夜: 皇国の護り鬼 [須佐政一郎]

 足元から伸びる石橋は、黒い闇に遮られて途切れているかのように見える。

 周りの湖も同じだ。水面は静かだが、暗い。引き込まれそうと言うよりは、こちらを引きずり込んで喰らいそうな不気味さがある。

 後ろを振り返る。そこにはそびえ立つ門と壁、そして政庁がある。

 頼りないな、そう思ってしまうのはこの島を束ねる行政官として失格だろうか。

 門番をしている四人に悟られぬようこっそりとため息を吐く。

 現在、島に発令している警戒レベルは『参』だ。本来ならば昼夜を問わず門を閉ざし錠を下ろしていなければならない。

 ところが外町から突然一報が入った、『事態を対処する人員を送る』と。

 それを出迎えるためにこうして外に出ているのだが……。と、政庁の方から大きな歓声が沸いた。

「さて、何だろう」

 こんな夜中に大声か。弟から安眠を妨げられたと文句を言われそうだな。

 さて、彼女達に話すべきことは話したが、どうでるか。

 まともに信じたのは国司君ぐらいだろうな。こちらが正確で十分な情報を与えなかったのもあるだろうが——。

 時間的余裕もなかったし、与える情報としてはぼやけた方が良い。

 中央が空白の絵を与えたようなものだ。

 彼女達はその空白が何だろうと推察し、埋めるべく行動を取るだろう。そこに何が描かれているのかを探求せずにはいられまい。

 己が見つけ出した答えならば、信じられよう。それがどんなに残忍であったとしても。

 こちらの真意に気付きそうなのは国司君とシャルロッテ嬢の付き人ぐらいか。

「ふぅ」

 考えたところで無駄か。人の行動は、先の決まっている物語の上にはない。私ができるのは、気付かれぬようにそっと背中を押すことぐらいだ。

 もう一度、先程の歓声が止まぬうちに今度はもっと近くから大きな声が聞こえてきた。

 程なくして、弥生君と壱係の新人君が門から飛び出てくる。

「せ、政務官殿!」

「須佐政務官!」

 二人とも息を切らせ、肩で呼吸している。

 顔には光る汗が見える。長い距離を走ってきたのか。よほど重要な案件なのだろう。先程の二箇所での歓声も彼らのお陰かな。

「やりました! 俺達羽々斬はばきり衆が遂にあの黒騎士を倒しました!」

「ほう、それは本当かね?」

「はい! 係長の元で極秘に進めていた作戦により黒騎士を討ち取りました!」

「作戦とは?」

「はっ! 警備を手薄にした鳥上鉱山の内部へと黒騎士達をおびき入れ、奴らの上に落盤をおこすことに成功しました! いやー! 政務官にも、」

「こちらの被害は?」

「は? 被害、ですか?」

「こちらの被害は落盤を起こした壱係の武市たけいちのみです。なお、黒騎士達が確かに埋まっていると目撃したのも彼です。彼も崩落に巻き込まれ一時心肺停止になりましたが、現在は問題ありません」

「そうか、それは良かった」

「流石は武市さんです! これで我々の精強さがまた島内外に轟きますよ! ははは!」

「報告ありがとう。この吉報を他所にも届けてくれるかい?」

「はは!」

 ぎこちない最敬礼を見せ、新人君は回れ右をして走り出す。

「これが目的だったのですね、須佐政務官」

「さて、何のことかな?」

「随分と反発がありました、どうしてこの状況下で学生のお守りをさせるのか、と。主に壱係と弐係の人員からのみですが。警備の穴を人為的に操作するために学生達の夜警への許可をなさったのですね?」

「詳しいことを言う訳にはいかないんだよ。すまないね、弥生君。それでどうだったかい、学生諸君は?」

「概ね良好です。意外ですが。ヒトガタと戦闘した複数の組からは『思っていたより使えた』との評価を口頭で受け取ってます。正式な報告書は明日の——もう本日ですが、昼頃にはお手元に届くかと」

「学生達は皆無事に帰ってこれたのかな?」

「それは……どうでしょう。怪我人が出た場合は私へ報告するようにと事前に言っておきましたので。特に報告が上がってこないとはそう言うことでしょう」

 頭痛がした。

 学生を怪我させるのは、言わば失点だ。それを隠して報告しないと何故考えないのか。

 良い意味で純粋と言うべきか。この性格が彼女の良いところであり悪いところでもある。

「まだ来ないのですか?」

「みたいだね。弥生君、できれば君は門の内側に居て貰えると助かるんだが……。援軍が不遇の輩共とも限らないからね」

「ならばなおさらのこと政務官をお一人にするわけにはいきません。せめて警護の者をお一人はお側に」

「いや、いざと言う時の犠牲は少ない方が良い」

「……」

 私の言葉に彼女は押し黙る。

 理解してくれたかと思いきや、彼女は後ろに下がらずに逆に私の隣へと歩み出る。

 やれやれ。

 私達は黙ったまま待つ。時が過ぎ、外町からの待望の援軍が姿を表すのを。

 湖面を通り過ぎる風を足元から感じ、歓声が遠くから時折湧き起こるのを耳にする。

 傷がまだ痛むな。結局は代行殿の策が成功した。天狗の鼻が更に高くなる訳か。

 どれくらいの時間そうやって立ち尽くしていただろうか。

 月が雲から姿を見せ始め、微かにだが吹き続けていた風が止む。

 鈍くなり始めていた思考が動き出そうとした時、


 からん、ころん——と、気味の良い音が遠くから聞こえてきた。


 下駄を履いた誰かが、暗闇の中、月明かりを頼りに石橋を渡ってくる。

「——ん?」

「おかしい、ですね」

 小声で囁き合う。

 下駄が石橋を叩く音は、一定で規則正しい。だが一つだ。

 つまりこちらに向かっているのはたった一人の確率が高い。

 報告通り黒騎士を討ちとれたのなら、とりあえずの問題は島内のヒトガタだけとなる。外町からの援軍が一人でも、やれなくはないだろう。だが、それは結果論だ。黒騎士達を討ちとる策は島外には漏らしていない。つまり外としては、たった一人の援軍で黒騎士達とヒトガタを対処しろ、と言うことだ。

 ここ数日はヒトガタの活動が活発化している。学生を対処に回してるが、多ければ多いほど助かるのが本心だ。

 だが一人、いやされど一人と考えるべきか。

 さて、皆にどう説明すべきかな……。

 等、呑気なことを考えている間にも下駄の音は近づいてくる。

 松明や提灯の一つでも持ってくるべきだったかな。上の見張り穴から覗いている警備の者達は夜目がきく。彼らを信じて待つとしよう。

 灯りが全くない橋の上で一つポツンと炎が揺らめいているのは遠目からでも目立つか。

 下駄の音が、目の前で止まった。


「良い夜じゃの」


 投げかけられば文言とは逆に、声色は年若い女性のものだった。

「ほほ、出迎えごくろうじゃの」

 手を伸ばせば届く距離にまで近づいたことを、下駄の音が知らせる。

 彼女が私達の前へと歩き出て、背後に設けられた門の篝火と月明かりがその姿を照らし出す。

 服装は薄桃色の紋付羽織、そして濃紺の袴と言う出で立ちだ。

 腰の帯には白鞘の刀を挿している。その鞘には色鮮やかに咲き誇る桜の花びらが彫り込まれている。

 見事な鮮やかさだ、一度目にしてしまったらそうやすやすと視線を移せない。

 幼い顔立ちだ。学園の服を着て園内にいれば部外者とは気付かれないだろう。

 優しい輪郭に、大きな瞳と桃色の唇、そして肩までかかる紫色味がかった髪が、灯火の明りを反射して妖艶な輝きを放っている。

 しかし、その全てを台無しにするかのように、一本の生々しい太い傷が、髪の生え際から眉、目、口元を通り顎まで伸びている。

 凄惨な傷跡とあどけない顔立ちとの対比に、白鞘に咲く鮮やかな桜が加わり、この人物への一種異様な雰囲気が肯定されている。

 だが……この国で彼女のことを知らぬ者はいないだろう。

 顔についた傷は彼女が生涯ただ一度だけの敗北を喫した際に、自分自身でつけたものだと言う。

 その羽織に描かれている模様は間違えなく金色の十五三重表桜じゅうごみおもてさくらだ。この御花紋の入った羽織を着ることは、皇室より直に拝領した者でなければこの国では絶対に許されない。

 腰に挿しているのは、初めて見る刀だが間違えようもない。白鞘に彫り込まれた生きているとしか思えない桜の花は、この島に存在した名匠が錬成し、皇室へ献上したものだ。この島の刀鍛冶が天下六箇伝を賜ることになった一振りである。

 その一振り、<鬼哭桜花>を皇室から拝領し、今持っている人物は一人しかいない。

「驚きました、おおとりたま様……まさか貴女のような御方に来て頂けるとは」

「わ、私は政務次官の弥生と申します。お会いすることができるとは、こ、光栄の極みです」

 弥生君が上ずった声で私に続く。


皇国護鬼こうこくのまもりおに』、鳳珠——それがこの人物だ。


 この日本皇国と言う国としての象徴が天上天皇陛下であらせられるならば、この国を守る力としての象徴が、この人物が所属する『皇国護鬼』と呼ばれる集団だ。

 国を護れる程に強くなるために人であることを捨てて鬼となった者達とも、強すぎるがために人としての規格を超えてしまい鬼と呼ばれる者達とも言われている。

 その中の一人が、私達の目の前にいる女性、鳳珠——絶人の域にまで達すると謳われる居合の使い手だ。

「ほれ」

「は?」

「ほれ、手を出すんじゃ」

「は、はぁ……——ぐっ!?」

 右手を差し出したところ、彼女が肩に担いでいたハルバードを私の手の上に置いた。

 余りの重さに一瞬で両膝が石橋に叩きつけられた。手からこぼれ落ちたハルバードは橋へ落下し、金属と石がぶつかり甲高い音が夜空に響いた。

 危なかった……。手を挟まれていれば間違えなく潰されていた。

「須佐政務官!? お怪我は!?」

「少し、膝を痛めてしまったかも知れないな」

「う〜む、いかんのぅ。修練が足らぬぞ」

「面目ありません」

 こんなモノを担いできたのか。そしてテレジア嬢は振り回していたのか。私の力ではびくともしないな。後で四人ぐらいで教会へ届けて貰おう。

「ではの」

 地に屈している私をひょいとかわし、鳳珠が島内へ進もうとする。

「お、お待ち下さい、鳳様。貴女様が外から派遣されてきた応援で間違いないのですか?」

「はて? そうよのぅ……。あの町を通ってきたから、応であるかのう」

「恐れながら、黒騎士達は本日の作戦で死亡しており、鳳様にわざわざご足労頂くには及びません」

「せ、政務官……」

 弥生君、その残念そうな声は何かね。

「事の仔細は聞いておらぬし、知らぬ。わらわは勝手に邪魔させてもらう故、ヌシらも放っておけば良い」

 彼女は飄々と言い、再び下駄の音を鳴らしながら歩き出す。

「お待ち頂けますか? 重ねてお聞きしますが、貴女が我々の要請に答えて下さった応援で間違えないのですね?」

 だとしたらある意味問題だ。一体どんなルートを使えば皇国護鬼の鳳珠に連絡がつくと言うのか。

「何じゃ、ふーむ、話が通じておらぬのぅ。答えは否じゃ、妾はヌシらの助っ人としてこの島に邪魔するつもりはないぞぇ」

「えっ——?」

「は?」

「妾は人にして人にあらず、この国を守護するものじゃ。この島で起きておる変事とやらが国を害なすものならば斬って捨てよう。じゃがの——」

 彼女が首を回して、私と弥生君を見る。

 未だかつて経験した事のない眼光に、人としての何かが戦慄する。

 この島の政務官としての仕事柄多くの人と出会ってきたが、私の弟や緋呂金のような己の血統と言う名の絶対的な高みから見下す侮蔑の類ではない。国司君や壱係のような武の修練に基づく他を圧倒するものでもない。テレジア嬢のような狂気を感じる怒りとも違うし、黒騎士のような底冷えのする殺意とも違う。

 彼女の瞳に宿るもの、それは言うなれば、


「じゃがの、ヌシらの島こそが皇国にとっての害悪と分かれば、この島におる老若男女全ての首を斬り飛ばすぞえ」


 なるほど、これが双肩に国を担う人間の放つ重み、か。


「故に、妾はヌシらの味方でも敵でもない。ほほっ、ちと話が過ぎたか。ではの」

 鳳珠は私達の反応など待つ意味がないと言わんばかりに言い放ち、からんころんと下駄を鳴らしながら島内へと歩いていく。

「あれが鳳様か。お会いしたのは初めてだけど、随分変わったお人のようだ」

「私は手の震えが未だに止まりません……。あんな間近でお会いし、お話をすることができるなんて……」

「おや、弥生君は皇国護鬼の御人を見るのは初めてだったのかい?」

「え——!? 政務官は違うのですか!?」

「昔一度だけね。弟の代理で出席した鎮守府の式典で、島津海兵隊の当時の指揮官をお見かけしたよ。遠目からだったけど、大変豪快そうな御方だったよ」

 弥生君がかつてない程の尊敬の眼差しを私に送る。

 気持ちは分からないでもない。

 皇国護鬼——その者達に関する話は腐るほどある。

 全国津々浦々で始末した怪異の数は数え切れず。

 国を守るために一番最初に駆けつけ、一番最後に立ち去ると言う。

 摘発した汚職政府職員や政治家の数は年間百を超える。

 既に絶滅したと思われていた多数の動植物を発見し保護したり、旧時代の遺跡や遺物の安全な起動運用法の発見や確立と言った武官らしからぬ分野でも功を挙げている。

 行政府のどの省庁からの命令も受けずに行動する神出鬼没の事件解決人——現代日本の英雄達と崇める者さえもいる。

「しかし、驚きました。まさか皇国護鬼の御方がいらして下さるとは……」

「僕もびっくりしたよ。どんな経緯でこの島にいらしたものか。僕らの救援要請が届いたとも思えない。たまたま近くを通りがかった時に報が御耳に入ったか、あるいは……」

「あるいは?」

「黒騎士達が完全通行許可証フリーパスを入手した経緯からかも知れないね。外務か内務か、何処かが無理を通さなければ外国人である彼らが手にするはずもない。中央が絡んだ外国人への手形の不正支給を調べている内にこの島に辿り着いたのかも知れない」

 どの道、確かめる術は無いだろう。

「さあ、私達も門の中に入ろうか。その武器は教会にいるテレジア嬢に届けてあげてくれ。重いと思うから三、四人で運ぶよう手配を頼むよ」

「はっ、了解しました」

 門へと振り返ると同時に思索に入る。

 外町に駐屯する部隊ならある程度はこちらの思惑通りに動かせるだろうが、あの御仁は無理だろうな。

 島の下にいる怪異のことは、限られた者だけではあるが、中央も知っている。私の生まれる前から数百年も続いていたことだ。今更、しかもこの状況下で手を出してくるとは想定外だ。

 随分と感激していた弥生君には悪いが、あの御仁一人で<八岐大蛇>をどうにかすることは不可能だろう。この島に封じている倍以上の長きに渡りこの国を荒らしまわった怪物なのだ。

 無論、当時より恩寵兵装の錬成技術は格段に進歩している。しかし、かの怪異に奪われた人命の数を考えれば気休めにしかならないだろう。

 それにあの台詞——必要あらば<八岐大蛇>を解き放つとでも言いたげだ。

「ふーう」

 新しい駒が、盤上に加わった。

 私の予想とは全く違う。盤の全てをかき乱す力を孕んだ制御不能の暴れ駒になりかねない。

 流れが全く予期できないものへ変化した。一つ先が奈落の底でもあり、天国へと至る階段にもなりうる。

「今夜は眠れそうにないな……」

「え、何か仰いましたか、政務官?」

 刀や槍や弓を取るのが私の戦いではない。

 思考を走らせ、最善の策を練り、最悪の状況を想定する。己が思い描く最後に至るために、私を含めた全ての駒を動かす——それが私の戦い方だ。

 卑怯と罵られようとも構わない。望むところだ。これが私の選んだ道なのだから。

 走り始めた思考は止まらない。睡眠、食事、そんなものは頭の外、行動の外に置かれる。


 私は勝つ。勝たねばならない、絶対に。

 私の、私だけの、私にしかできない戦場で。


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