第7話
日も完全には暮れていない夕方。家中の窓から入る光を遮断し、リビングだけ電気が点けられていた。
外から中の状況がばれないよう、念入りに、すべての窓にカーテンをかけられている。もちろん、戸締りも完璧にされている。
そこで、二人の人物が声を潜めて話し込んでいた。まだ明るさの残る時間帯にそこだけ陰鬱な空気が漂っていた。
二人はコタツを間に挟み、向かい合いながら言葉を交わす。
「まずいことになったな」
源十郎は、苦虫を噛み潰したような表情になって奏に話しかけた。
「……そうね。まさかあそこまでの大物が来るなんて」
「ああ、これで僕たちもいよいよ動き始めないと取り返しのつかないことになるだろう」
「けど、その前にやることがあるわ」
忘れてはならない、親の役目を果たさなければならないことがあると、奏は目で訴えた。
「分かっている。あの子に、彩葉にすべてを打ち明ける時がきたみたいだ」
「いつかは話さないととは思っていたけど、こんな形で打ち明けることになるなんて。十七年も黙っていたことを今さら話したところで……あの子、怒るかしら」
内に秘めていた隠し事への罪悪感に押しつぶされてしまいそうな、そんな感覚に囚われていく奏。
「それは、彩葉が生まれたときから覚悟は決めていたはずだ。それに、もう十七だ。彩葉も大きくなった。今の彩葉なら僕たちがいなくても、きっと、うまくやっていける。心配することなんて何一つない」
意気消沈していく奏を元気付けるように、強く断言する源十郎。
「そうね。それに組織が融通を効かせてくれるみたいだし、もしかしたら彼女も手を貸してくれそうね」
「そういうことだ。何も心配する必要はない。僕たちは上手くカムフラージュが出来るように最善を取るだけだ」
奏は指に巻いた絆創膏を手で抑えつけながら、決意を固めた。
「そのためにも親の役目をしっかりと果たさないとダメね」
「困ったものだな。僕たちが魔法使いだとどう切り出せばいいのか――」
予期していない事態が起きた。こうも部屋が暗ければ、時間の感覚が潰されてしまうのは必然的だろう。
物音がし、一思いにしてリビングの扉が開かれた時には、自分達の過失を攻めるべきか、或いは手間が省けたと思うべきか――。
扉の前に立ちすくんでいたのは、驚きのあまり茫然としている彩葉の姿があった。
くぐもった声がはっきりと聞こえた。それは、想像していなかった衝撃の一言だった。
両親が魔法使い。人にとって、最も恐れられている存在。人類の敵。
一体いつからだったのだろう。疑問が湧き上がるが、それを口にする前にどう問いただせばいいのか分からなくなって黙り込んでしまった。
母さんと父さんも突然の私の入室に戸惑い、目線を合わせず下を向いて口を開こうとはしなかった。
お互いに言いたいことも言い出せず、沈黙が流れる。
そして、意を決して先に声をだした。
「えーっと……その……父さんと母さんが魔法使いっていうのは本当なの?」
「……本当だ」
出来れば聞き間違いであってほしかった。嘘でもいいから違うって言って欲しかった。魔法使いではないと。すなわち、私の敵ではないと言って欲しかった。
一縷の希望を望み、問うてみたが、返ってきたのは無常にも肯定の言葉だった。
ショックのあまり次にでる言葉が紡げなくなる。
「話せば長くなる。だから、一度座ってもらえないか。そんなところにいたらまともに話しもできないよ」
父さんの手招きに黙って従った。それと入れ替わるように母さんが立ち上がり、温かいお茶を入れ、家族会議が始まった。
コタツを三人で囲む。
奏と源十郎が向かい合うように座り、間に私が入る。
再び沈黙が流れる。
気まずい雰囲気を誤魔化すように音を立ててお茶を一口啜った。
母さんはどう切り出せば良いのか分からず、おどおどした様子で父さんの方へと顔を向ける。
父さんは母さんの視線に対し、すべて自分に任せろとでも言いたげな様子で軽くうなづいてから、話し始めた。
「まず始めに、僕たちは彩葉が生まれる前から魔法使いだ。だけど、彩葉。お前は魔法使いではない、ということだけは理解していてくれ」
それは、私自身も分かっていることだった。
そもそも魔法なんて使ったこともなければ、見たこともない。目の当りにするのはいつもその被害だけだ。
魔法使いではないことなんて至極当然のことだ。
しかし、父さんは念を押すように、力強く言った。まるで、そこが一番大事なところであるかのように。
「魔法使いから生まれたからといって、同じ力を持っているとは限らないんだ。そもそも、魔法使いというものは自然に発生するものであって、生まれた瞬間になっているというわけではない」
「自然に発生?」
「いずれは分かるときがくるわ」
それまで一言も話さず、成行きを見守っていた母さんが父さんに変わって答えた。
ようやく、母さんも口にする踏ん切りがついたみたい。
「出来れば一生こない方がいいのだけれど」と付け加えて、続きを引き継いだ。
「今までこんな大事なことを私たちが彩葉に黙っていたのは、世の中には知らない方が幸せでいられることがあると思ったからなの。知ってしまえばもう、普通の女の子ではいられなくなる。彩葉には幸せに生きてほしかった。ただ、それだけなの」
十七年間の想いのすべてをぶちまけるかのように言葉を吐き出した。
二人は私のことを第一に大切にしているということは分かっている。だからこそ、両親が人類の敵だなんて知らない方がいいと自分たちに言い聞かせてきた。それがどれだけ自分たちが苦しめられていたのかは分からない。
けど、私は十七年間もの歳月、そのことには気づかず魔法使いを蔑んできた。表面上は平静を装っている母さんと父さんだが、知らず知らずに傷つけてきたのかと思うと、胸が締め付けられるかのように痛んだ。
心に眠るモヤモヤを手で抑えつけるように胸におき、今までの言動を思い返していた。
「彩葉、僕たちは今日、この家から出るつもりだ」
「……え!?」
突然の宣言に戸惑いが隠せない。表情にもでていたようで、父さんは落ち着かせるように穏やかな口調になる。
「彩葉も見かけたかも知れないが、アンチマジックの戦闘員が二名、この町に来ている。おそらく、僕たちを探しているのだろう。もし、見つかってしまえば戦闘は避けられない」
「戦うの? それって昨日のようなことになるかも知れないってこと?」
脳裏に先日の魔法使いによる被害の跡がよみがえる。一面廃墟と化した、この世の終わりのような世界を。
「そんなことにはさせない。ここは、僕たちが育った場所だ。だが相手が悪すぎるため、最悪の展開も想定しなければいけない。だから、そうなる前にここからでなければいけないんだ」
「でるって……どこに行くの? 行くあてなんてあるの?」
父さんは年中家にいることが多い印象だ。そんな人に頼る場所なんてないとあるのかな。
「僕の所属しているキャパシティで身を潜めるつもりだ。あそこは、魔法使いもいる場所だから安全だ」
「え? じゃあ、私はどうすればいいの?」
二人がいなくなれば、一人ぼっちになってしまう。不安に押しつぶされそうになっていく心に追い打ちをかけられる。
「彩葉はお留守番よ」
「……どうして!? 安全なところなら私もついて行っても平気でしょ!」
「さっきも言ったが、戦闘が起きる可能性もある。いや、間違いなく起きるだろう。やつらは的確にこの周辺を捜索している。ほぼ見つかっていると考えていいだろう」
確かに、あんなことになってしまったら、私なんて何にも出来やしない。かえって足手まといになってしまう。だから付いていかない方がいい。
でも、それは嫌だな。
父さんは私の身を案じて言ってくれているとは思うけど。
私からしたら、二人が危険な目に合う可能性の絶対高いはず。
「大丈夫よ。うまくやり過ごして、ほとぼりが冷めたころに帰ってくるから。だからね、彩葉はお留守番なの。私たちがいない間、家を守ってて。家族三人で暮らした、大切で、思い出のたくさん詰まったこの場所を、ね」
諭すように言いつける。そうして、母さんは私を強く抱きしめた。娘のぬくもりを体で感じ取るように、強く、強く抱きしめてきた。
「なに? それ。そんなこと急に言われても、どうすればいいか分からないよ。それに母さんたちが魔法使いなら、娘である私はどうなるの? 私が魔法使いじゃなくても、人類の敵の子供だってばれたらどうなるかわから――」
ない、と言おうとしたところで体中に重みを感じる。この感覚は眠気だ。突然の睡魔に目がトロンとしていく。
「……はれ?」
「やっと利いてきたか」
力が抜け、抱かれていた母さんに体を預けるように沈み込んでいく。
「……な、何をしたの?」
「ごめんね。彩葉のお茶に睡眠薬を入れたの。私たちの正体を話せば、黙って行かせてくれないと思って。本当に……ごめんね」
母さんは涙交じりに耳元で囁いた。そうして、生まれたての赤ん坊を寝かしつけるように、ゆっくりとやさしく、髪をなでながら床に倒された。
薄れていく意識の中、父さんと母さんがリビングを出ていこうとしている姿が端に写っている。
「私たちが帰ってくるまで、何者にも負けない心を持って、強く生きて。決して絶望には囚われないで。私たちはずっと彩葉のそばにいるから」
その言葉を最後に、意識は夢の中へと落ちていった。
「では、間違いないんだな」
時計塔前にて、守人はアンチマジック三十区支部の監視室詰めとなっている鎗真と連絡を取っていた。
『検知器に反応した時間帯と貴方が仕入れてきた情報と照らし合わせて、当てはまる奴なんて、雨宮奏しかいませんね』
守人と蘭は時計塔付近での聞き込み捜査を行っていた。昨日の検知器に反応した当時、周辺の民家、出歩いていた人物を洗い出し、そこから過去の監視カメラの映像と照らし合してようやく見つけ出したのだ。
「家族構成の方はどうなっている」
『娘が一人いるが、無関係でしょうね。しかし、男の雨宮源十郎の方だが……プロフィールを偽装していやがったようです』
「どういうことだ」
怪しくなっていく雲行きに眉間にしわがよる守人。それを横から見ていた蘭は、守人の変化に緊張を走らせる。
『詳しいところまでは分からないんですけどね、あの野郎はキャパシティに所属している魔法使いです』
あまりの驚きに思わず言葉をなくしてしまう守人。
表向きには、医療研究機関キャパシティと名乗っているが、その実態は構成員が魔法使いで構成されている秘密犯罪結社だ。
現在、この事実は世間には公表されていない。それどころかそれを把握しているのは、一部のアンチマジックメンバーのみだ。
『この件、上に報告しておきましょうか?』
「ああ、よろしく頼む。私はこれから二人を追う。おそらく、今夜にでも動くだろう。引き続き監視の方も頼んだぞ」
そういって通話を切った。
「で、どういうことになったのよ?」
蘭の問いに、守人は鎗真からの報告をキャパシティのことも含めて簡潔に説明した。
「そう、ということは敵は二人ね」
「ターゲットは雨宮奏。そして、雨宮源十郎だ」
「あんな別れ方で良かったのかしら」
奏と源十郎は家を出奔し、街道を歩いていた。足取りは慎重に、暗い夜闇に紛れ、人通りの少ない道を歩く。
「今はあれでいいんだ。あまり情を持った別れ方をすると、再会した日が辛いだけだ」
「だけど! 彩葉のあんな最後をみたら、本当に正しかったのか分からなくなるよ!」
「静かに、声のトーンを落として」
隠密行動中にも関わらず、声が高まっていたことに気づいた奏は反省した。
「次に彩葉と再会した時には、あの子は僕たちの敵になっているかもしれないんだ。そのことを考えるとあれぐらいで丁度いいと思う」
「……そうよね」
人類の敵である魔法使いの奏と源十郎。そして、普通の女の子である彩葉とではお互いに対立しあう存在である。別れ際が名残惜しいものになればなるほど再会時に迷いが出てしまい、本来の対立が瓦解してしまうかもしれない。それを恐れた源十郎は、あんな別れ方を決行したのだ。
「それよりも今は僕たちの身の方が優先だ」
「A級戦闘員にC級戦闘員。どちらも一筋縄ではいかないわね」
「C級の少女の方は正直言って僕の敵ではないだろう。だが、どんな戦い方をするか分からない以上、警戒は怠らないように。それよりも問題は――」
「A級戦闘員の方ね」
源十郎の言葉を遮り、奏が先に口にする。
源十郎は軽くうなづいた。
A級戦闘員天童守人。殲滅した魔法使いの数は優に百を超え、戦闘慣れしている。いざ戦闘になれば、間違いなく両者ともに怪我程度では済まないだろう。
「ここを無事に逃げ出すためには、遭遇しないようにしないとね」
「その通りだ。目下、僕たちとって最大の障害は、天童守人だ」
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