▼第五章  『雲の惑星』

♯1

 〈木星〉そこは人類圏最大にして唯一のガス惑星である。

 かつての人類にとって、そこは学術的な目的や、単に自分達がどこまで遠くに行けるのかを挑戦する際の目的地として以外では、どうしても行かなければない星では無かった。

 その巨体を構成するガスの中に眠るという大量のヘリウム3は、核融合の燃料として、人類社会に無くてはならない資源ではあったが、月の大地から産出される分で充分事足りていた。

 21世紀の終わりからの宇宙科学技術の進歩に伴い、月や火星にならば、多少の環境の変化を受け入れ、そこで一生を終える覚悟で恒久的な基地を建設し、人類生存圏の新たなる地として、そこに生まれてから死ぬまで住まうことを受け入れる人々も少なからず存在した。

 が、太陽からの距離が太陽~地球間の約五倍も遠く、地球の二倍半の重力があり、恐ろしく強力な電磁波と放射線が荒れ狂い、遅くとも秒速100メートルの強風が吹き荒ぶ大地なき巨大なるガスの惑星――――そこに数々の苦難を受け入れてまで、多くの人間が行き、住まおうとは考えられなかったのである。

 僅かに観測基地が設けられはしたものの、それは個人レベルの挑戦、あるいは学術目的を除けば、その時代の各国家勢力が、己が勢力の威信を示す為のものでしかなかった。

 しかし、22世紀の半ばを過ぎ、後にグォイドと呼ばれることになる減速噴射光――非自然発生的減速物体UDOが観測されると、事態は急変した。

 太陽系に向かってくる彼らを迎える最前線基地とするには、万が一の事態を想定した場合、月ではあまりに地球に近過ぎる。

 燃料として潤沢すぎるヘリウム3が確保でき、地球から充分に遠く離れた木星は、絶好の最前線基地として選ばれた。

 ……といっても大地も無い重力井戸の底に大規模施設を建造するわけもなく、主な施設は木星を周回する四大衛星イオ・エウロパ・ガニメデ・カリストの軌道上に建造され、無人のヘリウム3採集基地のみが、木星の雲海に幾つも浮かべられた。

 もちろん、公転のタイミング次第では木星が非自然発生的減速物体UDOを迎えるのに丁度良い位置ウィンドウにあるとは限らないが、それはどこに最前線基地を設けようと発生する問題だ。

 そしてUDOとの初遭遇が過ぎ、歴史がグォイドとの存亡をかけた戦の時代へと移り変わると、UVテクノロジーの発達と共に、そのヘリウム3採集基地もその役目を終えていった。

 そもそも燃料のいらないUVDがあれば、ヘリウム3の必要性も無くなるからだ。

 こうして木星は、使われなくなったヘリウム3採集基がその雲海に浮かんでいる以外、人類の痕跡の全く無い星となった。

 しかし、人類にとって木星圏は、グォイド侵攻を妨げる為の最大にして最前線の盾として、それまで以上に重要な惑星へとなったのである。

 そして今、かの星は新たな戦場となった。








 ――第五次グォイド大規模侵攻から約六カ月後――。

 ――〈じんりゅう〉が〈ワンダービート〉より出立してから三日後――。

 木星赤道上空の低軌道上――。


「あぁ~もうっ!」

「姫様、どうか気をお沈め下さい。考えれば予測できたことでしょうに……」

「だってぇ~デボォザぁ、あなただって気づかなかったじゃないのさ~!」


 アイシュワリアはすました顔で事実を告げてくる副長に、蛇輪をぶん回しながら言い返した。

 直後に、〈ナガラジャ〉直下の木星の雲海から敵対艦ミサイルが上昇し、船体を掠めていく。








 ――その数時間前、最初の仮称ナマコ型船潜雲グォイドの木星襲来から三日後。


 アイシュワリア艦長率いるVS805〈ナガラジャ〉は、木星の雲海に消えた新型グォイドへの対処を一旦諦め、SSDF木星艦隊ガニメデ本部基地にて補給を受けることにした。

 もし、同じようなグォイドに再び遭遇した場合、近接戦闘を得意とする〈ナガラジャ〉では、対処が難しいからだ。

 とりあえずは搭載可能な限りの対艦UV弾頭ミサイルを補給し、少しでも砲雷撃戦に備えてておくしかない。

 そしてその備えは、予想通りすぐに必要に迫られることとなった。

 メインベルト方面哨戒艦隊から、再び慣性ステルス航行を用いたグォイドの中規模艦隊発見の報が届いたからだ。

 〈ナガラジャ〉率いる第805VS艦隊は直ちに発進した。

 グォイドとの――いや宇宙での戦闘に勝利するには、まず戦闘を成立させる為の条件を整えなければならない。

 今回の場合、敵グォイド艦隊はステルス機能幕を纏っていた関係上、発見されるまで慣性航行でやって来ていた。

 これが大規模侵攻迎撃戦であれば、敵勢力を発見次第、大質量実体弾を敵艦隊の前方に発射し、敵の加速の阻止とコースの変更を試みるわけだが、今回はその手段を使うには、発見が遅れた為に敵艦隊を近づけさせ過ぎていた。

 SSDF哨戒艦隊のUVミサイルを用いた重力波によって、ステルス幕を吹き飛ばされることで発見された敵艦隊は、直ちに加速を開始、それまでの慣性航行時のスピードに推力を上乗せし、猛烈な速度で木星を目指してやって来たのである。

 加速を許してしまった敵艦隊を撃破するのは、迎撃を行なうのに許された時間が短くなってしまう為に、非常に困難になってくる。

 警戒範囲の広さから、やはりSSDF木星防衛艦隊、迎撃網形成は間に合いそうになかった。

 代わりに実体弾砲撃艦をかき集めていたSSDF木星防衛艦隊は、長距離実体弾砲撃によって敵艦隊の数を減らすことに成功した。

 が、今回新たに発見されたグォイド木星襲来艦隊第二陣は、最初に発見し〈ナガラジャ〉が交戦した新型グォイド艦を擁する第一陣艦隊を倍は上回る艦数であった。

 新型の仮称ナマコ型潜雲グォイド十二隻を中心に、強攻偵察艦級や、駆逐艦級が前後を護衛している中規模艦隊は、護衛の駆逐艦をSSDFの実体弾砲撃で失いながらも構わずに木星目指し突進を続けてくる。

 幸いにも今回も敵艦隊にシードピラーは確認されなかった。

 しかし、仮称ナマコ型潜雲グォイドが木星に向かう理由は今もまだ不明だ。

 不明だが、グォイドの企みを黙って成し遂げさるわけにはいかなかった。

 この事態を予測していたアイシュワリア率いる〈ナガラジャ〉以下の第805VS艦隊は、敵の目的地と思われる大赤班北部の木星赤道上空の低軌道を周回しつつ、グォイド木星襲来艦隊第二陣を待ち伏せることにした。

 木星低軌道を自転方向に周回し続けることで、速度を維持したまま敵艦隊を待ち受けることができるからだ。

 そして第805VS艦隊は、木星に敵艦隊が接近するタイミングに合わせて加減速し、グォイド艦隊の後方、【ANESYS】戦術マニューバによる敵殲滅可能範囲につけることに成功した。

 〈ナガラジャ〉艦長アイシュワリアはこの隙を逃さず叫んだ。

「総員、アネシス・エンゲージ!」と。




 ◇◇◇

 

 『まるでチャイインドのミルクティーのような乳白色の靄が、高速で眼下を擦過していくなか、またしてもワレは眠るようにして目覚めた。

 例によって、ワガひめさまの望みはぐぉいどのセンメツだ。

 良かろう望むところだ……特に今日は。

 今回の戦いは先日のリベンジも兼ねる。

 あのナマコモドキぐぉいどから受けたクツジョクを晴らす時が来たのだ。

 前回の戦いに比べ、グォイドの数は倍はいるが、そんなことは気にしない。

 ひめさま達は前回の反省を踏まえ、全ての敵をワレのキルゾーン内に納めてくれていた。

 眼前のぐぉいどを斬る……斬って斬って斬りまくる。それこそがワレの使命。ワレの存在意義。その行為それこそワレという存在そのもの……。

 ワレという存在を形作る彼女達のハブたる姫が、ワレの中心核で、ぐぉいどを斬れ! と強くそう望むのを感じる。

 ワレは大いなる破壊のヨロコビと少しのキョウフ、それと微かなムナシサのような感覚を覚えながら、ひめさまの望みに全力で答えようと、ぐぉいどの群へと飛び込んだ。

 彼女達の思考を束ねたるワレにとっては、ぐぉいど共は遅かった。そして脆かった。

 しもべにして分身たる双子達と共に、敵の対宙迎撃をひらりひらりとかわしつつ、グォイドの群れを次々と斬り飛ばしていく。

 クチクカンやキョウコウテイサツカンぐぉいど共は、今回も猛烈な迎撃火砲であのナマコモドキを守らんとするが、ワレの前ではすべて虚しいカット前のロールケーキに過ぎぬ。

 ワレの肉体たる〈ながらじゃ〉と〈げみにー〉の計四隻の宇宙皮剥き器スターピーラーだけでは、数が多いが故に届かない距離にいる敵もいたが、その事態にもひめさまはちゃんと備えていた。

 ひめさまはガニメデ基地で〈ジンリュウ〉姉さまのシモベ用に用意されていた無人艦〈らぱなす改〉を、今回の戦いの為に四隻拝借してきていたのだ。

 宇宙皮剥き器では届かない奴らは、連れてきた〈らぱなす改〉の火力でやっつける。

 チャイ色の絨毯、ワレの眼下を高速で擦過していたモクセイのクウキが、先日の戦いの時のように刻々と濃なり、ワレを覆っていくのを感じる。

 ここはもうモクセイの表層ではない、モクセイのガス雲上層なのだ。

 ワレの挑むぐぉいど共はもちろん、ワレの身体たる〈ながらじゃ〉のカンシュが、モクセイのガスとのショウトツによるダンネツアッシュクによって山吹色にあぶられはじめた。

 ワレに許された時間には限りがある。

 護衛のぐぉいど共の迎撃を掻い潜り、ワレは群の奥にいるナマコモドキぐぉいどを宇宙皮剥き器の射程圏に納めると突っ込んでいった。

 今度こそナマコのサシィミにしてくれるわ! と。

 前回の戦いではナコモドキの装甲はあまりに硬過ぎて、宇宙皮剥き器でも両断は叶わなかったが、同じ過ちは犯さない。

 一旦敵艦隊の前方に躍り出ると、〈ながらじゃ〉主船体と補助エンジンとの間に張ったUVワイヤーを、一隻のナマコモドキの前方UVシールドを突き破って、ごつごつした円柱状の敵艦艦首の上部に引っかけ、思いっきりリバース・スラストをかけてやった。

 前回のように上下か斬りかかったならば、装甲が硬い敵艦は、踏ん張りのきかない宇宙空間をそのまま両断されずに斬りかかった方とは反対側に逃げてしまう。

 だが、前方からUVワイヤーをひっかけ減速をかけた場合、前進したいナマコモドキの艦首に、後進を掛けた〈ナガラジャ〉のUVワイヤーの斬る力が逃げることなく集中されるのだ!

 これぞまさに宇宙皮剥き器スターピーラー

 ワレは一瞬にしてナマコグォイドの上部装甲をひん捲ってくれてやった。

 ナマコグォイドは辛うじて沈まないでいたが、これで木星の雲海に潜航は出来ないはずだ。

 潜航出来ないナマコモドキなど、〈ゲミニー〉や〈ラパナス改〉の敵では無い。

 敵艦隊前方から減速しつつ、次から次へと敵ナマコモドキの皮だけを艦首から艦尾にかけてひん剥きながら、ワレは敵艦隊後方へとへ再び躍り出る。

 ワレがワレでいられる時間のリミットは確実に迫ってきていた。

 しかし、それまでに敵艦隊殲滅を成し遂げることは充分に可能だ。

 ワレは次の獲物を求めながら、再び敵艦隊前方へと躍り出ようとした。

 見たかグォイド共よ! ワレに同じ攻撃が通じるなどと思うなよ! ……とばかりに。

 と……その時、〈ながらじゃ〉の後方で、ワレが〈ジンリュウ〉姉さまより拝借した〈らぱなす改〉の一隻が、唐突に爆沈した。

 加速されたワレの思考速度の中で、円錐形の船体が真っ二つに千切れ、ゆっくりと回転しながら眼窩の惑星へと没していく。

 ワレはその光景を目にした瞬間、悟った。

 ワレはワレの使命を果たすことに失敗した。

 前回の失敗ならば、ナマコモドキを逃しただけでワレの存在は安泰であった。

だが今回の失敗は違う。 

 今回の失敗は、ワレ自身を構成するひめさま達の存在をも危うくさせる程の失敗だ。

 ……つまり死ぬかもしれないほどの失敗であった。

 〈らぱなす改〉を沈めたように、ワレの眼下を高速で擦過する乳白色のガス雲から、新た対艦ミサイルが次々と飛翔し、ワレの艦隊を狙う。

 ワレは〈ながらじゃ〉他の艦隊全艦を回避させながら、重大な事を失念していたと気づいた。

 先日の戦いで逃したナマコモドキ達の存在だ。

 奴らは、僚艦たる今回襲来した新たなナマコモドキ艦隊第二陣が、木星赤道上雲海に潜航するのを支援する為に、今、眼下の雲海まで来ているのだ。

 そして乳白色の雲海の彼方から、対艦ミサイルでワレの艦隊を狙い続けている。

 ナマコモドキの船体にUVキャノンの類は無かったが、垂直方向の対艦ミサイル発射管は内臓してあったらしい。

 こっちが残った〈らぱなす改〉の砲撃で雲海下の敵を沈めようと思えども、馬鹿のごとく強力なデンジハとホウシャセンが渦巻くモクセイでは、可視光意外での索敵はまず不可能であり、雲海下に隠れられたらもう敵には狙いの付けようがない。

 ワレの高速情報処理能力によって思考が加速され今は、雲海から飛翔してくる対艦ミサイルを、まだなんとか命中する前に回避出来てはいた。

 しかし、その回避も間も無く出来なくなる。

 ワレがワレでいられるタイムリミットが迫ってるからだ。

 なんとか上空へ逃れようとするが、まだ屠っていないクチクカンやキョウコテイサツカンぐぉいど共が上方を押さえて逃げられない。

 ワレは薄れ行く思考の片隅で……そういえば〈ジンリュウ〉姉さまに、あなたの〈らぱなす改〉を一隻沈めちゃったことを謝らないと……と、そんなことを曖昧になっていく思考の片隅で巡らせながら、ワレは眠るようにして、彼女達へと還っていった』




「あぁ~もうっ!」

「姫様、どうか気をお沈め下さい。考えれば予測できたことでしょうに……」

「だってぇ~デボォザぁ、あなただって気づかなかったじゃないのさ~!」

「それはごもっともなご意見です」

「ほら~!」


 アイシュワリアはすました顔で事実を告げてくる副長に、蛇輪をぶん回しながら言い返した。

 直後に、〈ナガラジャ〉直下の木星の雲海から敵対艦ミサイルが上昇し、船体を掠めていく。

 否応もなく【ANESYS】は終了してしまった。

 それも敵艦隊に上下を挟まれた状態でだ。

 敵対艦ミサイルは対宙レーザーによる迎撃もできたが、すでに木星大気圏上層部にあたるここでは、レーザーは大気によって減衰してしまい、その射程は極端に短くなってしまっていた。

 〈ナガラジャ〉と〈ゲミニー〉三隻、一隻沈められ三隻になってしまった〈ラパナス改〉の計七隻は、必死に手動あるいは自立操艦で敵対艦ミサイルを迎撃、あるいは回避し続けるが、【ANESYS】無しでは、この局面を全艦無事で乗り切るのは非常に厳しい状況といえた。

 〈ナガラジャ〉他のVS805の艦が、下方からのミサイルと、残った駆逐艦急や強攻偵察艦急グォイドの上方からの攻撃を必死で回避し続けるなか、まだ健在だった第二陣ナマコ型潜雲グォイドが次々と雲海へと降下、潜航を果たしていく。

 当初のVS‐805艦隊の目標はすでに失敗したと言えた。


「姫様、どうかご決断を。このままではいくら〈ナガラジャ〉といえども持ちませんよ」

「け、決断って……この状況でどうしろというのよ!?」

「姫様、残念ながらここは、無人艦を捨てて〈ナガラジャ〉だけで脱出する他ありません」

「なんですってぃ!?」


 アイシュワリアは訊き返した。

 自慢ではないが、【ANESYS】戦術マニューバが終わってしまったVS艦隊の航宙艦は、SSDFの他の艦と同等かそれ以下の戦闘力しかない。

 いまのこの状況で〈ナガラジャ〉とそのクルー達が無事帰還出来る術があるとすれば、それはデボゥザ副長が言う通り、確かに無人艦を盾にして逃げる他無いように思えた。


「いやよそんなの! せっかく出来あがった〈ゲミニー〉ちゃん達なのに!」

「〈じんりゅう〉用の〈ラパナス改〉も借り受けましたしね……ですが早く決断しないと」

「ああそう言えば……もう! その〈じんりゅう〉は? まだ駆けつけて来ないの?」


 アイシュワリアは強引に拝借してきた〈ラパナス改〉を、【ANESYS】中に一隻沈めてしまった事を思い出し、思わず天を仰ぎながら電側員に尋ねた。


「〈じんりゅう〉は本艦の観測レンジ内にはいまだ来ていません!」

「二時間前の最後の通信では木星圏には到達している模様でした。現在はまだ木星地平線の彼方かと……」


 電側員とデボゥザが即座に答える。

 つまり、現状誰かが救援に来てくれることは無いようだ。

 アイシュワリアは一瞬、もう一度【ANESYS】戦術マニューバを使えたらと思ったが、それはしたくても不可能であった。

 【ANESYS】は、一度起動すると再使用まで最低一時間は脳を休ませなければならない。そうしないと【ANESYS】を起動しようにも脳が他者との統合を拒否してしまうのだ。

 数秒単位であればすぐに使えないことも無いが、この状況ではそれは限り無く無意味だろう。


「まったく!」


 アイシュワリアは〈ナガラジャ〉を蛇行させながら呻いた。

 その時、また一機の対艦ミサイルが雲海を突き破って真下から飛翔し、回避運動する〈ナガラジャ〉のUVシールドに着弾した。

 衝撃が〈ナガラジャ〉バトルブリッジを襲い、クルー達の悲鳴が響く。


「左舷UVシールドに直撃弾! 左舷シールドジェネレイターダウン!! されど船体にダメージ無し! しかしまたミサイルの直撃を受けたらもう持ちません」


 直ちに届くダメージ報告。幸い対艦ミサイルは左舷のシールドを奪っただけだったようだ。

 だが同じ奇跡がまた起きるとは信じられなかった。

 今度また対艦ミサイルの直撃を良ければ、いかに〈ナガラジャ〉といえど当たり所次第では一発で沈む。

 対艦ミサイルとはそういう兵器だ。


「ひめさま! アイシュワリア! ご決断を!!」


 デボゥザの真剣な声に、アイシュワリアはすぐに答えることが出来なかった。確かに事態は急を要する。

 アイシュワリアは何とかプライドや諸々の精神的葛藤を捨て、指示を下そうと口を開きかけた……その時。

 前方眼下に広がる雲海が突如白く濁って盛り上がったかと思うと、まるで海中で爆雷が起爆したかのように、その下からガスを突き破り巨大な虹色の爆煙の柱が上がった。 

 アイシュワリアはその爆煙の中から、明らかにグォイド艦の一部を思われる破片が飛び散るを見た気がした。


「何事!?」


 アイシュワリアが思わず答えてくれる人間を求めて訊いたが、返事は無かった。

 〈ナガラジャ〉クルーが見守る中、一瞬、直線の稲光のようなものがガス雲の下で閃くと、同じような爆煙の柱が、さらに一つ、また一つと上がった。

 艦のコンピュータが、その光景に相応しいドヴォーンという効果音をスピーカーから流す。

 眼下のガス雲の下で自分達を狙うグォイド艦が、突如爆発したのだ。


 ――一体誰が? どうやって?


「艦長、左舷後方、西の方角です!」


 アイシュワリアが副長の声に素早く首を巡らすと、〈ナガラジャ〉の遥か後方に、新たに白っぽいガスの柱が上がるのが小さく見えた。

 だがそのガスの柱の下からは、先ほどの爆発の光は見えなかった。その代わりに、そのガスの柱はクルー達の視界のなかでみるみる巨大化していった、

 何者かが、ガス雲の下をこっちにむかって突き進んでいる!?

 そうアイシュワリア達が気づいた瞬間、そのガス柱は〈ナガラジャ〉の手前で低くなって消えた。


「……?!」


 〈ナガラジャ〉クルー達はガス雲が消えた後も、そのガス柱の接近速度から予測される位置へと向かって視線を走らせた。

 ――あのガス柱は単に消えたのではない、ガス雲の中にいた何者かが、より深く潜航した結果、そう見えただけだ――クルーの誰もがそう思いながら視線を巡らせた先には、バトルブリッジの床があった……。


 ――〈ナガラジャ〉の真下に何かがいる!


 アイシュワリア達が見守る中、バトルブリッジの床に投影された真下の雲海がまた僅かに盛り上がると、白く濁ったガスをまき散らしながら、見覚えのある艦影が姿を現した。

 こちらに右舷側を向けたパールホワイトの優美な流線型の主船体、まるでショモクザメのように艦首真横に突き出たベクタードスラスター、メインサブスラスターが束ねられた艦尾、古代魚のヒレのように船体各部から伸びた放熱翼。

 その艦影の上下では、並んだ計六基の主砲搭が、右舷九〇度に旋回しこちらを指向していた。


「……え?」


 中身が覗ける程、眼下の艦の主砲搭の砲口と目が合い、アイシュワリアは思わず間抜けな声を漏らした。


 ――こっちを狙ってるぅッ!?


 アイシュワリアっがのけ反った瞬間、〈ナガラジャ〉の船体が急激に横移動し、クルー達は思わずよろけた。


 ――強制遠隔操縦オーバーライドされた!?


 勝手に〈ナガラジャ〉船体が横にずれた直後、眼下にいた航宙艦の主砲が発砲された。

 耳をつんざくような発射効果音がブリッジに響く。

 バトルブリッジ内部が、一瞬側面ビュワーから溢れた眩い虹色の光で照らされた。

 直下の雲海から、〈ナガラジャ〉の真横をUVキャノンの光の柱が通過したのだ。

 同時に〈ナガラジャ〉上空で強攻偵察艦級グォイドと駆逐艦級グォイドが、二隻纏めてそのUVキャノンの光の束に刺し貫かれ、爆沈した。

 アイシュワリアは爆沈する上空のグォイド艦を見上げてから、再び眼下の航宙艦を見下ろした。

 改めて目で確認するまでも無く、こんなことをしでかせる艦を彼女は一隻しか知らなかった。

 眼下では、舷側を見せていた艦がロールしながらゆっくりと雲海から浮上していた。

 白っぽいガスをまき散らしながら、艦首の黄金色のフィギュアヘッドが姿を現す。


「……じんりゅう……」


 ケレス沖会戦から約六カ月後、VS802〈じんりゅう〉は、再び戦場へと帰って来た。

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