夕刻: 告解の秘跡 [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]
「管区長殿! エリザベート管区長殿!」
はやる気持ちを抑えながら、管区長殿の姿を探して修道院内を探し回る。
礼拝堂、中庭、菜園、図書室と、入り口から思いつく順に見て回る。しかし、姿は見えず。
やはり自室か、そう思うとこの体は力強く床を蹴り出していた。
「管区長殿! お話があります、管区長殿!!」
部屋の前に立ち、扉をやや乱暴に叩く。失礼なことをしている自覚はあるのだが、先刻の萌との会話で生まれた疑念を一刻も早くどうにかしなければならない。
「あらま、リーゼリッヒちゃんてば。そんなに急いでどうしたの?」
私の思いなど何処吹く風、自室の鍵を開けて杖をつきながら歩くそのお姿は世俗の混乱と対極な穏やかさがある。
「地下の、地下の礼拝堂の鍵を開けて下さい!」
「地下礼拝堂? この前静ちゃんと行ったところかしら?」
「はい、どうしても確認を取らねば、」
「う〜ん、ダ〜メ」
「なっ!? どうしてですか!?」
「理由があるから鍵をかけてるのよ。理由が無く扉を開けるのは、この地を預かる身としては誓いに背くことになるわ」
「くっ!」
考えろ。静の時は開けて頂いたのだ。正当な理由があればこのお方は開けて下さるに違いない。
「ほ〜ら。今日ってシャルロッテちゃんがはしゃいでた運動大会の日じゃない? 結果はどうだったの? お婆ちゃんにお話聞かせて」
理由、理由を——!
「ね?」
「エリザベート管区長殿」
「なぁに?」
「この地に駐屯する第二位の、貴女に次ぐ者としての責務があります。この修道院内に存在する封印を今すぐ確認させて下さい」
「あれま、あれま。そう言われちゃうとお婆ちゃん、はいと言うしかないじゃない」
管区長殿が机まで杖をつき、引き出しから例の鍵束を取り出す。
「でもお婆ちゃん腰が悪くて急げないの。そこのところはごめんなさいね」
地下礼拝堂の中に秘蔵されている封印の祠への道を行く。
二度目ともなると、初回では気付けなかった壁面の汚れや床のわずかな傷にも目がいってしまう。
管区長殿は杖をつき、私の前をゆっくり歩いて私を先導する。
そうして、あの空間と、刀の前に辿り着く。
「は〜い。ご到着ぅ〜」
私は無言で眼鏡を外し、刀を見る。
「この刀の製作者は、緋呂金考行、現当主の代行を務めるあの男ですね。ここに刺されたのは……今年の三月ですか」
「んまっ、なんでもお見通しなのね。きゃ、お婆ちゃんのうれしはずかしあんな秘密やこんなことまで見られちゃうのかしら、ぽっ」
戯言には黙殺をもって答えとする。
私は<氷の貴婦人>に手をかける。
“愛しき君よ、貴女を想う”
「まっ」
“無窮の闇に身を浸す貴女が、苦痛と悲嘆に沈まぬようにと。
無限の闇を斬り払う貴女が、希望と優しさを持ち続けられるようにと。
ただただ、貴女の、無事を願う”
その名を発する間際、私は彼のことを想った。
この剣の作り手が担い手を想ったように、強く、哀しいほどに。
“我が愛しき<氷の貴婦人>よ——!!”
剣の展開は冷風を撒き散らし、私の身には装甲とドレスを、そして手には抜き身の蒼い大剣をもたらす。
「まー! 凄いわ、リーゼリッヒちゃんてば。グスン、こんなに立派になっちゃって。お婆ちゃん涙が出ちゃいそう」
私は深く呼吸を繰り返す。深く、より深く。
精神を落ち着かせて、これからすることの是非を最後にもう一度だけ考える。
この地に封じられていると言う<第八の蛇>、そして異端執行官の二人組、彼らを匿う者の存在、封印と結界に関わっていると思われる聖コンスタンス騎士修道会、その現在の長たるこのお人——。
黒騎士と共にいる少年、ルキウスの持つ<カードの兵隊>と言う恩寵具、萌の言った
思考が点から線へと変わり、浮かび上がる憶測が私の手に力を込める。
最悪、私が蛇の留め金を破壊してしまうかもしれないが、やるしかない!
私は意を決し、刀の前に立つ。
<氷の貴婦人>を『餓狼』に構え、
「——セィ!」
嫌味な輝きを放つ刀の刀身へ、横一文字に振り抜く!
硬い手応えと共に、幻想鉱石同士がぶつかり合う独特の高音と火花が地下空間に拡散する。
「あれま、リーゼリッヒちゃんてばお顔に似合わず大胆」
「これは、一体、どう言うことなのですか、管区長殿!!」
<氷の貴婦人>が通った蒼い軌跡の後に残るのは、両断された刀身ではない。
不気味に笑う
二つに分かれた道化師の冷笑は、私の頭に湯だった血液を送る。
「何処にいるのですか?」
「何かしら?」
「貴女が匿っている、ゲオルギウスと言う名の黒騎士と、この絵札を残したルキウスと言う少年です! 何処にいるのですか、答えて下さい!」
「あら、何々? お婆ちゃんが犯人さんだって言うの?」
「もっと早く、静がこの場に封印を確かめに連れて来てくれた時に気付くべきでした……!」
一から十三までの数字と四種類の絵柄、計五十二枚のカードでトランプは遊ばれる。
たが、これに
そう、
それを具現化するのならば、私の目でも本物としか見えない封印刀になることなど容易だろう。
目で見ることばかりに頼りすぎていた私のミスだ。その裏にある秘められたものをこそ、私は見なければいけないというのに!
「管区長殿、貴女の真の恩寵は遠くの人間と話すことではありませんね?」
私の追求を、管区長殿は微笑でかわす。赤子の成長を見守る母親のような眼差しで。
「貴女の恩寵の真の力は、恐らく、いえ、きっと告解の秘跡を実行するための部屋を作り出すことではありませんか? 罪を告白する者と、赦しを与える者、二人の人間が入れる部屋をです!」
黒騎士と少年、ちょうど二人だ。
「彼ら二人は検邪聖省の異端審問局の人間です。すなわち、告解の秘跡を授けるにたる助祭以上の位についているはずです! つまり、貴女の作り出す『告解室』の空間に入り得る資格を持っているのです!」
私や萌ならば、罪を告白する者の側にしか入れまい。だがあの二人はどちら側にも入ることができるのだ。
「私がこの島に来た時、急に話しかけられた時は何事かと思いました。ですが、それも黒騎士の襲来と共にパッタリと止みました。彼らが島に来て以来、話しかけられたのはたったの一度だけ、一昨々日の授業中のみです」
このお人の性格を考えればおかしな話だ。
「それは貴女の『告解室』を彼ら二人が使っていない時、そう、この場所で彼らが封印を破壊している最中に私や萌に話しかけていたのですね!?」
私の目には、目の前の老婆が私の発言を肯定する様が見える。くそっ!!
「貴女の創り出す『告解室』は、この島の好きなところから出入りが可能なのでしょう。通常、この島全域で空間操作を実現する恩寵は考えにくいのですが、そもそもこの島そのものが<八岐大蛇>を封印する重しと考えれば合点がいきます!」
私の言葉が熱を持ち始める。
「私達が今立っている場所そのものが聖コンスタンスに名を連ねる者の呼び出した、いわば秘跡なのです。この島全体が巨大な修道院と言ってしまっても構いません! 存在を強化する結界も、<八岐大蛇>への重しを増すと同時に、秘跡の場所として、貴女の力を増す手助けをしていたのではありませんか!?」
やるせない思いだけが、私の中で強くなる。
「黒騎士達が初めてこの島を襲撃した晩、私達は厳しい取り調べをされました。恩寵による尋問です。嘘など、つけようはずもありません。ですが、ですが! 貴女の力が『告解の秘跡』であるのならば、罪の告白や許しは、隠されて然るべきもの! つまり、貴女は彼らを庇う嘘を突き通したのではなく、ただ単純に恩寵同士の力比べに勝っただけなのではありませんか!?」
剣を持つ手が震える。それが怒りからなのか、それとも別の感情からなのか、私には分からない。
「どうしてですか、何故なのですか!? この地に封じられているのは<原初の十種>なのですよ!? この国に住む人達が、数百年間血を流し続けて封じたモノを、どうして解放する手助けをするのですか! 答えて下さい、管区長殿!!」
私の魂からの叫びに、この女性は、拍手を持って答えた。
「よくできました。流石はリーゼリッヒちゃん、お婆ちゃんが見込んだだけのことはあるわね」
「管区長殿!!」
「う〜ん、でも九十点かしら。何で手を出したのか、薄々気付いているんじゃない?」
「封印が、力を失っている——?」
「ピンポーン、その通りー!」
怪異が出るようになったのは、ここ数年と日鉢殿は話してくださった。逆説的に考えるならば、数年前から封印が弱まり、怪異が出現しだすような何かがあったのだ。
「当主代行のあの男の力では役不足なのですか?」
刀を鍛える、すなわち封印を形作る作業は、遠呂智の血統恩寵を用いるのだろう。
「う〜ん、言っちゃうとね。今の当主さんでも力不足なの」
「それは何故ですか?」
「血が薄いの。リーゼリッヒちゃんは沢山の人の恩寵を見てるから分かると思うけど、ある特定の恩寵を持つ者を産み続けるのって、大変なの。すっごい古くからの血筋ある者達ならともかく、新しい者が自分の血を保とうと思ってもね、どうしても薄まっちゃうの。だから——」
「近親姦、ですか?」
「そ。身も毛もよだつ話だけどね。そうでもしないと濃い血はできないの」
図書室にあるドロドロの愛憎劇をつづった管区長殿のご自筆の恋愛小説は、この島を題材にしたとでも言いたいのか?
「お婆ちゃんの見立てではね、今の当主さんじゃ無理なのよ。遠呂智の人達が真に伝えてきたものの重さが全く分かってないっていうのもあるし……。今の当主さん、同じ年頃だった遠呂智十三代成兼の長男さんにも及ばないし、三男の奇刀斎さんなんかと比べたら失礼にあたるレベルなんだから」
察するに、血の薄い当主よりもさらに薄いのがあの当主代行なのか。
「だから、良いのですか?」
「なぁに?」
「いずれ崩壊するものだからと言って私達にそれを壊す権利があるとでも仰るのですか!! そんな暴論、一体誰が認めるのです!!」
「あれま。う〜ん、リーゼリッヒちゃんてば一番大切なことを忘れちゃってるわね」
いけない子ねぇ、とため息まじりに呟かれる。
「リーゼリッヒちゃん、貴女はどうして剣を執るの?」
「それは、」
私の心中に、幾つもの光景が蘇る。冬の夜、その朝、そして彼の姿が。
「私達聖コンスタンスの名を冠する者ならば、理由は一つしかないでしょ?」
「それは、」
「それは、全ての怪異を滅ぼすため、でしょ?」
何もない空間から、扉の開く音がした。
「くっ——!?」
「おや、アナタお一人デスカ。意外デスネ」
虚空から現れたのは、片言の日本語を喋る少年と、
「黒騎士——!」
‘カッ、体が鈍って仕方ねェ’
その体に黒き甲冑を纏うはずの一人の青年だった。
‘チッ、こいつだけたァあてが外れたなァ’
‘全く、貴方の言う通り彼までいたらどうする気だったのですか? ゲオルグさん、趣味に興じる気持ちは抑えて下さい。もはや任務は仕上げの段階まで来ているのですよ?’
‘カッ、うぜェぞ、クソガキ。婆さん、世話ンなったな’
‘あらあらいいの、お安い御用よ、こんなこと’
現れた二人とは反対に、今度は管区長殿が宙を手で押すと、人一人が入れるくらいの大きさの異界への扉が現れた。
「待って下さい! 管区長殿!」
「じゃあ、元気でね。短かったけど、リーゼリッヒちゃんとの時間、お婆ちゃん大好きだったわ。バイバイ」
微笑すら残し、エリザベート管区長殿は杖をつきながら自らが創り出した『告解室』へと消えていった。
‘さァてと、このサルをどうするかだなァ?’
‘どうもこうも、事ここに至ってはすることは一つでしょう?’
「くそ!」
二対一、数でも質でも私が劣っている。
音を立てず、一つしかない出入口へと体を移動させる。
この閉鎖空間には一つしか出入口がない。
通路は人一人が通れる幅しかない。あそこまで戦闘地点をずらせれば——!!
‘カッ、ダメだな’
‘何がですか?’
‘つまんねェなァ。サルの浅知恵なんざいらねェんだよ’
私の考えなどお見通し、か。
‘はぁ。どうでもいいですが、彼女には残って貰わねば困りますので、ゲオルグさん、貴方に暴れられても大変に困ります’
少年が両腕を前に突き出す。
‘カッ、うぜェぞクソガキが’
少年の右手にはカードの束がある。
‘事が露見しましたので早めると致しましょう。後二本、さっさと済ませて参りましょう’
「に、二本——!?」
後二本だと!? 馬鹿な、封印は恐らく八本のはず。<八岐大蛇>復活はすぐそこまで来ているのか!?
「お見せしまショウ。ヴォルフハルトさん」
少年が左手を開く。
「これガ、私の力デス」
少年が左手を握り込み、再度開くと、一枚のカードがその手にあった。
「何!?」
それだけで私の目は彼の恩寵を私に知らしめる。
ありえないものを見た。
「エリザベートさんのような立派な代物でハありまセンガ」
再度五指を閉じて開く。今度は二枚のカードが指に挟まっている。
「なかなか、便利デスヨ?」
少年が左手を握って開く度に、指に挟まるカードが増えていく。
「<左右等価>、それが私の力デス」
この少年は右手にあるものを左手に複製できるのだ。
これまで少年が使ってきたのはオリジナルの<カードの絵札>ではない。左手にコピーしたものを具現化させていたのだ。
右手にあるものは、左手にもなければならないと言う因果律への干渉力!
そうか、黒騎士達が鉱山の落盤で討ち取られたとする報告、あれは
少年が、左手に揃った本来ならば有り得るはずのない役の成立した手札五枚を地面へ投げる!
‘<
具現化される五人の剣兵が手に手に剣を抜き放ち、私へと襲い掛かる!
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