♯4

 気が付いた頃には、コックピット上面内壁が真っ赤に染まっていた。

 位置情報視覚化LDVプログラムでは、赤は向い風を意味する。

 それはこちらに向かってくる衝撃破でも同じだ。

 次の瞬間、〈ユピティ・ダイバー〉は襲って来た衝撃破により、ピッチ、ロール、ヨーが全て混ざった不快極まりないランダム回転状態に陥いり、「ひぃあああああ~!」と無様に悲鳴をあげていたケイジは、途中から舌を噛まないよう「ふんがぁ~」と歯を食いしばって耐えた。

 ただでさえ木星の2.5Gに耐えしのんでいたところに新たな負荷が加わり、肉体がギシギシと悲鳴をあげるのを感じる。

 が、〈ユピティ・ダイバー〉の船体そのものの方にはダメージは無かった。

 〈ユピティ・ダイバー〉は木星の深々度圧力に耐えて潜航する為に、UVシールド出力だけは船体サイズに比して異常に強力に作られているのだ。

 主動力源は大型耐圧特殊UV弾頭ミサイル内に納められた駆逐艦用人造UVDだが、その周りから船体外殻の間に、UVキャパシタ蓄積基を詰め込めるだけ詰め込めてある。

 そうして得た潤沢なUVエネルギーを、船体周囲に張りつけられた菱形のUVシールド発生機に回しているのだ。

 駆逐艦と呼ぶには小さく、艇というには大きな船体であったが、そのお陰で船体を覆うUVシールドの堅牢さは、時間制限付きではあるがオリジナルUVD搭載の〈じんりゅう〉に匹敵する。

 ケイジは自分の肉体の耐久力はさておき、己とノォバ・チーフらが作った〈ユピティ・ダイバー〉の能力は信じていた。


「もう超ダウンバーストが来たってのかぁ!?」


 シミュレーションの成果か、瞬く間に船体を安定させながらクィンティルラ大尉が喚いた。

 小柄であるが故に肉体にかかるGに対する負荷も軽くて済んでるのか、あるいは単に鍛え上げられているからなのか、彼女は辛そうではあったがケイジよりかは平気そうであった。


「……い、いえ、違うみたいです!」


 ケイジは確信をもって答えた。

 超ダウンバーストは今もなお赤道部で発生し続けているが、その間隔は急激に開いていっていた。

 木星内のグォイド・スフィア弾の周回加速が進んだことにより、【ザ・トーラス】の直径が遠心力によって広がり、赤道部が押し上げられているかららしい。

 〈ユピティ・ダイバー〉は降下開始の段階では、次の超ダウンバーストが襲ってくるまでまだ時間があったことをケイジは確認していたし、位置情報視覚化LDVプログラムによる外部の光景にもそれらしき下降気流は映っていなかった。

 故にこれは超ダウンバーストでは無い。


 ――やっぱ、上で何か爆発したんだ……


 ケイジは再び前方斜め上の大赤斑中心に視線を向けた。

 その瞬間、先刻コックピットを照らした光が、今度はケイジが見ている中でまた閃いた。

 それは大赤斑直下から雲海奥底へと続く渦の中心を、真下から垂直に閃いたかと思うと、大赤斑の巨大な逆円錐の天辺部分でほぼ水平に角度を変え、光る直線となって〈ユピティ・ダイバー〉上空を通過し、さらに大赤斑中心を視点に時計回りにぐるりと一回転した。

 一秒で一回転する時計の針を、真下から覗いたような光景だった。

 それが、木星雲海の底から位置情報視覚化LDVプログラムを介して見た木星UVユピティキャノンの光なのだと、ケイジは瞬時に理解した。

 それはつまり、テューラ司令によるリバイアサン・グォイドへの攻撃が失敗したことを意味している。

 そして同時に、ケイジは先ほど襲って来た衝撃の正体を悟った。

 リバイアサン・グォイドは、大赤斑上空ではなく、大赤斑の渦の中途から、ガスの内壁越しにSSDFの攻撃艦隊が撃って来た方向に向かって木星UVユピティキャノンをぶっ放したのだ。

 包丁の刃の根元でジャガイモの芽をえぐり取る時のように、大赤斑の渦よりも、より平べったい逆円錐状の軌跡を描いて放たれた木星UVユピティキャノンの光景をケイジはイメージした。

 が、ガス雲越しに撃ったところでSSDFの艦に命中するとは思えなかった。

 実体弾投射艦はヒット&ウェイを旨としているだろうし、いくら直径数十キロのUVエネルギーの束であっても、直径1万キロ前後の距離をとって大赤斑を囲む艦は、勘で撃って当たるようなものではない。

 だが、それは向こうも百も承知だろう。

 リバイアサン・グォイドの真の目的は、敵に命中させることではなく、敵直下のガス雲を木星UVユピティキャノンで撃つことによって爆発的に気化膨張させることだったに違いない。

 ケイジは確信すると同時に覚悟した。

 UVキャノンのエネルギーによって、爆発的に膨張した木星大気は、衝撃破となってその上空を航行中のSSDF攻撃艦隊を襲うだろう。

 そして衝撃破は真上だけでなく下にも襲いかかって来るはずだ。

 その結論に至った瞬間、またしてもコックピット上面内壁が赤く染まり、上から引っ叩かれたような二度目の衝撃が〈ユピティ・ダイバー〉を襲った。


「野郎、なんて無茶しやがる!」


 クィンティルラ大尉もまた状況を察したのか、再び艦の態勢を整えながら毒づいた。


「大尉、上に連絡を取って下さい! 何か起きてるかを確認しないと……」

「……うむ」


 クィンティルラ大尉は頷くと、すぐに木星上空への呼びかけを始めた。

 今ならばまだ曳航式センサーブイで木星上空の僚艦との通信が可能だ。

 解放状態の通信チャンネルからは、既に数隻の艦が衝撃破によって打ち上げられ、混乱の極みに達している様子が聞こえてきていた。


「――こちらVS‐X〈ユピティ・ダイバー〉、雲海深度120キロにて上方よりの衝撃波と遭遇、当方船体に異常無しなれど、木星上空での衝撃破の原因及び状況を知りたし、送れ――」


 クィンティルラ大尉は何度も呼びかけたが、彼女の問いかけに返事をする者はいなかった。

 その余裕など無いのだろう。

 ケイジはそれが何故かは想像がついた。

 下方より突然襲って来た衝撃破により、リバイアサン・グォイドから見て水平線の彼方に隠れていたSSDFの実体弾投射艦部隊は、否応も無く上空に吹きあげられたはずだ。

 …………つまりリバイアサン・グォイドから見える高さへと……。

 一端大赤斑の中途まで降下したリバイアサン・グォイドが、再び大赤斑の上端まで上昇してくるまでに再び水平線化に降下せねば、吹き上げられたSSDFの艦は、同グォイドによる補足を免れないはずであった。

 そして…………、


「まただ!」


 クィンティルラ大尉が雲海海面を見上げながら叫んだ。

 またしても木星UVユピティキャノンの輝きが、渦の底から垂直に走った光の柱となって大赤斑中心部でほぼ直角に折れ曲がり、大赤斑周囲に向かって閃く。

 しかし今度のそれは先刻のよりも遥かに細く、短い時間しか閃かなかった。

 だがその代わりに、何度も明滅を繰り返す。

 ケイジは、その明滅にグォイドの明確な意思を感じた。

 それは直下からの衝撃破で打ち上げる事で補足したSSDFの艦を、細く絞った木星UVユピティキャノンで狙撃した光に違いない。

 その数秒後に、遅れて響く雷鳴のように、〈ユピティ・ダイバー〉後方からドォンという爆発音が、僅かな時間差をおいて幾つも響いていてきた。

 それが、木星UVユピティキャノンによって貫かれた艦が爆発する音なのだと、ケイジは信じたく無かった。


「…………そんな……」


 ケイジは呟くことしかできなかった。

 木星UVユピティキャノンはその巨大さ故に、リバイアサン・グォイドによる偏向でも、その射角には限界があるものだとケイジは思い込んでいた。

 木星UVユピティキャノンのUVエネルギーの束の、太さに対するリバイアサン・グォイドのリングの直径から、だいたい大赤斑の渦の垂直軸から45度が射角の限界だとふんでいたのだ。

 リバイアサン・グォイドがその角度を超えて発射しようとすれば、直下からのUVエネルギーの束にリング状船体が接触してしまい、否応もなく自らも破壊されるはずだからだ。

 だからその射角の限界より下の木星雲海表層を這うようにして接近すれば、SSDFの艦がリバイアサン・グォイドに対する有効射程距離まで接近できると判断したのだ。

 少なくとも『一つの指輪ワン・リング』作戦の骨子は、ケイジがテューラ司令に提出したこのアイデアが元になっているはずだった。

 が、それらは全て、ケイジが思いこみの上に思いこみを重ねて生み出した幻想だった。

 直下より放たれるUVエネルギーの束を細くすれば、その分だけリバイアサン・グォイドはリング状船体へのUVエネルギーの接触を気にせずにリングを傾け、より深い角度で木星UV《ユピティ》キャノンを放つことが出来る。

 もちろん、UVエネルギーを細く絞った分だけ木星UV《ユピティ》キャノンの射程と破壊力は減ずるが、SSDFの艦を沈めるにはそれでも充分過ぎる程だ。

 それでも木星UVユピティキャノンの射角には限界があるはずだったが、その時はまた大赤斑の渦の中途まで降下して内壁に向かって大出力の木星UVユピティキャノンを放ち、気化膨張したガス雲の衝撃破で敵艦を射角に入るまで打ち上げれば良い。

 ケイジは眩暈がする程に、恐怖と絶望を感じた。

 目の前で細く絞られた木星UVユピティキャノンが閃く度に、一隻、また一隻とSSDFの艦が沈められたいるのだ。

 それらの艦には、けっして少なくはない数のクルーが乗っているはずだった。


『こち――――ェーダ〉CIC中央情報室テューラだ! 〈ユピティ・ダ―――無事か!?――――』


 茫然自失するケイジを余所に、ひたすら上空SSDF艦への呼びかけを続けていたクィンティルラ大尉に返答が来たのはその時だった。


「テュラ姉!? テューラ司令か!? 良かった無事なんだな!?」

『安心しろ! まだ生き―――――トス〉も無事だ。どうや―――の読みが甘かっ――…………だがこれから反撃を開始する、〈ユピティ・ダイバー〉はこっちのことは気にせずに、お前達の任務を続行しろ!』


 クィンティルラ大尉に答るテューラ司令の声が、コックピットに響く。

 しかしその声は、言葉では健在を主張しているものの、到底安心など出来ない程にノイズにまみれており、そして何よりも、声自体に隠し難い焦りが混じっていた。


「だけど…………」

『馬鹿者! ここでお前――――を躊躇ったところで、こっ――は何の助けにもならんわ!』


 ケイジと同じように感じたのであろうか、何か言いかけたクィンティルラ大尉に、テューラ司令の怒声が返って来た。


『いいか! お前達は、お前達にならできる、お前達にしかできない仕事をすれば良いんだ!

 それから、クィンティルラよ、そこにいるアイツに伝えておいてくれ………』


 テューラ司令からの通信は、そこで一端通信ラインが途切れたかのように間があいた。

 ケイジはテューラ司令と知り合ってまだ二日程しか経っていないが、そんな剣幕で話すテューラ指令を取り巻く状況が、心配無いわけが無いことぐらいは分かった。

 ケイジはもちろん、すぐにテューラ司令の言う”アイツ”とは誰かに気づいた。

 ただ開放中の通信で、〈ユピティ・ダイバー〉にクィンティルラ大尉と共にに男が乗っているなどということを露見させない為にテューラ司令が配慮したのだ。


『…………いいかクィンティルラよ、例のアイツには”気にするな!”と伝えておいてくれ! ここから先の上での戦いは、大人達の領分だ! 自分の責任かもだなんて自惚れるな! お前が気にするこっちゃ無い! ……ってな! 分かったな!? 分かったならさっさと行け! 行かんか!』


 ケイジにはクィンティルラ大尉からの伝を待つまでもなく、テューラ司令からのメッセージは伝わった。

 そしてケイジにはテューラ司令からの”気にするな!””自惚れるな!”というメッセージに、唇を噛んで無言で答えることしかできなかった。

 血の味を感じたが、それくらいしないとどうしようも無い呻き声が漏れ出てしまいそうだったからだ。

 ケイジはテューラ司令が、自分を気遣ってくれていることに、たとえようも無く嬉しかったが、それで自分がしでかした過ちを”はいそうですね”と忘れられるわけがなかった。


「…………〈ユピティ・ダイバー〉了解! 任務続行する! オワリ」


 前席のクィンティルラ大尉が微かにこちらを振り向いてケイジの様子を確認すると、宣言した。


「……そういうことだケイジ……行くぞ!」


 大尉が掛け声と共に操縦桿を傾けると、〈ユピティ・ダイバー〉の艦首が大きく下へと傾く。

 時を同じくして、新たな衝撃破が〈ユピティ・ダイバー〉を襲った。

 それは新たにガス大気に向かって放たれた木星UVユピティキャノンによる衝撃破に、ついに襲って来た超ダウンバーストが合わさったものであった。

 〈ユピティ・ダイバー〉はその衝撃破をUVシールドの帆に受けるようにして、大赤斑の渦を成している螺旋状の降下潮流へと向かった。

 それまでを遥かに上回る急加速と衝撃に、ケイジは何か言いたくても何も言えなくなるほどに肺の空気を押し出されながら、悲鳴を上げることもできずに急速潜航する〈ユピティ・ダイバー〉に身を任せた。










「……で司令……なんか格好良いこと仰ってましたけれど、何か考えがおありなんですよねぇ?」

「…………」


 副官からの問いに、テューラはしばし何も答えられなかった。

 テューラは〈ユピティ・ダイバー〉への通信を終え、今更ながら顔が火照るのを感じた。

 ”今、わたし物凄く恥ずかしいことを言っちまったかも……”と。

 とりあえず、リバイアサン・グォイドからの想定外の砲撃によって〈ユピティ・ダイバー〉が沈められていないことが確認できたことに、ほっと安堵せずにはいられなかったのだ。

 あとは例の少年が、下手に責任を感じずに〈じんりゅう〉救出に専念してくれることを祈るばかりだった。

 テューラは正直に思ったままを少年に伝えたつもりだが、例の少年がそれで”はいそうですね”と素直に思うようなキャラでは無い気もした。

 素直に”はいそうですね”と言わないようなキャラだからこそ信用できる気もするのだが……。

 確かにケイジの案を骨子に『一つの指輪ワン・リング』作戦のリバイアサン・グォイド攻撃プランは練られてはいるが、承認・実行に至るまでにエクスプリカやその他のAIはもちろん、戦術担当航宙士官による充分な検証は行われており、この結果の責任をケイジ負わせるのはナンセンス以外の何物でもない。

 ケイジの案は、誰よりも早く思いつき、検証と準備の時間を捻りだしたということに評価こそされ、責められる言われは無いものであった。

 逆に言えば、ケイジの案は、合理的に考えれば必ず辿り着く帰結であり、ケイジ以外の人物であってもいつかは必ず辿り着く案だったのだ。

 そして検証の段階で、リバイアサン・グォイドが、攻撃したSSDFの艦の発射地点を割り出し、そこへ向かって大赤斑の渦の内壁越しに木星UVユピティキャノンを撃ってくる可能性や、細く絞ることで射角を広げた木星UVユピティキャノンを撃ってくる可能性はすでに出ていた。

 そして検証の結果、それらの事態には対処可能だと判断していたのだ。

 ただ、まさかその二つを組み合わせて攻撃してくるとは予測出来なかったが……。

 どちらにしろ、責任は大人達……とりわけ責任者たるテューラが負うべき事柄であった。

 ケイジへのテューラの言葉は、少年のためというよりも、自分自身を鼓舞し、戒めるために言った言葉だったかもしれない。

 リバイアサン・グォイドによるガス雲を撃つことで生じさせた直下よりの衝撃破と、細く絞ることで射角を広げた木星UV《ユピティ》キャノンによる攻撃の合わせ技により、すでに『一つの指輪ワン・リング』作戦・木星表層部攻撃艦隊は、甚大な損害を受けていた。



▼現時点での損害レポート


・〈マンゴネル〉級 実体弾投射軽巡洋艦

 大破・轟沈10(うち無人艦7 有人艦3)

 中破5 (戦闘継続不可能・戦線離脱)

 小破7 (戦闘継続可能なれど時間制限有り)


・〈バリスタ〉級 実体弾投射軽戦艦

 大破・轟沈1

 中破3 (戦闘継続不可能・戦線離脱)


・〈デボンシャー〉級 ミサイル駆逐艦

 大破・轟沈4

 中破7 (戦闘継続不可能・戦線離脱)

 全ミサイル発射により戦闘継続不可能艦8


・〈ラパナス〉級 有人汎用駆逐艦

 中破4 (戦闘継続不可能・戦線離脱)

 小破2 (戦闘継続可能なれど時間制限有り)


・高速戦闘指揮巡洋航宙艦〈リグ=ヴェーダ〉(本作戦・作戦指揮母艦)

 小破 (戦闘継続可能なれど時間制限有り)



 けっして少なくは無い損害報告がテューラには届いていた。

 座上している〈リグ=ヴェーダ〉までもが、細く絞られた木星UVユピティキャノンがかすめ補助エンジンにダメージを受けている始末だ。

 座上している艦のすぐ傍を木星UVユピティキャノンの光の柱が通過し、僅かながら接触し、CIC中央情報室を凄まじい襲撃が襲った時は、さすがにテューラも一瞬覚悟を決めた程だった。

 そしてレイカやシアーシャのように、自分も子供くらい作っておけば良かったかも……と後悔した。ほんの一瞬のことであったが。

 遠隔操舵無人艦を最前線に立てて運用したおかげで、人的被害はこれでも少なく済んだ方だ……と言えないことも無いが、亡くなったクルーにとっては何の慰めにもならないことだろう。

 『一つの指輪ワン・リング』作戦は、事実上失敗したと判断されても言い訳できない状態であった。


 ――落ち込んでいるのは私の方なのかもな……


 テューラ両頬をピシャリと叩くと気持ちを入れ替えた。

 幸い、〈ユピティ・ダイバー〉との交信を終えた直後の木星UVユピティキャノンの攻撃以来、リバイアサン・グォイドからの砲撃は来ていない。

 大赤斑周囲のガス雲を、その下層に放った木星UVユピティキャノンで気化膨張させ過ぎた為に、現在周辺一帯が、衝撃破と共に巻き上げられた薄いガスに覆われ、リバイアサン・グォイドからの索敵が不可能になってしまっていたからだ。

 現在、それまでの阿鼻叫喚が嘘のような静けさが静けさが、一時的にではあるが大赤斑一帯に訪れていた。

 テューラはホロ総合位置情報図スィロムに映る、ふんわりと泡立つように分厚くなった円盤状の大赤斑の現状映像予測を見て、ひっくり返す前のパンケーキを連想した。


「あ~司令、急かすつもりはないですが、何をするにしても考える時間はあまり残ってませんよ」

「分かってる」


 口調とは裏腹に、内心かなり焦っているであろう副官に、テューラは短く答えると黙考を続けた。

 実際、残された時間は限られていた。

 大赤斑の上空を覆ったガスが、木星の高重力により降下し、周辺一帯が晴れわたるまでの残り時間も迫っていた。

 さらに、小破レベルの『一つの指輪ワン・リング』作戦・参加艦艇が、ダメージを受けた船体で、木星の高重力に耐えながら大赤斑周囲で定点滞空していられる限界時間もまた迫っていた。

 それらの艦にはこの〈リグ=ヴェーダ〉も含まれている。

 小破した船体での滞空限界時間を超えてしまえば、グォイドに沈められるのを待つまでもなく、木星に引きずり降ろされ、ガス圧で圧壊する運命になるだろう。

 再攻撃を仕掛けるとすれば、このガスが晴れた直後、リバイアサン・グォイドが再び木星UVユピティキャノンを撃つよりも前に行うしかない。

 だがこちらはUV弾頭ミサイルはすでにほぼ撃ち尽くし、残った攻撃手段は、最初の攻撃よりも遥かに少なくなった実体弾投射艦による砲撃しかない。

 それが最初の二度にわたる実体弾砲撃と、UV弾頭ミサイル攻撃に耐えたリバイアサン・グォイドに対し、通用するとはとても思えなかった。

 思えばリバイアサン・グォイドの防御力と攻撃の際の創意工夫する能力を、我々は甘く見過ぎていたのかもしれない。

 宇宙で予想外なことが起きるとすれば、それは人間の不完全さがもたらす過ちか、さもなくばグォイドによる行いなのだ。

 テューラはビュワーに映る〈ナガラジャ〉から送られてきたリバイアサン・グォイドの観測映像を見つめた。

 あまりにも巨大なリング状になった為に、輪に比する船体サイズが小さく見えてしまい感覚がマヒしてしまっているが、リバイアサン・グォイドは少なくとも最大サイズのシードピラーと同等以上の数のグォイド製UVDを、そのワイヤーで繋がれた棒状船体に搭載し、木星UVユピティキャノンを捻じ曲げるだけのUVエネルギー出力と、それを用いたUVシールドを張れるはずなのだ。

 リバイアサン・グォイドはその防御力と、UVミサイル命中時に咄嗟に大赤斑の渦の下方へと急降下することによって、ダメージを回避したらしい。

 その直後から始まった一連のカタストロフがテューラの脳裏にフラッシュバックし、彼女は思わず頭を振った。


「まさか…………あれだけの攻撃を受けてピンピンしてるとは思いませんでしたね司令」

「……ああ……まったくだ」


 テューラの視線から同じことを連想したのか、話しかけてきた副官に彼女は答えた。

 実際、まったくもってその通りだった。

 テューラは攻撃の第三波において、参加したUV弾頭ミサイル駆逐艦の搭載ミサイルほぼ全てを叩きこんだのだ。

 出し惜しみし、敵にチャンスを与えるような愚かな行いをするつもりは無かった。

 放ったUV弾頭ミサイルの大半が対宙レーザーで撃ち落とされたとはいえ、それにしてもリバイアサン・グォイドに効かなすぎであった。

 〈ナガラジャ〉の観測によれば、それでも命中弾はシードピラーならば一隻以上は沈めらる数であったはずなのだ。


「………………やっぱりおかしい」


 テューラはわれ知らず呟いていた。

 何か重大な見落としがあるとしか思えなかった。

 そしてビュワーに映るリバイアサン・グォイドを睨むうちに結論に至った。

 リバイアサン・グォイドへの我々の攻撃は、通じていなくは無いのだと。


「ナンバーワン……」


 テューラは覚悟を決めると副官を呼んだ。

 何故か彼は心なしか嫌そうな顔でこちらを振り返った。


「心が決まりましたか司令?」

「ああ、ナンバーワンよ、大至急、残存する実体弾投射艦に搭載されているスマートブリッドの弾数を数えてくれ」


 テューラは嫌そうな顔の副官に告げた。










「再攻撃ぃ!? 私らの指揮でぇ?」

『私らのというか、お前達の【ANESYS】による指揮でだがな』


 思わず訊き返したアイシュワリアの言葉を、テューラ司令は訂正した。



 ――〈じんりゅう〉級五番艦 高機動近接格闘艦〈ナガラジャ〉(敵勢力観測担当)バトル・ブリッジ――

 ――――大赤斑外周部・深度30キロ、リバイアサン・グォイドから直線距離で3500キロの雲海内――



『お前らから送られてきたリバイアサン・グォイドの観測データを仔細に分析してみた結果、我々の攻撃が、けして通じていなかったわけでは無いことが分かった……』


 テューラ司令の通信音声に合わせ、バトル・ブリッジのビュワーにリバイアサン・グォイドのリング状船体を真上から見た図が投影された。

 本来は木星UVユピティキャノンの射線上のど真ん中な為、観測など不可能なはずのリバイアサン・グォイド直上からの映像なのは、〈ナガラジャ〉から送られてきたほぼ真横からに近い同グォイドの映像を、コンピュータ処理した結果なのだろう。

 ビュワー画面内に納まるように縮小投影すると、リバイアサン・グォイドはまるで糸でできた輪のように細く儚く見えたが、それは船体サイズに比して輪の直径があまりにも広いからそう錯覚してしまっているだけだ。

 リング状となったリバイアサン・グォイドは、真円状態を維持すべく、高速で回転しているのが映像から確認することができた。


『分かりやすく映像を加工してみた。良く見てくれ、リバイアサン・グォイドの高速回転に、それまでは無かった乱れが生じているのが分かるはずだ』


 テューラ司令の言葉と共に、リバイアサン・グォイドが成す巨大な輪に、太い蛍光グリーンのラインが上書きされた。


「……あ、ホントだ」


 アイシュワリアもすぐにテューラ司令の言わんとすることに気づいた。

 映像内の蛍光グリーンの輪が、微かにだが震えてるのが分かった。

 リバイアサン・グォイドの輪のサイズを考えれば、そのブレの距離は少なくとも数百メートルはあるだろう。

 今、リバイアサン・グォイドの回転の中心軸と、リングの中心とに、僅かながらズレが生じているのだ。


『さらに映像の再生速度を落とし、その原因となっている部分を拡大して見た……』


 蛍光グリーンの補助ラインが消え、輪の回転が遅くなると同時に、リバイアサン・グォイドの輪の一部が回転に追随した状態で拡大されていった。

 幾本かのワイヤーで繋がれた、歪な棒状の船体で構成されたリング状の姿を持つ同グォイドの、その歪な棒状船体の一つが最終的にアップで投影された。


「ここに、私達の撃った弾が当たってた……ってこと?」

『我々はそう判断している』


 他の棒状船体に比べ、拡大された棒状船体は歪み、欠けていた。


『どうやら我々の最初の攻撃は、少しばかり奴のデカさに惑わされて、範囲が広過ぎたのかもしれん』


 テューラ司令が自重気味に告げた。


『我々が放った実体弾及びUV弾頭ミサイルのうち、そのほとんどが、命中優先で敵リング状船体に分散して命中し、あまり効果が無かったわけだ。

 が、今拡大している棒状船体部分にだけは複数の実体弾かミサイルが偶然にも命中し、こうして少なからずダメージを与えることに成功し、結果、リバイアサン・グォイドが真円を維持する為の回転運動に歪みを与えることに成功したわけだ』


 テューラ司令が説明を続けるなか、ビュワー映像が再びズームアウトし、ダメージをあたえた棒状船体部分が目印として蛍光レッドに染められた状態で、画面内に蛍光グリーンのラインで上書きされたリバイアサン・グォイドのリングが映し出された。


『…………そしてこの分析映像から分かるように、リバイアサン・グォイドの回転の軸は、ダメージを与えた棒船体の反対側にズレてしまったことになる

 図体がでかい上に高速で回転させてるものだから、その分かかる遠心力も凄いのだろう……ちょっとのダメージでもこうして回転が乱れてしまうわけだな』

「…………な、なるほどぉ」

「つまり、そのダメージを与えることに成功した棒状船体部分に集中して攻撃を加えることができれば、リバイアサン・グォイドは回転を維持できなくなるか、遠心力で勝手に自壊してくれるであろう……というわけですね?」


 一応頷いておいたアイシュワリアに対し、まるで説明するかのようにデボォザ副長が告げた。


『そういうことだデボォザ』

「わ……私だって分かってたしっ!」


 アイシュワリアは慌てて主張した。


「……しかし、高速で回転しているリバイアサン・グォイドの、そのダメージを受けてる船体のみをピンポイントで攻撃を当てるなどいう離れ業、実行に映すのは困難ですね……」

『ああ、だからだデボォザ……』


 アイシュワリアの主張を無視してデボォザとテューラ司令はそう話しあうと、テューラ司令は答を待つように沈黙し、デボォザは視線をアイシュワリアに向けた。


「? ……ああ! そこで私達の【ANESYS】の出番ってわけね!」

『そういうことだアイシュワリア』


 正解を褒める教師のようにテューラ司令が答えた。


「にしたって……ちょっと無茶な話ねぇ」

『ガスの煙幕が晴れてリバイアサン・グォイドの攻撃が再開されるまでの一時間弱までに、準備できて実行可能な手段が他にあれば訊こうかアイシュワリア』

「……」


 アイシュワリアに答えられようはずが無かった。


『攻撃開始は今から45分後、まずガニメデの実体弾投射艦部隊と、ミサイル駆逐艦の残存UV弾頭ミサイルで陽動攻撃を開始、リバイアサン・グォイドに迎撃の為の木星UVユピティキャノンを撃たせ、その同時に残存実体弾投射艦はスマートブリッドが命中するよう砲撃を開始する。

 〈ナガラジャ〉は今説明したリバイアサン・グォイドのウィークポイントへスマートブリッドが全弾着弾するようスマートブリッドを【ANESYS】を用いてコントロールする』


 テューラ司令の説明に合わせ、大赤斑上空を描いたホロ総合位置情報図スィロムが投影された。

 行っていることは本命のUV弾頭ミサイル攻撃が無いことを除けば、最初の攻撃とあまり変わらない。

 陽動し、相手に木星UVユピティキャノンを撃たせ、その間に実体弾を命中させるだけだ。

 だが今回用いられる実体弾投射艦から放たれる弾頭は、スマートブリッドと呼ばれる特殊弾頭であった。

 スマート賢いブリッドとは、通常実体弾とミサイルの中間のような実体弾の一種だ。

 違うのは、弾頭部に簡素な制御スラスターが設けられていることにより、発射後に有る程度外部から弾道をコントロールする機能があることだ。

 だがミサイルよりも遥かに早い速度で飛翔する為、弾道をコントロールできるといってもそのコース変更範囲は極めて狭い。

 使いどころが限られている為、搭載数の少ない特殊弾頭であった。

 だが、今回の作戦では、その狭い弾道制御範囲でも問題無かった。

 高速回転中のリバイアサン・グォイドの特定ポイントに命中させるなどと、通常の航宙艦には不可能な行いであったが、【ANESYS】の超高速情報処理能力を用いれば、それも可能なはずであった。

 ホロ総合位置情報図スィロム上のシミュレーション映像内で、放たれたスマートブリッドがリバイアサン・グォイドのウィーク・ポイントに集中して命中すると、ただでさえ高速回転によ遠心力がかかっていた部分が耐えきれずに崩壊、輪の一部が千切れてしまうと、遠心力はリバイアサン・グォイドを破壊する凶器にとって代わり、同グォイドはヘビのようにのたうちながら大赤斑底の雲海へと消えていった。


「……なんて……なんという……無茶な作戦を……」


 アイシュワリアは呆れる他無かった。

 理屈の上では可能なのかもしれないが、一カ所えらく綱渡りなフェイスがある気がする。


「良かったですね姫様」

「はい?」


 唐突にデボォザにそう言われ、アイシュワリアは思わず訊き返した。


「姫様はここ30時間のリバイアサン・グォイドの観測任務中、ただ見張っているだけの任務なんてつまらない~! と何度もおっしゃっていたではないですか」

「……」

『ほぉ~う、それはそれは』

「先ほどリバイアサン・グォイドに反撃されていた時も、〈ナガラジャ〉も衝撃破に巻き込まれて大変だというのに、私が討たれた仲間の仇をとる! といって〈ナガラジャ〉でかのグォイドに突撃しようとして大変だったのです」

『そうかそうか~期待に添える任務を提供できたようで、こちらも期待が高まるぞアイシュワリアよ』

「な! ……」


 デボォザとテューラ司令の言葉に、アイシュワリアは何も言い返せなかった。

 成功するかはさておいて、どちらにしろ今、木星のSSDFには他に選択肢など無かったからだ。

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