五、ルイーズ・ラべ

ルイーズの家は今でいうクロワルッスの丘の中腹にある。扉についた手の形の呼び鈴を、


ゴンゴン


と鳴らした。


「どなたかしら?」


女性の声が聞こえた。


「エチエンヌです。エチエンヌ・ドレですよ。」


と答えた。すると丸々と血色のいい、いかにも健康そうな女中が二階から顔を出した。


「お嬢様、ドレさんがいらっしゃいました。」


女中は奥に向かって話しかけた。二階から降りてくるのだろう、カタカタという足跡が聞こえる。そうこうしているうちに、ドアが開いた。出てきたのは女中ではなく、ルイーズ・ラべその人だ。


「あら、エチエンヌ、久しぶりね!グリフさんとあなたの話をしていたところよ。」


「そうらしいですね。私もグリフさんから久しぶりにあなたのことを聞いたので立ち寄ったんですよ。この仔牛、そこの岸で荷揚げしたばかりのものを買ってきました。新鮮ですよ。」


「あら、嬉しいわ。マリー、すぐに調理してちょうだい。エチエンヌ、一緒に食事でも?」


「いいんですか。ではお言葉に甘えて。」


豪商の家を知るドレにとって、ラべの家はさほど豪奢ごうしゃなものではない。小さな扉をくぐり、細い通路を通っていくと、奥に例のごとくらせん階段があり、二階へと上がっていく。装飾も派手なものはなく、飾り柱の要石に、ユーモラスな動物や人の顔が彫られている程度だ。中に入ると、サロンへと通してくれた。サロンには大きな暖炉がある。客を迎える部屋だけあって、舞踏会でも行えるような広さだ。天井は現代ではフランス風と呼ばれる木のはりがむき出しになっているスタイルになっており、それが暖炉と同じように石ばかりの建物に温みを与えてくれている。


ルイーズ・ラベはフランスで最も早く詩集を刊行した女性詩人と言われている。実は彼女は当時の詩人たちが作り上げた虚像で実在しない人物ではないかともうわさされているほど、謎に満ちた女性だ。だがそれなりに彼女の生涯にまつわる話は残っている。


本名はルイーズ・シャルリと言ったが、父が商売用に聞こえの良いラべ(大修道院長)という名を付けたらしい。現代の感覚では分かりにくい話だが、父の妻の亡夫の身内に神父さんがいて、身内の職業ということで格式高い苗字に変えたのだ。そして、その父であるが、縄職人であったらしく、当時それはコルディエと呼ばれていて、のちにルイーズの夫になる人も同じ縄職人であったことから、ルイーズは「美しい縄職人の妻」という意味のベル・コルディエールという通称で呼ばれることが多い。「縄屋小町なわやこまち」とでも呼べようか。縄屋というのがどれほどのもうけになるのか分からないが、家業ではかなり成功し、リヨンの町だけでなく、彼女が後に死を迎えることになるパルシユー・アン・ドンブにも家を建てた。


彼女の愛をうたう自由な詩体は、そのまま私生活に表現されていた。その美しく華やかな、時に甘美かんびな交友関係から、のちに宗教改革で勇名を馳せることになる厳格なカルヴァンからは高級娼婦などと揶揄やゆされた。


実力ある人間に目の敵にされるのは注目されている証だ。事実、ルイーズの美しさはその存在そのものが芸術かと思わせるものだった。カールしたブロンドの髪、曲線美の美しい輪郭、品のある顔つきはその才気を周囲の人間に知らしめるかのように気高く見えた。当時の女性としては背が高く、ほどほどに肉付きの良い姿態したいだが、決して太っていることはない。


それにしてもルイーズの交友関係は確かにきらびやかだった。当時リヨンは吟遊ぎんゆう詩人の宝庫で、名だたる詩人は全てベル・コルディエールと付き合いがあった。モーリス・セーヴ、クレモン・マロと言ったフランス中に名を知られた詩人たちがこぞってルイーズの詩をほめたたえ、彼女の私宅に集っては歌詠みのサロンを形成していた。その優美な繋がりをかのモンテーニュは「ヴィーナスを囲む詩の神々」と形容したほどだ。リヨン派詩人たちの華々しき時代だった。


ここにルイーズの二五篇からなるソネットの十八番を紹介しておこう。彼女がいかに熱烈に愛を謳っているかがよく分かる。


口づけをして もう一度 そしてもう一度と

あなたの一番魅惑的なキスがほしいの

あなたのもっとも深い愛のこもったキスを

そうしたら炎より熱いキスを四度返してあげる


あぁ、なぜなげくの?つらいことは私がなぐさめてあげる

甘いキスを十回もしてあげるわ

こうやって幸せなキスを交わして

二人で喜びにひたりましょう


二人でいるからこそお互いに生きていられるの

そうしてお互いが自分自身と恋人の中に生きていられるの

あなたに夢中になってしまうことを許して


大人しく生きるなんて私にはできない

そんな生活じゃ満足できないの

ほとばしる愛が私からあふれてこない限り

(ルイーズ・ラべ ソネット十八)


さて、台所で忙しく立ち働いていたマリーが料理を運んできた。献立は、

・シナモン風味の肉スープ

・エンドウマメの煮込み

・パンデピス

・サクランボのジャム

・ボジョレーの赤ワイン

である。


今のフランス料理から想像すると、全く異質の食卓だ。当時はまだ全ての料理が一度にテーブルに並んでいた。パンもワインもいっしょくたに出てくる。


大航海時代、ヨーロッパ諸国が求めたものの一つに香辛料がある。当時はサフランとカルダモンを除く、コショウやトウガラシなどの香辛料がアジアからやって来ていた。リヨンはその国際定期市のおかげで、イタリア商人がアラブ人と取引した香辛料の集積地となっており、ヨーロッパ中に香辛料を供給する重要な都市だったという。

ポルトガル人がイタリアの独占を打ち破るべく、自ら持ち帰った香辛料をアントワープに持ち運んで対抗した。香辛料は中世の料理に欠かせない調味料であったが、だからといってただいたんだ肉の味を隠すために使われていたわけではない。


「お嬢様、素晴らしい食材ですよ。塩漬けや燻製くんせいにしない肉なんてずいぶん久しぶりですわね。」


ルイーズは、食事を前に、皿の横におかれたバラの水で指を軽く洗った。ドレも同様に指を洗う。


シナモン風味の肉スープは、牛のブイヨンにアーモンドを細かく砕いて加え、鳥の肝臓もつぶして混ぜ込む。それから香辛料を加えるのだが、シナモンを中心にショウガ、クローヴ、カルダモンを赤ワインで煮込む。そして大量のサトウと適度に塩を加え調理する。今のフランス料理からは想像できないスパイシーな料理だ。しかし、これはこれで美味おいしそうではある。


エンドウマメの煮込みは、まずマメを牛乳とバターで火を通す。十分に火が通ったら、卵の黄身、牛乳、白粉、サフランを混ぜてす。白粉とは、ショウガをつぶしてふるいにかけ、でんぷんを加えて白くしたものだ。もう一度マメのスープに火をかけ、こした卵の黄身をとろ火でかき混ぜながら流し込む。塩とハーブで味を調ととのえて出来上がり。エンドウマメの代わりに、ソラマメを使っても良い。


パンデピスには、1キロのハチミツに、30グラムのショウガ、15グラムのシナモン、8グラムずつクローブ、ナツメグの種を加える。次に、小麦粉を1キロから1・5キロ用意し、硬くなりすぎないように生地を作る。かまは熱くなりすぎないように注意し、少し生地を入れて、上と下が焦げるようだと熱すぎる温度になっている。パンが焼けたらシナモンをふりかけ、バラから抽出ちゅうしゅつした水をパンに塗りこみ、かまの外で乾燥させると美しい色つやになる。半年は持つ保存食だ。


サクランボのジャムは今と大して作り方は変わらない。サクランボの種を取り、砂糖と一緒に二、三時間煮込む。それから大きなかめに入れておく。


ボジョレーの赤ワインはリヨンの地酒と言える。昔から「リヨンには三本の川がある。ローヌとソーヌとボジョレーだ」と言われてきた。ローヌとソーヌは実際にリヨン市民の生活をうるおす重要な河川であるが、ボジョレーという川はない。しかしながら、リヨン市民にとってボジョレーのワインは、二本の重要な川に匹敵するほど愛着のある飲み物なのである。


ボジョレーの赤はガメイという品種を使うが、このガメイはブルゴーニュの在来種で、現代のサントーバンという村の近くにあるガメイ村が原産地とも言われている。


ルイーズは口に入れたパンデピスが喉を通るのを待ってから、口を開いた。


「そうね。マリーの座右ざゆうの書は、タイユヴァンの『食物譜しょくもつふ』はもちろんだけど、『高雅こうがなる悦楽えつらくと健康』というレシピ本なの。イタリア料理の要素も入っていてね。ほら、このオゼイユなんかももとはイタリアから来たんでしょう?アーティチョークも鶏や仔牛のクネルもそうなんですってね。」


「お嬢様、でもこのスープはタイユヴァンから拝借はいしゃくしましたの。」


タイユヴァンの本名はギヨーム・ティレルと言い、十四世紀の人である。この『食物譜』は、実は彼の著作であるかどうかははっきりしないらしく、現存する複数の写本もレシピ数がまちまちで付け足しや書き直しが多いようだ。現在でもパリの名店レストランに彼の名が使われており、その名を知る人は多いはずだ。当時のレシピ本は今のとは全く異なり、分量は料理人の感性に任されている部分がある。ヒラメのすり身は白いショウガを加えるだけ、といった具合に。


「あら、そうなの。またてっきりイタリア風に仕上げたのかと思ったわ。そうそう、イタリアと言えば、フィレンツェから来たカトリーヌ王妃のお蔭で、私たち女性も人前で大っぴらに食事ができるようになりました。イタリア人さまさまですわ。」


「そうですね。少し前まで女性は人前で食事をするとみにくくなる、と言われていましたからね。」


アンリ二世の妻、カトリーヌ・ド=メディシスは、飛ぶ鳥を落とす勢いであったとはいえ、一介いっかいの商人であるメディチ家から由緒ゆいしょ正しきフランス王家に嫁いできた。たかが商人の娘とあざけられ、家格の差に苦しんだとも言われるが、ルネサンス華やかなりしイタリアはフィレンツェから、洗練された文化をフランスにもたらした。権謀術数や毒殺を好んだ悪女として知られているものの、食文化ではフォークや様々な食器をもってテーブルマナーに革命をもたらし、ジェラートや繊細なケーキを持ち込んで、デザートの習慣をフランス人に教え込んだ。人前で咀嚼そしゃくするところを見せた女は醜くなる、という噂が迷信であると証明されたのは、カトリーヌが、女性を男性の食卓に相伴しょうばんし、美しさは変わらないということを示したからに他ならない。美しさは変わらない、ただ太っていくだけだ、と。カトリーヌ王妃が美女であったという話は聞かないが、それは醜さとは別の次元の話なのだ。


「ルイーズ、こんどモーリスが馬上の槍試合をやると聞きましたが、大丈夫なのでしょうか。モーリスのような詩人に槍がさばけるのでしょうか?」


モーリスとは、先述のモーリス・セーヴのことで、リヨン派の詩人として最も評価されていた人物だ。


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