第50話

「……ちゃん」


 優しく囁きかける声が聞こえる……ような気がする。けれどもそんなことは気にならず、優先される睡魔に負けてしまう。


「彩葉……」


 今度は名前。私だ。用があるのだと思うのだけれど、あとにしてほしい。


 ただ――優先される睡魔に負けてしまう。


 声が聞こえなくなる。もう、諦めたみたい。我慢比べは私の勝ち!

 でもその入れ替わりとして、頬に伝わる感触。ぐぐっと押し込まれ、頬がへこむ。

 そうして、私は瞼を開く。すると、そこにはのぞき込まれる顔があった。よく知った顔。


「……茜ちゃん……?」

「あ、起きましたか! 気持ちよさそうに寝ていたから、迷惑かなって思ったんですけど……もう、みんな起きてますし」

「そっかあ、起こしてくれたのか。何時ぞやのモーニングコールの約束が叶ったみたいだね」

「……えっと。その約束、断ったはずなんですけど……でも、彩葉ちゃんがちゃんと起きてくれるのなら、アリかもしれないですね」


 お?! おー?! こういう展開に発展するなら、これからの寝起きは百倍よくなるかも。生活態度を改めよう。


「眠気が取れたみたいですね。さ、早く着替えてください。緋真さんが待ってますよ」


 茜ちゃんがカーテンを左右に引っ張る。のどかな朝日が窓を通り越して、閃光のように日差しが瞳を刺激する。

 とっさに閉じた瞼をもう一度開く。

 ああ、そうか。もう朝か。脳がそう認識するのに時間はかからなかった。


 グッモーニン、新しい日と私。そして――


「おはよう、茜ちゃん」



 朝食をホテルの料理で済まし、朝の支度を調えた頃には九時を回ろうとしていた。

 一旦自室に戻り、今日一日の行動が決められる。


「じゃあ、茜ちゃんはもう体調の方はよくなったんだ」

「もう完璧に治りました。迷惑をかけてしまってごめんなさい」

「そのことはいいって。風邪ぐらいは誰だって引くもんだし、気にしてないよ」

「そうね。何事もなく済んだことだし、無事に回復してくれて良かったわ」


 今度こそはもうバッチリのようだ。昨日のように元気に振舞っているだけではないようだと思える。なんといっても緋真さんのお墨付きなのだから。


「ずっとホテルに籠りっぱなしだったし、今日は茜ちゃんの気分転換も兼ねて、町の中を二人で回ってきたらどうかしら?」

「私はいいけど、茜ちゃんはいいの?」

「私も問題ありませんよ。……ふふ、せっかくなので町の中を軽く案内するぐらいなら私にさせてください」


 茜ちゃんは咲畑町には店の用事で何度か来たことがあるのだった。当然、町のことも人一倍知っているだろうし、観光がてら回ってみるのもアリか。といっても、昨日一人駆け回ってみたところ、これといって気になる物があったわけじゃないけど、茜ちゃんなら意外な穴場みたいなのを知っているのかもしれない。


「ついでに纏も見つけれるといいんだけど」

「纏くんも探しているのでしたら、どこかですれ違うかもしれないですし、探してみる価値はありそうです」


 この町のどこかにいる可能性がある以上、ここで引きこもっている理由なんてあるわけないね。 


「決まりね。ゆっくり楽しんでくるのよ。ただし、無茶はしてはダメよ。何かあった場合は、ここに戻ってくること。いいわね」


 なんとなく子供扱いされているような気がする。緋真さんもすっかり保護者属性がついたみたい。


「それは分かったけど……緋真さんはどうするの? ついてこないの?」

「お姉ちゃんは少し用事があるから、終わったら回ってみるわ」


 その用事ってのが何か気になるけど、どうせ何も教えてくれなさそうだし、敢えて聞かないでおく。多分、私たちには関係ないことだろう。あったとしても知らないふりされそうだし……別にいいや。


「それじゃあ、行ってくるよ」



 目的は纏の捜索という方針であっちこっち回ることになった。

 茜ちゃんの道案内のおかげで、昨日のように同じ道を何度も繰り返してグルグルすることもなく、スムーズに連れまわしてくれる。

 ホテル周辺、買い物客で賑わう町の中心地、住宅街と人が多そうな場所を重点にして探してみた。けれど、手掛かりなんて見つからず、無駄な時間と体力を消費しただけだった。

 これといった見るべきものもなかったけど、歩道を見目麗しく着飾っている花の数々に心を奪われる。嫌なことも忘れられそうで、この町の住人にはストレスといったものを感じることなんてなさそう。いいなあ。癒される。

 町並みを進み続けて歩き疲れた頃には、最終地点となる、月ちゃんと語らった公園にやってくる。


「結局、成果はなかったね」


 四か所を回っても纏どころか、戦闘員らしき人物の一人も見当たらなかった。姿を隠すのが上手いだけなのかもしれないけど、ここまで分かりづらいと本当に来ているのかも疑わしくなってくる。


「ですね。纏くんたちも私たちがいることに気づいていると思いますし、気長に探してみるしかないかもしれませんね」


 自動販売機で飲み物を二本買って来てくれた茜ちゃんが、ベンチに腰掛けて差し入れしてくれる。もちろん、ミルクティーを。


「いっそのこと、魔法でも使ってしまえばいいんじゃない? 向こうも探しているんだし、おびき出してやろうよ。そっちの方が手っ取り早いって」

「だ、ダメですよ。そんなことしたら緋真さんが、すっごく怒りますよ。ここまでお世話になっているんですから、迷惑かけないようにしましょうよ」

「冗談だってば。もしも出来たら楽できるのになぁって思っただけ。うん、思っただけ」


 疑わしい目でこっちを見てくる。私は誤魔化すようにミルクティーに口を付ける。


「少し、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」


 唐突に聞こえた声に顔を振り向くと、二人の人がいた。

 一人は女性。整った顔立ち。穢れを知らない清楚な立ち姿。透き通った声色と融合して神々しさすら感じる。

 もう一人は男性。まるで従者のようにして隣に立ち尽くす。しかし、その風貌はどこか冷たさというか、儚さのようなものを感じさせる。それは憂いを帯びた瞳がそう感じさせているからなのかもしれない。

 二人を一言で表すとしたら冷たい。氷と冷水のような印象。冬の寒さが余計に印象を強めているだけかも。悪い人たちではなさそうだけど、風貌だけで判断するなら、なんとも近寄りがたい雰囲気だ。


「雨宮彩葉さんと楪茜さん、ですね」


 見ず知らずの他人に困惑していると、さらに追い打ちをかけるように混乱させる一言が投下された。


「茜ちゃんの知り合い?」

「いえ、初対面です」


 顔を突き合わせて、首を捻る。私も茜ちゃんも面識がないというのにどうして私たちの名前を知っているのだろうか。


「えっと……どこかでお会いしたことありましたか?」


 私たちが挙動不審にしていると、すかさず女の人が謝ってきた。そして、続けて。


「驚かせてしまったようですね。わたくし如月久遠きさらぎくおん。こちらが零導珀亜れいどうはくあと言います」


 紹介された零導珀亜は一言もなく無言で佇む。その代わりというか、如月久遠が手を差し出してきた。

 粉雪で装飾されたような真っ白な手。茜ちゃんも色白なほうだけど、負けず劣らずいったところ。

 悪意などは感じられず、友好を示そうとしているだけの握手という感じがする。いきなりの出来事に恐る恐ると手を握り返すと、氷でも触っているかのような冷たさが伝わった。


「警戒はしなくてもよろしいですよ。わたくしたちもあなた方と同じ

 ――魔法使いですので」

「――!!」


 魔法使い。その一言に胸が激しく揺さぶられた。どうしてそのことを――。いや、それよりもこの人たちも魔法使い? 


「なぜ、私たちの正体が分かったのですか?」

「ふっ。それすらも気づいていなかったとはな。あの男の関係者とは思えんな」


 出会って初めて珀亜が口を開くと、久遠が補足してくれた。


「簡単なことです。

 雨宮さんから魔力が漏れているので、辿らせてもらいました」


 女の人はちょっぴり楽し気に種明かしをするのだった。

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