♯2

 ――――その同時刻・木星大赤斑周辺――――


 リバイアサン・グォイドとレギオン・グォイドの群を殲滅し、心おきなくグォイド・スフィア弾の発射阻止を行おうとしていたテューラの目論みは、もろくも崩れ去った。

 数回に分け新たなレギオン・グォイドの群が、またしても大赤斑バレル砲身から現れ出でたのである。


「まったく…………」


 テューラはそう呟くと、それに続く言葉がしばし何も出てこなかった。


 ――下でユリノ達はいったい何をしでかしているんだぁ?


 テューラは、レギオンの群の断続的に現れ方に、〈じんりゅう〉と、下に送りだした〈ユピティ・ダイバー〉が何か関係している気がしてならなかった。

 新たなレギオンの群は総数で100隻ほど。

 その程度であれば、現状の戦力でもノォバ・チーフ発案の実体弾投射艦のビリヤード射撃で殲滅は可能だろう。

 だが、そこで実体弾は打ちつくしてしまう可能性が高い。

 予測ではあと10分以内にグォイド・スフィア弾が発射されるという。

 その時の迎撃に使う為の実体弾は、もう残せないかもしれない。

 しかし、他に選択肢は無かった。

 新たなレギオンの群は、大赤斑バレル砲身を守るように大赤斑直上に巨大な円筒状となって集まっていた。

 レギオンを無視して、グォイド・スフィア弾迎撃位置にSSDFの艦が行くこと不可能だ。

 そしてそんなレギオンに対し、先刻のレギオンの群第一陣を殲滅したのに使ったような、雲海に無理矢理潜航して真上に向かって撃つ戦術はもう使えない。

 できるのは、なんの種も仕掛けも無く、実体弾をひたすらビリヤード射撃で撃つことだけだ。

 テューラは、実体弾投射艦への命令を下しながら思った。

 ――ユリノよ、もしお前達で下のグォイド・スフィア弾を何とかできるなら……別にそっちで何とかしてもらっても構わんぞ……――と。

 







 ――――その数分前――

 ――木星雲海深度約2300キロ・円環状低気圧空間【ザ・トーラス】内・大赤斑直下エクスポート発射口まであと10分の位置・〈じんちゅう〉の後方約1キロ――


 ケイジは昇電DSコックピット内壁に張り着くようにして、周囲をまわる菱形のUVシールド・コンバーターと、シュランド・リング付きノズル・コーンが〈じんりゅう〉へと接近、接続していくの見つめた。

 それは極初端の部分のみではあったが、間違い無くケイジが考え、ケイジが生み出した航宙艦が、その存在意義を発揮する瞬間であったのだ。 

 目撃することが許されるのならば、見逃す手など無かった。


「良いぞ…………良いぞ……」


 だが拳を握り念じつつその光景を見つめるケイジの心は、〈じんりゅう〉を発見した時こそ喜びや興奮を感じてはいたが、今は緊張と恐怖の方が上回っていた。

 苦労してここまで運んできたパーツ群の〈じんりゅう〉への合体が失敗すれば、ケイジ達はもちろん、〈じんりゅう〉とそのクルー達の命さえも風前の灯となるのだ。

 ケイジは自分の責任の重圧が、物理的に己の身体を潰そうとしている気がした。

 そして問題はそれだけでは無い。


『ケイジさん! 危ない!』


 昇電DSの後上方で巨大なイトマキエイのような姿で同行していたサティの、それまでとは別人のような切羽詰まった声に、ケイジは我に返った。

 次の瞬間、昇電DSコックピットのすぐ横を上空からの敵UVキャノンの光の柱が擦過した。


「うぉ! あっぶねぇ!」


 ケイジは無駄と知りつつも、その光の柱から逃れようと思わずコックピット内でのけぞった。

 〈じんりゅう〉と昇電DS、それとサティは今、グォイド・スフィア弾のすぐ傍、有象無象グォイドの群が見下ろすど真ん中にいるのだ。

 〈じんりゅう〉の方は合体作業中でも戦艦クラスのUVシールドで身を守っていられるが、昇電DSとサティはそうはいかない。

 いかに有象無象グォイドが粗製濫造でUVキャノンの威力が弱いといえど、昇電DSを塵と化すには充分以上の破壊力を持っている。


『凄い凄い! 面白いことになってますね~!』


 一瞬にしてまた緊張感の無い元のサティに戻った彼女が、まるで他人事のように言ったが、ここは控え目に言っても安全からは程遠い場所であった。

 ケイジとしては、〈じんりゅう〉に昇電DSを一刻も早く収容させてもらいたところであったが、敵群のど真ん中で合体作業という極めてデリケート……を通り越して無茶無謀な行いをしている最中では、いかに【ANESYS】戦術マニューバの最中であっても物理的に不可能だ。

 下手に収容を試みてパーツ群に接触でもしてしまったならば、パーツ群との合体接続作業も危うくなってしまう。

 だからケイジに出来るのは、〈じんりゅう〉と追加パーツ群との合体が一刻も早く終わるよう祈りながら、その光景を見つめていることだけだった。

 今、【ANESYS】の一部となった前席のクィンティルラ大尉を通じて、全てを把握しているアネシスの化身がなんとかしてくれることを信じるしかない。

 一瞬、昇電DS後席の操縦桿を握ってみようかとも思ったが、素人が触ってもロクなことにならないことぐらい分かっていた。

 分かってはいたことだが、ここはパーツ合体作業を行うには最低最悪の場所であった。


『アイタタタ~!』


 またしてもサティの悲鳴が響き、ケイジは思わず彼女の方を振り返った。

 今の悲鳴は、これまでと違って本当の悲鳴っぽかったからだ。

 さっきまで後上方にいたはずのサティが、まるで有象無象グォイドからの盾になるかのように今は真上に移動していた。


「サティ、ひょっとしてお前被弾してるのか!?」

『だいじょうヴでず……ぜんぜんヴぇいぎでず…………』


 ケイジの問いに対するサティの返事は、どう考えても大丈夫そうではなかった。

 この状況下で、サティは有象無象グォイドのUVキャノンから、その身を挺して守ってくれたらしい。

 半透明のコンニャクのようなサティの体を透かして、さらにその上方から襲いかかって来たUVキャノンが彼女の体に命中していくのはケイジには見えた。

 見上げている間にも、サティにまた一発、また一つ発とUVキャノンが命中し、サティのエイ形が白っぽい半透明から、不透明な灰色に変色していくのが分かった。

 実体弾ならばともかく、UVシールドを持たないクラウディアンの肉体が、UVキャノンの破壊力にそうそう耐えられるとは、ケイジにはとうてい思えなかった。


 ――なんだってお前はそんなに!!……


 ケイジは考えより早く前席に向かって叫んだ。


「〈じんりゅう〉へ、収容を早く! サティが撃たれたんです!」


 今や【ANESYS】の一部であるクィンティルラ大尉は、返事をかえしてはくれなかったが、間違いなく聞いてはいるはずだ。

 だが、そう言われても、パーツ群との合体作業が終わるまでは【ANESYS】といえどどうすることもできない。

 今サティや昇電DSを襲っているUVキャノンの雨は、基本的に〈じんりゅう〉を狙ったものが外れたものだ。

 〈じんりゅう〉と昇電DSの上空は、一応目くらましのチャフと煙幕が張られてはいるが、展開した次の瞬間から刻々と薄れ始めている上に、煙幕が覆うエリアに比して有象無象グォイドが覆うこの【ザ・トーラス】外周が広過ぎて、ある意味煙幕をはることで、そこに自分らがいることを教えている状況にもなってしまっているのだ。

 有象無象グォイドが煙幕が張られた空間に、たとえデタラメにでもUVキャノンを撃ちこみまくれば、そのどれかは〈じんりゅう〉と昇電DSに命中してもおかしく無い。

 前方の〈じんりゅう〉にたまたま命中したUVキャノンは、強靭なシールドに阻まれ弾かれていったが、昇電DSはそうはいかない。

 それが一発でも昇電DSに命中すれば……昇電DSはそこでジ・エンドだ。

 〈じんりゅう〉から離れれば、被弾の危険は大分下がるのだろうが、その代わり〈じんりゅう〉への収容が遅れてしまい、下手をすると有象無象グォイドの群の中に取り残される羽目になってしまう。

 【ANESYS】が昇電DSを〈じんりゅう〉後方に留めているのも、理由があってのことなのだ。


「サティ? おいサティってば、返事しろ!」


 ケイジは見上げるエイ型のサティが、よろよろと力無く傾いたかと思うと、ゆっくり降下しはじめたのを見て慌てて呼びかけた。

 彼女からの返事は来なかった。


「…………」


 ケイジは一瞬の逡巡の後に決心した、今自分に出来うることを、実行に移すことを。


「サティ! 聞こえているなら、今すぐ昇電つかまれ! つかまって昇電のUVエネルギーを吸うんだ! はやく!」


 ケイジはサティに呼びかけた。


『ヴぁんでずっでぇえ……?』


 ケイジの必死の呼びかけにサティが何か答えたが、ケイジには何と言っているのかはサッパリ分からなかった。

 だが、見上げるサティがゆっくりと昇電DSに向かっててきたので、ケイジはとりあえず安心した。

 問題は、彼女がその脳でもある身体を敵UVキャノンで削られたことで、彼女と初めてであった時のように本能のみで行動する獣モードになっていないか? ということだ。

 しかし、今さらそのことを心配してももう遅かった。

 ベチャリという上からの衝撃と共に、昇電DSに半スライム状態となったサティが覆いかぶさる。


「サティ……頼むから俺らを食うなよぅ……」


 ケイジは祈りつつも、後席の昇電DSの推力スロットルをあげた。

 クラウディアンはUVエネルギーを糧にして生きているという。ならば、昇電DSの機尾スラスターからの噴射でも、栄養として摂取してくれるはずだ。

 理屈の上ではだが……。

 〈ユピティ・ダイバー〉であった頃ならば、主機関に人造UVDを搭載していたので、少しずつならUVエネルギーを分け与え続けられたのだが、昇電DSとなった今は、UVキャパシタ蓄積機に蓄えられた分しかない。

 もしもサティにUVエネルギーを吸い尽くされてしまったら…………ケイジはそこから先は考えないでおくことにした。

 サティがそんなことするはずないと信じたかった。

 だがケイジの祈りとは裏腹に、サティが昇電DSに掴まるなり、その重みで機体がゆっくりと降下を始めた。

 ケイジはそれでも希望は捨てたりはしなかった。

 要は〈じんりゅう〉が新パーツとの合体作業を終えるまでの間、なんとかサバイバルできればいいのだ。

 サティが昇電DSのUVエネルギーを吸い尽くす前までに、〈じんりゅう〉に収容してもらえれば、それで良かった。

 ケイジは前方の〈じんりゅう〉を祈るように見つめた。


「はやく! ……はやく! ……はや~く!」


 ケイジの呟きが思わず叫びとなるのとほぼ同時に、〈じんりゅう〉への新パーツ合体が終わるのが見えた。

 しかし、その時にはすでに、昇電DSには耐電磁波・放射線シールドを維持するのに精一杯で、推力に回すUVエネルギーは残っていなかった。

 【ザ・トーラス】内の遠心力が疑似重力となり、しがみついたサティに引きずられるように眼下に見える雲層へと急降下し始める昇電DS。


 ――これはまずいかも…………というか大いにまずい!


 ケイジはまた両手両足をコックピット内壁に突っ張らせながら、あとはもうどうすることもできなかった。

 サティを見捨てればよかった? その可能性を今さら考えってしまうが、今さら遅かった。

 それに命がけで昇電DSを守ってくれた彼女を、見捨てて生き延びたところで、それに何の意味があるだろう?

 ケイジは前席に座るクィンティルラ大尉に、巻き込んで申し訳ないと思った。

 ………………が、実のところを言えば、あまり絶望などしてはいなかった。

 眼前の彼方で新パーツとの合体を終えた〈じんりゅう〉が、艦尾上部格納庫を開け、昇電DSの収容準備を始めたからだ。

 すぐ後ろにいて、彼女が昇電DSとサティの窮状に気づかずにいるわけがない。

 ましてや新パーツを装備し、【ANESYS】を起動中の〈じんりゅう〉がそばにいるのだ。希望を捨てるなど馬鹿馬鹿しいことこの上無い話だ。

 だがケイジは少しばかり事態を甘く見ていた。

 彼女らが傍にいるからといって、無茶ぶりが過ぎたとも言える。

 搭乗者の生命維持用のUVシールド以外、UVエネルギーをサティに吸い尽くされてしまった昇電DSには、もはや自力で〈じんりゅう〉に着艦する能力は残されていなかった。

 だから〈じんりゅう〉は、自ら昇電DSを収容すべく動くことにした。

 ケイジは眼前に見える〈じんりゅう〉が急に巨大化したような気がして、思わず瞬きを繰り返した。

 ストレスが原因の幻では無かった。

 ただし〈じんりゅう〉が巨大化したわけではもちろん無く、〈じんりゅう〉が後退しはじめたが故にそう見えたの。


 ――これはまずいかも…………というか大いにまずい!


 昇電DSが動けないのだから、〈じんりゅう〉が減速することで昇電DSを収容しようというのは、実に理にかなった行いである。

 ただ、ケイジの目には、〈じんりゅう〉の後退速度が少しばかり速過ぎる気がした。

 当然のことながら、昇電ほどに〈じんりゅう〉は小回りが効くわけもなく、接近速度の機微もまた調節が効かないのだ。

 ましてやここは敵のど真ん中である。

 収容作業は可及的に急がねばならない。

 まったく減速する様子が無いまま接近してくる〈じんりゅう〉に、ケイジは思わず「ちょっ……待っ……」と呟いた。

 が、〈じんりゅう〉はそんなケイジのリクエストに答えるはずもなく、小魚を飲みこむ鯨の如く、昇電DSとサティをまるごと艦尾上部格納庫へと納めた。

 ケイジはドガシャ~ンという甲高い轟音とともに、肉体がコックピット内で盛大にシェイクされるのを感じると、そのまま意識を失った。










 エクスプリカは人間が持つ“恐怖”という感情を高く評価していた。

 危機回避の為に大変有用だと判断していたからだ。

 だが、インターフェイス・ボットとしての経験値を積むにつれ、自分自身がその“恐怖”なるものを味わうことが可能になると、“恐怖”は自分で味わうのはまっぴら御免であるということを、これまでの経験から学んでいた。

 もちろん機械知性AIが感じる恐怖というものが、人間の味わう恐怖と同一のものかは分からないが……。

 そして今、エクスプリカはすでに経験したことがあるからこそ、なおさら怖いと感じることもあるということを知った。

 ケレス沖会戦で味わった時と、現状況は多くの条件が一致している。

 絶体絶命の〈じんりゅう〉……ケイジの命がけの行動……そして〈じんりゅう〉バトルブリッジに、まるで桜吹雪のようなホログラムの光の粒子が舞い集まり、〈じんりゅう〉クルーの姿を掛け合わせたような女性の姿となって現れる統合思考体【ANESYS】のアヴィティラ化身……。

 それらは、あの時と似たような恐怖がこれからやってくる可能性を示唆していた。


[ヨ……ヨウ、あヴぃてぃら]


 エクスプリカは現れたアヴィティラに思い切って声をかけたが……無視された。


 …………これは良く無い傾向だ。


 そして彼女の目覚めと同時に判明する、ケイジ三曹が伝えてきた驚異のプランの内容。

 アヴィティラと共にそれを知ったエクスプリカは、数字で示すならば機能開始以来トップ3に入る程の恐怖……というか不安を感じた。

 それを抜きにしても、機械故に人間の何倍もの速さの時間感覚をもつエクスプリカにとって、〈じんりゅう〉が敵群のど真ん中で、ケイジ三曹らが運んできた新造パーツ群との接続作業を終えるまでの時間は永遠にも思える。

 新造パーツが機能するようになった後ならばさて置き、その接続作業中の〈じんりゅう〉は、たとえ【ANESYS】の起動中といえど石の狸のようなものなのだ。

 煙幕を張り、UVシールドを展開中ではあるが、その間は攻撃されても基本的に手も足も出すことはできない。

 だが、エクスプリカのその焦れること極まりない時間も、信じられないことだが、偶然かはたまた運命か、なんとか終了する時がきた。

 新造パーツ接続が終わるなり、アヴィティラ化身が〈じんりゅう〉を減速させ、後方にいた昇電DSとサティを無理矢理かつ乱暴に収容する。

 ケイジの哀れな悲鳴が聞こえた気がするが、アヴィティラ化身は今は気にしている余裕はないようだった。


[あヴぃてぃら! 昇電DSノ収容ガ確認デキタゾ!]


 エクスプリカはアヴィティラ化身が把握していることなど百も承知で告げた。

 ユリノ以下のクルーの姿が合わさった女性のホログラム体であるアヴィティラ化身は、エクスプリカの言葉を聞いてるのかいないのか……ふとエクスプリカの方を振り向くと、明鏡止水の極致のようなどこか穏やかな表情で「行くよエクスプリカ!」と告げた。

 そしてエクスプリカが「行く」ってどこにさ!? とアヴィティラ化身に問う間も無く、彼女は〈じんりゅう〉を急加速させた。

 エクスプリカは悲鳴替わりのヴィィ~ンという電子音を響かせることしかできなかった。

 新造パーツの接続が終わっても、エクスプリカの不安と恐怖は、微塵も薄れることはなかった。

 クィンティルラ大尉とケイジ三曹、それとサティが命がけで運んできた新造パーツの合体により、〈じんりゅう〉は防御力と機動力を取り戻した。

 だがそれは、あくまで取り戻した・・・・・のであって、パワーアップしたわけでは無い。

 UVシールド・コンバーターも木星潜航時に元から装備していたものだし、艦尾のシュラウドリング付き大型ノズルコーンも、基本的に艦尾に接続した木星オリジナルUVDを脱落を防ぐ為のものでしかない。

 だからエクスプリカは現状に対し楽観はできなかった。マイナスがほぼゼロになっただけなのだ。

 木星オリジナルUVDを巡るナマコ・グォイドとの攻防時と、〈じんりゅう〉の戦力は変らない。

 いや、消費したUV弾頭ミサイルや無人機セーピアー、プローブなども鑑みれば、〈じんりゅう〉は戦力を取り戻したと言うには程遠いと言えた。

 艦尾に木星オリジナルUVDを抱えている為に増した重量の分、機動性能に関しても、厳密に言えば完全に取り戻せたわけでもない。

 そしてそんな〈じんりゅう〉を、月程のサイズもあるグォイド・スフィア弾が見下ろし、その前後を二百隻近い雑兵グォイドが守っている。

 彼我の戦力比は、ケレス沖会戦を遥かに上回っていた。

 だが、そんな事実などアヴィティラ化身にしてみれば百も承知なのだろう。

 戦術予測AIとしてのエクスプリカの見地から言えば、とりうる選択肢はこの宙域からの撤退以外は考えられなかった。

 UVシールド出力を取り戻した〈じんりゅう〉ならば、【ザ・トーラス】のどこからでも外に出て、【ザ・トーラス】外部の高温高圧に耐えることも可能なはずなのだから。そこからゆっくりと木星の外へと脱出を図れば良い。

 しかし、エクスプリカは彼女に尋ねるまでもなく、彼女がここから素直に逃げ出すわけ無いことが分かっていた。

 逃げ出さないどころか、立ち向かう気だと……。

 それがどういう手段をもってして成されるのかは想像もつかないが、彼女はここで雑兵グォイドと、グォイド・スフィア弾の発射を阻止するつもりなのだと……。

 彼女はまず〈じんりゅう〉を【ザ・トーラス】真東へと急加速させた。

 【ザ・トーラス】外周の雲層から徐々に高度を上げつつ、頭上を覆う雑兵グォイドの群から抜け出さんとする〈じんりゅう〉。

 当然のごとく、雑兵グォイドの群がUVキャノンを乱射しながら〈じんりゅう〉を追尾し始めた。

 エクスプリカは叶うことならば、〈じんりゅう〉の向うその先にある大赤斑エクスポート発射口から脱出できないものかと思ったが、それは不可能であると【ザ・トーラス】に侵入した直後にすでに判明していた。

 それができるならばとっくにやっていた。

 大赤斑エクスポート発射口は大渦となって凹んではいるが、木星表層までは貫通していないし、その渦の流れは螺旋状下降気流であり、現状の〈じんりゅう〉であっても、その流れに逆らって上昇することは不可能だろう。

 大赤斑エクスポート発射口バレル砲身として木星表層にまで貫通するのは、木星UVユピティキャノンや雑兵グォイドを放つ時だけだ。

 〈じんりゅう〉が大赤斑エクスポート発射口を使って木星表層へと脱出を試みるとすれば、木星UVユピティキャノンや雑兵グォイド、あるいは惑星間レールガンとして放たれるグォイド・スフィア弾と共に行くしかないが、当然、それは現実的には不可能な話だ。

 だから、アヴィティラが〈じんりゅう〉を大赤斑エクスポート発射口から脱出させる為に加速したわけでは無いことは、尋ねるまでもなかった。

 〈じんりゅう〉はオリジナルUVD搭載艦であるが故の激烈な加速力で、後方に雑兵グォイドの群、さらにその後に巨大なるグォイド・スフィア弾に見下ろされながら、瞬く間に【ザ・トーラス】を回る艦艇群の先頭へと踊り出てある程度の距離をとると、後方の雑兵グォイドの群を挑発するように蛇行を開始した。

 エクスプリカはアヴィティラに、一体どういうつもりなのか尋ねたい衝動にかられたが、尋ねなくとも〈じんりゅう〉のその動きに、彼女が何を企んでいるのかがほのかに分かり始めてきた。


 ――どうやら彼女は、まずグォイド・スフィア弾前方の雑兵グォイド群を始末する気なようだ。


 

 







『ワタシは我が肉体たる〈ジンリュウ〉を通じ、エクスプリカの恐怖を感じながらも、グォイドの目論みを砕くべく〈ジンリュウ〉を操った。

 ワタシとワタシの心を形作るユリノ達の心を分析し、経験値を溜め続けた結果、恐怖という概念まで得てしまったのは気の毒に思うが、今は他に優先すべきことがあった。

 エクスプリカが危惧するように、現状での敵との戦力比は、ケレス沖会戦を遥かに上回る程に厳しかった。

 雑兵グォイドの数が多いというだけでは無い。

 すでにグォイド・スフィアとなってしまったシード・ピラーは、そうなる前を相手にするよりも遥かに厄介なのだ。

 しかも、このグォイド・スフィアはすでに誕生から30時間以上が経過し、雑兵グォイド艦建造能力を得るほどに成長してしまっている。

 ワタシは試しに〈ジンリュウ〉の艦尾側主砲でグォイド・スフィア弾を撃ってみた。

 本来の〈ジンリュウ〉の主砲有効射程の外からの砲撃であったが、UVキャノンの光の柱は、ここが【ザ・トーラス】であるが故に、途中でUVエネルギーが減衰することもなく、明灰色のグォイド・スフィア弾表面にあっさりと届き、そして弾かれた。

 時間経過と共にグォイド・スフィア弾を包むUVシールドもまた、オリジナルUVD搭載の〈ジンリュウ〉の主砲威力を持ってしても抜けない程に、恐ろしく強靭に成長してしまっているのだ。

 とはいえ、その巨体の全体が、その強靭なUVシールドで覆えるとは考えられなかった。

 おそらく、〈ジンリュウ〉のUVキャノンが命中する直前に、命中箇所のUVシールドの厚みのみを増す機能があるのだろう。

 そしてワタシがグォイド・スフィア弾の防御力の堅固さを確認する最中にも、新たな雑兵グォイドがその表面から出現するのが見えた。

 

 ――こいつを地球に向かわせては行けない……。


 ワタシは今一度確信すると共に、まずグォイド・スフィア弾前方の雑兵グォイドを始末する為、マニューバを開始した。

 グォイド・スフィア弾を倒すには、まずそこから達成せねばならない』







 エクスプリカが見守る中、アヴィティラは追いかける雑兵グォイドを挑発するように〈じんりゅう〉を蛇行させ、敵を引きつけつつも、【ザ・トーラス】の外周部やや南よりから、木星赤道直下へと移動を続けていた。

 その間にも雑兵グォイドと〈ジンリュウ〉艦尾主砲との壮絶な撃ちあいが続けられる。

 雑兵グォイドのUVキャノンの威力では、〈じんりゅう〉のシールドが抜かれる心配はないが、その圧倒的な数によって少なく無い数の命中弾が〈じんりゅう〉のシールドを叩き、エクスプリカは電子音を漏らさずにはいられなかった。

 対し〈じんりゅう〉の艦尾側UVキャノンは撃つ度に、その射線上にいた雑兵グォイドを数隻ず沈めていったが、敵全体の数からいえば、その戦果は雀の涙に等しかった。

 雑兵グォイドが適度に散開しているため、UVキャノンのショットガン・モードを駆使しても殲滅しきれないのだ。

 一見、互いに決定打を欠くように見える戦況。

 だが、ゆっくりとではあるが、着実に〈じんりゅう〉は追い詰められつつあった。

 いかに低威力の敵UVキャノンであっても、撃たれ続ければいつかは〈じんりゅう〉のUVシールドにも限界がくるからだ。

 今まだ耐えられているのは、ケイジ三曹らが持ってきたUVシールド・コンバーターの恩恵に過ぎない。

 しかし、アヴィティラはこの状況下で、〈じんりゅう〉がグォイドに対して有利な点もあることを、ちゃんと把握しているようであった。

 アヴィティラは〈じんりゅう〉とそれを追いかける雑兵グォイドの群が、適切な位置関係になる瞬間を見極めると、おもむろに〈じんりゅう〉を一端は距離をとった眼下の【ザ・トーラス】外周の雲層へと降下させた。

 それまでの追撃戦闘の流れのままに、〈じんりゅう〉に続き降下を始める雑兵グォイドの群。 その前方で、〈じんりゅう〉はそのまま雲層へと突入した。

 一瞬、雲のガスにより薄靄に染まるバトルブリッジの外景ビュワー。

 エクスプリカは、アヴィティラが〈じんりゅう〉を雲層のごく浅い深度で水平飛行に戻すと同時に、猛烈な速度で雲層内部をセンシングするのを感じた。


[!]


 エクスプリカは彼女が何を探し求めているかを知ると同時に、彼女の企みに気づいた。




 アヴィティラは望むセンシング結果を得ると同時に、すぐさま〈じんりゅう〉を雲層から浮上、急加速をさせた。

 その背後で、雲層に突入する直前だった雑兵グォイドが、慌てて上昇を開始し加速した。

 だが、それでは手遅れだった。

 アヴティラは見計らった最適のタイミングで、雲層へ向けて〈じんりゅう〉艦尾側主砲UVキャノンを横一閃させた。

 彼女の放ったUVキャノンは、正確に雲層内で彼女が見つけた物体に命中した。




 〈じんりゅう〉に対し、雑兵グォイド群はその数において圧倒的な戦力を持っていた。

 が、その位置関係においては〈じんりゅう〉に遅れをとっていたことに気づかなかった。

 【ザ・トーラス】内を〈じんりゅう〉を先頭にした追跡劇を演じた結果、行く手にあるものの情報の取得がどうしても〈じんりゅう〉より遅れてしまったのだ。

 アヴィティラにとっては、そこを利用する以外に勝機が無かったとも言える。

 〈じんりゅう〉は【ザ・トーラス】突入直後に、【ザ・トーラス】最外周部の雲の層の中に、無数の小惑星が帯となって漂っていることをすでに確認していた。

 アヴィティラは先刻の雲層潜航時、その雲層内に漂う小惑星の正確な位置情報を調べていたのだ。

 そして〈じんりゅう〉が艦尾から放ったUVキャノンは、【ザ・トーラス】最外周部の雲層内に溜まっていた小惑星の帯の、やや下部に正確に命中した……それも雑兵グォイドの真正面で。

 突如前方に立ちあがった巨大なガスの壁に対し、雑兵グォイドは如何なる対処もできはしなかった。

 〈じんりゅう〉のUVキャノンによって巻き上げられた小惑星の無数の破片は、〈じんりゅう〉を追いかけ加速運中だった雑兵グォイドに対し、実体弾と変らぬ破壊力を持って襲いかかった。

 もし相手が雑兵グォイドでは無く、通常の駆逐艦級グォイドであったならば、この手段は通じなかったかもしれない。

 しかし、生まれたばかりのグォイド・スフィア弾の中で粗製乱造されたが故に、最低限のUVシールド出力しか持たない雑兵グォイドには致命的であった。

 もはや回避不能となった無数の実体弾が、雑兵グォイドの船体をUVシールドごと情け容赦無く貫いた。

 次の瞬間【ザ・トーラス】最外周部に、無数のグォイド製UVDの虹色の爆発光が弧を描いて瞬いた。

 〈じんりゅう〉後方からその爆発による衝撃破が襲いかかったが、加速前進中であった〈じんりゅう〉にとっては、それは帆に受ける風でしかなかった。

 …………まずは雑兵グォイドの群の内、グォイド・スフィア弾前方の群は殲滅することができた。

 だがそれは任務達成までのほんの前哨戦でしかない。

 エクスプリカは〈じんりゅう〉後方の爆煙を突き破り、巨大極まるグォイド・スフィア弾が、後方から新たな雑兵グォイドを呼び出しつつ姿を現したのを確認した。

 そして…………。


[加速シテルノカ……]


 エクスプリカは思わず音声にして呟いた。

 月と同等にサイズの物体が、加速し、〈じんりゅう〉に迫っていたのだ。

 あの進撃を止めねば人類に未来は無い。

 〈じんりゅう〉の戦いは、これからが本番なのだ。


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