第88話

外に出ると、そこはまるで昼間のようだった。

 例えるとするなら、お祭り騒ぎの最中に起きた不慮の事故について騒いでいる様子。

 連続して巻き起こった火災とそれに対処するべく動いた緊急車両のサイレンが響いている。その音に対して鬱陶しそうに舌打ちをする人や心配して祈りを捧げる人人。あるいは、それらの雰囲気に飲み込まれてしまった野次馬たちが、面白おかしく群がっていた。

 そのせいで子供の寝る時間もとっくに過ぎ去った深い夜だと言うのに、賑やかさだけでいうなら昼間以上かも。ううん、絶対それ以上。

 昼間とはまた違った意味で賑やかな夜を私たちは人の波を縫いながら進んだ。


「思うように進めないね」

「この混乱の中だと仕方ないさ」


 人だかりのせいで思うように動けないのがもどかしくもあったけど、焦ってはダメ。一般人との無用な衝突で余計なトラブルを引き起こしたくないからね。


「今さらなのですけど、こんな目立った行動をしていたら、アンチマジックに見つかったりしませんか」


 同時多発の大火災。中でも松明のように赤々と照らされている高層ビルの様相に呆然と立ち尽くす人の群れを走っているわけだし。

 そんな中で激しく動き回っている私たちは、周りからすればひときわ目立っているにしょうがないはず。


「残念だけど。もう手遅れのようね」

「……だな」


 辺りを見回してみたら、確かに数名の黒服を纏った人物たちから視線を感じた。あんな野蛮な人たちからの熱烈な視線は遠慮したいね。


「見つかってしまったものは仕方ないよ。このまま堂々と突っ切ってしまおう」

「今さら消極的な行動を取る方が怪しいか」

「彩葉ちゃんの言う通り、ここは開き直った方がよさそうですね」


 そうと決まれば、さっそく走るペースを上げることにした。目的としている駅はこの騒がしい道を抜けた先にある。そんなに距離はないと思うけど、壁のように立ちはだかる人の群れをかき分けて進まないといけないので、遠く感じてしまう。


「ちょ、ちょっと! 追いかけて来てるよ」

「――見つかってしまったみたいですね」


 後ろから人だかりをなぎ倒す勢いで黒服が追って来ていた。あれじゃあ、喧嘩売りながら渡り歩いているようなものだよ。

 それよりも、あの人たちにとって一般人は守る対象のはずなのに、ぞんざいな扱いをしていいのかな。


「あたしが視ておいてあげるから、あんたたちは気にせず前を向いてなさい」

「ああ。分かった」

「じゃあ、前は私がしっかりと先導するから、後ろで何かあったらちゃんと教えてよ」


 迫る戦闘員の脅威に焦りが出て、次第に息継ぎが荒くなってくるほどに歩調を速めていく。

 私は追いつかれないことだけに専念して、人ごみを手でかき分けるようにして道を作っていった。ぶつかっていった相手からは、口々に罵詈雑言を浴びせられたけど、気にしてられないから無視して進んだ。唯一、茜ちゃんが謝りながらついてきてくれていたから、大事にはならなかったことが幸い。

 人の集まりが薄れていくと、駅がようやく姿を見せ始めて来た。この辺りは緋真さんたちの陽動からだいぶ離れたところにあり、時間相応の静けさが漂っていた。


「着きましたね」

「ふー……やっとか。なんつーか疲れたぜ」

「思った以上の騒ぎになってたもんね」

「……まったく、なによあれ。夜中なんだから大人しく家に引きこもってなさいよ」

「無理もない話しだ。あれだけのサイレンが鳴り響いていたら、普通は何事かと気にかけるものだと思うぞ」

「にしたって、あんなにも集まることないでしょ。暇な連中ね」


 家にいても時間的に寝る以外のやることがないんだし。延々とサイレンが鳴り続けていたら、落ち着いて寝つけないと思うよ。まあ、私みたいな寝つきのいい人なら気にしないと思うけど。


「……それより、追っ手の方はどうだ?」

「一応、撒けたみたいね。すぐには追いつかれないと思うわ」

「つっても、連中は対魔法使いのプロだ。とっととずらかった方がいいだろ」


 駅前の広場には、仕事帰りに酒でも飲み交わしてきたサラリーマンがバカ騒ぎをしている。町中の騒ぎが目に入っていないみたい。

 酔っ払った頭では、この状況を見てもさぞかし平穏な一日に映っているのかもしれないね。あの人たちにとっては、このまま酔いが冷めないでいてくれる都合がいいと思う。


「電車はまだ走っているのかな?」


 酔っているとはいえ、サラリーマンが出歩いているぐらいだから、まだ大丈夫だよね。


「そうだな。そろそろ終電が通る頃合いだろうな」


 広場にある時計を確認した纏が言った。


「やったね。丁度いい時間じゃん」

「ホームで待っていましょうか」


 そう決めたとき。駅前にある踏切の音色が、深い夜に響き渡ってきた。本日、最後の役目を果たす遮断機が振り下ろされ、間もなく通過する電車を待ちわびている。


「あ……っ! 急がないと乗り遅れるよ!」

「走ったりすると危険ですよ」

「――待ちなさい! 彩葉、茜!」


 広場を横切るように駆け出そうとしたとき、蘭の強い制止の声に思わず踏みとどまってしまった。


「この気配……。やっぱりここにも張っていやがったか」

「ま、まさか。待ち伏せしていたの?!」


 駅から黒服を纏った戦闘員たちがぞろぞろと姿を現してきた。街灯の下に照らされた戦闘員の数は十人ほど。もしかしたら中にもまだ潜んでいるのかもしれないけど、いま確認できるのはそれだけ。


「当然だろうな。逃亡手段として利用しやすい駅を監視していないほど、警備は緩いはずがないだろうしな」

「分かってたのにこんな提案したの? どうするの? 纏のせいだからね」

「問題ないさ。多少の戦闘は止むを得ない。そういう方針だっただろ」

「そ、そうだけど」

「それに、返り討ちにすればいいと言ったのは彩葉だろ」

「言ったけど、さぁ……」


 出来れば楽に逃げ出したいなと思っていたわけだけど……ま、いいか。世の中、そう都合よくはいかないしね。邪魔するならするで、予定通り返り討ちにして出て行ってやろうかな。


「期待してるぜ。彩葉」

「ちょ、変なプレッシャーかけないでよ」

「彩葉ちゃんのことは、私がしっかりと支えますから安心してくださいね」


 目の前の敵と対峙していると、電車がホームに滑り込んでくる。

 あれが私たちの唯一の逃走手段だ。何としても目の前の戦闘員たちを蹴散らして乗り込まないと。


「――こいつら……まさか……!」

「どうかしましたか?」


 魔眼でホームを視ていた蘭の声が驚愕に包まれている。いまごろは中で乗客の乗り降りが行われているだけで、そんなに驚くようなことではないはずだけど。蘭の反応からして、ただ事ではないことだけは伝わった。

 考えられるとしたら、私たちにとって最悪の展開が起きているってこと。

 この状況で最悪と言えば何だろう。

 電車がやってきて、ホーム内でするべきことなんて乗客の乗り降りぐらいしかない。そんなことで驚愕するとなれば、降りてきたのが普通の乗客じゃなかった。その可能性しかない。

 嫌な予感というのは当たる物で、ホームから降りてきたのは同じ黒服を纏い、武器を持った複数の人たちだった。

 駅前を埋め尽くすほどの戦闘員たちが集結し、私たちの逃走手段を完全に封じられてしまった。


「おいおい、一体どんだけ出てくるってんだ」

「さすがに多すぎない?」

「あ――電車が」


 死を運んできた電車は、執行人だけを残して早々と駅から離れていく。たぶん、警察から用心のためとかでさっさと出発するように言われているんだね。白状者め。ここには一応、一般人もいるのに。元戦闘員という肩書がついているけど。


「周辺にいた戦闘員たちはここに集結し始めているようだな」

「ですね。早くしないと更に数が増えるかもしれません」


 アンチマジックの支部が燃えているとなれば、事情は知らなくても各地にいる戦闘員が集まってくるのは時間の問題になってくる。

 緋真さんたちはここに敵を集結させ、私たちがスムーズに逃げ切れるようにこの事態を引き起こしてくれた。だけど、これは予想以上に集まりが速すぎているような気がする。


「まずいわね。騒ぎとは反対方向だから大丈夫だと思っていたけれど、間違いだったかもしれないわ」

「過ぎたことはしょうがないよ。なんとかして、別の手段を探すしかないよ」


 頼りにしていた電車が使えないとなると、駅前には何も残されていなかった。酒に酔っていたサラリーマンもいつの間にかいなくなってしまっている。混濁した頭でいられたなら、荒れた現実を直視しなくて済んだのにね。


「危険かもしれないが、一旦引き返すか」


 纏の提案に乗って後ろを振り向いた時――すでに私たちを追っていた戦闘員に追いつかれてしまっていた。


「さすがにこれはやべえな」

「絶体絶命ってやつだね」

「ええ……かなりの、ね」


 前も後ろも逃げ道を閉ざされてしまい、私たちは駅前広場に囲まれている状態となった。


「仕方ない。みんな、覚悟を決めてくれ」


 纏が魔具“散りゆく輝石の剣”クラウ・ソラスを抜き放つ。三発分の斬撃を蓄積された刀身は、暗闇の中でも燦然としている。

 それを合図にして、私たちもそれぞれの魔法を展開した。


 鏡面のように研ぎ澄まされた白き刀身が月光を照り返し、宇宙のような途方もない無に似た黒き柄を握る私。

 歪曲した空間に象られた刃を手にしている覇人。

 構造のない半透明状の拳銃を創りだす茜ちゃん。

 先天性の能力と重なって生まれた観測と索敵の魔眼を有した蘭。


 これらは私たちが生まれ持って手にした唯一無二オリジナルの力。

 ある意味、個性とも言える力だ。

 だけども、人はそれを悪意と呼ぶ。醜いと呼ぶ。畏怖の念を起こして蔑み、”魔法”と名付けた。他人事だと思って罵る。誰だっていつかはそう呼ばれるようになるのかもしれないのに。

 だかしかし、何と言われようとも私たちにとっては、立派な個性だ。


「大勢いるが、怯むんじゃねえぞ」

「特に戦闘慣れしていないあんたたち素人組はね」


 それって、私や纏。茜ちゃんのことだよね。


「俺たちはこれでも成長しているんだ。遅れを取るつもりはないさ」

「はい。もう、二度と足を引っ張るようなことはしませんから」


 両端ターミナルでの一件を気にしているみたいで、茜ちゃんは自虐気味に言った。


「知ってる。茜ちゃんなら大丈夫だよ」

「……彩葉ちゃん」

「あの経験があったから、分かったんだよ」


 茜ちゃんが死にかけたあの時のことを思い出す。

 一気に形勢が崩れ、私たちは共倒れになりそうな状況だった。だけど、誰一人として諦めようとはしなかったし、茜ちゃんを見捨てようともしなかった。そもそもそんなことを考えようともしなかった。


 どうすれば、茜ちゃんを救うこと出来るか。

 どうすれば、私たちは生き残ることが出来るか。


 無我夢中の最中、それだけは頭に残っていたのを覚えている。


「裏社会に迷い出たときから決まっていたんだ。諦めたその瞬間が死を受け入れる時なんだってことを」


 諦めが悪く、足掻いたからこそ。両方とも達成できた。つまり、この状況を乗り切る手段は一つ。


 “諦めないこと”


「だから、今度だって。絶対に――“諦めない”!」

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