二人の理由

 烏は穏やかに笑っていた。


「……口は利けるわね? 梨太君。銃も毒も、殺傷能力は低いはずよ。さあお話の続きをしましょう。私からの質問に、あなたはまだ答えていないのだから」

 

 彼女はダイニングテーブルの椅子をひくと、梨太の正面へおいて腰掛けた。なぶるように空気銃をゆらしながら。


「……君の、目的は何かしら?」


 そんなことを言った。


 意味が分からず、地面から怪訝な視線を送る。烏の表情から、妖艶な笑みが消えていた。冷酷なまなざし、実験動物を観察する目。


「質問がわかりにくいようね。聞き方を変えましょう」


 きっかり十秒、梨太の回答を待ってから、烏は言葉を改める。


「さっき、一階でクゥが負けて、白鷺があなたに逃げてもいいと言った。そこであなたが抵抗したのはどうして?」


「……どうして、って……」


「百歩譲って、クゥがまだ生きていたなら、すてきなヒロイックサーガだといえたでしょうけど。しかもクゥはもう死んでいる。それを庇った理由はなんだったの。まさか、死姦が趣味だなんてオチじゃないでしょうね」


「……僕は、鮫島くんが好きだ」


 梨太の言葉に、烏の目がさらに冷たく吊り上った。凍り付くようなアイスブルー。彼女は不機嫌に眉をしかめ、頬に醜い皮肉の色を刻んだ。


「は? なにそれ。答えになってない」


 梨太はゆっくり、ゆっくりと力を込めて、うつ伏せから膝を立てた。亀のようになり、自分の臍に向かって、切れ切れに言葉を紡いでいく。



「……僕はあのひとが好きだ。綺麗だとか……女の人になるからということじゃなくて、人として、とても好きだと思ってる。

 五年前、オーリオウルというところで、たくさんの人を殺したって、聞いた。そのとき僕はうれしかった。

 鮫島くんは……すごく可愛いひと、だけど、自分の命を粗末にしてるって、思ってたのが――ああ、ちゃんとできるひとだと――本当に必要なときは、人を殺してでも自分の命を大事にできるって、わかったから」



 肘をたて、身を起こす。体重をかけた拍子に上腕から血が吹き出した。床に飛沫が散った。

 梨太はどうにか、尻を床におろすと、座り込む姿勢になった。それが限界と、両腕をだらりと下げ、顔を伏せる。


「鮫島くんは……潜入前に、ナイフを装備してた。それを使っていないままだったから。まだ、余裕があるなかで、白鷺の命を奪わないように戦っているんだと思った。……死んだふりをしているって、確信があった。だから、胸(しんぞう)を触られないように、気を逸らしたりしただけ……」


「……クゥの死体を庇ったのは、演技だったわけ。博打だわ。自分の命をかけられる勝算はどこにあったの」


「白鷺は、元騎士だ。騎士道みたいなのは、性根にあるんだと思った。……潜入してすぐ、一度、真正面から襲い掛かってきた。そこに打算的な理由は見当たらない。まずは、一対一でちゃんと戦って勝ちたいなんて考えてたんだ、きっと――」


 白鷺が性根から騎士道精神に侵されているのなら、ぎりぎりまで自分を攻撃してこないと感じた。

 目の前に烏が仁王立ちになっている。その細い腿を見つめながら、梨太はニヤリと笑った。


「勝てるとわかってて、喧嘩を売るやつは、卑怯ものだ……負ける勝負を受けるやつは、ただの馬鹿だ。だけど戦う理由があるなら――ちゃんと、やらないと。僕は喧嘩が大嫌いだけど、戦うべきときに逃げ出すやつはもっと嫌いなんだよ」


 梨太の言葉の末尾を打ち消すように、烏が銃を放った。

 ――ピチュンッ! 

 梨太の太股に穴があく。


 痛みにのけぞる。そのまま続けて二発、すねに食らって悶絶した。


 無言のまま射撃した烏は、表情から皮肉の笑みすら消失させていた。



「クゥはそんなこと考えない。ただ自分の命を粗末にしただけだ」



 抑揚のない口調は、速度を下げていた。


「君が言ったことはすべて根拠のない希望的観測だ。たまたま偶然、当たっただけ。クゥがナイフを使わなかった? そんなもの、当人も忘れていただけでしょう」


「んなわけないでしょ。鮫島くん、ぼーっとしてるとこあるけどアホじゃないんだから」


 梨太は不敵に笑う。


「あれでけっこう打算的だし、物事の優先順位つけて選べる人だよ。あの死んだふりだって、僕はそれを見破るって信じてくれたから――」


 ピチュン! 銃弾はわき腹を貫いた。激痛に身をよじり、悲鳴があふれそうになるのを押し殺すように絶叫する。


「いっっつ、てえっな! 痛いよ! さっきから何すんだよもうっ!」


「私の見込み違いだったかな。君はもっと賢いと思っていた」


 銃を構えたままいう烏。梨太は唇をとがらせて、


「僕は別に、賢く生きたいわけじゃないもん」


 そういってから、ふと思いついて噴き出した。


「あ、なに? もしかして懐柔して部下にしようとか考えてたわけ? やだよそんなの。あなたの太股にはたしかにグッとくるもんがあるけど、鮫島くんのほうが美人だもん。あだっ! 痛い!」


「クゥが他人の命を気遣うのは、仕事だからだ。そうでなければ殺す。そうであれば自分の体も差し出す。お前をかばったのも、私を討たせるという仕事のため」


 いいながら、烏が放った銃撃は梨太の体を逸れ、床を叩いた。圧縮した空気を打ちだした銃弾はフローリングに米粒大のへこみを作る。


「クゥには感情なんかない。八年間、私が何をしても拒否しなかった。泣かなかった。つらいとも苦しいともいわなかった」


 銃の連射。数発は梨太の体を打ち抜いたが、ほとんどが床にあたった。遙か遠くの壁にまで被弾する。ねらいが定まっていない。


「おまえがクゥを知って何日になるというのだ」


 弾道が頬肉を裂く。顎まで垂れた細い血を、手の甲で適当に拭って、梨太は後ろ頭をかいた。

 ちょっと、言いにくいことを、提言するようにして。



「……あのさ。まず鮫島くんに、感情があるってことを大前提にして。表情とか、声とか、ちゃんと表に出てるんだよ。……ちょっとわかりにくいけど、八年も間近で見てれば、わからないはずはないんだよね」


「なに?」


 烏が眉をしかめた。その水色の瞳に、梨太はじっと、視線を合わせる。


「あなたがそれに気付かないほど鈍感、ってこともないと思うし。……そこで、出た結論として……彼、あなたの人体実験、そんなにつらくなかっただけじゃない?」


 銃口がふるえた。

 烏がひきつった笑みを浮かべる。


「はぁ? なに――なんだって? そんな――そんなわけないでしょ。何人もの軍人が逃げ出した実験よ」


「いやそりゃ痛かったでしょうけど、わざわざ口に出すほどのもんじゃなかったというか」


 烏の瞼が痙攣する。梨太は、その場にいない鮫島に対しあきれたように嘆息した。


「仕事でも、ほんとに嫌だったら言うじゃん。表情も、動きの幅が小さいだけで、けっこう豊かだと思うけどな。機嫌の善し悪しは口元に出てるし、視線が正直に見たいもの追いかけてるし。無愛想でもないよ。何考えてるのって聞けばふつうに教えてくれる。嘘つくのがへたくそなぶん、むしろわかりやすいひとじゃない?」


「あれは――嫌だとか、痛いとか、そういう言葉が無い――」


「……僕どっちも聞いたよ」


「人と関わるのが出来なくて」


「ああ、彼、パーソナルスペースが極端に狭いんだよ。見目に気圧されるのもわかるけど、遠目から窺うんじゃなくて、ぐいっと手を引いて誘うとか隣に座っちゃったほうがいいよ」


「誰にも心を開かない――」


「なにそれ。周りが勝手に敬遠してるだけで、本人はぜんぜん人見知りもないしどっちかというと人なつっこい、付き合ったら甘えん坊になるタイプかと」


「感情のない、機械のような――」


「……笑い上戸の赤面症」


「どんな苦難からも決して逃げ出すこともなく」


「それを恥ずかしがってひとんちの屋根まで逃げていくとか、成人としてどうなのって話だよね。かわいいけど」


「絶対に、怒りをあらわすこともなく」


「僕、しまいにゃ屋根から落とされかけた。殴られるよりは生存確率高そうだけどありゃないよ、怖い怖い」


「………………」


 烏はしばし、言葉を失った。顎に手を当て、戸惑い、梨太を見下ろして視線が泳ぐ。


 やがて悲鳴じみた声を上げた。


「あの子が怒るなんて。君、いったい何をやったのっ?」


「いやあ、まあいろいろと」


 後ろ頭をかいて、梨太。


 烏はぶるぶるふるえた。


「だってそんなっ……私が、あの子が寝ている間に顔に落書きしてもふつうに洗顔して出ていったし、楽しみにしていたラジオ番組を電波ジャックしてラトキアン音頭しか流れないようにしたときもあきらめてそれを聴いていたし、おいしいもの食べにつれていってあげるっていって苦南瓜のフレッシュジュース専門店に連れ込んだときも二時間かけて黙って飲んでたし、腕のけがを治療するついでにロケットパンチが出るようにしようって設計図渡したときには二日ほど口利いてくれなかったけど三日目には黙って手術同意書に丸をしたのよ!?」


「なにやってんだよあんた! 化学兵器開発実験どこいった!? っつか、実は超気になってたの怖くて聞けなかったけど、虐待ってそういうことかよっ!」


 梨太は全力で叫んでから、はっとなる。


「あっ!? もしかしてアタッチメントってそれのこと? え? 鮫島くんロケットパンチでるの!?」


「いやそれは、ちょうどその日に将軍が乗り込んできて私の身柄確保されちゃったから」


「危ないとこでした! 鯨さんグッジョブっ!」


 その場にいない鯨にむかって親指を突き立てる梨太。


 そしてふと顔を伏せて、


「むう、僕におっぱいさわられるのはそんなに嫌ってことなんだろうか。それともあわよくばもう一段階先まで持ち込もうって言う心の声が漏れていたのだろうか……?」


「私がいうのもなんだが、君ってたいがい変態だな」


「ホントあんたに言われたくないよ」


 梨太はきっぱりと言い返す。


 ふわふわの柔らかい栗色の髪、琥珀色の愛らしい瞳。その中央にある凛々しい眉をしかめて。



「ホントに、なんでみんなそういうのかなあ。僕はただ、魅力的なものを好きになって、好きなものを好きだと言って、ほしいものを、ほしいと伝えているだけなのに。

 ……それを、意味のないしがらみを言い訳にして我慢したり、やすいプライドを守るために逃げたり、背中を向けていつか相手が好きになってくれるのをただ待ってるほうが、よっぽど歪んでる。世の中の方が変態で、僕のほうがふつうのことをしてるだけだよ。

 あんたなんてその筆頭じゃないか」



「……なに?」


 烏が細い眉を上げる。梨太は正面から彼女にむかって言い放つ。


「実験が趣味だとか、被験体として便利だとか。嘘ばっかり。

 あんた、ただたんに鮫島くんのことが好きなんだ。

 彼の声が聴きたくて、自分の行動で彼に反応してほしくて、嫌がるようなことをしてた。小学生ならまだしも、大人になってからそういうことするのをド変態っていうんだよ、烏さん」


 烏は沈黙した。

 銃口を梨太に向けたまま、身体を硬直させて押し黙る。

 数十秒――そのまま停止して――――


 やがて、その華奢な指先で自分の頬にふれる。



「……あれっ? ……否定できない!」


「あほ」


 梨太は半眼になってつぶやいた。

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