▼第四章『ふしぎの海のバトイディア』 ♯2
「……ねぇサティ……なんか……ちょっと……大きくなってない?」
ケイジがようやくポツリと口にできたのは、そんな感想だった。
沈没しかけていた〈ナガラジャ〉の浸水はそれによって治まり、深度を維持して〈ファブニル〉合流地点への移動を再開していた。
サティがいくら不定形生命体だとはいえ、決して小さくはない〈ナガラジャ〉を覆い尽くすなど、いくらなんでも大きすぎる。
……もとは〈じんりゅう〉の艦尾格納庫に納まるサイズしかなかったのに。
『………………そおぉぉぉ……なんですよケイジさん! 話せば長~い
実はですねぇ────』
彼女はバトル・ブリッジをビリビリと震わしながらケイジのコメントに食いつくと、ついさっきまで無意識状態だったらしいのが信じられない程に、恐ろしく饒舌に語り出した。
そのおしゃべり具合から、やたらで巨大になった以外は、これまでのサティとケイジには区別がつかなかった。
それはどちらかといえば安心できる事柄であったが……。
のべつ幕無しにまくし立てるサティの説明を、ケイジが理解力の限りを用いて要約するならば、彼女は〈じんりゅう〉と共に【
『いや~向こうには悪気な無かったみたいなんですけどねぇ……』
サティは朗らかに語ったが、ケイジは笑う気にはなれなかった。
サティを捕食したのは、【インナーオーシャン】で誕生・進化した巨大なアメーバやスライムのような不定形生命体なのだという。
サティはいきなり衝撃的事実を告げると、ケイジ達の理解が追いつくのを待つこともなく、話を先に進めた。
サティは彼女とよく似たスライムというかアメーバのような巨大不定形生命体に捕食されてしまったわけだが、その生物にとっての捕食とは、己の一部として記憶と肉体を同化するという意味でもあった。
故にサティは|、IDN|(先住生物)に食われたことでソレに自分の記憶と肉体を奪われたとも言えるが、同時に彼女の自我はIDN|の記憶と肉体を得たとも言える状況になれたのだ。
ようするにサティは自分を喰ったヤツの肉体を乗っ取ったのだ……とケイジは理解した。
――それでそんなにデカくなったのね……――
ケイジは下手にコメントせずに無言で納得した。
食われたサティが、サティとしてのアイデンティティを取り戻すのに今まで時間がかかったので、再び〈じんりゅう〉の元へ現れ、〈ナガラジャ〉の窮地を救うに至るまでおよそ三日もかかったのだそうだ。
それまではほぼIDNの本能で、なんとなく〈じんりゅう〉を追跡していたらしい。
そして同化された結果、サティはIDN|の有する記憶と歴史をイメージとして知るに至ったのだそうだ。
このような状態に彼女がなれたのは、彼女がソレにとってのただの餌ではなく、サティが……元々は木星の雲海の底で、スィン・ヌニエル博士ににより、木星の雲海の底で発見されたオリジナルUVDから採集された起源グォイド細胞から培養された生物、〈クラウディアン〉であったからだが、どうも“IDN|”はクラウディアンと先祖を同じくする生物だったらしいのだ。
サティの元となった起源グォイド細胞は、スィン・ヌニエル博士がそれを
『お父様、当たらずとも遠からずだったんですね!』
サティは朗らかに、生みの親の研究成果と真相をそのように評価した。
少なくも、クラウディアンとIDN|は非常に近しい存在であることは間違いないらしい。
そのIDN|の細胞が何故オリジナルUVDに付着して、太陽系の木星に至ったのかは、今となっては確認のしようもないが、【
【インナーオーシャン】は地球の海と同じ様に、母なる海としての機能を持っていたらしい。
海水の成分が、太古の地球の海と酷似しているらしいことからも、それは伺えた。
そして木星の雲海の底の環境とも、酷似とは程遠くとも、似ている部分も多々あったのかもしれない。
ただし、地球の海のように、月による潮の満ち引きや海底火山活動などの、生命進化を促すような環境変化の乏しい【インナーオーシャン】では、数十億年かけてもIDN||のようなアメーバやスライムに似た生物までしか生み育てられなかったようだった。
サティはそういったIDN||のこれまでの進化と歴史の映像イメージを、ソレに捕食されると同時に見たという。
IDN|が地球のアメーバやスライムの類とは違ったのは、【インナーオーシャン】では、円筒の最奥中心部から常にUVエネルギーを含んだ光が降り注いでいることが関係しているらしかった。
木星のクラウディアンが、大赤斑の底に存在したオリジナルUVDより漏れるUVエネルギーを活動源としていたように、IDN|もまた【インナーオーシャン】の奥に存在する、オリジナルUVDを生み出す〈太陽系の
『ハァ………まぁ……なんていうか……ともかくサティが戻って来てくれて助かったわ、沈みかけてた〈ナガラジャ〉を救ってくれてありがとうサティ』
アイシュワリア艦長が、あっけらかんと壮大な生物の進化の歴史を語るサティに、なんとか言葉を返した。
ともかくサティが現れてくれなければ〈ナガラジャ〉はお終いになるところだった……と。
『いえいえアイシュワリア艦長、どうかお気になさらないで下さい。
ケイジさんがワタクシの名を呼んでくださったのでたまたま思い出しましたが、それまでは無害になったところでUVエネルギーを食べようと本能の赴くままに狙っていただけなのですから』
『お…………おぉ』
にこやかにゾッとしかねないことを告げるサティに、さすがのアイシュワリア艦長もそうとしか反応を返せなかった。
『……というのは冗談ですよ! ……半分くらいは』
「サティ、話を続けてくれ」
ケイジは真っ青になったアイシュワリア艦長の顔を想像して、ちょっと笑ってしまいそうになったのを堪えながら、サティに続きを促した。
サティとはそういう存在なのだ。いちいち驚いていたら実が持たない。
サティが続きを語ったところによれば、IDNをとりまく環境は、当然ながらそれだけでは済まなかったようだ。
グォイドの来訪だ。
数十億年の昔、【
それはガス雲で隠された【
IDN||にとっての不幸は、資源採集の為に円筒状の【
ただのんびりと海を漂っていれば良かった時代は終わった。
猛烈な勢いで堆積物質を消費していったグォイドは、黒い資源採集柱【ジグラッツ】を建造し、IDN||達の同胞ごと、海底に堆積した資源までも採集し始めた。
当然のごとく、IDNが巣として住まう場所は、【インナーオーシャン】から刻一刻と消失していった。
だが皮肉にも、グォイドによってもたらされたその種にとって初めて遭遇した災いが、IDN||達に進化を促したのであった。
【ジグラッツ】から逃げ、【ジグラッツ】が生み出す潮流に乗り
、【ジグラッツ】に怯えながら生き続けることが、IDN
『ねぇデボォザぁ……何か…………歌っぽいのが聞こえるのは気のせいか…………しら?』
ふとアイシュワリア艦長がこぼした呟きを聞き、ケイジもまたハタと気づいた。
確かにケイジにも何か聞こえる気がした。
強いて例えるなら、昔映画か動物ドキュメンタリーの類で聞いたクジラの鳴き声に似ている気がする。
ただそれよりも音程が高く、微かで、おそろしく引き延ばされた音楽の類のようにも聞こえた。
アイシュワリア艦長に尋ねられたデボォザ副長からの返事は聞こえなかった。
代わりに『痛い痛い痛い! こらデボォザ! 私の二の腕強く握り過ぎぃ……』というアイシュワリア艦長の声が聞こえたので、ケイジは恐怖に怯えたデボォザ副長が、アイシュワリア艦長にしがみつく光景を思い浮かべようとしたが、うまくはいかなかった。
それよりもケイジは、このクジラの歌モドキを聞くのが初めてでは無いことを思い出し、自らもまた寒気を覚えていた。
この歌を聞いたのは、確か【
それは同時に、サティがIDN||捕食された直後のことでもあるはずだった…………。
ケイジはデボォザ副長が怯えている理由を理解できた気がした。
「ねぇサティ…………そのIDN||だけどさ……ひょっとして今……ウチらの周りにも……いる?」
『はい、七名ほどいらっしゃますよ!』
サティがそう答えるなり、
「ひっ……」
ケイジは少しだけ艦長席から飛び上がった。
『みなさんとってもシャイなので、自ら姿を見せるのは存在が露見した時だけなんですよ~』
サティがそう語る中、ビュワーの彼方で〈ナガラジャ〉と〈じんりゅう〉を取り囲んでいた巨大ウナギが、ウネウネと長い胴体をうねらせて泳ぎながら、まるで南国の鳥か南海のウミウシのごとく七色に肌を輝かせだした。
全長でかるく〈じんりゅう〉の倍はありそうなその姿は、ケイジは直接見たことはないが、〈じんりゅう〉が初めて木星の底でサティと遭遇した時の記録映像に酷似していた。
そしてケイジは、初めて【ジグラッツ】に遭遇した際に、
サティを喰ったIDN||は、ずっとこの瞬間まで〈じんりゅう〉のそばに気づかれることなくいたのだ。
それは恐ろしいと同時に、IDNがとんでもないレベルのステルス能力を持っていることの証であった。
『あ……ひょっとしてワタクシ、またなんかやっちゃいましたか?』
「………………いや、大丈夫……ぜんぜん」
ケイジは山ほどある言いたいことを飲み込んでそう答えた。
『サティよ、話を続けてくれまいか。私は興味あるぞっ……ちゃんと』
『はい、もちろんです! で、どこまで話しましたっけ?』
デボォザ副長の腕力から脱したらしいアイシュワリア艦長が尋ねると、サティは元気よく答えた。
サティの弁が確かならば、彼女は事実上生まれ変わったようなもののはずだが、ケイジは若干疑わしくなった。
『IDNの方々は、ワタクシを同化するまではここでのサバイバルの為の知性に特化なされていたので、身の回りに起きたことに対し、ニンゲンの皆さんのようには理解はしておられないようです。
したがって、ワタクシがお話できるIDNの方々の記憶が、どこまで伝達可能な真実なのかは、疑わしいと思って聞いて下さい。
ともかく今は、順を追って説明することにします』
サティはコホンと咳払いの真似事をすると、まずこう言ってから話を再開した。
何故こんなことを事前に話したのかについては、すぐに理解できた。
『グォイドが【インナーオーシャン】に現れ、最初の【ジグラッツ】を建設された頃です…………』
〈ナガラジャ〉を包み込んでいた巨大化したサティが、おもむろにその体表を光らせ始めた。
ビュワーに映るその姿を拡大すると、どうもその体表をモニター代わりにして、IDNの記憶を映像化して投影しているようだった。
あんまり目立つことはすべきじゃ無い気もケイジはしたが、すでに深海と呼べる深度まで来ており、一応はIDNでもあるサティがやることなら安全は確保されているのだろうと思うことにした。
それにサティの言葉だけより、映像もあってくれたほうが理解がしやすいのは間違いない。
大昔のブラウン管なるものを用いた分厚い箱状TVの画面のように、あるいは後面がディスプレイになったコンテナトラックを後ろから見るように、サティは映した映像に合わせて語り出した。
映されたのは、海面から見上げたガス雲の合間にそびえる黒い巨柱【ジグラッツ】の姿だった。
『ある日突然……いえ【
ともかくある時、突然【
サティは“侵入”などという言葉を使ったが、映像で見る限り、それはそんな生やさしいものでは無かった。
ほとんどレーザーのような一瞬の直線の閃光が、ガス雲をオレンジ色に照らしながら複数稲光のように瞬くと、それに瞬時に貫かれた【ジグラッツ】が、ゆっくりと倒壊を始めたのだ。
全幅数キロ、全長が推定5000キロもあるその柱の倒壊は、凄まじいカタストロフを海上に巻き起こした。
落下する破片と津波と水蒸気が海面を蹂躙し、たちまち視界を覆いつくす。
その光景を見た主はすぐさま海中へと非難したが、水中から海面越しに見上げる海上では、さらなる閃光が瞬き続けていた。
【ジグラッツ】倒壊後も、【
『IDNの方々はこの光景をただ見ていただけで、いったい何が起きたのかを理解することはできませんでした…………。
理解できたのは、ただ外界というものが存在し、そこから訪れる何かがあるということだけです』
サティは昔話でも聞かせるかのように語った。
確かに生まれも育ちも【インナーオーシャン】なIDNにとって、外の世界が存在すること自体、想像もつかないことだろう。
だから何が起きたかを理解していないし、サティを通じて語ることもできない。
……だが、ケイジには分かった。
もちろん同じ光景を見ている〈ナガラジャ〉クルーにも分かっているはずだ。
映像は海上から降り注ぐ【ジグラッツ】の破片と、海中を覆う泡でシッチャカメッチャカになり、何もかも判別不可能になった。
あれだけ大質量の柱が間近に落下したのであれば、当然と言えた。
映像はいったんフェードアウトすると、また【ジグラッツ】を捉えた映像が始まった。
『流星の類は、そのあとも地球時間に換算して数年から数十億年前にかけて襲来し、新たに建てられた【ジグラッツ】に甚大な被害を与えましたが、同時にグォイドは、その流星への対抗策を固めていきました……』
「ちょ……ちょっとまて! なんだって!?」
ケイジはサティの発言が聞き捨てならずに尋ねた。
しかしケイジの問いは黙殺され、再び海面から見上げた【ジグラッツ】と、それに再び命中せんと殺到する流星群、それに対し、柱の表面にはUVシールドが展開され、さらに新たに設けられた数々の砲より放たれる無数の対宙迎撃の光刃の光景が、ケイジの顔を照らした。
『このような光景が【インナーオーシャン】では幾度も繰り返されたみたいですね…………』
繰り返される【ジグラッツ】へと殺到する流星群……それはサティが便宜上“流星”と呼称したが、そんなものではないことは、もう明白であった。
流星のように見えた光は、レーザーのような閃光の時もあれば、もっとゆっくり弧を描いて進むホタルの群のようにもなり、時に光の粒からさらに小さな光の粒をまき散らしながら、【
だが実際は【ジグラッツ】の上端基部にある【
目標は明らかに、【
そしてそれに対しグォイドは、いつの間にか現れるようになっていた無数のコウモリ・グォイドやト
『その中でIDNの方々は、少しずつではありましたが、自分達の頭上で起きていることの意味を理解し始めたのです』
「…………」
ケイジをはじめ、映像をみていたアイシュワリア艦長達〈ナガラジャ〉クルーもしばし何も言えなかった。
今見た映像が意味することは明らかであった。
だがそれを口にするのは何故か大いに抵抗があったのだ。
[…………ヨカッタジャナイカけいじ、コレデオ前ノ仮説ガ実証サレタンダカラナ]
ようやくエクスプリカが皆を代表するように、ケイジが今あまり聞きたくないことを言って来た。
『そうねぇ、こないだ一曹が言ったことがホントだったってことになっちゃったわね』
『ま……まぁそうですが……IDNの存在までは想定外でした……』
エクスプリカにつられるようにアイシュワリア艦長とデボォザ副長が感想を漏らした。
今サティが映像を交えて語ったことは、IDNの存在はともかく、ケイジ達が過去の【ガス
「その……つまりだサティ……ここ【ガス
ケイジは大きく深呼吸してから覚悟を決めて尋ねた。
『はいケイジさん、そういうことになります。
IDNのみなさんは外の事情を知りようがなかったので、そのように理解するのに大分時間がかかったようですが……』
「………?」
ケイジはあっさりと肯定するサティの言葉に、何か引っかかるものを感じたが、すぐには明確にできなかった。
『【ガス
その間に多数の外界からの攻撃者が現れては、グォイドに撃退されたわけです。
そして数え切れないほどの戦闘による破片が、IDNの方々が住まう海上に降り注ぎました……』
サティが映す映像に、IDNが見た記憶であろう海面へと落下する火の塊の映像が次々と流れた。
基本的に破壊されている上に、炎やト
に包まれている為、その形状の正確な識別は不可能であったが、それが航宙艦の類であることはなんとなく分かった。
映像の中では、海中へと沈みゆく残骸に、IDNが群がり包んでいった。
ケイジはサティが自分達に何を伝えようとしているのか、なんとなく分かって気がした。
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