人殺しとコメディエンヌ・後編

 日は沈み、人通りがまばらになっている。赤いずきんの小さな女の子が、街灯に明かりを点ける仕事に勤しみ、その陰で水のかたまりに浸かっている人魚がなぜか女の子を見張っている。

 住宅街ではどの家も夕食の準備を始めている。料理の匂いが辺りにただよう中を、ヒバナはうろついていた。

 なんのつもりなのか、さっきから同じところを行ったり来たりしている。ちらちらと一軒の家に視線を向けている。

 結構長い間そうしてたらしく、疲れてきたのか近くの塀に背をもたれて休みはじめた。

 ヒバナは人を待っている。そいつが来るまでここを離れない。


「ちょっとキミこんなところでなにしてんねんな!? もうお日様沈んでもうてるで!」


 やけに甲高い声で怒鳴られた。

 前かけを着けて、大根とネギが中から飛び出した買い物かばんをぶらさげたワカナが、いつのまにかヒバナのそばにいた。


「こんな遅うまで遊んどったらええ子になれへんでキミ! ほらはよ帰るでおかあちゃんといっしょに!」


 ヒバナは何も言わない。何を言えばいいかわからない。


「キミもえらいがんこな子やな~いったい誰に似たんかいな、なんやお腹すいとんのか? アメちゃんあげよか?」


 ワカナがかばんから紙で包まれた飴を取り出し、ヒバナに差し出す。ヒバナは無視する。


「二個あげよか?」


 もう一個飴を差し出す。ヒバナは無視する。


「もう! そんな態度とるんやったらおかあちゃん食うてまうで!」


 包み紙を開いて、ワカナは飴を口の中へ放る。

 口に含んでしばらく転がしたところ、ワカナが顔をくしゃくしゃにしだした。

 ぐああともだえて、のたうちまわり、転げまわる。ひいひいと息を吐き、手で口を押さえて、人に見えないように飴を口から出す。

 ヒバナは黙ってその様を見下ろす。


「このアメからし味ってか、まんまからしやないかい!」


 誰も何も言わなくなる。


「・・・・・・リアクション芸でもアカンか」


 ワカナはしょんぼりして、前掛けと買い物カバンを消した。今のも笑いのためにやったことだった。


「・・・その飴を私が食べようとしたらどうするつもりだったんだ?」


 ヒバナが素朴な疑問をぶつけた。


「あ、そんときは『アカン! キミ悪い子やからアメちゃんなんてあげへん!』言うつもりやった」


「お前は何なんだ? さっきから私をつけまわして」


「つつつつ」


「それはもういい」


「はい。いやでもホンマの話、べ、別につけまわしとったわけや・・・」


「正直に言え」


「はい、つけまわしてました」


「なんのつもりだ?」


「だって・・・ウチは・・・コメディエンヌやから」


「理由になってない」


「なっとるんや! コメディエンヌは人を笑わすためにおるんや! だからウチ・・・むがっ!」


 突然、ヒバナがワカナの口を手でふさいだ。口をふさがれた状況を利用したボケはないかとワカナは考えたが、ヒバナの手にこもる力の強さがそうさせなかった。

 ヒバナはワカナを見ていない。ワカナはヒバナが見ているものを見ようと、目を動かす。

 人間が一人歩いている。カバンを持っている。

 仕事から帰ってきた人間だ。とくにおかしな様子はない。

 ヒバナがワカナの口から手を放す。突き飛ばされたようになってしまい、ワカナはしりもちをついてしまう。


「ちょちょ、なんやねんなもう」


 ワカナは立ち上がり、ヒバナのほうを振り向く。

 ヒバナが人間の前に立ちはだかっている。うつむいていた人間が、気配を感じて首を上げると、ヒバナの姿が目に入った。

 ハッと人間が驚いた。


「やあ」


 とヒバナが人間に軽いあいさつをした。

 どっと人間が汗をかきだした。


「えっ?」


 ワカナにはこの状況が理解できない。

 人間がカバンを捨てた。ヒバナに背を向けて、全速力で走り出した。

 その後をヒバナが追いかける。


「えっ、ちょ、待って! 誰か説明して!」


 ヒバナの後をワカナが追いかける。

 人間が分かれ道を右に曲がる。ヒバナがその後を追う。ワカナもその後を追うが、ヒバナの足の速さについていけない。

 一瞬、人間もヒバナもワカナの視界から消える。


「右や右、右に曲がるんや」


 見失わないように、ワカナは自分に言い聞かす。

 分かれ道にさしかかった。ほんの一瞬ワカナは思った。


「左に曲がったろかな?」


 ここでもボケに走ろうかとワカナは一瞬思った。


「いやそんなときちゃう!」


 思い直してワカナは右に曲がった。


「いやでも普通にあの子に追いついてもおもんない・・・どっかで転んだりとかゴミ踏んだりとか、しとこかな」


 後を追った先のヒバナとついでに人間も笑わせてやろうかと、ワカナは走りながらアイデアを練ろうとしていた。

 分かれ道を曲がったすぐそばに、ヒバナも人間もいた。

 ヒバナが地面に這いつくばる人間に、ナイフを突き刺していた。


「えっ・・・」


 ワカナは息を呑んだ。笑いのアイデアは全部吹っ飛んだ。

 人間はわずかに体を震わせていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。

 ヒバナがナイフを抜いた。刃についた血がしたたり落ちる。地面がじわじわと人間の体から流れる血で濡れていく。

 ヒバナが左手にナイフを持ったまま、ワカナのほうを振り向いた。ワカナはビクッと肩がすくんだ。

 

「説明して欲しいか?」


 ヒバナがワカナに聞いた。


「い、いや」


 とワカナはたじろぐ。


「さっき言ってたよな? 誰か説明してと」


 ワカナはうなずこうとも首を横に振ろうともしない。ヒバナはワカナの気持ちを聞くことなく説明を始める。

 

「こいつは人を殺した。そこそこ付き合いのある知人を殺した。きっかけは知らんが、お互い憎みあうようになっていたらしい。バレない様に死体を人目につかなそうなところに隠した。だがこいつにとって不幸なことにそこは子供の遊び場だった。死体はすぐに見つかった。死んだやつの家族が、まっさきにこいつが殺したと疑った。こいつが死体を運んでいるところを見ていたやつもいた。こいつは何を言われても知らぬ存ぜぬを繰り返し、いつもどおりの生活を送ることで平静を保っていたが・・・私の目はごまかせないと思ったらしい」


「な・・・なんでや・・・」


 ワカナは震えながら必死に口を動かす。


「なんでこいつを殺したか? こいつが人を殺したからだ。ちゃんと聞いたさお前は人を殺したかって、あっさり認めたよ。そうすれば許されるかもとでも思ったのかね? 私を見たとたんに逃げ出した時点で、どうなるかはちゃんとわかっていたはずなのにな」


「なんで・・・キミが・・・?」


「お前が人を笑わせるのが大好きなバケモノなら、私は人を殺すのが大好きなバケモノなんだよ」


 ヒバナは血にぬれたナイフをワカナに見せつける。ひいっとワカナが少し後ろに下がる。

 パッと光を放ち、ナイフが消える。

 またパッとヒバナの左手が光ると、再びナイフが現れる。ナイフから血が消えて、鈍い色の刃をぎらつかせている。

 ヒバナがナイフを少し上に放って、ナイフの刃を手でつかんだ。

 

「えっ、ちょ」


 ワカナは焦る。ヒバナはナイフの刃を思いっきり握りしめる。

 「ひい」とワカナが悲鳴をだす。

 ヒバナは手を開き、ワカナに見せ付ける。


「見ろ。傷はついてるが、血は一滴も出ていない。私の体に血は流れていない。人間には傷をつけることすらできないが、それ以外のものが私を攻撃しても血を流させることはできない。この傷もすぐに元どおりになる。お前が金床のような重いものを頭に食らってもふらつくだけですむのと同じだ。お前の体にも血は流れていない」


 ワカナは何を言えばいいかわからない。


「人を殺したやつなら殺してもかまわないと決め付けて、なんのためらいもなく人を殺す。この町に住み始めて長い間ずっとそうしてきた。誰も私を止めることはできない。この町ではバケモノを裁くことなんてできない。人を殺した次の日には、何食わぬ顔で図書館で漫画を読んでいる。お前が笑わそうとしていたのは、そんなやつだ」


「ウ・・・ウチ・・・」


「それとも、お前ならこんな状況も笑いにできるか?」


 ヒバナは少し動いた。ワカナの視界に、死体とナイフを持つヒバナがばっちり入るようにした。

 ワカナは震えながら後ずさりした。


 ハハハハハハハハハハ


 笑い声だ。

 ヒバナもワカナも周りを見やった。


 ハハハハハハハハハハ


 けたたましい笑い声だ。声の主はすぐ近くにいる。


「ほう」


「な・・・なんやコイツ・・・」


 声の主を見つけた二人がそれぞれ声を漏らす。

 そいつは小さく、二人の足ぐらいの背丈しかない。口が裂けてるかのように大きく、目と鼻がない。

 口に足が生えただけのような体をしている。体にはなぜか草が生えている。


 ハハハハハハハハハ


 そいつの笑い声はとにかくやかましい。


「声を出せるやつもいたのか」


 ヒバナがそいつを見るのは初めてだったが、すぐにどういう生きものなのか理解した。

 ワカナには全くわからない。


「コイツ・・・なんなん?」


「説明してなかったか? ゆがみの魔物、心のゆがみが生んだもの」


 ハハハハハハハハハ


 ゆがみの魔物は笑い続けている。

 死体を見ている。目はないが、ものは見えているらしい。


 ハハハハハハハハハ


 血にぬれた死体を見て笑い転げた。

 ヒバナの左手にあるナイフを見る。


 ハハハハハハハハハ


 大笑いした。

 体が震えっぱなしのワカナを見る。


 ハハハハハハハハハ


 魔物は何を見ても大笑いする。


「なんやねん・・・なんやねん・・・」


 魔物にワカナはおびえて後ずさりする。


「こいつは何をみても笑えてしょうがないんだろう。怖がってるやつでも人を殺せるナイフでも殺された人間でも、どんなものでも大笑いできる。笑いってのは心のゆがみから来る行動なのかもな」


 笑いとは面白いものを見たときにする行動である。何を面白いとするかは人それぞれ。

 ヒゲ面の紳士がスケートをする姿でも、壁を叩いたら金だらいを落とされた人の様でも、人が泣いている様でも、人が殺される様でも、笑えるものは人それぞれ。

 だが何を見ても笑ってしまうのは、りっぱな心のゆがみの様子。

 何を見ても笑う魔物がいることが何よりの証拠。


 ハハハハハハハハハ


 魔物の笑い声が辺りに響く。

 ワカナは耳をふさぎだした。


「どうした? お前は笑い声が好きなんだろう?」


「ちゃう・・・ちゃう・・・ウチが欲しいのは・・・こんな笑いとちゃう・・・」


「一つつらい事実を言ってしまうが、ゆがみの魔物とゆがみの娘ってのは姿が違うだけで同じようなものだ」


「ちゃう! ウチはこいつとちゃう! ウチは人の死を笑いにしたりせえへん!」


 ワカナが目を見開き、大声を出した。


 ハハハハハハハハハハハハハ


 魔物はワカナの言うことにも大笑いする。


「うるさい」


 ヒバナが魔物をドスッとナイフで刺した。魔物はあっけなく消える。


 ハハハハハハハハハハハハハ・・・


 消える最中でも笑いは欠かさなかった。


「自分の死に様も笑えるのか」


 ヒバナが淡白そうに言った。

 ワカナの目は見開いたままだが、うつむいてヒバナを見ないようにしている。


「人の死を笑いにすることができないなら、もう私には関わるな」


「でも・・・」


「私は人を殺すのが大好きさ。人を殺して大笑いしたこともある」


「でも!」


「死体回収人を呼ぶ。面倒ごとが嫌いなら、さっさとここを離れろ」


「キミ、今全然笑ってへんやん! それどころか――」


 ワカナは一瞬言葉を詰まらせた。構わずヒバナは立ち去ろうとする。

 心を奮い立たせ、ワカナは言葉を続けた。


「キミ、めっちゃ悲しそうな目しとるやん!」


 一瞬ヒバナの動きが止まった。すぐに高くジャンプして、どこかの家の屋根に飛び乗った。

 ワカナに背を向け、顔を見せない。


「待ちいな!」


 ヒバナはワカナの声を聞こうとしなかった。

 後を追おうにも、ワカナが走り出したときにはすでにヒバナの姿を見失っていた。


 死体回収人に連絡し、回収人を現場まで案内し、死体が回収されるのを見届けたことで、ヒバナはやるべきことを全て終えた。

 住み家に帰って、今日は休むだけ。そうならなかった。

 玄関のドアに穴が開いている。丸や四角の穴ではない。

 おかっぱ頭の少女の形をした穴があいている。

 これにはヒバナも驚いてしまう。

 誰があけたかは、すぐにわかる。だがなんのためかわからない。

 ヒバナはそっと穴をくぐって家の中に入る。明かりは点いていない。

 ヒバナの住み家はせまい。入って少し歩けば、寝室にたどり着く。

 寝室にはベッドと壁にかかった鏡と、読み古されたマンガが数冊積まれているぐらいしかない。ましてやヒバナのほかに誰かがいるはずがない。

 寝室のど真ん中に誰かが立っている。おかっぱ頭の少女。ワカナだ。

 天井から吊り下げられたランプに、なぜか勝手に火が点いた。

 ワカナはうつむき、おかっぱ頭の頭頂部をヒバナに見せている。

 ヒバナはなんのつもりかわからない。


「ウチはバケモノや・・・それは認めるしかあらへん。でも何を見ても大笑いするバケモノとちゃう・・・どんな人でも笑わせられるバケモノや」


 ワカナが顔を上げた。満面の笑みだ。


「さあ! 会場のみなさん! これからお披露目するコメディは、ちょーっと刺激が強いものとなっております! 心がデリケートな方は、今すぐ退席したほうがええでしょう!」


 せまい寝室を、客席が満杯の舞台であるかのように、ワカナは声を張り上げた。


「なにせこのコメディは・・・人を殺したことがある人向けなんですー!」


 ヒバナは困惑する。会場から退席するようなことはしない。


「ゴタクはこんなもんで。早速コメディのはじまりデース! まず、このどっからぶら下がってるのかわからんヒモ! 『絶対にひっぱったらアカン!』って書いてますねえ~でもウチらの業界では『絶対にやったらアカン』は『絶対にやれ』って意味なんでっせ~なのでクイッと」


 ワカナがヒモを引っ張る。

 バシャ―ン

 たくさんの水がワカナにかかってずぶ濡れになる。


「はいはいはい! わかってますわかってます! こんなんで笑いとろうなんて思ってません! ヒモ引いて水がばっしゃーん! ベタにもほどがあるわい! ベタって結構大切なんやけど、それは置いといて。ところでみなさん、今落ちてきたの、水やと思ってます? ウチをようみなさい! お肌テカテカになってますでしょ? そうです! 今のは水やのうて・・・油でーす!」


 水びたしではなく油まみれになったワカナが、足を滑らせて思いっきり後ろにすっころんだ。


「イター・・・すいませんこれマジのハプニングですわ」


 後頭部を押さえながらワカナが立ち上がる。


「気を取り直して、こんな油まみれになって一体なんのつもりなのか? 油ってどういう性質を持ってるか知ってますか? めっちゃ滑る? めっちゃぬるぬるする? 天ぷらを作れる? いやいやもっと重要なことがあるでしょう!? はい、アシスタントカモン!」


「はい☆」


 ベッドの下に隠れていた、小さな女の子が飛び出てきた。

 赤いずきんにカゴを手に持った女の子だ。


「はいアシスタントよ、まずは自己紹介」


「ピコだよ☆ このまちで火をとりあつかうしごとをしているよ☆」


 ピコはかごの中に入ったたくさんのマッチ箱を見せびらかす。


「え? キミ火をあつかう仕事をしてるんでっか?」


「そうだよ、これはだいじなしょうばいどうぐ☆」


「ウチ今めっちゃ油まみれなんですよね」


「そうだね☆」


「油って、火近づけたらめっちゃ燃えますよね」


「そうだよ☆ あぶらはかねんせいのえきたいで、みずとはぶんりするそすいせいで、だいたいはしぼうさんとグリセリンのかごうぶつで、トリアシルグリセロールと・・・」


「ちょちょちょ! そんな専門的な説明したって客、ついてこーへんがな!」


「え~? ためになるはなしなのに!」


「今は油がめっちゃ燃えるっちゅうことさえ知ってればええんや!」


「そうなのかい☆ うん、あぶらはよくもえるひとのせいかつにかかせない、エネルギーになるんだよ☆ でもあつかいかたをまちがうと、とんでもないことになる!」


「そういうてますけどピコさん、あんたその手になに持ってますのん」


「え? ただのマッチだけど?」


「マッチ、火ついてますよ」


「マッチは火をつけるものだもん☆」


「いやいやいや、うち今油まみれなんですよ!? そんなんウチに近づけてみいな、ドエライことになりまっせ!」


「そうだね、とんでもないことになるね☆」


「ピコさんなんでどんどん近づいてんですか?」


「いや~さっきからこえがききとりづらくてね」


「充分話できとるでやないかい! ちょっとやめてくださいマッチ近づけんのやめてください」


「わかってるよそんなこと☆」


「アカンで! ウチに火つけたらアカンで! 火つけたらアカンで! 絶対に火つけたらアカンで!!」

 

 ヒバナがピコを突き飛ばした。

 壁にビタンとぶつかったピコは、きゅうと目を回して大の字になって倒れた。


「アレ?」


 シナリオと違う展開に、ワカナは目が点になる。


「何を考えている?」


 ヒバナがワカナを威圧する。


「い、いや言うとったやん。絶対に火つけたらアカンて」


「絶対にやったらアカンは、絶対にやれって意味なんだろう?」


「ちゃんと聞いとったんやね」


「なんのつもりだ。なぜ自分を火だるまにしようなどと」


「そんなもん・・・キミを笑わせたろと・・・」


「なぜ私がお前が火だるまになる姿で笑わないといけない?」


「あ・・・あんな・・・」


「いやそもそも、なぜお前は私を笑わそうとする。一日中つけ回してまで」


「・・・この町やたら人多いやん? 行きかう人行きかう人、結構笑顔の人が多いんよ。ウチがなんかするとむしろ笑顔が消えたりするぐらいや。ウチはいっぱしのコメディエンヌやのに、なんで上手くいかんのやろって思うとったときや、町中でキミを見かけたんや。ちょっとすれ違っただけやけど、ウチめっちゃ印象に残ったんや。なんや、めっちゃ悲しそうな目しとるやんって」


 ヒバナは息を呑んだ。


「なんであんな悲しそうなんやろ、不幸のどん底にでもおるんかなってウチ、キミのことが頭から離れんようになったんや。でもウチのやることは一つや。コメディエンヌができるのは人を笑わせることだけや。だから悪いけどキミの事をちょっとつけまわして、どこに住んでるとかどこで暇つぶししてるかちょっと調べとったんや。人殺しをしてることには気づけへんかったけどな」


 ヒバナは、何か言おうとしたが、言葉がのどにつかえて声を出せなかった。


「キミが人殺しやとわかって、最初はごっつ驚いたけど、そんなん関係あらへん。コメディエンヌはどんな人でも笑わさなアカン。人殺しには人殺し向けの笑いを提供せな。ウチは人を殺すことはできへんし、人の死を笑いにすることはできへん。でも、ウチが死ぬことは笑いにできる」


「何を、言ってる?」


 ヒバナはかすれた声を出した。


「キミは人殺しや。人が死ぬところを見て笑うんやろ? だからウチが死ぬとこ見せ付けたら大爆笑間違いなしなんやろ? でも普通にナイフで刺すとか、首を吊るとかやとおもんない。全身火だるまになって死ぬ。これがいっちばんおもろいはずや。火、使えるピコちゃんにも協力してもらったんや。あの子、人が燃える姿を見たいとずっと思うとったんやって。でもおかしいな~、まさかキミが止めに入るなんて完全に予想外や」


 予想外なのはヒバナも同じだ。迷惑なのは家の中で火を使われることぐらいだ。

 ワカナが全身火だるまになることなんて、ヒバナには知ったことではない。そのはずなのに。


「悪いけど、キミにもこのコメディの邪魔はさせへんで。ウチはキミの目の前で火だるまになって死ぬ。コメディエンヌは笑いのためなら命を捨てることもできる。今からそれを証明したるわ」


 ワカナは目を回すピコが握っているマッチ棒を取り上げた。まだ火は燃えている。


「待て」


「待てへん――ああ! 油まみれになってんのに、うっかり火のついたマッチを拾ってしもたー! これはアカン! マジでアカン! 落としてウチの体に火つけたらアカン!」


 ワカナはマッチを自分の頭の上まで持っていく。


「絶対にアカン!」


 ワカナが指を放す。ゆらりと火を揺らしながら、マッチがワカナの頭に落ちる――


「アホか!!」


 とてつもなく強烈なビンタ。

 ワカナは吹き飛ばされ、床に突っ伏する。はらほれなどと声を出すヒマはなかった。

 ワカナの頭に落ちるはずだったマッチは、ヒバナがビンタをしていないほうの手でキャッチし、そのまま握りつぶす。マッチはへし折れ、火は消える。

 ビンタしたほうの手で取ったら、油のついた手で取ったら、とんでもないことになっていた。

 握りつぶしたマッチを投げ捨てる。パラパラと木のくずが床に落ちる。


「お前に私を笑わせることなんてできない。そもそもの話、私に笑う気がない」


 ワカナはまだ床に突っ伏したままだ。


「家の後片付けをしろとは言わん。二度と私に近寄るな」


「ううん・・・」

 

 ピコが目を覚ました。ワカナはまだ起き上がろうとしない。


「おい、起きてるんだろう? 確かに強く叩きはしたが、意識を失うほどじゃ・・・」


「最高や・・・」


「は?」


 ワカナがむくりと起き上がりだした。


「最高や・・・最高のツッコミや!!」


 こちらを振り向いたワカナの目は、金銀財宝を見つけたかのように輝いていた。

 

「えっ?」


 ヒバナが後ずさりする。


「ウチやっとわかったわ! ウチの芸はツッコミがおらんと笑いにならんねん! だから今までなにやってもウケへんかったんや!」


「お、おい」


「コンビ組も! 笑う気ないんやったら逆転の発想や! 笑わす側になろ! 大丈夫やって! キミのツッコミセンスは最高やし、笑いに対するストイックさもコメディエンヌに欠かせんもんやから!」


「アホか、絶対に無理だそんなこと」


「絶対にってことは絶対にOKってこっちゃな!」


「アホか!!」


「ああん、今のも間の取り方といい声の張り具合といい、もう完ぺきや!」


 近寄ってくるワカナに触れまいと、ヒバナは後ずさりする。ワカナがまだ油まみれというのもある。

 壁が背中についてしまった。ヒバナは追いつめられる。ワカナが壁に手をつく。

 いわゆる壁ドンの形になる。


「観念してもらおか。キミはウチと一緒に笑いで天下とるんや」


 ヒバナが歯を食いしばる。ワカナはなぜか顔を近づける。

 どんどん近づける。ひたいとひたいがぶつかり合いそう。

 

 バッシャーン


 大量の水がヒバナの住み家に押し寄せてきた。中にいる全員がずぶ濡れになる。

 ヒバナの足首が浸かるほど浸水した。


「なんや! ゲリラ豪雨かいな!」


「こ、このみずは・・・・・」


 ピコが震えだした。


「不審火の匂いをかぎつけてみれば、またやらかしましたね、ピコさん?」


 開け放たれていた窓から、人魚がのぞきこんだ。上半身しか見えないが全員が顔を知っているのでわかる。


「ひい! はんぎょじん! ち、ちがうよ! あのおかっぱのこにたのまれたのよ!」


「なんやて?」


「まあ! あなたやっぱり放火魔さんだったのですね! 許しません! 二度と火付けなんてしないと思わせてあげましょう! もちろん水の中でです!」


「なんやって?」


 家に入り込んできた人魚は、ワカナとついでにピコも自分の浸かっている水のかたまりの中に引きずり込んでしまった。


「なんでわたしも!?」


 がぼがぼがぼとピコとワカナの二人が水の中でもがく。


「さああなたたちにみっちり教えてあげましょう。火の恐ろしさと水の尊さを。この話は朝まで続きますよ。まずですね、火のそばには必ず水があると古きときから・・・」


 水の中でも話ができる人魚とちがい、二人はがぼがぼともがくしかできない。構うことなく人魚は延々と説教をする。水の中で、二人がもがかなくなっても。

 すっかり体から力が抜けたヒバナは、かろうじて水に浸かってないベッドの上に倒れこんだ。ハァとため息をついた。


「マンガが全部ダメになった」

 

 

「いやー生まれ変わった気分やわー」


「ある意味本当に生まれ変わってるがな」


「うん、ホンマに死んだもんな」


 ワカナの人殺し向けコメディがアクシデントによって中止になった翌日のこと。

 ヒバナの住み家が人魚とマッチ売りの少女によって後片付けされている間、ヒバナとワカナの二人は時間つぶしに外をうろついていた。


「ホンマに一晩中水ん中に沈められとったからなー。死んで当たり前やわ。ミナモちゃん・・・あ、あの人魚の子ミナモちゃんっていうんやけど、優しそうな顔して、エラい残酷やわー」


「死んだとわかっている割にずいぶんとハツラツとしているな」


「だって今は生きてるんやもん」


 ゆがみの娘は人間ではないもの。人間との何よりの違いは、死なないこと。

 死んでも何度でも目を覚ます。何度でも。


「なんか、変な気分にならないのか? 自分は死なないとわかって」


「いやむしろ最高の気分や! 絶対に死なないってこれ以上ない特権やん! 全世界のコメディアンがのどから手が出るほど欲しがるで!  なんかこう、めっちゃえらい目にあって客が青ざめてるところに『いや~死ぬかと思った』ってホンマに死んだのに何事もなかったかのようにしてたら、そのギャップでめっちゃ大爆笑間違いなしやって!」


 ヒバナは言葉を返そうとしない。


(死んでも次の話になれば何事もなかったかのように生き返ってるってのもギャグマンガのお約束だな・・・)

 

 と心の中で思っていた。


「まあでも・・・やっぱり客の前で死ぬのはアカンかな。みんながみんな、人が死ぬとこで笑うわけやないし。キミも結局のところ、そういう子やん? 人殺しやからって人が死んだら笑うってことないんやろ?」


「・・・あのとき止めたのは、私の家が燃えると思ったからだ。別のところでもう一回やってくれたら大笑いするかもな」


「いや、あれはもうやらへん。多分、あれおもんないわ。なんとなくそんな感じするねん。全身火だるまになるネタやのに、めっちゃ寒いんやで!」


 ワカナはドヤ顔をして、ここが笑いどころだと強調した。

 ヒバナは笑わない。


「全身火だるまになったって全然ウケんと、ヤケドするで!」


 もう一度ドヤ顔。ヒバナは全く笑わない。


「燃えたら火傷するのは当たり前だろ?」


「いやいやそこは業界用語っちゅうもんで・・・ううん、キミ、ツッコミのセンスはあるけどやっぱもうちょい勉強せなアカンな」


「勉強は嫌いだ」


「アカンで! 才能をムダにしたらアカンでキミ・・・・・・名前なんてーの?」


 ヒバナは渋い顔をしたが、ここで黙っていても面倒くさいだけかもと判断した。


「・・・ヒバナ」


「ほなハナちゃん!」


「ハ!?」


「バナちゃんやとちょっと女の子っぽくないやんか」


 ヒバナは名乗ったことを後悔した。


「ハナちゃん! さっそくやけどネタづくりや! まずざっとアイデア出そか! とりあえずせやな~・・・ツッコミにナイフ使うってのは絶対ありやと思うわ!」


「ドアホ!!」


 ヒバナはワカナの頭を思いっきりはたき、ジャンプしてワカナの視界から消えた。


「・・・やっぱりあの子いいツッコミセンスしとるわ~」

 

 ワカナが頭をさすりながら言った。


「問題は、ウチを叩くときどうしても悲しい目になってしもうてるところやな~。あの子普段は怒ってるような目なんやけど、あれ明らかに無理矢理作ってる感じやし・・・そこんとこもウチが教えたらなアカンな! 待ってやハナちゃん! いつか必ずキミを笑いの世界に引き込んだるでー!」


 高らかに宣言しながら、ワカナは走り出し、屋根から屋根へ飛び移ろうとするヒバナの後を追いかけた。

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