第25話 眠れぬ夜

 その晩、レイジはマルク宅で、空き部屋を一室借りて休むことになった。


 一人きりで夜を過ごすのは、おそらく両親が死んだ時以来だ。それからは孤児院で同じ境遇の子ども達と過ごし、学園に入ってからは小隊の仲間たちと過ごしてきた。


 なんとも複雑な心境だった。自分の周りにはいつも誰かがいて、互いに励まし合いながら生きてきた。だから一人きりになると、少しだけ不安な気持ちに襲われた。


「眠れねえな」


 それぞれ部屋に入ってから、すでに三時間が経つ。空き部屋だけあって、もの一つ置いていない殺風景さが余計に落ち着かない。何度も寝返りしながら、眠れるのを待った。


 実際、この世界に来て五日間、ほとんど眠れていない。眠るのが怖いという気持ちがあるからだ。時々、この世界に来る直前の光景が蘇ることがあるのだ。仲間の叫び声、震える声、そして、ライアが死ぬ時の顔。


 眠ったらその時の記憶が夢に出てくるのではないか、自分だけ平和な土地でこんなことをして、仲間たちに恨まれるのではないか。そう思うと、余計に眠れなかった。



「ねえ」


 かすかに聞こえてくる少女の声。若干低めの、大人びた声。


「ねえってば」


 再び同じ声がした。視界がぼやけてはっきり見えないが、その声は自分のすぐ上からしている。


「ねえ、行くわよ」


 三度目の声で、レイジは目を覚ました。


 いつの間に眠ってしまったのだろうか。眠い目を擦りながら、周りを見る。しかし、窓から見える空は暗いままだった。スズムシのような鳴き声が外からするだけで、部屋にも明かりがついていない。


 身体を動かそうとしたが、なにかが上に乗っていて重たい。それがなにかと思えば、


「リディアっ?」


「――っ。静かに。皆が起きちゃう」


「おま、なんで上に乗ってんだよ」


 馬乗り状態でレイジの上に乗っていたのは、リディアだった。それも着替え終わり、剣を腰に帯びている。


「おまえがびっくりして暴れると困るから」


「はぁ?」


「いいから起きて、行くわよ」


「トイレくらい一人で行けよ。もう一五なんだろ?」


 ごっ! という音と共に視界が暗転しかけたが、無理やり引き戻された。


「殴る」


「殴ってんじゃねえかっ」


 もはやレイジの左頬は常時腫れた状態がデフォルトになっていた。


「静かに、すぐ着替えて」


「だからどこ行くんだよ」


「カラツァのところに」


 レイジは口を閉じた。そして話の続きを待つ。


「やっぱり、わたしもおまえと同じ意見。戦う意志のない一〇歳の女の子を連れて行くなんて、許せないわ」


 レイジは苦笑しながら答えた。


「お前、さっきは周りに同調してたのにな」


「さっき色々と考えたの。三〇歳以上のおっさんが連れて行かれる分には構わない。けど、子どもはだめだと思うって」


「……前半の意見には若干同意しかねるが、まあ、そうだな」


 事実、連れて行かれたのが一〇歳の女の子ということを聞いて、一番反応していたのはリディアだった。五年前に旅を始めた時のリディアの年齢が同じ一〇歳ということが、一番気になるところなのだろう。


「他の二人は?」


「ハルトは寝てる。アルダスは自分の家で寝るって言ってたし、気づかれてないはず」


「俺たちだけで行くってことか」


「迷惑はかけると思う。でも、なにか行動したいの」


「俺がダメだと言ったら?」


「殴る」


 拳を掲げるリディアを見て、レイジは目を閉じゆっくりとため息をついた。そして微笑む。


「お前にマウントポジション取られちゃな。抗えねえよ」


「なら、行くわよ」


                    ■□■


 二つの月に照らされながら、レイジとリディアの二人は、土系舗装された道を歩いていた。蒸し暑さが残るが、時々吹くひんやりとした風が心地よい。


「あいつらが行く当てなんかあるのか? それも歩いて追いつけんのかよ」


「あいつは極度の面倒くさがり屋なの。一気に本部に帰ることはしない。それにこれを見て、タイヤの跡がある」


「ああ、これってあの戦車みたいなやつの通った跡なのか」


「そこまで時間が経っているようには見えないし、これを追えば嫌でもあいつらに会えると思う」


 足元を見ると、二メートル幅の太いキャタピラ跡が横並びで二本、レイジたちの進行方向へ伸びていた。


「この先、半日程歩いた先に大きな町があるの。きっと、そこであいつはまた魔法士適性がある者を探すはず。それも阻止したい」


「そうだな」


 それからしばらくの間無言が続く。二人はそのまま歩き続けた。


 リディアはなにかそわそわしていた。


 今まで兄のハルトと仲間のアルダスに支えられて生きてきたであろうリディアは、このように二人から離れて行動したことがあるのだろうか。


「なあ、俺と一緒で怖いか?」


「え、あ……は?」


「は? じゃなくて、警戒してた俺と一緒に行くなんて、どういう心変わりなんだろうなーと思ってさ」


「べ、別に……おまえなんて強くもないし、怖くないわ」


「ならいいんだけど」


 再び無言が続く。


「……そういえばさ、俺魔法のことあんまり聞いてなかったんだけど、俺にも使えるのかな」


「知らない。もし使えたとして、使ってどうするの。この時代では魔法はあまりいい印象がないし、思ったより便利なものではないのよ?」


「そうなのか?」


「使えば疲れる」


「ふ、普通だな。ちなみにお前ってどんな魔法が使えたんだ?」


「わたしはなぜか、なかなかに惨い攻撃しかできない魔法だった。見せられないのが残念ね」


「いやそんなの見たくねえよ……」


 見当もつかない未知の魔法のようだ。レイジは苦笑いした。


「……まあ、基本はカラツァの部隊が使っていたような、俗に言う属性魔法とか強化系魔法というものが主流なんだけど、希にどこの類にも属さない魔法が存在するの。そういう魔法が使える者が、やはり強いんだと思う。おまえが戦おうとしていた守護剣の高い地位に就いている者は、そんな奴らばかりよ」


「なるほど、お前がそう言うんなら、やっぱ無謀なんだな」


 リディアは頷き、立ち止まった。レイジもそれに釣られて足を止める。


「時々思う。わたしはこんなことをしていていいのかって。自分には大きな力があるのに、それを使わずにいていいのかってね。もしかしたらわたしたちが頑張れば、意外とすんなりうまくいくんじゃないかって」


「でも、悩んで出した結果なんだろ?」


「そう」


 リディアは力強く答えた。


「ならいいじゃねえか。少なくとも、あいつらのしようとしてることを見過ごせないって思ってここにいるならさ。それだけで俺は十分立派だと思うけどな」


 魔法を使う使わないというより、実際は行動する気持ちがあるかどうかなのだ。その気持ちすらないなら、今リディアは悩んでなんかいないし、ここにいないだろう。


「まずは一人、助けよう」


「ええ」


 いつも無愛想なリディアが少し微笑んだ気がした。

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