第17話 ど真ん中

 三回表、こちらの攻撃は九番、野中から。

 打席に向かう前に野中に声を掛けておいた。自分のしてきた練習を信じろと。

 さあ、その練習の成果を出す時だ。その小柄な体格を生かした、お前なりの野球をやってこい。

 初球、野中に投じられたボールはインコースへのスライダー。これは見送ってストライクになる。

 二球目。外に逃げるスライダー。これもストライクになる。カウントツーストライク、ノーボール。簡単に追い込まれる。

 そして三球目。相手ピッチャーが投じたインコースへのストレートに遂に野中が踏み込む。バットは音を立て、ボールは打ち上がる。後ろに。これはファールになる。続く四球目はフォークを見送ってボールになる。

 その後もフォークを見送ってボール、インコースのストレートをカットしてファール、外のストレートを見送ってボールになる。

 よし、よく見えてるぞ、野中。これでフルカウントだ。

 いやー、にしても上手くいっているようで面白いな。思わずニヤリと、我ながら怪しいと分かる笑みが溢れてしまう。

 相手ピッチャーは投げづらそうにしている。そりゃ、ストライクゾーンの狭い野中には今まで以上にコントロールが必要とされる上に、ストライクに投げればカットされる。これほどピッチャーからしたら嫌なバッターもいないだろう。

 だが、そんなことを考えていたら投じられた相手の外へのスライダー。野中はそれに振ったバットが当たらず三振になる。流石に練習してこなかった変化球への対応は難しかったか。


「すいません、塁に出られなかったです……」


 野中は申し訳なさそうに戻ってくる。


「まあ、気にしないでよ、唯ちん! 唯ちんの仇は私が討つからさ」


 ベンチに戻る途中の野中の肩に軽くポンっと手を置いてから、バッターボックスに向かう友香。


「――そういうことだ、一々気にしなくて良いぜ。初めてで緊張しただろうし、それに寧ろその割にお前は良い仕事をしてくれたさ。相手に球数を投げさせてくれた」


 それで充分だ。これが意外と後からじわじわ効いてくるもんだ。それに球を多く見れたということは、それだけ軌道に慣れやすくなったということだ。次の打席に期待だな。


「……ありがとうございます」


 微笑を浮かべ、後は安堵の息を吐く野中。緊張の糸が切れたようで、へなへなとベンチに座り込む。その姿を見たら、尚更お前はよくやったよ。

 さて、そういえば友香はどうなったかな。っと、野中から友香の方に視線を移す。その瞬間、バットは空を切り三振になった。……おっ、おう、早かったな。仇討つどころか野中よりあっさり打ち止られたな。

 続く、宮下も三振。結果的には、野中以外はあっさり三振を取られてしまった。

 まあ、それも仕方ない。

 相手もなかなか空振りの取れないストレートを減らして、変化球主体にしてきた。キレも悪くないし、あの変化球を混ぜられるとストレートも生きてくる。その前に点が取れたのは良かったが、やはりこれ以上点を取るのはそう簡単では無さそうだ。

 っとなると、重要になる守りの方。さて、そろそろかな。守備に向かうナイン全員に声を掛ける。


「皆、そろそろ強い打球も来るかもしれないから、気を引き締めてな!」


『はいっ!』


 ナインが行ってから、ふと相手ベンチを見る。するとおっさん監督が次のバッターに何事か耳打ちしているのが見えた。

 やっぱりな。そろそろ相手も不可解に思ってきている筈だ。咲の投球を見る度に疑念は増すばかり。だが、そろそろその疑念は確信に変わるだろう。

 相手も所定の位置に着き、咲の投げた初球。相変わらずのエグイ球を投げるが、真ん中の甘い球になってしまう。それを素早く踏み込んで、相手が叩いてくる。だが、それに咲が素早く反応する。っというか、偶然っぽいけど、取れなければセンター前ヒットという当たりがグラブに収まった。危なくも先頭を打ち取り、これでワンアウト。

 しかし、今の踏み込み異様に早かったよな。ストレートしか来ないと分かった上の、スピードボールのみを打ちに行ったバッティングだった。

 間違いない。あのおっさん監督の指示だな。やはり咲がストレートしか持っていないという疑念を持って実験をしてきたか。まあ、咲が変化球を持っているかいないかはともかく実際現在までストレートでしか来ていないならそれに対応するバッティングに変えるのは当然だ。

 ――でもな、それで打てるとは限らないんだぜ。

 何度も言ってるが、咲のストレートは普通のストレートじゃない。謂わば出会ったことのない未知のボールだ。そんな球を分かっていたって簡単に打てると思うな。それにな――


「ストライク、スリー!」


 もう何度目か。数えてないが、また咲が三振を取る。

 ――バッターが分かってても打てない球だから、普通じゃないんだよ。

 これでツーアウト。正直この回も順調に三者凡退になると思っていた。だが、三人目のバッター。このバッターへの投球はほとんどが高めに外れフォアボールになってしまう。これにより遂に今日、初めてのランナーが出てしまった。


「ドンマイ、ドンマイ! 咲、ツーアウトだよ! 落ち着いていこう!」


 おっ、良いところで声掛けたな、友香の奴。ここまでパーフェクトで抑えて来ていたのだから、どんな投手でも動揺してしまう時だ。しかもフォアボールで出してしまったなら尚更。投手を落ち着かせる作業は大事だ。


「そうそう! バッター抑えていこう!」


 ボールを返球しながら、佳苗も声を出す。

 だがそうは言っても、久しぶりの実戦、そして試合での投手としての経験が全くない選手に落ち着けといっても難しいものがある。

 その後も佳苗の構えたコースにはなかなか行かず、来た球も一球パスボールにより後逸してしまい、ランナーを進めてしまった。しかもストライクはカットしてきやがる。結局またフォアボールにより二人目のランナーを出してしまった。まずいな。試合が進む毎に、徐々に急造チームというボロが出てきてしまっている。

 ちっ、それに認めたくはないが相手も流石だ。もう既に二巡目に入り、咲の球に目が慣れ始めてきたのだろう。相手の一番、前の回は全く対応出来てなかったくせに、この打席では見事にカットしてきやがって。あのノビのある球をカットする技術もそうだが、ピッチャーが荒れ始めたと見るや全く持って無駄に打ってこねえ。打てないからってやけにでもなってブンブン振り回してくれるならありがたいってのに。

 さて、このままじゃずるずる点を取られていっちまうぞ。

 続く二番打者、初球を期待するがここでも球は高く外れてしまう。

 野手にも不穏な空気が漂い始めたその時、ボールを強く返しまた座った佳苗がミットを構える。その光景に目を見張る。佳苗がミットを構えた場所。なんと、真ん中に構えて来た。ど真ん中。マウンドに立っていない俺の鼓動までもがドクンと強く跳ねる。

 佳苗の奴、思い切ったことをするな……。そこ、打者にとっては一番打ちやすい所だぞ。

 でも、あそこに構えたのは、細かいコントロールなんか気にするな、お前の球なら真ん中でも打たれないっていう意志の現れだと思うぜ、咲。

 そうだ、その通りだ。それで良いんだよ。まだ咲の球はまともに打たれていないんだ。さっさと真ん中でも投げて抑えてこい。

 その佳苗の意志は咲も理解している筈だ。構えた瞬間は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに意志は固まりコクリと頷いた。

 そして、投げる。幸か不幸かボールは狙い通りにど真ん中を貫いて行く。その絶好球を好機と見るや、相手は踏み込み鋭いスイングでボールを捉えてきた。


「ファウル!」


 だが、ボールはバックネットを揺らした。

 続く三球目もファールになる。

 はあっ……ったく、とんでもねえな。うちのエース。

 笑いながら投げてやがる。ど真ん中に投げるからって最初から微塵も打たれるなんて考えてないな。抑え込む気満々な訳だ。

 そして四球目、今までより勢いよく振られた腕から放たれたボールはズバンっと鋭い音を響かせて佳苗のミットに届いた。相手の出したバットは空を切って、スリーアウト。咲は小さいガッツポーズを作る。

 よくやったぞ、これでピンチを乗り切った。


「咲、ナイスボール!」


 ベンチで佳苗が最初に声を掛けた。それを合図に皆がそれぞれ咲を称え合う。良い雰囲気だ。得点を上げて喜びあう。完璧に抑えて喜びあう。ピンチを抑えて喜びあう。

 ピンチの後にチャンスとよく言う。それはピンチを抑え、チームが一つになり攻撃にもチームが現れるようになるからかもしれない。こういうことが普通に出来てしまうチームは強くなっていくもんだ。

 後残りイニング数は二回のみ。だが、次の回からは全員二巡目になり、しかもクリーンナップから。本当に怖いのはここからだぞ。

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