いつか僕が強く大きくなったら。

 夕刻――


 梨太は鮫島の背中に乗って、杉の木の頂上にいた。


 上空二十メートルから見下ろす元学生寮、敵アジト。


「……窓という窓が内側から封鎖されている」


 杉の木に対しほぼ九十度、水平に生えた枝のような姿勢で鮫島が言う。彼の足の裏がどうやって幹に張り付いているのか、梨太は理屈で理解できず考えるのをやめている。


 前夜の偵察にきた梨太は、双眼鏡で外殻を確認した。


「やっぱり一階から侵入していくしかないのかな」

「とりあえずはな。中からバリケードを破れるくらいなら毒の噴出口や電波発生地を探して壊したほうが早いし、そうでないとどうせ入れない」


 梨太は携帯タブレットに取り込んだ見取り図の画像を開いた。実物と並べて、頭の中で立体模型を組み上げる。


「んんー……毒は一階の厨房で作って、食堂の窓付けエアコン、電磁波は二階のホールの天井スピーカーを流用してるんじゃないかと思うんだよねえ。自作パソコンもそうだけど、全く新しく工事するのと、たとえ壊れてても形だけ設備があるのとでは作業がダンチだもん」

「団地?」

「段違い。まあいいや、中に入ったら、とりあえず今いったやつ一発殴ってみようか。それで当たればラッキー。ダメだったら、烏を倒してからゆっくり探そう」

「了解。では今夜は引き上げよう」


 鮫島はそういって、梨太を背負ったまま木の幹を蹴った。

 一瞬の空中浮遊、そして隣の木へ移り、進みながら高度を下げていく。


 梨太は鮫島の首にしがみついたまま、半眼になってぼやいた。


「……文句をいうわけじゃないけどさ……降りるときは一言ほしいよね」


 やわらかい土の地面に、音もなく着地。鮫島は背中の梨太を振り返り、言った。


「リタ、降りたぞ」

「了解。報告どうもありがとう」


 皮肉を言って、彼の背を降りる。


 肌寒い秋の夜、二人で帰宅すると、梨太はさっそく夕食の支度にかかった。

 騎士団四人は先に集まっていて、蝶が料理の下準備をしてくれている。


 この三日、梨太は夕食を騎士団ともにしてきた。彼らは二人ずつ順番に抜け、宇宙船やアジトの見張りをしてきたが、今日はくじらくんに任せて全員が梨太の家へ集まっていた。といっても、昏睡し入院中の一人が欠けて、猪も片手を力なくぶら下げたままだったが。


 合計六人の男の食卓で、一汁三采の膳など並べていられない。炊飯器で炊いたピラフと、キャベツひと玉にキノコとベーコンを煮込んだ土鍋のポトフ。そして山ほどの鶏の唐揚げ。


 まずは一回目を八割がた揚げたところで油から出し、二回目を揚げ終わってから再度もどして、両方が揚げたてホカホカになるようにして、大量の肉を大皿に盛った。


「こっちがニンニクと塩、この皿が生姜醤油で下味つけたやつ。どうせ二回に分けるから味変えてみたっ」

「リタ君は働き者だなあ」


 蝶が言う。しかしその作業をやってくれたのは彼自身である。梨太はレシピを渡しただけだ。


「それを言うなら、おたくの団長さんね」


 そういって、食卓の鮫島へ視線をやる。彼は毎度、食事開始のぎりぎりまでなにかしら作業を行っていた。聞けばラトキアで軍人の慶事があり、その電報をうっているとのこと。


(……こないだ、鯨さんは高校潜入で成果が上がらなかったって責めたけど、そりゃ仕方ないんじゃないかなあ)


 レモンスライスを作りながら、思う。ろくに出席しなかったのも、なじめなかったのも、いまだ日本語がろくにできないのも、とかく彼が忙しいからだ。


 並んでいく食事の前に、いそいそとくじらくんを片づける鮫島。どれだけ仕事がたて込んでも、彼は決して、ものを食べながらそれを続けることはなかった。それは彼の育ちがいいからであって、食いしん坊だからではない。と思う。


 二つの皿からひとつずつ順番に、交互に食べる鮫島。二口目で目を細め、柔らかい声でつぶやく。


「すごくおいしい」


 梨太は、彼以上におおきな笑顔を浮かべた。


 働くことは、好きではない。

 仕方がないからやるだけだ。

 それでも、報酬があるならば喜びがある――


 梨太はそう確信した。


 毎度のこと、鮫島はおいしそうに食事をとる。それは騎士団みなも同じだった。お世辞にも凝っているとは言いがたい梨太の手料理しかり、コンビニの菓子パンでも美味い美味いと食べているのを見かける。


「もしかして、ラトキアってゴハンいまいちなの?」


 梨太が聞くと、一同は複雑な顔をした。


「町の食事が不味いってことはないけど、軍の支給品は、喜べたもんじゃねえんだよ」


 犬居がいう。宇宙船に積めるのは長期の保存と特別な環境に耐えられるようにつとめられた携行食で、どうしても、美味さとは別の要素がはいってしまうらしい。そのうえ種類も豊富とはいいがたく、数日ならまだしも何ヶ月も耐えられるものではない。


 鹿が苦笑いをして、


「だからできるだけ現地で調達するんです。でもやっぱり、必ず口に合うというわけにいきませんから……。日本食はいいですね。衛生クオリティが高いし、食材も調味料も豊富だから、選択肢が多くて助かってます。虎ちゃんは日本に来る前に噂を聞いてて、任務中に和食メニュー全制覇してやるとか言ってましたもの」

「団長はあんまりこだわらないけど」


 と、蝶。


「え、ほんと?」


 梨太は疑った。どう見ても食事を一番堪能してるのは鮫島だ。ひとなつっこい笑顔の蝶は騎士団長を指さして、


「だってこの人、ラトキアにいるときもずっと軍の支給食で生活してるもん。おれたちは休日は家に帰るけど、団長は騎士団領から一歩も出ないからね。ずっと仕事か鍛錬か。食事だけじゃなく、私服から靴下まで全部」

「……寮食はべつに不味くない。無料でもらえるもので足りているなら、出かける必要がない」


 鮫島がぼそりと補足し、全員が笑った。


「屋敷のほうも住み込みの家政婦が一人暮らし状態で、あんまりさびしいから友達よんでホームパーティやってるらしいじゃないですか。団長、給料いつ使ってるんですか」


 言われて、彼は今になって自分でも思い当たるところがあったようだ。天井を見上げて、しばし思案して。


「……うん? 口座……実家のままになってるな」


 一同は腹を抱えて笑った。



 食事があらかた片付いたあと、蝶が、ラトキア軍支給の甘菓子というものを分けてくれた。薄っぺらいパッケージに、板ガムのような塊である。

 ためしにひとつ食べてみて、梨太はすぐに口元を抑えなんとも言い難い表情を浮かべた。犬居がこれまでになく楽しそうに笑う。


「俺らの給料ってのは他の軍人と比べて格別ってほどじゃねえんだ。代わりに在任中は屋敷やら食生活やらを全部軍が支給してくれる。生活費がかからねえぶん貯金ができるって話だ」

「なるほど、若い精鋭に途中退職されないよう、うまいことできてるわけね」

「……かもな。けども、その支給品ってのがこういうのんだからよ、結局みんな外で遊んで、支給品はホントに困ったときしか使わねえ。それで生活してるのなんか団長くらいだぜ。堅物の猪でも酒は取り寄せるしな」

「娯楽品なんてお絵かき道具とカードしかありませんしね」

「だからこの人、絵だけはめちゃくちゃ上手で、カードもでたらめに強いんだよ。ボードゲームは並べ方も知らないのに」


 部下たちに言われっぱなしのまま、黙ってお茶を飲んでいる鮫島。きっと興味がないのではなく、ただただ出かけるのが億劫なのではないかと梨太は検討つけた。


 食器洗いを鹿に任せて、梨太は冷凍庫からアイスクリームを取り出した。ずいぶん前、自分用に買ったものなので一つだけである。


「ねえねえ鮫島くん、これ。さっきのお菓子、何かに似てると思ったんだよね」


 と、スプーンとともに差し出したのは、カップアイス本体ではなくその蓋、の、裏にこびりついた、水分の飛んだクリームの塊。鮫島はしばらく不気味そうにそれを眺めていたが、スプーンでこそぎ、ひとくちそれを食べた。そして、吹き出す。


「ほんとだ。しかも、こっちのほうが美味しい」


 笑い出した彼に、梨太はカップアイス本体を渡してあげた。彼はとてもうれしそうに、それを食べた。

 騎士団一同がそれを見て、複雑な顔で視線を合わせる。


 そして、くすくすと笑った。




 その夜――


 騎士団はみな本拠地へ引き上げ、梨太はひとり、静寂のリビングに腰かけていた。

 寝間着のまま、ただじっとそこに佇む。

 リビングの時計は深夜零時を大きく回っていた。家中の電気はすでに落としてある。月明かりすらカーテンでさえぎり、室内はまったくの暗闇であった。


 もう小一時間、梨太はそうしていただろうか。


 嘆息し、外套代わりにパーカーを羽織って、サンダルをひっかけ、家を出る。鍵をかけなかったのはそこからどこへも移動をしないからだ。玄関を出てすぐの段差に腰かけて、夜空を見上げる。際限なく出てしまいそうな嘆息を、細く尖らせた唇からの吐息へ変える。小さく口笛が鳴った。


「眠れないのか」


 声は、頭上から聞こえた。梨太は驚きもしなかった。軍服姿の鮫島が自宅の屋根から降下し、足音もなく、植え込みの淵に着地する。そちらを振り返ることもなく、梨太は虚空へとつぶやいた。


「うん。策は練った。やれるだけのことはやった。ここまできたら、あとは、突っ込むだけよね」


 膝を抱える。小柄な手のひらで腿を温めようとしたが、ちっとも温もらない。


 震えが止まらない。


「あとはなにも考えず突っ込むだけ――考えないようにしていたことが、考えられるようになって。ちょっと、怖くなっちゃったよ」


 鮫島は無言で、植え込みから梨太を見下ろしている。暗闇で、鮫島の表情はうかがい知れなかった。そうでなくても梨太はそちらを見ていない。


「……もう少しくらい、鍛えておくべきだったかな」

「やめてくれ」


 鮫島が言った。


「もしもリタが、戦闘まで強くなったら、俺が勝てるものがなくなる」

「――はいっ?」


 あまりにも突拍子もない発言に、梨太は素っ頓狂な声を上げ、思わず彼のほうを振り返った。



 幅十センチの煉瓦塀に膝を曲げてしゃがんでいた鮫島は、なんにも面白くない表情で、梨太のほうを見ていた。

 肌の色も見えないほど漆黒の闇夜、鮫島の姿だけはなぜか判別ができる。かすかに蒼く光っているのは、もしかしたらなんの錯覚でもなく事実なのかもしれない。


 彼は無言で植え込みを降りると、腰帯に差した武器を抜いた。艶のない黒の刀である。

 シルエットは小ぶりの刀だが刃はない。麻酔刀と呼ばれるそれをラトキアの騎士が振るい、ひとを失神させるのを見たことがある。


 彼は座り込んだままの梨太の手を取り、その手のひらに、刀を乗せた。


「! わ! 重っ?」


 不意打ちに肩から落ちそうになる。


 柔らかいものを限界まで圧縮した、硬質ゴムに似た不思議な感触で、鉛の固まりのように重い。こんなものを小枝のようにぶん回し、敵を追って駆け回っていたというのか。改めて、鮫島の力を思い知る。


 ダンベル上げでもするような気分でジリジリ持ち上げようとする梨太の手を、鮫島が下から添って助ける。大きな手だった。だが思いの外やわらかく、繊細な指をしている。


 梨太は彼の手から、腕をたどって、胸元、喉、彼の顔へと視線をあげていった。


 この数日で、女性に近づいているという鮫島は、どことなくその目元に憂いを帯びて見える。それは梨太の錯覚なのだろうか。精悍な面差しに、深海色の濡れた瞳――


 淡い桃色の唇が言葉を紡ぐ。 


「これは四年前、俺が騎士団長になり、兵器開発に関わる権限を得てすぐに科学班に相談し、完成させたものだ」


 梨太は目をぱちくりさせる。突然何の話かと聞き返そうとして、次の言葉に息をのむ。


「その一年前、俺はおよそ百五十人を殺した」


 鮫島の表情に、変化はなかった。梨太は言う。すこしだけ声が震えていた。


「でも……鮫島くんは、そういう、お仕事だ」


「その通りだ。俺は軍人だからな」


 鮫島は梨太の手から刀を奪う。そして彼は、梨太の家から道路へ出ると、身を屈め、胸が地面につくほどにうねり、虚空を斬り込んだ。刃のない刀が大気を裂き、なにもないところにあったなにかを削り取る。


「この刀は武器じゃない」


 そのままぐるりと回転する。重い刀を重心にし、長い手足が回った。刀の位置は動かずに、鮫島だけが空を飛ぶ。


「これまで首を掻いてしとめてきた人間を、無傷で沈黙させるための鎮静剤。人を助けるためのものだ」


 扇が閉じるように、鮫島の体がもとのように戻っていく。

 そして、刀を納めた。 


「……扱い方にコツが必要だが、修得すればむしろ小枝よりも腕力を使わない。使う者が雌体で、腕力がなくても、強すぎても、優しすぎても、使うことができる。刃こぼれもなく血の脂で刃がつぶれることもなく、鎧も白羽取りも関係なく、水中でも拡散感電せず、威力を変えず、一度の充電で二年間の野戦へ持ち出せる。敵も、味方も死なない。そういう刀を俺は作った。

 十五歳のとき、オーリオウルの事件で敵も味方も全滅させて、生き残った俺は英雄と呼ばれた。

 だけど、『惑星最強の男』とよばれるようになったのはこの刀を使い、捕虜を誰も傷つけず作戦から無傷で帰還したときだ。

 何百人もの命を奪う英雄より、誰も傷つけない男のほうが強いんだよ。リタ……」


 そう言って、穏やかにほほえむ。


「おまえは強い」


 月夜の下、鮫島の細長い肢体が梨太を見下ろす。彼の背中にあたった街灯がその影を伸ばし、梨太の全身を陰らせる。まるで鮫島に抱かれているようだと梨太は思った。


 そのとき、ふわりと人間の体温が実際に梨太を包む。鮫島が実際に梨太を抱きしめていた。触れられている感触もないほどに、優しく。


「なにも恐れなくていい。俺が守る。おまえは傷を負うことはないし、誰も傷つけることはない」

 

 鮫島の腕の中で、梨太はしばらくじっと、身を震わせていた。彼のぬくもりが皮膚にしみこみ、ゆっくりと、芯を溶かしていく。腿の震えがようやくとまって、梨太は少しだけぎこちなく、笑った。


「悔しいなあ……そのセリフは、僕が、鮫島くんに言いたかったのに」

「十年早いな」

「おまけしてよ。二割引きくらいにならない?」

「早く大きくなれ、リタ。お前が俺を包めるくらいになったら――」


 鮫島は、そこまで言って、言葉を切った。

 もったいぶっているわけではなく、どうやら本気で思いつかなかったらしい。


 考えながらものをしゃべるのにとことん向いていない口下手な軍人は、だいぶ長く言葉を迷ってから、なんだか間の抜けた口調で続けた。


「そしたら、海に行こう。お前とならサメにも会える気がする」


「泊まりで?」


 梨太が言うと、鮫島はちょっと困ったように眉を垂れさせた。また少し悩んで、ほほ笑む。


 そしてうなずいた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る