夕暮れ: 剣の誓い [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]

 瞬きなど微塵も許さない目も眩む剣閃が、私の体を突き抜けようとする。

「くっーー!」

 身をよじりながらに僅かに剣を動かし、光の通り道を私から少しでも遠ざける。

 途端、脇腹の装甲が敵剣と衝突し悲鳴を上げて穿たれる。

 閃光は一つにして五本、私を取り囲む剣兵達の握る大型の刺突剣エストックは休むことなく私へと突き放たれる。

 その一つ一つが青白く光る空間を力強く切り裂く彗星であり、五つの剣先が解放される様は数百年に一度しか見られない流星群の如く、速く、そして力強い。

 もはや見るべき攻撃線などは無い。私の視界全てを敵の死線が埋め尽くしているのだから。

 線を見てから動作するのであれば、この体はとうの昔に穴だらけとなってしまっている。

 体と骨に染み付いた反射動作だけが紙一重のところで私と死を分かつ脆い壁となって立ち塞いでいる。

 それでも手足と頭は、確かな思考の元に動作することを求めている。

 剣閃が瞬く。

 これは<カードの兵隊>の具現化能力の一つだ。出したカードの役に応じて能力を付与し、強化する。

 私を取り巻く五人の剣兵は、元々は一つのカードだ。スペードのエース、それをルキウスと言う少年が複製して五枚まとめて出したのだ。

 ジョーカーを使ってようやく成立するハンド、『ファイブカードファイブ カインド オブ ア ハンド』よりもランクが高い。五枚全てのカードが同一の種類である『フラッシュ』が追加されているからだ。

 五枚の手で出現しうる最強の役、『ロイヤルストレートフラッシュロイヤル フラッシュ』には及ばないはずだが、ありえない役を実現している以上、性質が悪い。

「——っ!!」

 危なかった。首を動かすのがあと少しでも遅れていれば、大穴が喉に空いていた。

 幸か不幸か、本来ならばありえないはずの役が実現したのはいびつな剣の監獄だ。

 私を取り囲み回転木馬のように回りながら大型の刺突剣エストックによる剣撃をもってして私を討ち倒しにかかっている。

 敵は突くだけではない、その長大な刺突剣での振りや払いも織り交ぜてくる。

 突きの動作は目標までの最短距離を通る。速いがその軌道を逸らすことは振りや払いと比べると容易である。

 速い、そう速いのだ。

「——!?」

 呪いの言葉をつく暇も瞬きの一瞬さえも許してはくれない。剣兵達は無機質にただただ私へと剣を突き込んでくる。

 攻撃を受ける訳にはいかない。<氷の貴婦人>の装甲部は貫通される。今到来する攻撃だけに百パーセント集中する訳にはいかないのだ。次の攻撃、またその次の攻撃、五人の兵士全ての連撃を考慮に入れながら防衛しなければいけない。

 地獄の業炎の上を蜘蛛の糸で綱渡りする気分とはこのことだろう。

 打破できるとすれば一点、敵を一人でも倒せれば勝機は浮かんでくる。

 一人倒せば、敵の『同種五枚フラッシュ』の役を無効化できる。

 それでも敵の『フォーカードフォー カインド オブ ア ハンド』を倒すことができるかは大きな問題ではある。

 無理だ。

 どう見ても、私が倒れる未来しかない。

<氷の貴婦人>を短く持ち、体の周辺を滑らすように移動させ、敵の攻撃軌道を僅かに逸らし続ける。

 刀身が創り出すはずの氷壁は、閃光の如き敵の剣により生成されると同時に音を立てて崩れ落ちる。

 相打ち覚悟で行ったところで、こちらへ飛んでくる攻撃は文字通りの必死の一撃達だ。攻撃に耐え相手を倒す——そして残った敵を一掃するなど荒唐無稽な夢物語でしかない。

 この目は、そんな甘い夢を見せてくれる代物ではないのだ。

 敵達は私を囲み、右へ右へと回りながらステップと共に刺突剣を休むことなく繰り出してくる。敵は作り出された兵士だ。その体力は有限でなく無限だ。私の命の炎を吹き消すまで止まらない。

 いずれ敵兵の剣はこの鎧を貫通し、私に致命的な一撃を与えるだろう。

 なのに何故、私は戦おうとするのか?

「っ!!」

 右腕と首と左脇腹に強い痛みが走った。

 両手両足をフル回転させる。

 完全無欠なはずの<氷の貴婦人>の外装が刻一刻と剥がされていく。

 剣と剣、そして剣と鎧のぶつかる音が激痛を伴って途切れることなく打ち鳴らされ続ける。

 敵の剣閃は私の頭を穿ち、首を貫き、心臓を破壊せんと猛威をふるい続ける。

 私のしている無駄な抵抗は、私の死と言う決定的な敗北までの時間を延ばす行為でしかない。

 なのに何故、

「——っ!」

 私の手は、<氷の貴婦人>を力強く握るのか?

 私の両足は、地を踏みしめるのか?

 私の目は、己がなすべき防衛手段を体に取らせようと、全ての敵兵の動きを視界に捉えようと動き続けるのか?


『——だから、リズさん、チェスト、行きましょう』


 私の心は、このどうしようもない死地において彼のことを想ってしまうのか?

 もしこの場に彼が来てくれるのならば、勝機はコンマゼロパーセントから一パーセントぐらいには跳ね上がってくれるだろう。

 一人でも誰かが敵兵を引きつけてくれれば、私を襲う剣は本数を減らし、反撃する余地ができるはずだ。

 彼はこの場に来てくれるだろうか?

 否、ありえない空想だ。何をどうすればそういった絵空事が真実となるのだろうか?

 それに、彼がこの情けない私の姿を見れば何とする?

 逆上し、刀を振り回して突っ込んでくるに決まっているではないか。

 私はそれを、許すというのか?

 この剣は、私の想う大切な人が血に染まるのを許すというのか?


『——たまには力を抜いて、ただ過ぎていく時間に身を任せるのも、スッゴク楽しいですよ?』


 否——断じて否だ!

 そう、この心はどこまでも猛る。彼を戦場から遠ざけることができるのであれば。

 そうだ、この手はどんな苦難をも越える。

 手の内の剣が震え出す。

 テレジア殿から聞いた血生臭い殺戮劇をもってしても、私がこの剣によせる信頼は揺るがない。

 いや、この剣が破滅をもたらす魔剣であろうとも私は構わない。この身が滅びようとも勝利が得られるのなら。

 勝利とは? 誰かがそう私へ呟く声がした。

 決まっている、この場の敵を倒すことではない。ただ彼が、無事でいてくれること。

 少し、違うか。

 五手先に見える敵の剣が腹部を貫く光景を打ち消すため、二手先に同時到来する両眼への刺突を回避するべく、この喉への攻撃を横に弾くのではなく、右のかかとを軸に回りながらに受け流す。

 敵の剣は真っ直ぐに私の急所を狙ってくる。一瞬でも気を抜けば気付かぬ内に切り裂かれ穴だらけになっているだろう。


『——それは、自分を好きになることです』


 それなのに、私はただ彼を想う。そんな自分を許す自分がいる。

 は、どんな想いでこの剣を握ったのだろうか? 自らを想いながらこの剣を錬成してくれたに対して。彼女が理想とする剣士の姿を、<氷の貴婦人>と呼んでくれた彼に対して。

 彼女との間にどんなやり取りがあったのかは分からない。けれど——

 剣の震えが激しさを増す。

 決して結ばれぬ恋と分かってはいても、彼女は剣を振るうことを選んだのだ。彼が想う、彼女に相応しい自分でいることに。

 その悲哀の結末が、二人の悲劇的な死だったのだとしても——

 私が目にしたあなた達二人の時間は、決して嘘ではなかったはずだ。

 私の感覚と言う感覚が熱を失い急激に冷やされていく。

 熱い——心臓の鼓動すら、音を失い身を潜める。

 魂が叫ぶこの熱い想いは、氷の剣をもってしても止められるものではない!


 口が動く。


 “私はここに、剣に誓うヌム シュロバ、ダス イッヒ アウフ マイネム シュヴィアト


 唇から漏れ出す言葉は、


 “狂った暴威に光を示し、ウム アイネ クリガ、 ディ リヒト ツ ツァイゲン、悪しき獣達から人々をウム エンヒュルウング ランダリィルテン ウント守る刃となることをメンセン アウス ヒュゥゼン デモネン ツ シュツゼン ゲヴデン


 彼女が口にした、彼から贈られた想いの言葉、


 “幾千の戦場を歩き、イン フンダーテン フォン シュラフトヘデレン幾万の戦火を浴びようと——ウントウンター タウザデン フォン クリゲス フラメン、ただ正義のための剣となろうヴァド エス ディ ゲレヒトカイト ツ クラレン


 その誓いを私に受け継がせてくれ。


 “全ての怪異を滅ぼすために——イム ナァメン デア ファニヒトゥング デア フィンステネス


 貴女達の想いが真実であったと、


 “我、ここに誓う——ダス イスト マイネ


 萌を想う今の私ならば胸を張ってそう言える。

 だから剣よ、お願いだ——


 “——<終生ただ一振りの剣とならん>アイド デス シュヴァデス——!!”


 その想いを、せめてほんの少しでも私に分けてくれないか?


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 よし、決めた! このままで行こう!

 国司さんから借りている甲冑を着たままでクラスの皆と合流しよう!

 風呂敷に包んで持って行こうとしたけれど、諦めて着ていくことにした。

 上手に包めなかったし、気付いたら着ちゃってたし、青江さんから借りてる刀も佩いてた。

 うん、日鉢さんや国司さんが着ているような外套コートが欲しいなぁ何て贅沢は考えないぞ、僕!

 貴重品なんて大したものはないけれど、学園の袋を肩から下げて、僕は長屋の自室の戸を閉める。

 人気がない。昨日の時点でもう普通は避難し終わっているんだから、当たり前か。

 僕も皆と早く合流しなきゃ、と思っていたら、

 ピィィィと鳴る呼子の笛が、その甘い考えを吹き飛ばした。

 笛の音は一つだけじゃない。

 注意して耳を傾けていると、二つ、三つと次々に音が聞こえてくる。

 移動している……? もしかして、怪異!?

 そう思った途端、頭のスイッチが切り替わる。僕にでもできることがあるはずだと。

 袋を地面に置き、左手で帯に挿す刀を握り、笛の音に導かれるように走り出す。

 向かう先は——志水君の神社の方かな?

 って、え? おかしいぞ。

 僕はここにいる。怪異にとって僕は餌な訳だから、僕の方に向かってきそうなのに。音は別の方角、神社へと近づいていく。

 曇天の空を見上げる。ヒトガタが出るにはまだ早いはずだ。

 首筋がピリピリした周囲の殺気を感じる。

 怪異じゃない、何か別の——

 一層大きな笛の音が、怒声の後に続いて聞こえた。


「出たぞぉぉぉーーー!」

「黒騎士だぁぁーーー!」


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 私の周りを取り囲む五人の剣兵との勝負は拮抗し始めていた。

 貴婦人の蒼い刀身は以前のものよりも細く、美しく、透明なものへと変化した。

 代わりに、刀身から割れて削り出された六本の氷の刃が宙に浮かぶ。

 それらは私の意志に沿って動き、剣兵達の発する五本の閃光を時には妨げ、時には横からぶつかり合い、そして私の周りを飛び交いながら全ての攻撃を防ぐ絶対の防壁となる。

 これが、『解放』された<氷の貴婦人>の真の姿か!

 いける——これならば!

 回転しながらに捉えた敵の心臓部へと、五本の刃をそれぞれ一直線に飛ばす。

 同じタイミングで、私は残る一本の刃と共に防御から反撃に転ずる。

 敵兵士達が各自攻撃の手を止めて、胸部へと迫る蒼い刃を弾く。

 心臓部への突きから間をおかずに、私は地を蹴り、<氷の貴婦人>による右下段からの斬り上げと、左上方からの刃による強襲を同時に放つ!

 私が狙う敵は身を半身に切って胸部への刃をやり過ごし、刺突剣を左手一本で持って私の斬り上げを迎え撃ち、右手を盾としもう一本の刃から逃れようとする。

 刃は敵のガントレットを串刺しにする。血が吹き出る暇すら無く、私と敵の剣同士がぶつかり合い火花が散る。

 私は右手を刃元から外し、右肘で刀身を押し上げるようにして、右斜めに一歩踏み込みながら華麗に一回転する。一秒にも満たぬその間に、私の飛ばした残り四本の刃の行方と、敵兵の立ち位置と剣を見る。

 剣から伝わる想いが、私の目の力をかつてないほどに増幅させる。

 それぞれの刃に次なる指令を飛ばし、私は左構えに移行しながらに対峙する敵頭部側面を狙い<氷の貴婦人>を走らせる。

 四本の刃が敵兵士を相手にする間、私はこの敵一人に専念する僅かな時間が生まれた。それはこの兵士達と戦ってから初めて生まれた、そして今の私には大きすぎる隙だった。

 私は敵ガントレットに刺さった刃を上空へ飛ばす。物言わぬ敵は頭に襲いかかる<氷の貴婦人>を刺突剣で再度防ごうとする。

 上空の刃を首筋へと落下らせ、背後へ行っていたもう一本の刃は弧を描かせ、敵左脇へ後ろ下から突き入れる。

<氷の貴婦人>の蒼い刀身が敵刺突剣とぶつかった瞬間に、二本の刃は敵装甲部の継ぎ目をぬって突き刺さっていた。

 右足を軸とし体を回転させ、<氷の貴婦人>に力を乗せて、体勢を崩した敵の頸部を狙う。

 蒼刃は、敵頭部の装甲を容易く斬り裂いた。

 一体を倒すと、雪玉が転がるように戦況が変化する。

 敵に向けることができる刃の数が増え、敵は成立する役の効果が下がる。

 六本の刃を飛ばし、これまでのお返しとばかりに残る四人の剣兵の急所を狙う。

 刃は全て弾かれる。そう容易く倒れる敵ではない。

 弾かれた刃は再度同じ敵に向かわせるのではなく、その反動を利用して別の敵へと走らせる。

 結果、白い閃光で埋め尽くされた空間は、荒れ狂う蒼い刃の遊び場となった。

 私はその中を<氷の貴婦人>を手に突き進む。

 ただ私の命を取ろうとする敵兵士と、私の目の元に一斉攻撃する刃達——私などいなくとも勝負はついていた。

 刃に指令を与え続けながら、<氷の貴婦人>の蒼い刃を駆る。敵胸部の装甲を貫いて刃を突き立て二人目を仕留め、三人目は右手首を斬り落としてから腹部を裂いてその命を吹き消し、続く四人目は刃達で敵の刺突剣の自由を奪ってから頭部を真っ二つにする。

「セィ!」

<氷の貴婦人>の斬り払いを受け止めた最後の五人目の敵兵には、六本全ての刃を突き立てる。

 刃を引くと、広場に残っていたのは私だけで、斬り刻まれて穴だらけになったカード達がひらひらと力無く宙を漂っていた。

 全ての敵を討ち倒し、私はまず自分の状態を確認する。

 剣兵達につけられた傷は、動けぬほどのものではない。祈りによるヒーリングは可能だが、『解放』した今の状態ならば<氷の貴婦人>による自己治癒に任せるべきだろう。

「管区長殿! 聞こえているのでしょう、エリザベート管区長殿!!」

 答えは無く、私の声が空間に虚しく響く。

 くそっ!

 私は六本の刃を刀身に収束させ、抜き身の<氷の貴婦人>を持ち出口へと駆け出す。

 黒騎士達の向かった先は分からないが、ここの外には修道院を守るべく配備された人達がいる。

 彼らが黒騎士達の奇襲に耐えられたとは考えにくい。死んだと思われている存在が、自分達の後ろから現れたのだから。

 私は地上へと走る傍、思考を働かせる。

 まず第一に、外にいる警備の人達の無事を確認しなければ。必要ならばこの新しき力で黒騎士達を倒し、エリザベート管区長殿を止めなければならない。

 そうだ、管区長殿のお部屋を探そう。この島について、聖コンスタンス騎士修道会が隠していることについて記されている文章があるはずだ。

 あの人が黒騎士達をこの島で匿っていたと言うのなら——私がそれを止めるのは義務のはずなのだから。


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