第80話

 大空洞とも呼べるような大穴になっている水路を進んでいくと、突き当りで扉一つだけが私たちを出迎えた。


「ここで行き止まりかぁ」

「扉がありますね。ということは、この先が研究所になっているのですね」


 ところどころに苔や気味の悪い虫がいて、もう生理的に辛い道のりだった。中でも一番嫌悪感を出していたのが汐音。

 ぶつくさと嫌そうにして歩くもんだから、かなりギスギスした雰囲気になってしまっていたことを本人は多分理解してなさそうだった。

 私や茜ちゃんはその気持ちも理解してあげられた。やっぱり、女の子にとってはこんなところに長居はしたくないよね。


「そのようね」

「さっさと中に入りますわよ。こんなかび臭いところから一分一秒でも早く抜け出したいですわ」


 非常口のような趣のある扉を開け放って一番に入り込む汐音。よっぽど嫌だったんだね。

 私たちもさっさと汐音に続く。

 外の大空洞と違って、中は意外にも綺麗にされていた。人の手が入り込んでいる何よりの証拠である。天井には水銀灯が吊ってあり、光を灯している様子から誰かいるはず。

 アパートの廊下みたいに、幾つものの部屋がある細長い道を歩いていくと、曲がり角が出てきた。


「先に言っておくけど、あたしは中の構造がどうなっているかは知らないわよ」

「困りましたね。どっちに行けば彩葉ちゃんのお父さんがいる場所に繋がっているか分かりませんね」

「じゃあ、私の勘を信じて適当に進んでみる? 親子の絆パワーで無事着くかもよ?」

「遠慮しとくわ。第一、適当って言ったわよね。彩葉のそのいい加減な発言には不安しかしないわ」


 そんなこと言われてもねぇ……。分からないなら、適当しかないと思うんだけどなぁ。


「……ともかく、ここはすでに敵の領地なんだ。あまり騒がず、静かに行動しよう」

「蘭……シー……分かった?」


 人差し指を口元に立てて、蘭に静かにするように注意すると思いっきり睨まれた。怖い怖い。


「仕方ねえな。来い。俺が道案内をしてやるよ」

「どうやら、覇人に任せた方が良さそうですわね。この子たちじゃあ、迷子になってしまいそうですもの」


 先頭に覇人が立って、汐音が付いていく。なんか、手馴れている様子で自然な行動だった。


「覇人。道が分かるのか?」

「ま、だいたいはな。任せとけって。たぶん、どっかに地下に降りる階段があるはずだ。そいつを見つけたら、彩葉のおっさんのところまで来れる筈だ」


 なにその自信。いつになく頼れそうな雰囲気が出てる。


「どうして、そんなことが分かるのよ? あんた、まさか研究所に来たことがあるっていうの?」

「……ああ、あるぜ。何回かだけどな」


 驚きを隠すことができない。それって、覇人も研究所でひどいことをされてきたってことになるんだから。


「心配されるようなことじゃねえぞ。俺の場合は、任務で自分から入り込んでいったんだからよ」

「な、なんじゃそら。自首?」

「あほ。んなわけねえだろ」

「ですよねー……」


 言ってみただけ。でも違うとなると、何しに行ったんだろう? 覇人って謎が多すぎるからいまいち理解できないことが多い。


「――研究所襲撃事件」

「蘭さん。それは一体なんですか?」


 不吉な単語。意味をそのまんま解釈すると、いやするまでもない意味なんだよね。きっと。


「聞いたことはあるな。確か、二十九区と三十二区。それに四十二区の計三件に渡って、研究所を壊滅された事件だな」

「あら、良く知ってるわね」

「資料で読んだ程度の知識しかないんだけどな」

「十分よ」


 三十二区って私たちが住んでいる区のすぐ隣だ。なのに、全然そんな話は聞いたことがないね。


「ねえねえ質問いい? するよ?」

「自己完結するぐらいなら、聞くんじゃないわよ。……で、なに?」

「私と茜ちゃんは何のことだかさっぱりなんで、簡単に説明してほしいな」

「研究所が襲撃されたのよ。分かった?」

「簡単すぎっ!! やっぱりさっきのは嘘。もうちょっと詳しく」


 絶対にバカにされてるよね。私。しかも茜ちゃんもなんか微妙になんとも言えないような顔をしてるし。


「彩葉ちゃんにはあとで私の解釈で伝えますから、遠慮なく知っていることを教えてください」


 ……悔しい。絶対理解してやる。


「そうは言われても、アンチマジックの方でもあまり詳しくは把握していないのよ。生き残った研究員は一人残らず殺され、保管されていた魔法使いは全員何者かに連れ去られていたのよ」

「何者か……襲撃した魔法使いの特定ができていないということですね」

「特定……という言い方もどうかと思うわ。一応、犯人は回収屋と名乗る魔法使いらしいわよ」

「あーなるほどね。目的は魔法使いを回収するってことだったんだ」

「彩葉にしては、鋭いじゃない」


 そんなに意外そうにされてもリアクションに困るんだけど。


「その通りよ。でも、その他にも証拠として、三度の襲撃と各地で襲われた戦闘員の前に現れたのが決まって白い外套を羽織った魔法使いだったのよ」

「アンチマジックが長年追いかけ続けている要注意人物……ですか」


 月ちゃんと殊羅の最強コンビに追われるほどの魔法使いってどんな人なんだろう。ちょっと、興味があったりする。

 

「その回収屋もここまでのようね。そろそろ正体を明かしたらどうかしら? 覇人」


 呼ばれた覇人は不意に立ち止まった。


「……やっぱばれちまってたか」

「研究所から抜け出せる魔法使いなんて、回収屋しかいないわ」

「――ああ、そうだよ。

 キャパシティの幹部という肩書とは別に、特別任務中に使っている名前。それが――回収屋であり。俺のもう一つの姿だ」


 各地で襲われた戦闘員。そして、三度の研究所襲撃事件。これだけのことをやってのける魔法使い。大きな何かが起きたときは大抵、裏にキャパシティが絡んでいるっていうのは本当だった。


「でも、覇人くんが三十一区で私たちと行動をしているときにも、この区画には回収屋が現れていたんですよね。回収屋って二人いるのですか?」

「それは覇人がしばらくあなたたちから離れられないから、私が自分の任務と合わせて代わりに引き受けていたのですわ」

「狙った戦闘員って魔法使いを連れていた戦闘員だったのね」

「情報も得られて、回収屋の方も同時に行える。一石二鳥でしょ」


 迷路みたいに複雑な通路を勝手知ったる様子で突き進んでいく覇人と汐音。私たちはただ、迷子にならないようにひたすらに付いていく。

 曲がり角も多いし、ちょっとでも目を放したら生きてここから出られる自信なんてなさそう。

 もう何度も何度も右へ左へと進んでいって、気が付いたら覇人が言っていた下に続く階段があった。


 その瞬間――


 頭にノイズが走った。

 あるべき形が失われ、新しく造り替わる。それはスクリーンに電波の悪いテレビが上映されるのに似て、砂嵐のような嫌な音が両耳に無理やり流れ込んできた。


 四方に展開された劇場の幕があがり、それぞれが別のシーンを繰り返す。


 一つは、満ち溢れた火炎に死滅ロストしていく焦熱の世界シーン


 一つは、どこまで行っても果てに辿り着けない袋小路ループに捕まった世界シーン


 一つは、数人分の人影シルエットが乱れる活劇の世界シーン


 一つは、崩落が飾る終幕バッドエンドに抗う世界シーン。 


 どれを取っても救いようのない世界シーンに頭の整理が追いつかず、ついには足元もふらついて、視界が歪曲されていく。

 頭が壊れたんだ。テレビと同じような要領で叩けば少しは楽になるのかもしれないと思って、軽く小突いてみた。

 すると、さっきまで再生されていた映像が綺麗さっぱり無くなって、元通りになった。

 私の頭は壊れたテレビと同じなのか。残念すぎる頭に私はひどくショックを受けたけど、そんなことよりも気持ち悪さから解放されたことで、どうでもよくなった。


「どうかしましたか? 彩葉ちゃん」

「ん? ううん。何でもないよ。ちょっとした立ちくらみだよ」


 茜ちゃんはそれで納得してくれたみたい。

 けど、私はいまのを知っている。

 既視感があったんだから。


 あの感じ……一度味わっている。


 思い出そうとすればするほど頭が痛くなってきて、すぐに考えることは止めた。こんなことでみんなを心配させたくない。特に気にかけてきてくれる茜ちゃんには。

 私はいつも通りを装って付いていく。やることはまだまだあるんだから。

 目的は父さんを救い出すこと。それと比べれば、いまの訳わからない映像なんて気にしない気にしない。

 階段を下りても同じ通路になっているだけだった。

 ここも電気が点いているんだけど、さっきから人とすれ違う気配がない。もしかして、誰もいないのかな。


「迷うことなく道を進んでいってるが、研究所というのはどこも同じような造りになっているのか?」

「さぁな。けど大体は似たような造りになってんじゃねえか。こんなややこしい造りになってんのも生け捕った魔法使いの脱走や侵入者を防ぐためらしいぜ」

「一階は研究員の私室になってますのよ。そして、ここ地下一階で魔具研究を行っていますわ」

「それじゃあ、この階に捕えられた魔法使いもいるんですね」

「ついでに研究員もいることになるわ」


 廊下を進んでいくと、不意に覇人が手で制しながら立ち止まった。

 曲がり角から足音が響いている。


 ――誰かくる。


 とっさに身構えて、待ち続ける。

 緊張に胸が張り裂けそうになりながら、先頭にいる覇人が動き出すまで息を殺す。

 そうしていると静けさが一層高まって、響く足音がやけにうるさく感じられた。

 トンネルを歩いているような反響が近づき、壁際から白衣を着た人が姿を現す。

 刹那――覇人は首を締め上げると、声にもならない声が白衣の人から漏れる。同時に魔法で造られた半透明の刃で腹部を刺し、ゆっくりと寝かしつけるように地面に倒した。


「こっから先はあまり声を出すなよ」


 私たちは頷いて了解の意を示した。


「蘭。魔眼を発動して、周りの様子を探ってちょうだい。もし、敵がいたらすぐに教えなさい」

「分かったわ」


 開眼した蘭の瞳が色を変える。視界を探るだけだから、環は出ていない。蘭は今、研究員の魔力が見えている。これで、安全に見つからずに行動が出来るってもんだね。

 蘭の指示に従いながら、廊下を歩いている研究員をやり過ごしながら動き回る。

 地下一階は研究施設になっていて、壁越しから悲鳴のような声が聞こえたりする。薄暗いこともあって、かなりのホラーだ。

 深夜の廃病院なんかの肝試しよりも、よっぽどこっちの方がスリルもあって怖い。

 研究所と名乗っているぐらいだから、亡霊の一匹や二匹がいてもおかしくなさそう。長居すると呪わるという思い込みを常人には刷り込ませることが出来そうな感覚がする。

 自然と茜ちゃんの手を握ってしまっていた。それを強く握り返してくれる茜ちゃん。正直心強い。


「生け捕りにされている魔法使いの人体実験ってとこだろ。こいつらには悪いが、見なかったことにしとけ。おっさん見つけた後で生きていたらついでに助けてやればいいだろ」

「……そう、ですね。騒ぎを起こしてしまえば、彩葉ちゃんのお父さんも救えませんし、私たちも危険な目に合いますしね。分かってはいるのですが、見て見ぬふりは心が痛みますね」


 祟られそうな悲鳴と悪臭に身をすくめながら更に廊下を進む。

 こんな環境下では精神が蝕まれそう。非人道的な研究を続けてる施設の人たちは、きっと壊れてしまった人たちばかりなんじゃないのかな。

 普通は耐えることなんて出来ないよ。

 精神に異常をきたしたり、暗い感情に支配されたりすると魔法使いになってしまう。でも、研究員たちは魔法使い化していないところをみると、自分たちがやっていることに一切悪気を感じていないということになる。

 ここにいる人たちは、これが正しい正義なんだと洗脳されてでもいるんじゃないの。そんな疑問も湧き出る。

 そんなのは絶対におかしいとは思うけど、魔法使いという悪を倒すための研究なんだから、これこそが善行なんだと信じて疑っていないんだね。

 悲しいような悲しくないような。モヤモヤとしてくる。


「突き当りの部屋から大きな魔力反応を一つだけ感じるわ。ここに……強力な魔法使いが捕えられているわ」

「そうですわね。蘭でなくても、私でも魔力を感じましたわ」

「俺には未知の感覚だが、蘭以外でも分かるなら彩葉の親父である可能性は高そうだな」


 魔力の反応を探ることが苦手な私でも、かすかに感じられた。茜ちゃんも含めて、この場にいる魔法使い全員感じ取れるほどの大きさ。

 期待が膨らんできて、駆け出したくなる。けど、輪を乱してしまってはせっかくのチャンスが無駄になってしまうから、ここ正念場だと思って慎重に動く。


「開けるぞ」

「待って! 私に任せてもらってもいいかな」


 纏がドアノブに手をかけようとしたところを止めて、私が触れる。

 この先に父さんがいるんだ。

 自然と心臓が高まる。

 ただ、ドアを開けるだけなのに、こんなにも心臓がおかしくなるなんて。

 いつもよりも重く感じられるドアノブは、いとも簡単に捻れた。

 中は真っ暗になっていて、壁にあるはずのスイッチの感触を手探りで押した。

 一瞬で明るんだ部屋に飛び込んできたのは、机の上に乱雑にしておかれた書類の数々。

 医療機器みたいな物に手術台。

 謎のケーブルが生き物みたいにして手術台に繋がれていた。


「拷問部屋みたい……それに何、この臭い……」


 血なまぐさくて、鼻がおかしくなってしまいそう。いつかの母さんと同じ血の臭いだ。


「こんな、こんなことを平気で行ってるのか。アンチマジックは――!」

「酷いです。魔法使いだって、同じ人ですのに……。こんなの、全然正義でもなんでもないです。

 ……なんだか、気持ち悪くて、吐きそうになってきました」

「無理しなくてもいいわよ。茜はちょっと楽にしといた方がいいわ」


 乱雑に積まれた書類の机に手をついて、茜ちゃんが苦しそうにしてる。

 早く、父さんを見つけてこんな場所から出ないと、茜ちゃんが可哀想だ。


「……いろ、は……なのか?」


 微かに掠れた声が聞こえる。

 どこから聞こえたのかと発信源を探してると、鉄格子で遮られている部分があって、そこに人が鎖で繋がれていた。


「――! 父さん」


 鉄格子を叩きつけるようにしがみ付き、中にいる姿をはっきりと確認する。

 ああ、間違いない。やつれているけど、あの姿と声は間違いなかった。


「良かった……生きてた」

「……心配……かけたな。許してくれ」

「そんなのどうでもいいよ。生きていてくれただけで、私は、もう、その……泣きそうだよ」


 そうは言ったけど、実際泣けはしない。涙はあの慰霊碑で流し尽くしてしまったせいなんだろうね。

 でも、本当に良かった。

 こんな日が来るなんて夢にも思わなかったんだから。


「待っててね。いまそこから出すから」


 牢屋の扉には南京錠が掛けられていた。なんとか壊せないかといじってみるけど、びくともしない。

 こんなときに焦らせないでほしい。誰かが来る前に早く抜け出さないと大変なことになるのに……


 その時――


 締めた扉が急に重々しく開き、白衣を着た研究員が現れた。


「――な! だ、誰だ!」

「ノックぐらいしなさいな」


 汐音はとっさに魔法を発動し、コンクリート製のシェパードが生まれる。

 突然の侵入者に慌てふためく研究員の喉元に、シェパードの牙が食い込み押し倒してしまう。

 しかし、研究員の悲痛な叫びは、引き裂かれた喉では鳴かせることはできはしなかった。

 おかげで人が寄って来る気配はなさそうだった。


「丁度、時間だったようだ。僕を牢から出すカギはその男が持っているはずだ」


 覇人が白衣をボディチェックのように探ると、すぐに目当ての物は見つかって私に手渡してくれた。

 それをためらいなく南京錠に差し込み、中にいる父さんに抱き付いた。


「……ありがとう」


 感動の再会に口を挟む人はいない。

 私はただ、夢にまでみたこの瞬間の感動に、身を浸すことに時間を十分に注がせてもらった。

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