第16話

 あれからどれぐらいの時間が過ぎたのかは分からない。十分、もしくは三十分以上も続いているかも知れない。

 嗚咽が止んだ後も緋真さんは落ち着かせるべく、ずっと、いつまでも抱き続けていた。

 辛い時は泣いた方がいい。悲しみは分かち合った方がいい。数年も前に一度体験していた緋真さんには私の気持ちが痛いほど分かってくれている。

 本当に感謝しかでてこない。

 今の私に必要なものは、ほかでもない心の整理だったんだ。

 たった一晩で親を失くし、人生を失くし、日常を失くし、幸せを失くし、すべてを失くした。

 代わりに得られたことといえば、人間の敵となってしまった烙印とも呼べる魔力だけだった。

 この数十年の生き様は何だったのか? やってきたことに意味はあったのか? 

 形成されてきた評価や人格を築き上げるまでは長く、瓦解するのは一瞬だった。

 空いた心の隙間を埋めるように、緋真さんは我が子を慈しむように私の頭を撫でててくれた。

 もう何年も前。 

 母さんが小さい頃によく撫でてくれた感触によく似ていた。

 泣くだけ泣いたら楽になったよ。ありがとう



 私の気持ちの整理がついたことを確認した緋真さんは、私と一緒にリビングに移動した。

 リビングの片付けをしていた際、茶葉の位置でも把握していたのか緋真さんは、言ってもないのにお茶を入れてくれた。


「お腹すいたでしょ。何か作ってあげる」

「え、緋真さんって料理出来るんだ」

「これでも魔法使い歴五年ですからね。大抵のことは一人でやってきてるからお姉ちゃんに任せなさい」


 胸を張って自信ありげに答える緋真さん。

 頼りにはできるから、任せてしまってもいいんだけど。

 ここは私の家であり、緋真さんはどちらかというと客人の立場である。そんな緋真さんにすべて任せてしまうのは悪いよね。

 鼻歌交じりで台所に向かう緋真を追いかけ、隣に立つ。


「私もおやつ程度のものなら作れるから手伝うよ」

「あら、いいの。それじゃあ、ホットケーキでも焼きましょうか。彩葉ちゃん。必要な材料を出してくれる?」

「オッケー」


 意気揚々と準備に取り掛かる。

 母さんの手伝いをしていたから慣れた手つきで作業する。

 緋真さんと作業分担しながら仲睦まじく進めていく。

 昨日今日の付き合いしかないが、この短い間で数週間分にも感じられる濃い時間を過ごしていた。

 なんだか家族みたいだなぁ。

 お互いに料理経験もありスムーズに生地が出来上がった。あとは焼くだけ。その段階にきて、私はおもむろに冷蔵庫からチョコチップを取り出した。


「それは?」

「料理と言えば創作でしょ!」


 歪んだ思考を持って喜々と組み合わせていく。上手くいったときほど嬉しいものはないんだよ。料理は楽しくしよう!

 抵抗があるのか、緋真さんは嫌な顔を見せている。

 でも、ここは先にペースをつかんだ方が勝ち。

 やってしまえば、開き直ってくれるだろうと思って、レッツクッキング!


「ホットケーキで創作はまずいんじゃないかしら」

「いやいや、創作こそ料理の真骨頂! 出来上がるまでどんな味になるか分からない。名付けてロシアンクッキング!」

「すごく嫌な予感のする名前ね」


 未知なるものを作ることが好きだ。

 成功例もあるが、もちろん失敗例もある。それでもやめられないのは新たな境地を切り開く。そこに大きな好奇心と冒険心をくすぐられるからだ。

 緋真さんは私の暴走を止めたくて仕方がないようだけど、ここは私に任せてもらいたい。

 わくわくドキドキのロシアンクッキングを開始。

 まずチョコチップを生地に混ぜる。


「このパチパチするやつも入れてみよう」

「それも入れるの!?」


 アイスや飴などに含まれる口に入れると弾けるトッピングを付け足す。

 きっと弾けるホットケーキになるはずだ。

 生地の中は、こげ茶色のチョコ。青、黄、緑、赤などの色でカラフルに仕上がっている。みるみるうちに闇鍋のような光景が織り交ざってしまった。

 それを焼く。責任もって面倒みたいという理由で私が焼く。緋真さんもそれには異論がなかった。

 しっかりとキツネ色まで焼き上げる。見た目はデコレートされた装飾品のように色鮮やかだ。

 試食はとうぜん私の役目で一口大に切って口に放り込む。


「お味はどう?」

「……普通。パチパチするやつはいらなかったかな」


 失敗も創作の醍醐味。私にとってはそれだけでも満足できた。


「それはやりすぎだと思ったわ」


 創作なんて絶対にしないと心に誓う緋真さん。

 しかし、作ってしまったものは仕方がなく残りもすべて焼き、小休止とすることにした。



 私は手紙のこと、昨日までの家族との思い出をネタに緩やかに和やかな時間を過ごす。

 私自身が魔法使いであることやいやなこともすべて忘れ去ることができるような時間だった。

 


 ――束の間の休息。

 


 これが終わると再び町に出ることになる。

 そろそろ夕方になる。これ以上暗くなってしまう前に出発しなければならなかった。

 アンチマジックによる魔法使いの捜索が続けられている現状で、いつまでもこの近辺にいることは危険があった。

 私たちは町中の散策を開始するため、家を出た。


「これからどうするの?」

「そうねえ。魔法の使い方を教えないといけないし、どこか人目が付かなくて広い場所に行きましょう」

「そんな場所あったかな……て、あれ?」

「どうしたの? いい場所でも思い出した?」

「そうじゃないんだけど……いまの人」


 二人して玄関前で思索していると、前方の曲がり角にて見覚えのある人物が通り過ぎる。

 黒真珠のような長い髪の前髪を髪留めで抑え、凛とした歩行をしていたのは紛れもなく茜ちゃんだった。



「私、どうすればいいの? それにこんな力なんて」


 焼け崩れた廃屋の前で茜は沈痛な面持ちでつぶやいた。

 商店街の入り口に位置し、散った花びらが地面に散乱している。アスファルトに焦げ付き、押し花のようになっており花びら本来の美しさは微塵もなかった。すっかり見る影を失くしているが、ここが茜の家であることが想定できた。

 遠くから聞こえる呼び声。振り向けば、小走りが駆け寄ってくる彩葉の姿があった。


「彩葉ちゃん!?」

「よかった無事だったんだ」

「彩葉ちゃんこそ。怪我とかしていませんか?」

「ご覧のとおり、ピンピンしてるよ!」


 ぐっと力こぶをつくり、力が有り余っていることを示す彩葉。

 安堵の息を漏らす茜。 

 彩葉よりも体力のない緋真はやや遅れてやってくる。

 乱れた吐息は妙に色っぽかった。


「この人は?」

「紹介するね。私を助けてくれた穂高緋真さん」

「初めまして。気楽に緋真でいいわよ」

「彩葉ちゃんの友人の楪茜です」


 心なしか茜の声音は小さく、普段の茜とは違って覇気がなかった。


「元気ないね。そんな暗いのは茜ちゃんらしくないよ。ほら、スマイルスマイル。笑う門には福来る」


 茜を元気づけるべく手品でもしてみる彩葉。

 コインを親指で上空に打ち上げ、両手をクロスして取る。そして、どちらの手の中に入っているのか当てる手品だ。

 地面にチャリンという落下音が鳴る。

 苦節一か月、彩葉の渾身の手品は失敗に終わった。

 そんな彩葉の様子をみて、はにかむように笑う茜。


「やっぱり彩葉ちゃんはすごいです。こんな状況でも明るく振舞えて……私には無理です」

「こんな状況だからだよ。暗くなっていてもしょうがないじゃん。生きているだけでも喜んでおかないと」

「そんなこと言われましても、私にはお母さんがもういないのですよ」


 残骸となった家を視線で示し、下敷きになって焼死体となったことを語る茜。


「――おばさんが!? そうなんだ。茜ちゃんの気持ちも知らずにごめん」


 最初に屋根が崩れ落ち、木片が積み重なり業火が包む。その状態になってしまっては一人の女性の力ではどうすることもできないだろう。ゆえに助けることもできず、目の前で死にゆく様を見届けてしまった。

 緋真は二人の話しを横で聞きながら、家内を見渡す。

 そこでところどころに小さな穴が空いていることに気づく。

 助けるときについたのだろうが、尖ったもので打ち付けたような跡だった。

 だが、それは可笑しな話だ。人を燃やし尽くす炎に包まれている中、何度も何度も打ち付けるような時間などあるだろうか。そんなことをしていれば、茜自身もこうして無事でいられるわけがない。

 そこで緋真は一つの結論に至った。


「茜ちゃんでいいわよね」

「は、はい。そうですが、どうしたのですか緋真さん」


 険しい面持ちで緋真は問いかける。


「もしかして、力を手に入れたわね」

「……!? どうしてそれを」

「見れば分かるわ。わざわざ穴の空いた木を使った建築なんてあるわけがないもの。近づくことすら出来ない炎の中にこんな穴なんて空けれるはずがないでしょ。そうなったら遠くから何かを当てるしかないわよね」


 緋真の洞察力は鋭かった。次々と言い当てられ、やがて茜は観念したかのように口を開く。


「そこまで分かっているんでしたら、緋真さんもそうなんですよね」


 緋真はうなずく。


「? 何の話? なんで二人だけで分かりあっているの?」


 茜と緋真の顔を交互にみながら一人疎外感を感じる彩葉。


「実は……彩葉ちゃん、私ね……」


 一瞬言おうか言うまいか躊躇う。

 この一言で彩葉がどういうリアクションを取るのか不安で一杯になる。

 だが長年の付き合いがある親友の彩葉に重大な隠し事を抱え続けるぐらいなら、いっそのこと打ち明けて楽になるべきだと考えて、意を決して重々しく口を開く。


「――魔法使いになってしまったの」

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