を聞いてアレックスは武者震いがしてきた。


「アレックス、まずいよ、俺たちもルーガルーの退治に付き合わされるぜ!」


クレモンは心臓が激しく胸をたたく音がハッキリと聞こえる。


「クレモン、行こうぜ!俺たちはいつまでも子供じゃないってこと、見せてやろうぜ。」


度胸が持ち味のアレックスは体中の血が湧き立つような感情を覚えている。意気揚々と立ち上がってクロードについていった。クレモンも慌てて後についていく。チボーは眠ったままだ。


「お前たち、俺から離れるな。危ないと思ったら二人で逃げるんだぞ!」


三人で家を飛び出した後、クロードは念を押した。


真っ暗な町を三人は肩寄せながら進んでいく。橋に差し掛かった。ローヌ川に一本しかない橋だ。伝説ではアヴィニョン橋を作ったことで有名なベネゼという人がここに最初の橋を架けたと言われている。橋上を歩いていると、次々と後ろから棒を脇に抱えた男たちが現れてきた。


「おう、クロード、お前もか。」


群衆の一人が話しかけた。


「あたりめぇだ。もう堪忍ならねぇ。ルーガルーをぶっころしてやるんだ。」


一団は十数人にふくれ上がった。


「二人ほど子供が混じってる。気を付けてやってくれ。」


クレモンとアレックスは、男たちに守られるように集団の中の方に入った。しかし、背は一番高いので、二人の頭が真ん中から飛び出している。


橋の終わりに差し掛かると、検問所がある。かつては橋を超えるとフランス国外だった。従って川向うはフランス入国を希望する外国人があふれかえる地区であった。現在でも橋を越えたところはギヨチエール地区と呼ばれ外国人街となっているが、歴史は受け継がれると言うか、流れゆく時代の不思議な力を感じさせる。

この時代は橋を越えてもフランスだったので、検問所は外国へ行くためのものではなく、単にイタリアへと続く道路を監視する交通の要衝ようしょうとして管理されている。


「そんなに大勢で何をする気だ。こんな夜中にたむろして歩いているだけで犯罪行為だぞ。しかも子供までいるじゃないか。」


すでに遠くから一団の動きを目にしていた検問官が問いただしてやろうと、夜警の詰所から飛び出してきた。


「あなたも聞こえたでしょう。川岸でルーガルーが吠えている。だから退治にいくんだよ!」


「あの声はルーガルーではなく、オオカミだろう。さっさと引き返せ。」


「いや、あんたはシルエットをご覧になっていないからそう言えるんだ。川の向こう側から月の光を頼りによく見てみると、人が吠えているように見えるんですよ。絶対に危険な生き物に違いねえんでやすよ!」


検問官は明らかにクロードを疑っている。


「本当だろうな。よし、そいつを引き連れてきな。ウソだったら承知しないぞ!」


検問官が鋭い目で群衆をなめまわしながら、脅してきた。


「クロード、大丈夫なんだろうな?もしルーガルーをひっ捕らえられなきゃ、俺たち牢屋行きになっちまうかもよ!」


「心配するな。俺は何度もこの目で見てる。ありゃ確かに人型の生き物だ。急いでいかなきゃ逃げられちまう。お役人さん、必ず約束します。ひっ捕らえてここまで連れてきやす。おい、みんな、行くぞ!ついて来い!」


検問官の態度に恐れをなし始めた仲間たちとは違い、クロードは確信している。検問所を通り抜けて声の方向へ進んでいく。クレモンとアレックスは事態の展開が速くて、何が何だかわからないままついていくだけだが、アレックスは自慢の足を活かしてクロードのすぐ後ろを歩いていく。

川面に反射する月の光だけを頼りに川沿いを少し歩いていくと、


「ウォー!ウォ、ウォ、うぉ…。」


時折苦しそうな声をあげる得体のしれない生き物が遠目に見えてきた。声の主が近づくにつれ、十数人の集団の気持ちもにわかに高まってきた。音をたてないようにゆっくりとその生き物の背後にまわった。草の間から見たその化け物は、月の光を背にくっきりとその姿が見えた。背中は曲り、両手を下にだらりと下げ、激しい呼吸から体が上下に揺れている。髪をかきむしり、服も引き裂いたのだろう、ボロボロに破れている。まさにオオカミオトコとしか言いようのない姿だ。


「オォー!ウォー!ウォ、ウォ、うぉ…。」


体を空に向けて大きく反り、また大声でうなり始めたかと思えば、苦しそうに息絶え絶えな声で叫び終える。

その様子をじっと見つめていたクロードが突然、


「ポール!」


と叫び、草むらを飛び出して化け物に近づいていった。


「ポール、おい、ポールじゃねぇか!」


ポールとはクロードと旧知の中で、最近死んだと噂になっていた男だ。

「何をしているんだ、こんな所で!」


「クロード、クロードか!」


クロードが近づいて抱き寄せようとすると、


「ダメだ!近寄るな!離れるんだ!」


とポールが声を荒げた。


「クロード、俺はもう死んだ人間なんだ。恐ろしい病にかかっている。もう死んだも同然だ。お前たちに伝染なんぞしたら大変だ。来るんじゃない!」


「ペストか、ペストなのか、ポール?」


「いや、ペストじゃなさそうだ。だが体が燃えるように熱くなるんだ。喉から火を噴きそうな熱さだ。だから叫ばなきゃやってられねぇんだ。町にいたらこんな姿の人間はすぐに殺されるだろうから、川向うに逃げてきたんだ。皮膚もただれ、動物のような体になっちまった。もう俺に未来はねぇんだ…。」


確かにポールの姿はもはや人間とは思えない、ゴツゴツした肌の獣のような体になっている。


当時、麦を製粉する技術が未発達で、胚芽はいがのところにいる菌が病気をもたらすことがあったという。熱病や熱の痛みと呼ばれ、現代ではえそ性エルゴチン中毒と呼んだりするそうだが、病に犯されたものがいたたまれずに町を出て、森で叫び続け、死んでいったことがオオカミオトコ伝説の起こりだという説もあるらしい。ポールもどうやらその病気にかかってしまったようだ。


「ポール…。」


意気揚々と退治にやってきた群衆は一気に意気消沈した。自分たちの仲間の一人が不治の病にかかり、人知れず町を抜け出し、挙げ句にはオオカミオトコ扱いされていたのだ。男たちの中には涙をすするものもいる。


「クロード、もう行こうぜ。ポールはダメだ。もうこんな状態じゃ死んじまうし、俺たちが病気になっても大変だ。つらいが仕方ねぇ。」


ある男がこう言うと、みなが口々に、


「あぁ、そうだ、ポールにゃ悪いがもう帰ろう。町に連れて帰ってもみんな嫌がるだろうし、連れて帰った俺たちのせいにされるぜ。」


と言い始めた。

クロードは釈然しゃくぜんとしない表情ながらも、


「そうだな…。仕方ねぇ。ポール、お前には悪いがどうしようもねぇ。勘弁してくれ。」


「クロード、気にするな。そのつもりでここに来たんだ。イザベルにはよろしく言っておいてくれ。」


イザベルとは彼の奥さんのことだ。クロードはイザベルも子供たちも元気にしてる、お前に会ったと伝えておくよ、と言い残してくるりときびすを返した。男たちもクロードの後に続く。


「本当にそうなのかなぁ。」


ぞろぞろと集団が引き返す中、どういうわけか、クレモンはポールに向かい合ったままだ。


「おじさん、でもおじさんが病気になってから、奥さんもお子さんも、それに町の人もおじさんの病気になってないよ。本当に伝染病なのかなぁ?」


独り言のようにつぶやいたかと思うと、突然右手の人差し指を突き立てた。


「そうだ!ボク、ガストンおじさんに聞いたことがあるんだ、オオカミオトコの伝説。もしかしたら感染する病気じゃないかもしれない。」


クレモンが大きな声でクロードに話しかけた。クロードは立ち止まった。


「町に帰ろうよ。オオカミオトコで町が滅んだりはしないんだ、ってガストンおじさんは言ってた。中世の時代のリヨンの病院は素晴らしかった、とも言ってたよ。クロードさん、リヨンの町にオテルデューっていう大きな病院があるんでしょ?」


しかし、それを聞いた既に顔の皮膚が崩れ落ちているポールは、


「小僧、気持ちはありがたく受け取るよ。だがこの顔で町に帰るのは忍びない。家族に会いたい気持ちもあるが、それよりみんなに迷惑をかけたくないんだよ。」


中世の時代、一人の人間の価値など一息で吹き飛ぶほど軽い物だった。今以上に世間体を気にしなければならない時代だったのだ。


「ポールさん、そんなこと言わないで。生きていればきっと良いことがあるんだって。クロードさん、みんなに内緒で病院へ連れていこうよ。夜が明ける前に病院へ連れていけば大丈夫じゃない?急いで連れて帰ろうよ!」


前々からクレモンの言葉を信頼しきっているアレックスも、そうだよ、と声をあげてクレモンに同調したが、クロードはさすがに迷っていた。ポールを連れて帰っても、きっと受け入れてもらえない。それどころか、逆に町の人間に袋叩きにされて殺される危険すらある。どっちに転んでも上手くいかない可能性が高かった。


「クロードさん、なんで黙ってるの?仲間なんでしょ?同じ町にいた仲間なのになんで助けようとしないの?ひどいよ!」


クレモンはクロードを非難するかのような強い口調で続けた。言うべきことは主張する。結果はどうあれ、言わねばならないことは言えと家庭でも学校でも教えられている。


「そうだな、お前たちの言うとおりだ。ポールは仲間なんだ。苦しんでる仲間を助けようともしないで、どうやってこれから生きていけるんだ。よし!みんなポールを連れて帰るぞ!ガキどもを連れてきた甲斐があったぜ!」


そういうと男どもが背中の曲がったポールのもとへ駆け寄り、自分たちの着ている服を被せた。クレモンの強い意志が男どもの心を動かした。


「ポール、すまなかったな!やっぱり一緒に帰ろう!」


みんながポールを囲んで歩き始めた。


「ウォ、ウォ、うぉ…。うぅ、うぅ、うぅ…。」


苦しいうめき声の中からすすり泣きのような声も漏れ聞こえる。やはり森の中で孤独だったのだろう。そのすすり泣きを聞いた男どもがみな、もらい泣きをしてしまった。


闇夜に泣きながらあるく十数人の男たち。オオカミオトコよりもその方が異様な光景だったかもしれない。事実、検問所に差し掛かると、さっきの検問官は立ち上がって後ずさりしてしまった。


「お役人さん、ルーガルーの正体はこいつでした。でもこいつはれっきとした人間なんです。病気で町にいられなくなって逃げてきたんです。どうか、ご勘弁くださいまし。」


そう言うクロードに対し、検問官は、


「その男の正体を見せろ。」


と言ってきた。クレモンは、


「ダメです!」


と隠そうとした。しかし、


「ワシでやんす。」


とポールが自ら衣服をはがし、その異形いぎょうをさらした。


「うぅ…。これがルーガルーじゃないとすれば何なんだ!?」


その顔に恐怖を感じた検問官は立てかけてあった槍に手をかけた。すかさずクロードが間に割って入り、


「ですから病気なんです。熱病ってやつで。こいつはポールって言って俺たちの仲間だったんですよ。しばらく行方不明になってたから、死んだ、って話になってたんです。でも行方不明だったんじゃなくて、家族や町のみんなに迷惑かけないように、って自分で町を離れたんですよ。これから病院に連れていきやすんで、どうか見逃して下さいまし。」


検問官は苦虫にがむしをかみつぶしたような顔でしぶしぶ槍から手を離した。市民を叩き殺したとあっては、裁判にかけられてしまう。しかし、


「熱病の人間を通すわけにはいかん。町が疫病で大打撃を受けたらどうする?わしにまで責任が及ぶではないか。」


「お役人さん、ご安心くだせぇ。お役人さんにはきっと迷惑はかけません。橋を渡ったらすぐにあるオテルデュー病院に預けます。あそこのシスターはどんな病の人間でも預かってくれるって評判でやす。お役人さんの名前は出しません。どこから連れてきたかも言いません。だから通して下さいませ!」


「むむむぅ。そこまで言うのなら見てみぬふりをしてやる。行け!」


「ありがとうございやす!」


クロードが検問所を飛び出すと、アレックスが追い越すように先頭に立って、駆け足で橋を渡り始めた。ポールを囲む一団は、橋を渡り終え、その近くにできたばかりのオテルデュー病院の扉を、はやる気持ちを抑えながら、大きすぎない音で叩いた。


ドン ドン


深夜だからか、一度では出てこない。


オテルデューとは直訳すれば「神の館」だ。中世のころは、キリスト教のシスターが看護婦の代わりであったし、そもそも生死をつかさどるのは神である。そうしたところから病院の意味で使われた言葉であった。フランス中に同じの名前の病院がある。パリのノートルダム寺院の横にも、マルセイユにもある。ブルゴーニュワインの都、ボーヌには十五世紀の美しい神の館、施療院せりょういんが残っている。


リヨンのオテルデューは、十二世紀に既に前身の病院が出来、一五三二年にはラブレーが病院長になりその名声は高く、十八世紀にはパリのオテルデューでは患者のうち四人に一人が死んだのに対し、リヨンでは十四人に一人しか死者がでなかったと言われる。現在の建物は十七世紀から十八世紀にかけて拡張されたもので、ローヌ川沿いの正面には六世紀にリヨンを治めたキルデベルト一世とその妃の像が掲げられている。伝説ではこの二人がリヨンの医療事業の父であるという。二〇一〇年まで実際に病院として使用されたが、ホテルやグルメの商業施設に生まれ変わる予定だ。中には美しいチャペルがあり、二〇一三年から改装工事が始まっている。


クロードたちが控えめにドアを叩いているせいか、人が出てこない。大きな音を出すと近所の連中が出てくるかもしれないから慎重になっている。


ドン ドン ドン


気を付けながら二回目のノックをした後、中で人が動く気配がした。


「こんな夜更よふけに何の用?」


中から人の声が聞こえた。


「すみません。織物職人のクロードです。ナリスさんとこの。ちょっと急ぎで診てもらいたい病人がいるもんで。」


クロードが言うと、重々しい音を立てて、扉のかんぬきが開いた。中からシスターが出てきた。


「病人とはどなた?」


深夜にもかかわらず、優しい声で応対してくれる。


「へぇ、こいつなんでやすが、ちょっとびっくりされるかもしれないんで、覚悟して見てもらった方が…。」


「大丈夫よ、私はいろんな人を見てきたわ。この人ね、じゃ、失礼してお顔を拝見しますわよ。」


シスターが頭にかけられた被り物を取った。


「まぁ…。」


多くの病人を見てきた修道女も絶句してしまった。しかし、すぐに、


「なんてお顔になってしまったのかしら…。早く主のご加護を受けられますように。」


と言って、ポールの肩を抱き寄せ、そのまま中に引き連れていった。誰しもが恐れおののいたポールの異形を、多少驚きを見せたとはいえ、すんなりと受け入れてくれたのだ。キリスト教は十字軍など悪名も高いが、こうした地道に人助けをする努力が、草の根レベルで日常的に行われていた。戦争で殺された人も多いが、それと同じくらい、いやそれよりはるかに多くの人が宗教者によって助けられていたはずだ。クロードたちは大きく安堵あんどの息をついて、


「シスター、あなたのお心に本当に感謝します。どうかポールをよろしくお願いします。」


「ご安心ください。きっと主のご加護を頂戴できますわよ。何しろ、この病院にはラブレー先生のような名医がそろっているんですもの。」


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